十三話 恋愛と親愛
次に二人は服飾の店が多くある区画へ向かった。
男性物、女性物、下着、アクセサリー、化粧品、といろいろなカテゴリーで店がある。
「ところで、意中の相手のベッドを襲撃するための勝負パンツを買おうと思うんだが、どう思う?」
「(聞かれると)とっても困る」
「俺は君を困らせてばかりだなぁ」
特に買う物はなく商品を見るだけで済ませると、ぶらぶらとモール内を歩く。
そんな折に、ヴェロニカはクレープ屋を見つけた。
「食べるだろ?」
一度アランを見て訊ねると、答えを受け付けないままアランの腕を引いていく。
ヴェロニカはハニーバナナ、アランはイチゴホイップをそれぞれ注文した。
品を受け取り、二人は手頃なベンチへ腰掛ける。
二人で座るのがやっとといった、小さいベンチだ。
クレープを食べるのは久し振りだな。
よく、妹に連れられて食べに行った。
アランは昔を懐かしみながら、クレープを食べた。
クレープを食べ終わり、ヴェロニカを見る。
彼女は手についた蜂蜜を丁寧に舐め取っていた。
「ふふ、今日一番デートらしい事をした気分だな」
「そう?」
「周りを見ろ。きっと俺達はこの中でよく馴染んでる」
言われて見ると、辺りには小さなベンチが多く設置され、その多くに男女のカップルが座っていた。
この区画にはクレープなどの商品を受け渡すタイプの店ばかりだ。
二人掛けのベンチがあるのは、商品を二人で座って食べるためである。
つまりこの辺りは、恋人達が公然といちゃつく事を目的とした場所だった。
こんな所で二人揃って座っていれば、周囲からカップルとして見られる事は想像に難くない。
それに気付いて、アランは顔を赤くした。
大きな体を縮込めて、恥ずかしげに俯いてしまう。
「キスでもするか?」
「し、しないよ。……ここから離れない?」
提案するアランに、ヴェロニカはしなだれかかった。アランの腕を抱え込む。
「そう焦るな。もう少し座っていよう。きっと俺達は、衆目の中で平然といちゃつく頭の悪いカップルだと思われているぞ」
「それが嫌なのに……」
「愛を囁き合えば完璧だな」
「本当に恥ずかしいからやめよう」
「それもそうだな。愛を囁くなんて事、俺にもできない」
拒否すると、意外にも簡単に引き下がるヴェロニカ。
その様子を不思議に思い、アランはヴェロニカの顔をうかがった。
彼女はアランの顔を正面から見据えていた。
「俺は君を愛していないからな」
そしてあまりにもさりげなく、あっさりと彼女は答えた。
「え?」
気負いもなく平然と言い放った物だから、アランは何を言われたのか、理解する事に数瞬を要した。
思わず聞き返しもする。
理解すると、アランは強いショックを受けた。
あんなに好意的な事を言っていたのに、突然どうしたのか?
まさか今までの事はやっぱり全部嘘だったのか?
色々な考えが渦巻く。
そんな彼の心の葛藤を見透かすように、ヴェロニカは悪戯っぽく笑ってアランの目を覗き込んでいた。
それに満足したのか、口を開く。
「俺にあるのは恋だけだ」
ヴェロニカが答え、アランはホッとした。
「同じ物じゃないの?」
「ワンセットにされる事はあっても違うものだろう。愛は恋と比べるべくもない程に、うすっぺらい感情だ。俺はそう思ってる」
「よくわからないよ」
「恋は現象で、愛は消費物だ。
恋から愛は生成され、人を愛する事に消費されていく。強いエネルギーだが、消費物だからいずれなくなる。
経年劣化だってするだろう。
だが、恋は違う。恋は落ちる物だ。
一度起こってしまえば、どうあっても止められない。
落ちる所まで落ちる。そういう現象だ」
どうやら彼女には、独特の恋愛観があるらしい。
「俺は愛という物を信用できない。
昔、愛という言葉を知った時、なんて素晴しい言葉なんだと思ったね。
教えてくれたカップルはいつも鬱陶しいくらいにイチャイチャしてて、愛の作用がどんな物かを体現してくれていた。
そんな彼らを見て、幼い俺は思ったんだ。
愛は素晴しいものだけど、その耐久力はどれくらいなんだ、ってね。
子供らしい知的好奇心だよ」
アランはヴェロニカの話に嫌な予感を覚えた。
それでも気になって、黙って耳を傾ける。
「するとどうだ。結果として、とても脆かったんだ。
俺がやった事なんて本当に些細な事だ。男が浮気していると噂を流し、それらしい証拠を作ってやっただけ。
女は噂を信じ、男に愛想を尽かした。二人の愛は見事に壊れたわけだ。
そんな脆いもの、信じられるわけがないだろ?」
話を聞き終ると、アランの顔は顰められていた。
彼女に関係を壊された人の事を思えば、知らず顔が顰められた。
「酷い事をするね」
「君にはしない」
悪びれた様子もなくヴェロニカは返した。
そして彼女はおもむろに立ち上がる。
「自然が呼んでる。正直、ちょっと状況が芳しくない」
ヴェロニカは下腹を押さえながら告げた。
「早く行ってきなよ!」
彼女は笑顔を向けてから、踵を返して歩いていった。
その後姿を見ながら、アランは溜息を吐いた。
彼も立ち上がる。
この区画、このベンチに一人で座って居るのは二人で座っているよりも辛い。
隅の方に移動して、柱に寄りかかった。
もう一度溜息が漏れる。
「お兄ちゃん……」
そんな時だ。
柱の裏側から、声が聞こえた。
「ジェニー? 無事だったんだね!」
声の主に気付いて、アランは喜びの声を上げた。
柱の反対側を見ると、アランと同じ様にジェニーがもたれかかっていた。
イメチェンなのか変装なのかよくわからないが、今日の彼女はポニーテールで、黒縁眼鏡をかけている。
服装はトレンチコートで全身を覆っているので、それ以上わからない。
「あまり無事じゃないけどね。やってくれたよ、あの女」
ジェニーは不機嫌そうに吐き捨てる。
「その上、これ見よがしにデートとか。ふざけんなよ、クソが……」
何だか、今日のジェニーは心が荒んでいる。
妹のこんな悪態を聞いた事がなかったので、アランは小さく動揺した。
「まぁ、それはいいとして。どうして、お兄ちゃんはまだあいつと一緒にいるの?」
「え? ああ、うん。ヴェロニカが――」
そこまで言って、アランは思いなおした。
彼が言おうとしたのは、ラットマンの話だ。
彼を殺させないためだ、と言おうとした。
けれど、それをジェニーに言うのもどうだろうか?
