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ハートレス  作者: 8D
13/21

十二話 信頼と焦燥

 前の隠れ家が爆発し、次に二人が住む事になったのは何の変哲もないアパートだった。


 三階建てのビルで、一階層それぞれに四部屋がある広めのアパートだ。

 ただ変わっている所があるとすれば、アパートの住人が皆ただならぬ雰囲気を纏っているくらいである。

 二人の部屋の隣に住む男は、喉に傷のある壮年の男だった。

 アランは何度か男とすれ違う機会があったが、男は一瞥するだけで挨拶を返さない。

 それはその男だけに限らず、このアパートの住人はすれ違っても挨拶しない人間ばかりである。

 それどころか目すら合わせない人もいるくらいだ。


「彼は殺し屋だ。ベテランで腕もいい。裏では有名な男だよ」


 ヴェロニカが男の素性を教えてくれた。

 どうやら、このアパートに住む人間は誰もが裏社会に身を置く者ばかりらしい。

 そういう事情があるから、飛び込みで入った二人も簡単に部屋を借りる事ができたのだ。


 新しいアランの自室は前の隠れ家よりも少し狭い。

 けれど、元より私物などないのだから狭くても広くてもどうでもよかった。

 アランはその新しい部屋で目覚めた。

 隠れ家が爆発してから二日経っている。

 もう、部屋にも慣れて戸惑う事は無い。

 昨夜、オルトールが死んだ時の事を思い出し、うな垂れていた彼はしばらくしてベッドから下りた。


 洗面所へ向かう。

 洗面所には、前の隠れ家から持ってきたカップと中に立てられた歯ブラシがある。

 自分の歯ブラシが、ヴェロニカの歯ブラシと濃厚なキスをしていた。

 アランは溜息を吐く。

 もう驚く気も起きない。

 それくらい、何度も目にした光景だ。

 最初は偶然かと思って居たたまれない気持ちでいたが、今はそんな事もない。

 毎日同じ状態で発見されるこの歯ブラシは、ヴェロニカがあえてセッティングしているのだろう。

 しかも、最初は偶然を装って配されていた物が、今は互いのブラシが絡み合うくらいに強くくっつけられている。とてもディープだ。

 当人達よりも深い仲だ。

 そんな熱烈な恋人同士を尻目に、彼は髭を剃ってリビングへ向かった。


 リビングには、ヴェロニカがいる。

 オーブントースターの前にしゃがみこんで、焼きあがっていくハニーチーズトーストの完成を待ちわびていた。

 トースター内にある三枚の食パンの内、一枚は何も乗っていない。アランの分だ。


「おはよう」

「おはよう」


 顔を向けられないまま挨拶され、アランも挨拶を返す。

 冷蔵庫で材料を見繕い、自分の朝食を作り始める。

 スクランブルエッグを食パンの上に乗せた物を作った。二人揃って、朝食を取る。

 ここ最近、いつもの朝食風景だ。


 朝食を食べ終わる。

 そろそろだろうか?

 そう思った頃、ヴェロニカは口を開く。彼女は二人の朝食が済むと、いつも話しかけてくる。

 それはしょーもない雑談であったり、その日の予定であったり、様々だ。

 そして今日の話題はアランにとって重要なものだった。


「ラットマン」


 アランは自分の身が強張るのを実感した。


「本名はジェイソン・オブライエン。なかなか格好いい名前だな。

 両親に愛されて育ったが、その他大勢には愛されなかったらしい。

 学校では独特の容姿からいじめにもあっていた。

 十歳の時に両親が他界。施設に預けられる。

 彼に愛情を注ぐ人間がいなくなったわけだ。

 程なくして施設から脱走。

 それからはたいして面白くもない人生だな。悪党の生き方を覚えていった。

 そして今は何でも屋だ。俺が知っているのはそれくらいだな」

「何でそんな話をするの?」

「最後の報復対象だ。情報は必要だろ?」


 アランは顔をくしゃりと歪めた。

 彼女の口からそんな言葉が出る事が、苦痛でならなかった。


「もう、復讐するつもりなんてないよ」

「じゃあ俺がする。君は見ているだけでいい。いや、もう見ていなくてもいい。今の君は絶望の底にいない事を知っているだろ。だからむしろ、今は穏やかに過ごしていれば良い」


 優しい声音でヴェロニカは語る。


「部屋でハウスミュージックでも聞きながら、俺が報復から帰ってくるのを待っていれば良い。そして、俺が帰ってきた時にこう言うんだ。

「お帰り、早かったね」って。そうすれば俺は答える。

「君に早く会いたかったからさ。あ、報復は上手くいったよ」って。素敵な展望だろ?

