十六話 失望と畏怖
このあたりから、本格的にグロくなります。
苦手な方はご注意ください。
消されないか心配です。
アランとヴェロニカが別れてから、三日後。
ヴェロニカは、自ら爆破した廃ビルに居た。
焼け焦げて真っ黒になった部屋。
自室だったその部屋に、かつての面影を残す物は一切なく、形ある物は損壊し、なおかつ炭化していた。
その部屋に歌声が響いていた。
歌っているのは、ヴェロニカだ。
窓際の椅子に座り、白スーツ姿のヴェロニカは物思いに耽りながら外を眺めていた。
この三日間、ヴェロニカは普段通りの生活へ戻ろうとした。
それはアランと出会う前の人生の刺激を求めて試行錯誤する生活だ。
思い立って犯罪行為に走り、その刺激に刹那的な楽しさを求める生活である。
彼と別れたばかりのヴェロニカは、それ以来彼の顔を見たくなくなった。
なんとなく、そんな気分になれなかったのだ。
これが失恋の心境だろうか? とヴェロニカは冗談めかして考える。
だから、あれ以来様子を見に行こうとも思わなかった。
見守ると約束したが、もうしばらくはできそうにない。
アランのいない生活に戻るため、彼女は適当に犯罪行為を行った。
計画性を必要としない即席の犯罪として、スラムのゴロツキを恐喝して現金をせしめてみた。
とても楽しかった。
やはり、犯罪は良い刺激だ。
彼女は思った。
しかし、それは束の間の事だった。
どうしてだか、その楽しさはすぐに消え失せた。
いつもなら、どんな犯罪でも実行すれば翌朝までは思い出して楽しめるはずなのだ。
なのに、終わった途端に興奮は冷め切った。
つまらない。
彼女は次々に思いついた計画性の必要ない犯罪を実行していく。
だがやはり、どんな事をしても前と同じ楽しさを味わう事はできなかった。
それに反比例して、会いたくないはずのアランの事ばかり考えるようになった。
二つの夜を越えた後、彼女はついこの廃ビルへ足を運んでいた。
そして物思いに耽り始めた。
道徳心なんてなければいいのに……。
何度も同じような事を考えてしまう。
道徳心は必要な物である。
彼女だって、自分の中にそういった考えがある事を自覚している。
だからこそ、罪を犯す背徳感に刺激を受ける事ができるのだ。
でも今は、本当に不要な物に思えてならなかった。
それさえなければ、アランは今も自分のそばに居ただろうから……。
そんな時だ。
廃ビルの一室に、踏み入る者の足音が聞こえた。
ヴェロニカの歌声を掻き分けて、足音は近付いてくる。
ヴェロニカはそれに気づきながらも、注意を払おうとしなかった。
無関心な様子で外を眺め続ける。
足音が彼女の前で止まる。
それでも彼女はそちらへ顔を向けなかった。
そんな彼女の襟首が、相手の両手に掴まれる。
そのまま引き上げられ、彼女の体はぶらりと持ち上げられた。
「こちらを向け!」
ボイスチェンジャーによって歪んだ声が怒鳴りつける。
そうなって、ようやくヴェロニカは相手を見た。
気だるく、億劫な表情を相手に向ける。
ヴェロニカを持ち上げた相手は、ヴァイスだった。
ヴァイスは、念のためこの廃ビルにセンサーを仕掛けていた。
誰かが立ち入った時、それがわかるように。
それを感知してここへ足を運んだのだ。
「ハロゥ……ヴァイス。ハブアナイスデイ……。今はそんな気分じゃない。遊びは他所でやってくれ」
この期に及んでふざけた返答をするヴェロニカに苛立ち、ヴァイスは襟首を締め上げた。
ヴェロニカは苦悶の声を漏らすが、たいして動じた様子はなかった。
むしろ、生気が感じられない。
ヴァイスはヴェロニカの顔に自分の顔を近づける。
威嚇するようにカメラアイを光らせた。
「アラン・ルーシャスをどこへやった?」
ヴァイスは感情的になるのを抑えながらも、強い口調で問い詰める。
「アランは帰った。今は、実家で幸せに暮らしているはずだ」
「いない……!」
「ん?」
