表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハートレス  作者: 8D
5/21

四話 忌避と好意

 ヴェロニカは適当な事を言う事があります。

 真に受けない方がいいでしょう。


 アランが目を覚ますと、ボロボロの天井が見えた。


「久し振りだ。天井のある場所で眠ったのは……」


 眠る場所も固いコンクリートの地面じゃない。

 ふかふかしたベッドの上だ。

 ベッドからは真新しく清潔な匂いがする。

 ヴェロニカがわざわざ新品を用意してくれたのだろう。

 自分が人間的な生活をしている。

 それが夢じゃなくて、彼は安心した。

 けれど、安心してばかりはいられない。


 これが夢じゃないのなら、昨日起こった事も夢じゃないという事だ。


 彼がいるのは、ヴェロニカが隠れ家として使っている廃ビルの部屋だ。

 ヴェロニカのした事に対し、忌避する気持ちはあった。

 けれど、住居を提供してくれると言われれば断れなかった。

 路上の生活はとても辛い。

 どれだけ悪行を忌避しても、我が身の可愛さには負けてしまう。

 そんな自分の弱さに、アランは鬱々とした気分を覚えた。


 ヴェロニカから離れるべきかもしれない。考える。

 しかし、ふと思いつく。

 彼女に相談すれば、妹を助けられるかもしれない。

 彼女が自分に報いようとしてくれているなら、協力を持ちかけてもいいんじゃないだろうか?


 妹はどこかに売られるとあの男は言った。

 それがこの街のどこかなのか、海を渡った遠くなのかはわからない。

 後者なら絶望的だ。

 けれど、ヴェロニカなら何とか居場所だけでも知る事ができるのではないかと思えた。


 彼女はきっと良い人間では無い。

 それでも、彼女はアランを絶望の淵から助けてくれた。

 その事実だけは揺るがない。

 だから、アランはヴェロニカに対して強い信頼も覚えていた。

 相手への報復をしてもらうより、妹を探してもらう方が余程いい。


 都合良く使っているようで気分はよくないが、それ以上にアランは妹の安否が心配だった。

 アランはベッドから起き上がる。

 着ている服は、昨日と同じスーツだ。

 着たまま眠ったので、少し皺がついてしまっている。


 部屋から出ると、丁度近くの部屋から廊下へ出るヴェロニカの姿があった。

 ホッキョクグマを模したパジャマ姿だ。

 全身白で、フードにはデフォルメされた熊の顔がプリントされていた。

 アランの視線に気付いて、ヴェロニカはどこかぼんやりとした顔を向ける。

 二人の目が合った。


「洗面所はここだ」


 と、ヴェロニカは今しがた出てきた部屋を示した。

 眠そうな声だ。

 どうやら彼女は朝に弱いらしい。


「うん」


 返事をすると控えめに笑い、ヴェロニカは背を向けた。

 廊下の向こう側へ歩き出す。


 本当に今の寝ぼけた女の子は、昨日あんな凶行に走った少女と同一人物なんだろうか?


 首を傾げながらアランは洗面所へ入っていった。

 洗面所には新品のシェービングクリームと剃刀、洗顔料、整髪料など、男性用の日用品が買い揃えられていた。

 全部ヴェロニカが用意してくれた物だ。

 青い歯ブラシがパッケージに入ったまま置かれている。

 それを使えという事だろうか?

 今使うわけではないので、後で聞く事にした。

 そんな時に目に入る。

 一本のピンク色歯ブラシ。

 それが入ったマグカップとマグカップに張られた「使った歯ブラシはここに」というメモ用紙だ。

 メモ用紙の端にはハートマークが描かれていた。




 リビングに行くと、オーブントースターの中をじっくり眺めるヴェロニカの姿を見つけた。

 パジャマ姿ではなく、別の服に着替えている。

 昨日のドレスとも違う格好だ。

 白っぽいピンクの下地に星のマークと「ライク ユー」という文字がプリントされたキャミソール。それに青いホットパンツだ。

 両足にはピンクと白の縞模様のロングソックスを履き、ガーターベルトでホットパンツとベルトを留めている。

 普段着だろうか。

 この季節に寒くないの? と思ったが、この部屋で言うなら暖房のおかげで快適だ。

 部屋着かな?