 ここで君が、「素敵っ!」なんて抱きついてくれたらさらにいい」


 悪趣味な冗談に彩られた軽々しい言葉。

 しかしアランは、彼女の語る言葉に心を惹かれた。

 冗談めかしてはいたが、それはアランを甘やかすような言葉だった。

 その提案はなんて魅力的なんだろう、と思えた。


 何もせず、これから起こる事から目を背けていられるならどれだけ楽だろう。


 でも、だからと言って報復その物が行われていないわけじゃない。

 彼が求めている結果は、現実から目を背ける事ではないのだ。


「いや、僕もついていくよ」


 アランはヴェロニカを止めたかった。

 ならば、彼女について行かなければならない。

 もし彼女が事を起こそうとした時、そばにいなければ止められないだろう。

 彼女には、もう誰も傷付けてほしくなかった。

 でなければ、アランはヴェロニカと一緒にいられない。

 心が耐えられなくなる。


「もちろん、別にかまわない。それはそれで俺は嬉しいからな。デートだ」


 心躍るね。とヴェロニカは楽しげに笑った。


「折角だ。少し寄り道しながら奴の居場所も探そう」


 幸い、事を起こすまでの時間稼ぎができたらしい。




 ヴェロニカに左腕を絡められ、引かれるようにしてアランは隠れ家を出た。

 今日の彼女は白い生地に所々黒のデザインが入ったモノクロのパーカーを着ていた。

 胸と背中には大きな黒いハートマークが描かれていて、チャックを開けるとハートが割れるように開く。

 ヴェロニカは白が好きだ。その上、ハートマークが入っている。しかもハートが割れる。

 だから彼女はこのパーカーがとてもお気に召したらしい。

 下は白のホットパンツにハイソックスをベルトで吊っている。

 彼女の普段着だ。

 太腿まであるソックスだが、ホットパンツとの間に見える白い肌がいつ見ても寒そうでならない。

 アランは上下共に、いつもと代わり映えしないジャンパーとデニム姿だ。


「ラットマンについては情報屋を頼らず、自分の足で探すつもりだ」

「そうなの?」

「ああ。意外と用心深いらしくてね。情報が入ってこない」


 少し安心する。

 彼女はまだ、彼の居場所を突き止められないでいるらしい。


「それに、その方が長く楽しめるからな。見つからなかったら、次の日も行ける」

「そのままずっと見つからなければいいのに」

「俺と同じでデートが楽しみなのか? 奇遇だな。ふふふ」




 ヴェロニカに手を引かれるまま向かったのは、セントラルにあるショッピングモールだった。

 そこまで行く途中、ヴェロニカは色々な人間に視線を向けられた。

 彼女の容姿はとても目立つのだ。

 彼女の顔を見れば、男女問わず殆どは二度見する。

 一度目に信じられないと思い、二度目でその美貌の釘付けとなるのだ。

 ヴェロニカ自身も自分が人の目を惹きつける自覚を持っているから、パーカーのフードはずっと被りっぱなしなのだろう。

 施設内の数ある店の中で、彼女は迷わず携帯電話ショップへ向かう。


「前々から思っていたんだ。君と離れている時も、思い立ってすぐ話ができると素敵だなって。離れている時はずっと電話で話をしようじゃないか」

「あんまり、離れる事はないでしょ」

「君がトイレに行った時はさすがについていけないだろ?」

「そんな時に電話されたらすっごく困るね」


 アランは黒いカバーのスマートフォンを買ってもらった。


「使い方はわかるだろ?」

「一年前は持っていたからね」


 すぐ使えるように本体を裸で受け取って、ヴェロニカと番号の交換をする。

 番号のリストには、ヴェロニカの名前だけが記されている。


 昔はもっと多くの人間の名前がここには載っていた。

 両親と妹、それに多くの友達……。


 一人の名前だけしかないリストは少し寂しい。

 けれど、これだけでいい気がした。

 前に載っていた人々は、みんな自分を助けてくれなかった。

 アランという存在をないものとして扱った人達だ。

 その時の傷が残っているから、アランは人を信頼する事が怖かった。

 だから、これだけでいい。

 恐ろしいけれど、それでも一番信頼できる人間の名前。

 それだけが記されている。




 手続きに思ったよりも時間を食い、アランが携帯を手にした頃には十一時半を過ぎていた。


「少し早いけどお昼だな。何が食べたい?」

「特にないよ」

「ならイタリア料理だ。パスタとピッツァとフォカッチャを食べよう」