「アランは三日前に、この町から消えた。ルーシャス邸にもいなかった。今はこの町のどこにも彼はいない」
ヴァイスの言葉を聞いて、ヴェロニカの表情から気だるさが消えた。
顔を引き締める。
目には剣呑な光が宿った。
「本当かい?」
ヴェロニカは、自分を持ち上げるヴァイスの両手を強く掴んだ。
さらに顔を引き寄せ、フルフェイスに自分の額が当たるまで近付く。
「くっ」
ヴァイスは思わず、ヴェロニカから手を離した。
しかし、逆に今度はヴェロニカがヴァイスへ詰め寄った。
「アランは本当に、この町から消えたのか?」
ヴァイスは詰め寄るヴェロニカを突き飛ばす。
ヴェロニカは突き飛ばされた先の椅子に尻餅をついて座った。
椅子の前脚が若干浮き、持ち直して床を強く叩いた。
「街中を探し回った。どこにもいない」
実際、ヴァイスは街中を文字通り駆け回り、貰った携帯番号を元にGPSを使っての捜索も行った。
しかし、それにも反応がなかった。
意図的に隠されているのではないか、と思っている。
そして一番有力な相手が、ハートレスだった。
「お前が隠したのだろう?」
「いいや、俺じゃない。俺も三日前に別れたきりだ」
「そうか」
ヴァイスは鞘からサムライソードを取り出した。
上段に振りかぶる。
「なら、死ね」
「いいのか? 多分、お前一人じゃ見つけられないぞ?」
「この街をくまなく探す」
「街の表面をなぞるだけのお前じゃ無理だ。きっと彼は、裏側に落ちているだろうからな」
ヴァイスはサムライソードを下ろした。
実際、ここへ来るまでにも必死に探している。
それでも手がかりすら見つからないのだから、この女の言葉は正しいのだろう。
「心当たりがあるのか?」
苦々しく思いながらも、訊ね返す。
「俺も今まで失念していた。別の事で頭がいっぱいだったからな」
答えるヴェロニカの顔には笑顔があった。
心底から、楽しそうな笑顔だ。
「うくく、はは、最高だ」
声に出して笑い出す。
「やっぱり君には、俺が必要なんじゃないか。ああ、楽しくてならない」
ヴェロニカは勢い良く立ち上がる。
「今から探しに行くよ。俺が見つけてやる。……ついてこい。人手が必要だ」
「お前の指図は受けない!」
「それは困る。今からスタッフの募集をかけても、間に合わない。きっと見つける頃には、アランも待ちくたびれて骨になってるだろうさ。何で探しているのかは知らんが、お前も彼に用事があるんだろ? 死なれちゃ困るよな?」
「ぐっ」
ヴェロニカの言葉に、ヴァイスは悔しそうな声を上げる。
「いいだろう。今だけはお前の命を預けておく」
「ああ。よろしく」
ヴェロニカは握手の手を伸ばす。
ヴァイスは音が鳴るほどに強くその手を払った。
そこは薄暗い部屋だった。
ベッドとトイレだけがある独房のような部屋だ。
窓はない。
アランはその部屋に、三日の間監禁されていた。
当初は何とか出られないかと部屋の中を歩き回っていたが、今はベッドに力なく横たわっている事しかできない。
ここにいる間、彼は食事を与えられていなかった。
あるのは一日に二度差し入れられる、コップいっぱいの水だけ。
彼は命を繋ぐように、少しずつ水を飲んで過ごしていた。
ヴェロニカとの生活では食事に困る事がなく、そのせいか胃が大きくなっていたらしい。
ホームレスとして生活してきた時以上に、空腹が苦痛に感じられた。
彼は飢えと寒さによって体力と気力を削られ続けていた。
唇は乾き切り、目の焦点を合わせる事にすら億劫さを覚えた。
「いつまで、ここに閉じ込められるんだろう……」
ぼんやりとした視線を天井に向け、掠れた声で呟く。
もしかしたら、死ぬまでかもしれない。
苦しめて殺すために、ラットマンはこんな場所に閉じ込めているのかもしれない。
消耗しているためか、恐ろしい考えを持ってもどこか実感がわかなくなっていた。
今日もまた一日、何もない部屋で飢えに耐えながら過ごさなければならないのだろうか?