「おはよう。よく眠れたか?」


 さっきと違って、ハキハキとした口調でヴェロニカは挨拶した。


「うん。よく眠れた」


 答えると、ヴェロニカはリビング中央にあるテーブル。

 二脚向かい合うように備えられた椅子の一方を指し示した。

 そこに座れという事だろう。

 テーブルの上には平皿が二枚。

 席の前に一枚ずつ置かれていた。


 アランが座ると同時に、トースターがチンッと音を立てて出来上がりを知らせた。

 ヴェロニカは中で焼かれていたトーストを二枚取り出し、アランの皿に重ねて置いた。


「チーズトースト?」


 トーストは何の変哲もないチーズトーストだ。

 チーズ以外に何も乗っていない。


「ノンノン。ハニー・チーズ・トーストだ」


 大事な事を言い含めるように、ヴェロニカはゆっくりと発音する。


「俺が初めて作った大発明だ。これ以上の発明は、未だ成し遂げていない。朝はこれと決めているんだ」


 ハニーと言うからには、はちみつが使われているのだろう。

 手に取るとトーストは思っていた以上にずっしりとしていた。

 焼く前にはちみつを染み込ませて、チーズを乗せて焼いた。という所か。


 でも、発明というわりには、もうどこかでありそうな組み合わせだ。


「確かに、もうすでにあってどこかで売られているかもしれない」


 アランの考えを読んだように、ヴェロニカの声が答えた。

 トーストから顔を上げると、ヴェロニカは向かいの席に座っていた。

 前の皿には、同じく二枚のトーストが重ねられている。

 アランの目をうかがって考えを読んだのだろうか? いや、目を合わせていないのでカマをかけただけだろう。


「でも俺の周りにはなかった。だから、発明だ。発見かな?」


 彼女はニコリと笑う。

 本当に、こうして見ると優しげな天使の微笑みに見える。

 アランは目をそらして、トーストを齧った。


「甘い」


 超甘い。

 チーズの塩気が何の役にも立っていない。

 いや、むしろ積極的な引き立て役になって、さらに甘さが増している。

 絶対にカロリーが高い。

 一口齧ればわかる。

 脂質と糖が多く、野菜類のない組み合わせだ。

 健康にもよくない。


 彼女は毎日食べていると言ったが、どうやって体型を維持しているんだろう?


 アランはヴェロニカの体を見た。

 腕が細く、ウエストも引き締まっている。

 スタイルがいいと言うより、欠食児童のように見えるくらいだ。


 アランの視線の先で、ヴェロニカは襟に指を引っ掛けて下にずらし始めた。

 ついでに前かがみになる。


 服の中が見えそうになったのでアランは目をそらした。


 恐らく、わざとだろう。


 甘ったるいトーストを黙々と食べた。

 甘さに耐え、なんとか食べ終わる。

 ヴェロニカの皿はとうに空だ。

 一息吐いて、アランはヴェロニカに向き直った。

 彼女に話しておかなければならない事がある。


「ヴェロニカ、お願いがあるんだ」

「次の報復なら、今夜のつもりだ」


 え、今夜も?

 あんな大それた事を昨日の今日でまたやるつもりなのか?

