七話 絶望と安堵
短めです。
銃を持ったマスクのチンピラ達が未だ暴れまわる中、そんな物を意に介さない様子でヴェロニカは店内を歩いた。
アランはその後ろを続く。
ヴェロニカはそのまま店の裏口へ向かい、外へ出た。
「少し早いが帰るとしよう。パーティの途中で抜け出すのは、若い男女の特権だ。その習わしに従おうじゃないか」
楽しげなヴェロニカの言葉に、アランは答えない。
前を歩いていたヴェロニカは、それを不審に思ってアランに振り返る。
そんな彼女の横をアランは通り過ぎた。
その一瞬でヴェロニカは、アランの目を覗き込む。
「絶望的だな」
彼女の言葉に、アランは立ち止まった。振り返る。
その表情は消耗し、疲れきっていた。
その上、これ以上ないほどに悲しげだ。
「そうさ。僕はとても、辛いんだ。どこにも、救いがない気がするんだ。これより先に落ちる場所がない、そんな絶望の底にいる気分だ」
ヴェロニカは、小さく形の良い鼻から深い息を吐いた。
その息が冬の寒気に触れて白く染まる。
「そうか……。でも、それは間違いだ。何故なら――」
言葉を発する途中、ヴェロニカの背後に何かが降り立った。
それに気付いて、ヴェロニカは振り返る。
振り返った先には、鋼鉄の強化服に身を包む怪人が立っていた。
ヴァイスだ。
ヴェロニカの顔に、鋼鉄のグローブで固められた拳が振るわれる。
次いで、細い腹に強かな蹴りが突き入れられた。
蹴り飛ばされたヴェロニカをアランは慌てて抱き止める。
そして、抱き止められたヴェロニカに向けて、ヴァイスは刀を振り下ろした。
ダメだ。このままじゃヴェロニカが……!
アランは咄嗟に体を前に出した。
ヴェロニカを庇うように、腕を掴んで後ろへ引き込む。
彼女の体は軽く、簡単に地面へ転がった。
標的が代わり、ヴァイスは慌てて刀を引く。
が、威力を殺し切る事はできず、振るわれた刀は浅くアランの右瞼を縦一文字に切り裂いた。
鮮血が飛び散り、アランは右目を両手で押さえてうずくまった。
「うああぁぁぁっ!」
痛みと目が潰れてしまったかもしれない恐怖に悲鳴を上げるアラン。
そんな彼の襟首をヴァイスは左手で掴み、顔を見合わせる位置に引く。
ヴァイスの身長はアランよりも低く、膝立ちで丁度同じぐらいだった。
メカニカルなフルフェイスに包まれた顔は迫力があり、アランは恐ろしさを覚えた。
ヴェロニカの持つ得体の知れない恐ろしさではなく、本能に訴えかけるような純粋な強さに対する恐ろしさだ。
「手をどけろ」
ボイスチェンジャーによって歪められた声が威圧的に告げる。
アランはおずおずと、言われるまま手をどけた。
ヴァイスは刀を地面に突き立て、フリーになった右手でアランの目を開かせる。
「潰れてはいない。瞼が切れただけだ」
言い捨て、アランから手を放す。
アランはその場で崩れ、へたり込んだ。
「どうした? 人の彼氏がそんなに珍しいか? そりゃあ、俺が選んだ男だ。魅力的なのは当たり前だろう。だが、恋人の前で辱めるのはいただけない。おまわりさんこいつです、って指を差される行いだ。正義の味方としてやっちゃいかん事だろう? ヴァイス」
からかう声がヴァイスに向けられる。
声をかけたのは、ダメージを負って立てずに座り込んだままのヴェロニカだ。
ヴァイスはアランへの興味を消し、ヴェロニカに向き直る。
刀を地面から抜き、彼女へ近付いていった。
拳を振り下ろしヴェロニカを殴りつけると、その手でヴェロニカの襟首を締め上げるように掴んだ。
「ロッキー・バイエルは私が殺すはずだった。何故奴を殺した? 貴様は誰だ?」
「つれない事を言うな。イカレた者同士じゃないか」
口の端から血を流しつつ、ヴェロニカは痛みを感じていないような笑顔で語りかける。
「ハートレス……!」
そんな様子に、ヴァイスはヴェロニカの正体を理解する。
「善良な人間を連れまわして何をするつもりだ?」
ヴァイスはアランを指して詰問する。
「善良? 見た目だけで決めてつけていいのか? こんな純朴な顔で、実は人の皮を剥ぐのが大好きな快楽殺人犯かもしれないぞ。見た目の判断で逃して、犠牲者が増えたら正義の味方の名折れだろう?」
ヴァイスはヴェロニカの襟首をさらに強く締め上げる。
今にも、その白く細い首が折れてしまいそうだ。
「正義を名乗った事は無い。人を殺す物が正義であるはずはないだろう」
「悪を殺す悪を気取るのか? このメサイアコンプレックスのナルシストめ!」
「正義では悪を裁けない。それだけの事だ」
ヴァイスは言って、刀をヴェロニカの首筋に近づけた。