彼女に言っても、結局は彼を殺そうとするんじゃないだろうか?
「お兄ちゃん?」
不意に黙り込んだ兄を怪訝な顔で見るジェニー。
「まぁ、色々あるんだよ」
「もしかして、好きだからなんて事じゃないよね?」
「えーと……」
否定もできなくて、言葉が出なくなる。
それを肯定と取ったのか、ジェニーはアランに詰め寄った。
「私やだよ! あいつとお兄ちゃんがくっつくの!」
「いや、うん。でも、うん……」
「お兄ちゃんは悪党と一緒にいちゃいけないの! 綺麗なままでいてほしいの!」
ジェニーだって、自分は悪だとか言っているじゃないか。
アランは思った事を飲み込んだ。
「大丈夫。恋人ってわけじゃないから」
誤魔化しを口にしながらアランは苦笑する。
ジェニーはまだ懐疑的な表情を崩さない。
けれど、一応納得したのか一歩退いた。
「だったら、いいんだけど……」
「あっ……」
「何?」
「もしかして今、発信機を仕掛けたりした?」
前は気付かない内に発信機が仕掛けられていた。
もしかしたら、さっき詰め寄った時に付けたのかもしれない。アランはそう思った。
「今回は付けてないよ。付けてもどうせ気付かれるだろうし」
ツンと顔をそむけ、拗ねた口調で言い捨てる。
その様子が、昔から知っている彼女のものだったから、アランは安心した。
今の彼女は、ヴァイスとは違う。
アランの知っている可愛い妹のジェニーだ。
「だから、今度は見かけた時に奇襲するつもり。次は殺してやるんだから」
でも、ヴァイスとしての行動を口にするのでやや違和感があった。
「ねぇ、それは待ってくれない?」
アランが言うと、不思議そうな顔でジェニーは向き直った。
「どうして? やっぱり、恋人だから?」
「違うよ。でも……彼女は僕の恩人だ」
「でも、悪だ」
「わかってる。だから、僕がそれを止めさせる」
ずっと彼女を止めたかった。
それは仇討ちだけじゃなく、彼女の行う犯罪行為全てに対しての気持ちだ。
だから、次こそは絶対に止めてやりたかった。
これ以上、彼女の悪行を見たくないから。
「あのアホがお兄ちゃんの言う事を聞くとは思えない。そもそも話が通じないでしょ」
「僕も自信があるわけじゃない。それでも少し時間が欲しい。彼女を説得したい」
ジェニーはしばらく黙り込み、顔を顰めていた。
しかし、やがて溜息を吐いた。
「わかった。本当に少しだけだよ? あんまり待たせるようだったら、奇襲しちゃうからね」
「うん。待ってて」
ジェニーは、アランの顔に左手を伸ばした。
向かうのはアランの右目だ。
アランはそっと右目を閉じる。
ジェニーの手がまぶたの傷を撫でた。
「ごめんね。お兄ちゃん。……前は謝る言葉すら言えなかった」
「ちょっと深いけど、綺麗に閉じるはずだ。あの剣はとても切れ味がいいみたいだから」
「刃先は短分子だからね」
短分子は物質の最小単位だ。
分子結合の合間に入り込めるほど小さいため、刃にすれば簡単に物を断ち切れる。
「でも、よかった。お兄ちゃんが、優しいままでいてくれて」
「大事な妹を相手にしているからだよ」
「それは嘘だよ。お兄ちゃん、誰にでも優しいもん。けれど、そういう意味じゃないんだ。前に私、お兄ちゃんを利用したから」
「発信機の事?」
ジェニーは頷き返す。
「私の事を嫌いになったんじゃないか……って心配だったんだ」
「嫌いになれるわけないじゃないか。ジェニーは僕にとって、大事な妹だから」
ジェニーは嬉しそうに笑う。
しかし、その表情がかすかな寂しさを滲ませた。
「私はもう戻れないけれど、お兄ちゃんはずっと、今のままのお兄ちゃんでいてね」
言うと、ジェニーは背中を向けた。
「じゃあ、私は行くよ。ずっと一緒にはいられないけど、たまに会いに来るから」
背中越しに言って、そのまま離れようとする。
そんな彼女をアランは呼び止めた。
「待って。携帯番号、交換しておこうよ」
離れ離れになっていた妹とまたこうして会えた。
また離れる事がないように、繋がりを持っていたかった。だから、提案する。
「うん」
彼女は体ごと振り返り、素直に頷いた。




