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ハートレス  作者: 8D
2/21

一話 悲壮と希望

 街の大通りにあるビルには、大きな街頭テレビがはめ込まれてあった。

 テレビではニュース番組が流されていて、今注目されるニュースを流し続けている。


 マフィアの幹部が誰かに殺された。


 ハートレスという犯罪者に銀行が襲撃され、三ヶ月経った。

 けれど、捜査に進展がない。


 たった今、トム・バートランという政治家が狙撃され、犯人が逃走中である。


 色んなニュースが流れているが、その中でも今この街で一番の関心を引き受けているのは次のニュースらしい。


 コーディネイターという連続殺人鬼のニュースだ。

 コーディネイターはあだ名で、殺す時に片目と臓器を抜き取るらしい。

 臓器コーディネイターから来ているんだろう。

 本職の人間からすれば、かなり不名誉な名づけだ。


 それを最後に、ニュースは終わった。

 テレビの主役が、CMへと移り変わる。


 この街のニュースは、殺伐としている。

 希望という物が不足している。

 誰かが殺されるか、不幸になったニュースばかりだ。

 ハッピーなニュースは殆どない。

 新しい市長が選ばれたり、俳優の結婚が取り上げられたりしても、決して新聞の一面には載らない。

 そんな物よりも、犯罪者の情報を市民は欲しているのだから。

 それは自分を守るための情報が欲しいからだ。

 他人の幸運を祝えるほど、この街は安全な場所ではないのだ。

 大通りからそれた路地の中から、街頭テレビを見上げ眺める大柄な青年がいた。

 本来なら精悍にして優しげな印象を持つはずの青年の顔は、伸び放題の髪と髭で見る影もなかった。

 その上、顔どころか全身に垢が溜まり、思わず顔を顰めるほどの悪臭を放っている。

 着ている服は所々が汚れ、破れ、服というよりも布を何枚も重ねたような状態だった。


 彼の名はアラン。

 アラン・ルーシャス。


 かつては医者を目指した青年で、今はこの街の至る所にいるホームレスの一人だ。


 彼は人生に絶望していた。


 かつては希望に輝いていた瞳も、今は暗澹とした濁りに満たされている。

 輝きは失われ、光を映していなかった。

 比較的に幸せな人生を送っていた彼が、絶望に落とされたのは一年前の事だ。

 彼の父は検事をしていた。

 父は正義の人だった。

 彼の父親はある企業の黒い繋がりを告発しようとしていた。

 その企業はギャングとの繋がりがあった。

 社会正義を尊ぶ父にとって、それは許せない事だったのだ。


 しかし、彼がその正義感を発揮するには、相手があまりにも悪かった。

 企業と繋がった悪は、あまりにも強大だった。

 その名前すら知りえる事のできない闇の存在だ。

 そんな存在にとって、一つの家庭を葬る事などあまりにも容易かった。

 証拠を集めている期間中に、父は母と共に殺された。

 事故死として処理されたが、それが何者かによる故意の事だとアランは知っている。

 その場には彼も居たのだ。




 家族四人。

 両親と妹、そしてアラン。

 揃って食事に行った帰りの事だった。


 その車の目前に大型のトラックが立ち塞がった。

 避ける事もできず、車はトラックと衝突した。

 前の席に座っていた両親は即死。

 アランも頭を打って意識は朦朧としていた。

 その時に彼は見た。

 妹の悲鳴が聞こえ、そちらへ目を向けた。


 ネズミのような男だ。


 アランはそう思った。

 その男が笑いながら、妹の小柄な体を担ぎ上げていた。

 男と目が合った。

 嘲り、見下すような目でこちらを見ていた。


「わかるか? お前の父親が馬鹿なせいで、お前達は不幸になったんだぜ」


 男は言って、車から出て行く。


「待て……」


 その背に声をかける。

 男は顔を巡らせてこちらを見た。口を開く。


「お嬢ちゃんは値打ちモンだが、お前は駄目だ。何の価値もない。もうちょっと線が細けりゃ、売れたんだがな」


 売る? 妹を売るつもりなのか?