「まぁ、それはいい。そんな事より、手の平の部分はラバーになっているのか?」
唐突にどうでもいい事を問われ、フルフェイスの中でヴァイスは怪訝な表情を作る。
「その方が滑りにくいし、絶縁体になっているから電気も通さない。実にいいチョイスだな」
ヴェロニカは笑顔を作る。
ヴァイスは困惑した。
次の瞬間、襟首を掴むヴァイスの手に、ナイフが突き刺さった。
ヴェロニカが下から、襟首の布地ごと刺し貫いたのだ。
視覚外からの攻撃に、ヴァイスは気付けなかった。
プレートの補強がないラバーの手の平をナイフは簡単に貫通する。
「でも、こうなったら関係ない」
言って、ヴェロニカはいつの間にかもう片方の手に持っていたスタンガンを自分の首筋に当てた。
高圧の電流がヴェロニカの体に流れ、そこからナイフを伝ってヴァイスにも電流が向かう。
「あひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「ぐわぁーーーーーーーっ!」
二人はそろって痙攣し、やがてスタンガンがショートして止まる。
通電が収まると、二人はその場で力を失って倒れた。
動かなくなる。
そんな二人に、アランは走り寄る。
そして、ヴェロニカを抱き起こした。
「ヴェロニカ?」
呼び掛ける声に、反応がない。
最悪の事態を想定し、アランはヴェロニカの胸に耳を当てた。
心音がなかった。
アランの顔からサッと血の気が引く。
考える暇も躊躇う暇もなかった。
アランはヴェロニカの口を自分の口で塞ぐ。
酸素を送り込み、体重を乗せて胸を何度も強く押す。
彼女の唇の柔らかさなんて、堪能する余裕は無い。
ただ純粋に、助けたいと思っていてそれどころじゃなかった。
自分の行いに、彼女の命がかかっている。
そう思うと知らず手に力がこもった。
彼女に死んでほしくないと強く願い、それが叶わないかもしれない事に焦りを覚えていた。
人工呼吸の反復作業をこなす間は、とても長い時間に思えた。
やがて、何度目かの酸素供給をした時、アランの頭が包み込むように抱き締められた。
抱き締めたのは、ヴェロニカの細い腕だ。
アランの口の中に、ヴェロニカの舌が割り込み入れられた。
今この瞬間、人工呼吸はキスに変化した。
アランにとってはファーストキスだ。
「むむぅっ!?」
アランは驚き、ヴェロニカの体を押さえて口を離す。
抱き締める力は弱く、簡単に引き離される。
「もっとだ。おかわりを要求する」
笑顔で要求するヴェロニカにアランは安堵し、しかし強い脱力感を覚えた。
「よかった」
「おかわりは?」
「言ってる場合じゃないでしょ。本当に心配したんだからね!」
「ふふふ」
にんまりと笑いかけるヴェロニカ。
そんな彼女に、アランは手を差し伸べた。
「立てる?」
「麻痺しているから立てそうにないな」
「わかった」
言いながら、アランはヴェロニカを抱き上げた。
お姫様抱っこだ。
体格的にこの形が一番ヴェロニカを抱き上げやすかった。
「ふふ、さすがの俺も心臓が止まるのは予定外だった。しかし、また俺を助けてくれたな。俺の好感度をこれ以上あげてどうするつもりだ? ジャパニーズヘンタイゲームみたいに俺を攻略するつもりか?」
言葉とは裏腹に、ヴェロニカはとても嬉しそうに笑う。
その表情はとても可愛らしく、アランは心苦しさを一瞬忘れて彼女に見惚れた。
「……行こう。ここから早く離れた方がいい」
ここで待っていたら、警察がやってくる。
それに、あの怪人が気を失っている内に逃げるべきだ。
アランはヴェロニカを抱いたまま、その場を去ろうとする。
その時だった。
「待て、行くな……」
ヴァイスが声を上げる。
アランが振り返ると、刀を支えにして辛うじて立つヴァイスの姿があった。
しかし、歩こうとしてすぐにまた転ぶ。
ヴァイスの体もまた、電撃の影響で麻痺しているようだった。
「放っておけ。あいつの始末より、こうして抱かれている方が断然に楽しいからな。遠回りして帰ろう。あ、ついでにスーパーマーケットで夕食の材料も買おう。今の状態を大勢に見せ付けてやりたい気分なんだ」
「やだよ、そんな羞恥プレイ」
答えながら、アランは一度ヴァイスを振り返った。
「行くんじゃない……待て……っ!」
うつ伏せになり、ヴァイスは這いずるようにして必死にこちらへ手を伸ばしていた。
「執念深い奴だ。無視してしまえ。ここにいたら、どうせまた襲い掛かってくるぞ」
「……うん」
呼び止める声を背中で聞きながら、アランはその場を後にした。