 なんて行動力だ。

 とてもありがたくない話だった。


「そうじゃない。僕は報復なんて望んでない」

「ああ。だから俺がやるんだ。恨みがあるのは嘘じゃないだろう?」


 アランは黙り込んだ。否定できなかったからだ。

 家族を壊された憎しみは、今も残ってる。

 許す事なんでできなかった。

 だから、彼は積極的にヴェロニカの行動を止められないでいる。


 だからこその代案でもあった。


「……他にお願いがあるんだ。報復よりも、妹の事を探してほしい」

「妹?」


 アランはズボンのポケットからボロボロになった写真を取り出した。

 前の服から着替える際、これだけは肌身離さず持っていたかったから、着替える際に取っておいたのだ。

 その後すぐにヴェロニカはドラム缶の中に入れて服を焼却してしまったので、本当によかったと胸を撫で下ろした。


 その写真にはアランの家族が笑い合う姿が映っている。

 家族揃って撮った記念写真だ。

 アランは妹を指差す。

 妹はアランと同じく金髪碧眼で、その髪はツインテールに結わえられている。


「これが妹だよ。ジェニーっていう名前なんだ」


 ヴェロニカは驚愕の表情を作った。

 その目はジェニーの一部分、胸の辺りに向けられている。


「何だこれは? 何て凶悪なブツを胸に隠してやがるんだ! アメイジング! 中にはミサイルでも格納しているんじゃないのか?」


 妙に興奮した様子でヴェロニカはまくし立てる。

 アランは思わず苦笑いした。

 ジェニーの胸はボリュームに満ちていた。


「僕によく懐いてくれていた。可愛い妹だよ」


 スキンシップが過剰で、よく纏わりついてきたな。

 とアランは在りし日の事を思い出す。


「それはさぞかし、良い思いをしただろう? 具体的に言えば、山脈を両断する谷に腕を挟まれるとか、背中に突起を押し当てられるとか」


 また違った意味でアランは苦笑する。

 彼女の言った事は図星だった。

 何度か体験した事がある。


「まぁね。けれど、それは妹に女の子としての自覚がなかったからだよ。十五歳で体も大きかったけど、まだまだ子供だったな。無邪気な子だったんだ」

「ふぅん。……あんまり似てないな」

「実は両親は再婚で、僕達は連れ子同士なんだ」

「へぇ……」


 ヴェロニカはなんとも言えない表情で、気のない返事を返した。


 血は繋がっていなくても自慢の妹だ。


 勉強は苦手だったけれど、運動がとても得意な子だった。

 性格も明るくて、いつも笑顔で、友達も多かった。

 兄としての贔屓目をなしにしても可愛らしくて、そんな彼女に甘えられるのは気恥ずかしかったけれど嬉しかった。

 水泳部に所属していて、大会にも出るような部のエースだった。

 新しい水着を試着して、よく見せに来た。

 妹はとても発育がよかったから、その都度目のやり場に困った。


「まぁ実の所、すでに調べてあるんだがな」


 ヴェロニカの言葉にアランは驚いた。


「もしかして、居場所を知ってる?」


 調べたのなら、居場所を知っていてもおかしくないはずだ。

 アランは少しの期待をもって訊ねた。

 しかし、それに対してヴェロニカは否定を口にする。


「いいや、わからない。正直に言うと、サプライズとして昨日の晩餐で連れてくる事も考えていたんだが……。彼女の痕跡は途切れてた」

「途切れていた?」

「そう。君の妹は誘拐され、ある富豪の家に売られた。けれど、そこから先はどうなったのかわからない」

「売られた所にいるんじゃ……」

「富豪の屋敷に行ってみたが、そこには誰も住んでいなかった。荒れた様子もなかった。ただ、埃の積もった屋敷があっただけ。持ち主も行方不明。ジェニーもそうだ。転売された形跡もない。ジェニーという人間は、そこで消息を絶った」

「そう、なんだ……」


 アランはうな垂れた。


「生きていれば会える」


 ヴェロニカは言う。

 それは慰めの言葉なんだろうか? アランは疑問に思った。

 ヴェロニカの言葉のトーンは、一定の感情だけを含んでいる。

 彼女の言葉はいつも朗々としている。

 慰めの言葉すら、楽しげだ。

 まるで、相手への対応だけをインプットされた心のない人工知能のように思えた。


「それが俺の由来だ」

「え?」

「だから俺は、ハートレス《心がない》と呼ばれている」

「その割に、感情豊かみたいだけど」

「だろ? 俺も不思議でならない。俺にだって心はある。心のない人間なんていないだろう。あくまでも、名付けたのは俺をよく思っていない連中だからな。俺の事なんてよく知らない。でも、俺は他からそう見えるらしい。心当たりがないわけでもないんだがな」


 ヴェロニカは歌うように語り続ける。


「実際、俺は他人の感情は解かっても実感は無い。

 こんな感情を持っている奴はこうすれば喜ぶし、こうすれば怒るだろう。っていうのがなんとなくわかるわけだが、俺自身は感情的になる心境という物がわからない。

 俺はお気に入りのキャンディを取り上げられれば相手が子供でも容赦なく奪い返して蹴りを入れてやるが、それは実際に怒りを覚えたからじゃない。

 そうしなければなめられるからだ。なめられると不利益を被るだろ?

 こいつは何をしても仕返しをしない、と思われたら他の奴も平然と手を出してくる。そういう可能性を潰してしまいたい。だから、なめられない行動を取る。

 それは合理的な考えだろ?