アランは思う。
しかし、その日は違った。
唐突に、錠のかかった扉が開かれた。
そちらに視線を合わせても、すぐに動こうと思えなかった。
入り口には、嗜虐的な笑みを浮かべるラットマンが立っていた。
「待たせたな。やっと出られるぜ」
その言葉に素直な喜びが湧き上がる。
しかし、すぐに彼の言った事が言葉通りではないのではないかと思い至った。
警戒心が胸中に広がる。
しかし、警戒した所で何ができるわけでもない。
「立ちな!」
胸ぐらを掴まれ、強引に立たされる。
萎えた足に力を入れて立ち上がると、そのまま引っ張られてふらふらと歩かされた。
外に出ると薄暗い廊下があり、等間隔に蛍光灯の光が照らすそこをラットマンに引かれて進む。
そうして連れて行かれたのは、そこそこに広い石造りの部屋だ。
その部屋の中央には、床にしっかりと固定された長方形の台があった。
その上の天井からは大きな鏡とライトが伸びていた。
手術台だ。
アランはその台を見て思った。
台の側らには一人の人物が立っていた。
手術台の横にキャスターがあり、その上に乗った物を点検しているようだ。
今はこちらに背を向けるその人物は、赤黒いスーツを着た長身の男だ。
所々に白髪の混じる黒髪をオールバックに撫で付けていた。
男が振り返った。
彫りの深い顔立ちは所々に深い皺が目立つ。
年齢は四、五十くらいだろう。その左目にはモノクルをかけていた。
男はアランをじっくりと眺めた。
「良い仕事をしてくれたな。私好みの綺麗な目だ。素晴しいものだよ」
ラットマンに声をかける。
「へい。そう言っていただけると頑張ったかいがありやす」
恭しく答えると、ラットマンは部屋の隅に置かれた椅子へアランを連れて行く。
その椅子も床に固定され、肘掛けと足に拘束用のベルトが備え付けられていた。
「おら、座れ!」
投げ出されるように、アランから手が離される。
抵抗する気力もわかず、アランは椅子に身を預ける。
そんな彼の体をラットマンは手馴れた様子でベルトに固定していった。
「ふふふ、では術式について説明しようか。処置内容の説明は、医者としての義務だからな」
男はアランの前に行き、顔を近づけてきた。
「その前に、自己紹介が先か。私の名前はネイサン・バーレル」
アランは顔を上げた。
合わせにくい焦点を強引に合わせ、男の顔を注視した。
そして間違いなく、その男がかつて会ったネイサン・バーレル本人である事を理解した。
知らないはずはない。
実際に、昔会っているんだから。
ネイサン・バーレルは、この街で名医と称えられる人物。
医者を志していたアランは彼に憧れを持っていた。
そんな彼がどうして……。
「健康な君は医者の世話になる事も少ないだろうから、この名前にもピンとこないだろう。どちらかと言えば、こっちの名前の方が解かるんじゃないだろうか? コーディネイター。警察が付けてくれた私の通称だ」
ぞくりとした。
その名前だけで、アランは恐怖を覚えた。
彼がその名通りの人間ならば、これから行われる事にも想像がつく。
そしてその行為の対象は、自分なのだ。
今更ながらに、アランはベルトを外そうと体に力を入れる。
しかし、しっかりと固定された本皮のベルトはビクともしなかった。
「やはり知っていたか。じゃあ、術式の説明だ。何、とても簡単だ。君のIQがどれだけ低くても理解できるように説明してあげよう。まず、片目を抜き取る。その後に、腹を開く。それから数日、君が餓死するまでの間それを眺める。以上だ。簡単だろう?」
「どうしてそんな事をするのですか……?」
か細い声でアランは問い掛ける。
すると、コーディネイターは柔和な笑みを見せる。
「私は臓物が好きなんだ。それも活動している臓物だ。