 アランは必死に体を動かして車の外へ這い出た。

 しかしそこにはもう誰も居なかった。




 何とか動けるようになったアランは歩いて家に帰り着いた。

 しかし、家には売約済みの紙が張っていて、鍵も付け替えられて入れなかった。


 近所の人間に声をかけた。

 けれど、誰もアランの事を知らないと答えた。

 警察も取り合ってくれない。

 学校にいっても友人達は他人だと彼を突っぱねた。


 気付けば彼は、この街で存在しない人間になっていた。


 それは全て、父が告発しようとしていた企業の差し金。

 裏にいる強大な存在が手を回した結果だった。

 彼はその事実を知らないまま、それからの一年を失意に暮れた。

 最初はまだどうにかしようと考えていた。

 あのネズミのような男を探して、妹を助けようとも思った。

 しかし、何をしてもどうにもならなかった。

 次第に日々を生きていく事だけに必死となり、最近では志も消え入り始めた。

 そんな自分に気付いた彼は愕然とし、自分の命に決着をつけようと思った。


 大きな強い覚悟を持った。


 何もかもに疲れ果てた精神であっても、その覚悟を実行に移すのは難しい。

 だから彼は、自分自身を説得するために街を巡り歩いた。

 昔の自宅。

 家族でバーベキューに行った緑地。

 父とよく語り合った海岸沿いの公園。

 母の買い物に付き合って行ったスーパーマーケット。

 妹にせがまれて行った映画館。

 学生時代の思い出の場所……。


 街に点在するあらゆる場所を彼は数日がかりで巡った。

 そして最後、街頭テレビでこの街の暗い実情を知ると、ようやく覚悟は決まった。

 彼はこの街のゴミ捨て場をある程度把握している。

 どこにどういった物が捨てられやすいか、という事も熟知していた。

 彼が今欲しいと思っているのは、鋭利なものだ。

 押して引くだけで肌が切れるような鋭い物がいい。

 鋭利であれば鋭利であるほど、実行の痛みと恐怖は長引かないだろうから。

 できるなら、躊躇い傷もなくすっぱり切れると幸いだ。


 悲壮な覚悟を持って彼はゴミ捨て場へ辿り着いた。

 そして思いつめた彼は、ゴミ捨て場の前に来るまでそれに気づかなかった。

 いざゴミ捨て場に目をやって、彼は驚いた。


 ゴミ捨て場には奇妙な人物が仰向けに寝転がっていたのだ。


 白い下地に割れたハートマークという痛々しいデザインのマスクを被り、全身を白いスーツで固めた白尽くめの小柄な人物だ。

 何故かゴミ捨て場に金網を敷いて寝転ぶ変人。

 アランの目にはそう映った。

 だが、すぐにそれが間違いだと気付く。

 その人物の左肩から右脇腹にかけて、大きな傷が走っていた。

 白いスーツの切り口が赤く染まっているから、出血しているのがよくわかった。


 助けなくちゃ……。


 反射的にアランは思った。

 傷口を確かめようと手を伸ばす。


「おい、どういうつもりだ?」


 そんな彼に声がかかった。ボイスチェンジャーに歪められた耳障りな声だ。

 手を止めて相手を見る。

 相手はマスクを被った人物だ。

 気付けば、頭を上げてこちらへ顔を向けていた。

 どうやら、意識はあるようだ。

 アランは安堵する。


「おいおい、助けるつもりか。待て待て、それはやめておいた方がいい」

「どうして?」


 自分を助けるな、という相手に思わず疑問を返す。


「後悔するぞ」


 そう答えるその人物の声からは、親切心で言っているんだ、という響きが聞き取れた。

 やっぱり変人だろうか? と少し思う。

 しかし、今怪我をして苦しんでいる事には変わりない。

 アランはその忠告を無視して、その人物の胸元を診察する。

 そして、二つの事に驚いた。

 一つは、胸元を走る傷がすでに塞がりかけている事。

 どうやらとても鋭い刃物で切られたらしく、傷口は驚くほど小さかった。

 小さい傷が長く肩口から脇腹まで走っているのだ。

 だから、癒着するのが早そうだ。

 これなら、傷は残らないかもしれない。


 もう一つは、その人物に乳房がある事だった。

 一見して解からなかったが、触診してわかった。

 胸に脂肪の塊がある。

 肥満体型ではないので、男なら特定の病気で無い限りは乳房に脂肪が集まる事はない。

 つまり――

 この人物は女性だ。


 アランは少し気恥ずかしくなった。

 この一年間の禁欲生活が、彼の心に悪しき考えを囁く。

 何とかなけなしの理性で自分の弱い心を打ち払った彼は、診察を終えて胸元を閉じた。

 結果として、今の彼女は出血多量の失血状態だ。

 その上、体の所々が骨折している。

 状況から考えるに、屋上から金網ごと落ちてきたのかもしれない。

 小柄な体型と下がゴミ捨て場だった事もあって衝撃が和らいで命を繋いだ、という所だろう。

 病院へ――

 反射的に思い、即座に考えを消す。

 連れて行くにもお金がない。

 何より、ホームレスと奇人の取り合わせは門前払いされそうだ。


「マスクを外すよ」

「俺の素顔が気になるか? 穴さえあれば十分だろう?」


 何やら、誤解しているらしい。

 みもふたも無い事を言ってくる。

 それなりに危ない状態だというのに、この女性は存外に余裕があるようだ。


「できるだけ気道を確保しておいた方がいいからだよ」


 そう言ったアランを見て、彼女は感心したように「へぇ」と呟いた。

 アランはマスクに手をかけて、ゆっくりと外した。


「うわ……」