 至って感情的ではない考え方だ」

「言いたい事はわかるよ。抑止力って事だよね?」

「いい言葉だな。俺の長ったるい説明を上手くまとめた言葉だ。だが俺は喋るのが好きだから、これからもこういう長たらしい説明を選ぶけどな。むしろあえて回りくどくして話したいくらいだ」


 アランは苦笑した。

 彼女の心象風景はかなり複雑らしい。

 感情は理解できるが、身の内にその感情が湧きあがる事はない。

 もしくは、薄いらしい。


「しかし、感情を実感できないと言っても例外はある」

「ん?」


 彼女の言葉にそちらを向くと、テーブルを踏み台にして跳び上がるヴェロニカの姿があった。

 彼女が向かうのはアランの所だ。

 そのままアランの膝へ座る形で着地した。

 反動で椅子の脚が少し浮く。

 彼女はアランの両頬を両手で挟む。

 ヴェロニカの顔がとても近くに迫って、アランは戸惑った。


 ドキドキと鼓動が早くなる。


「好きになるっていう感情だけはよくわかる。俺にはそれだけがあった。好きだから好かれたい。そういう気持ちはあるし、理解できる。だから俺は、恩を返すんだ。恩は、受け取りやすい好意の形だからな。相手に伝えやすいんだ」


 彼女は人を好きになる感情だけを知っている。

 しかし結局、彼女の行動プロセスは「好き」という感情以外が欠落しているせいで歪になっている。


 自分に好意を持ってもらうために行動する。

 その手段には、あくまでも合理的なアプローチを選んでしまっている。

 そこに気持ちの駆け引きはない。

 相手が好きな物を与え、相手が望む物を与える。

 与える事で心を動かす方法を選びやすい。

 普通の人間もそういう手段を取るが、彼女の場合は極端だ。

 他人の感情を読み取る事ができて、相手の望む物を把握できるからそうなるのだろう。


 そして、今彼女の好意が向けられているのはアランだった。

 彼女のアプローチは直接的でわかりやすい。

 一筋縄でいかない性格の彼女だが、好意だけはまっすぐだ。

 純粋な好意を伝えてくる。

 そしてその好意はとてもわかりやすく伝わってくるのだ。

 だからこそ、心を揺り動かされてしまう――。


「このままキスしようか」


 彼女がそう言ったのは、自分がそれを望んでいるからなのだろうか?


 彼女の唇がゆっくりと近づいてくる。

 アランはヴェロニカの肩を掴んで離した。

 抵抗なく、彼女は離れる。

 拒絶されても彼女は微笑むばかりだ。

 そのまま、アランから下りた。


「僕は君を肯定できない」

「理由は俺が悪党だからか。できないというより、肯定してしまう事が怖いんだな」


 それはアランの奥底にある本音なのだろう。

 彼の中の道徳心は、ヴェロニカを受け入れる事に抵抗を覚えさせていた。


「君はそれでいい。それだから君がいい。けれど、もし君がこちら側に染まってしまっても、きっとこの好意は変わらないだろう。同族としての親しみが湧く」


 ヴェロニカは薄い笑顔を向けて言った。


「ところで、昼食は何が食べたい?」


 その表情のまま、彼女はアランに訊ねた。



 ロッキー・バイエル。

 アメリカ全土にシェアを持つ、三万人の社員を抱える大企業バイエル社の社長。

 街での影響力は強く、ボレアスシティの中小企業の八十パーセント近くにはバイエルの息がかかっている。

 そして会社の利益の一部はグランニル一家というギャングへ流れていた。


 ロッキーは独身であり、妻子は無い。

 代わりに恋人を多く囲っている。

 女性が好きであり、恋人を多く囲っていてもそれを増やす事に余念がない。

 毎日のように、恋人宅や娼館へ足しげく通っている。

 中でも「パラダイスロスト」という高級娼館を気に入っており、週の内月曜日と水曜日に必ず客として現れる。

 特定の娼婦を贔屓にしているわけではなく、その都度興味をそそられた娼婦を相手にする。

 若い女性を選ぶ傾向が強く、子供のような女を好んでいる。


 幼ければ幼いほどいいらしい。



 マンションの一室。

 カーテンで締め切られ、薄暗い中にデスクライトだけが光源となって、部屋に明かりを灯していた。

 その光を頼りに、ヴァイスは情報屋から購入した資料を読んでいた。

 ロッキー・バイエルの生い立ちから人柄、スケジュールまでが掲載された資料だ。

 読み終えて、紙面から顔を上げた。

 何度も読み込んだ資料。

 これが最後の確認作業だった。


「お前は誰もが認める悪だ。今日がお前という人間の終焉だ」


 一人きりの部屋で呟く。

 そしてヴァイスは、強化服を入れたアタッシュケースを手に外へ出た。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