だから、私は医者になった。あれは合法的に、人間の中身を見る事ができる職業だからな。
でも、それじゃあ我慢できなくなったんだ。
活動している臓物だけでなく、活動を停止し始める臓物を見たかった。それは、医者としての地位を守りながら見る事は難しい。
だから、こうして違法にも人の体を開いている」
そこまで言うと、コーディネイターにフッと笑いかけて離れて行った。
「それで、ついでに言うとある物を記念にコレクションしているんだ」
キャスターの前で立ち止まると、コーディネイターは言いながら何かを手に取った。
それを持ってアランの元へ帰ってくる。
コーディネイターは見せ付けるように、その何かをアランの目の前で揺らす。
そうしてまともに見ても、何の道具なのかわからなかった。
棒の先に球状の物が付いている。
小さなマイクのような形だ。
ただし、先の球体は花の蕾みたいに、プレートが連なりあって形作られていた。
棒の尻が捻られる。
すると、蕾の部分が開いた。
花のように広がる。
「私はね、ここへ案内した患者の目を一つ頂く事にしているんだよ。生体から切り離され、光を失い、濁っていく眼球の過程というものもなかなかに趣があってね。そこでこれだ」
花のような道具を示しながら言う。
「これは開くと、一時間かけてゆっくりと閉じていく。閉じる部分の先端は鋭利な刃物になっていてね。先にある物を切断しながら、閉じていくんだ」
花が閉じた時、この道具の先端は球状になる。
その球体に一致する物が、彼の言った物であるならば……。
その道具が正常に動作し、役割を果たした時の事を想像してしまう。
アランの心は恐怖に支配された。
「やめて……ください……」
「片方だけだ。もう片方は、残してあげよう。私の楽しみを提供してくれるんだ。一緒に、楽しむ権利がある。
ほら、手術台の上に鏡があるだろう? あれで君の臓腑が活動して、必死に生命を維持しようとしてくれている様を眺めようじゃないか。
君の意識が完全に消えてしまう、その時まで、ね」
「いやだ……助けて……」
掠れた声で必死に懇願する。
しかし、それを無視してコーディネイターは上機嫌に続ける。
「ああ、そうそう。この道具だがね。棒の部分はスコープになっている。ゆっくりと、自分の視野が失われていくのに、その視界がないのは勿体無いからね。貴重な体験を見逃してしまう」
コーディネイターは言いながら、アランの右目を撫でた。
「さて、どっちにしよう? すでに傷ついた右目をさらに傷付けるのは嗜虐的、倒錯的な趣がある。無傷の左目を傷付けるなら、左右の傷で調和が取れる。倒錯と調和、どちらがいいか? 君はどう思う?」
アランは目を固く瞑り、ただ震え続ける。
「うーん、こっちだな」
コーディネイターは言うと、右の瞼に触れた。
「ジェイソン君。メスをとってくれたまえ」
「へい」
ラットマンが返事をして、コーディネイターの言葉に従う。
キャスターの上から銀色の光を放つメスを取り、コーディネイターへ渡した。
コーディネイターはメスを受け取ると、アランの右瞼を切った。
治りかけていた傷が、生涯消えないほど深く、乱雑に切り裂かれた。
「いっ……」
四方開きになった瞼を強引にこじ開けると、花のような道具をアランの目へ近づけていく。
その光景を目の当たりにしたアランは、今まで以上に強くベルトの拘束を解こうとした。
体全体を動かして逃れようとする。
しかし無常にも、椅子はビクともしなかった。
ただ彼は、自由に動かない体をもがかせる事しかできない。
その間にも、道具が近付いてくる。
緊張に瞳孔が開ききり、細かく震える。
そして、道具がアランの眼球に触れ、設置された。
「あああぁーーーーーーーーーっ!」
あまりの恐怖に、アランの口から悲鳴が上がった。