「全部炭水化物だ。太……らないんだね」

「グラマラスがお好き? 明日からは蜂蜜を倍でドーンだな」

「糖尿病になるよ」


 二人はイタリアンレストランへ入った。

 高級感のある内装の店だ。

 全体的に薄暗く、光源はシャンデリアだけ。

 席はどれも丸テーブルに四脚の椅子だ。

 しかし、提供される料理はどれも手が出やすいリーズナブルなものだった。

 ヴェロニカは本当に、パスタとピッツァとフォカッチャを注文した。

 しかも、メニューでミラノ風ドリアを発見し、それも頼んでいた。

 ちなみに、それらはヴェロニカが一人で食べた。

 アランが食べたのはビーフステーキとシーザーサラダだけだ。


 食事を終え、食後の飲み物を飲んでいる時だった。

 他の席を見ていたヴェロニカがおもむろに立ち上がる。


「どうしたの?」

「情報収集だ」


 答えて、ヴェロニカは席を立った。フロアを歩き出す。

 気になったので、アランもその後についていく。

 彼女は、ある席へおもむろに近付いていった。

 席では、ハンチング帽を被った太めの男が注文の品を待っている所だった。

 その席の向かい側にヴェロニカは座る。

 少し迷ったが、アランも座った。

 客の男が怪訝な顔をする。


「誰だてめぇ? 勝手に座るなよ」


 ドスの効いた声で男は凄む。


「ラズーロ。俺達の仲じゃないか。そのでっぷりした腹に風穴あけられた時だって、治療費を出してやったろ?」


 怯む事無くヴェロニカは返す。

 するとラズーロと呼ばれた男は驚愕し、見るからにヴェロニカを警戒し始めた。


「ハートレスか……。撃たれたのはお前が俺を盾にしたせいじゃねぇか」

「お前の分厚い腹なら9パラも貫通しないと思ったんだ。あれが俺ならこうはいかない」


 ラズーロは「けっ」と不機嫌そうに吐き捨てる。


「で、何の用だよ。そっちの男は誰なんだ? また組んで何かやろうっていうんならお断りだ。もうお前みたいな奴とは二度と組みたくねぇ。今度は盾じゃすまない気がするからな」

「彼の事は気にしなくて良い。大丈夫だ、安心しろ。何かしようってわけじゃない。話を聞きたいだけだ。素直に答えてくれるなら、お前が注文したビスマルクが来るまでに目の前から消えてやるさ」

「じゃあさっさと話せ。何が聞きたい?」

「ラットマンだ」


 その名前を聞いて、アランはビクリと体を強張らせた。

 もしかしたら、ヴェロニカは最初から彼に会うつもりでここへ来たのかもしれない。

 いや、間違いない。

 ヴェロニカはラズーロがここへ来る事を知っていて、ここで食事を取ったのだ。

 ならばヴェロニカは目標へ着々と近付いている事になる。

 アランは焦りを覚えた。


「ちょっと前に雇ったろ。空き巣の見張り役に。今、誰に雇われているか知らないか?」

「情報屋から聞けよ。何で俺に聞くんだ」

「今の雇い主が偏執的なまでに用心深いらしくてな。どこにも情報が流れていない。わかるのは、誰かに雇われているくらいだ。その前に雇ったのがお前だったから、少しでも情報がほしかったのさ」

「くそ、ついてねぇ。そんな事でお前と関わらにゃならんとは」

「で、何か聞いてないか? どんな些細な事でも良い。じっくり思い出してくれ。俺の事は気にしなくていい。お前が頭を捻っている間、暇つぶしにタバスコでビスマルクに落書して待っているから」

「やめろ! ……確か、次の雇い主はイカレているとか言ってた気がする。それで、次はお前に雇われるのか、と思ったのを覚えている。だから記憶違いじゃないはずだ。俺が知っているのはそれくらいだ。あいつは息が臭いから、あんまり話とかしたくねぇんだよ」

「他は?」

「これ以上は、ビスマルクに唾吐きかけられたって出ねぇよ。出せるのは手だけだ」


 それを聞き、ヴェロニカは立ち上がった。


「わかった。ありがとう」


 アランも立ち上がる。ヴェロニカは、テーブルに置いてあった伝票を取る。


「情報料だ。支払いはしてやる」

「安すぎるぞ」

「これでも色をつけた」


 言葉を交わしあい、ヴェロニカは店の入り口へ向かった。

 いつの間にか取っていた自分の伝票と合わせて会計を済ます。店の外へ出る。


「どう思う? イカレた奴に雇われてるらしいぞ。ヴァイスかな」

「違うと思うよ」


 今の妹なら、ラットマンを見た瞬間に斬り殺しているだろう。

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