 思わず声が出る。

 こんな人間がいるんだろうか、と思った。

 彼女の顔には、おおよそ欠点と呼べる造形がなかった。

 顔のあらゆるパーツが、人の美的意識をくすぐる形をしている。

 しかも、それらはそうあれと命じられたかのように適切な感覚で輪郭に収まっていた。

 表情を作っていないから、人形のようにも見える顔立ちだ。

 しかし、顔よりも目を引いたのは真っ白な髪と赤い目。

 アルビノだ。

 それら全ての要素が彼女に幻想的な印象を懐かせていた。

 まるで、天使みたいだ。


「俺をどう思う?」

「どうって……」


 唐突な問い掛けに、アランは答えられなかった。

 きっと、本心を語っても歯の浮く口説き文句としか取られないだろうから。

 そう思われるのは恥ずかしい。

 答えないアランだったが、彼女は彼の目を見て満足そうに笑う。

 その顔がまた美しかった。


「それより、ここを離れよう。たいした事はできないけど、どこかもっと清潔で寝転べる所にいかないと……」

「好きにしていい。君に任せるさ」


 アランが言うと、彼女はあっさりと了承した。

 その声音には、何故か信頼しているような響きがあった。

 実際に安心しているのか、彼女はその言葉を残して意識を失った。

 無理もない。そもそも、今まで意識を保っていた方が異常だ。

 それくらいに、彼女の症状は厳しかったのだから。

 アランは彼女を抱き上げる。

 想像通り……想像以上に彼女の体は軽かった。



 アランは住処に戻って、できる限りの応急手当を彼女に施した。

 軽く火であぶったガムテープで傷口を塞ぎ留め、汲み溜めていた飲み水を飲ませて血液の確保を図る。

 骨折した箇所には添え木をした。

 それが今の彼にできる精一杯の処置だった。

 その間、彼女が意識を取り戻す事はなかった。

 精力的に動いた彼は疲れ果て、処置が終わるとすぐに眠った。

 そして目覚めた時、そこに彼女の姿はなかった。




 アランは、海辺の近くにある建物裏の路地を住処にしていた。

 生来争いごとを好まず、温厚な性格の彼は他のホームレスとの諍いから逃げるように暮らしていた。

 そんな時にこの場所を見つけたのだ。

 建物の窓がなく、建物の中からそこは見えない。

 エアコンの室外機を潜るように入らなければならないため、人も来ない。

 ひっそり暮らすには絶好の場所だった。

 海辺に面しているから冬には寒く、他のホームレス達もこの辺りに住もうとは思わない。

 争いから逃げたからこそ、見つけられた穴場だった。


 アランは熱を発する室外機の傍で暖を取りながら、ぼんやりと数日前の事を考えていた。

 あの少女はどこに行ったのだろう?

 無事だろうか?

 ちゃんと家に帰れただろうか?


 そんな事が気になって、ずっと考えていた。

 あれから住処を出ていない。

 時間をかけて固めた覚悟も、今は解れて消えてしまった。

 もう一度ゴミ捨て場へ行こうと思っても、あの少女の事を思い出して行く気がなくなる。

 久し振りの人間とのふれあいで、彼の心にはわずかなりとも生きる力が戻っていた。

 あそこで彼女と出会えたのは、自分を救うための思し召しだったのかもしれない。

 そんな事を考えるようになった。

 そう思ってしまう程、彼女という人間は非現実的な存在だった。


 やっぱり、生きていたいな……。


 そう思って、住処から出る。

 食料を探すためだ。

 他のホームレスに見つからないように、ひっそりと食品店裏のゴミ箱を漁った。

 一日だけ期限の過ぎたウインナーが、一袋丸々捨てられていた。


「やった」


 思わず声が出るほど嬉しかった。

 今日は幸運な日かもしれない。

 ささやかな喜びを噛み締める。


「変わった物で喜ぶんだな」


 そんな彼に声をかける人物があった。

 とても綺麗なよく通る声だった。

 驚いてそちらを見ると、一人の少女が立っていた。

 アランは驚いて目を見開く。

 少女はあの時に応急手当をした少女だった。

 彼女はあの時と違って、女の子らしいデザインの可愛い白のコートを着ていた。

 少女はからかうような笑顔をアランに向けている。

 彼女が無事だった事を知り、アランの心が驚きと喜びに満たされた。


「無事だったんだね」

「ああ、おかげさまでな。アラン・ルーシャスくん」


 アランは再び驚く。


「僕の名前……。どうして?」

「人に聞いたんだ。こう見えて俺は顔が広いからな」


 綺麗な顔をむにーっと両手で引っ張りながら、少女は冗談めかして答えた。


「さて、こちらだけ知っているのは不公平だな。俺はヴェロニカ・レグナーだ」

「ヴェロニカ……」


 アランは口に出して呟いた。

 ヴェロニカは満足そうに頷く。


「それより、今日は暇かな? 予定がないならついてこい。そんな物より幾分マシな物を食べさせてやる」


 アランは彼女の言葉に従った。

 美味しい物が食べられるという話が嬉しかった。そして何より、彼女と一緒にという事が嬉しかった。

 警戒しないわけじゃない。

 この街は人を簡単に騙す悪党が多くいる。

 彼女がそうでないとは限らない。

 その美貌を以って人を騙す人間かもしれない。

 でも、騙されてもいいや、とも思えた。

 騙されたなら、今度こそ何も信じられなくなる。


 そうなれば、世の中を見限りやすくなるはずだ。


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