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ハートレス  作者: 8D
11/21

十話 自覚と傷心

 歓楽街にある店「キティウォーク」

 表向きは高級クラブとなっているその店は、しかし実際の所あるギャング団のオフィスになっている。


 ギャングの名は、リオン・ベルディール。


 今現在、旧グランニル一家を纏めている組織のボスである。

 派手な赤いスーツに身を包む彼は、ギラギラとした目つきと口角の上がる大きな口を持ち、見る者へ危険さを覚えさせる相をしていた。

 オールバックの髪はボリュームがあり、まるでライオンのたてがみに見えた。

 それらの風貌は、会う者に四十代とは思えない若々しさを印象付ける。


「前に立ってろ」


 彼は自分の部屋の前まで来ると、連れ歩いていた二人の部下に命令する。

 彼は一人で入室した。

 その途端、不機嫌そうに顔を顰める。

 彼の視線の先では、自分のために特注で設えさせた本皮の椅子に自分以外の人間が座っていた。

 それを不快に思ったのだ。


「ヘェーロォウ、ミスター・ベルディール」


 軽んじるような冗談めかした口調で挨拶するその人物は、白いスーツ姿の小柄な少女だった。

 その顔には二つの割れたハートマークが描かれていた。

 リオンは入り口を閉め、部屋の中へ歩を進める。

 部屋の半ば辺りで足を止めた。


「よくここまで来れたもんだな、ハートレス。警備の人間がいただろう」

「警備? あの突っ立ってるだけの黒服共か? 俺の歓迎に人員が足りなくて、マネキンを置いたのかと思った」

「監視カメラもあったはずだがな」

「見る人間がいなければ、映像が入ってきても意味ないだろ?」


 彼女の口ぶりからするに、どうやら監視室を真っ先に無力化して侵入してきたらしい。


「何の用だ?」


 追求を諦め、リオンは本題を訊ねる。

 その表情にもう不機嫌さはなく、代わりにギラギラとした笑みを浮かべていた。


「一応の確認だ。俺は心配性なんだ。お前が取引を反故にしないか、それが心配でおちおち夜も眠れない」

「あの事か」


 オーディの殺害計画を持ちかけられた時、その報酬として提示された条件があった。

 ヴェロニカはその事を言っているのだ。

 リオンもすぐにそれを察して答える。


「もちろん。各所に連絡済みだ。約束は守る」

「それはよかった」


 ヴェロニカは笑顔を作ると、全身で勢いをつけて椅子から飛び立った。

 そのまま歩いて部屋から出ていこうとする。


「用事はそれだけなのか?」

「ああ、それだけだ。釘を刺さないと動かない人間は多いからな。不満か? 俺みたいな美少女とすぐにお別れしなくちゃならない事が」

「そういう点では不満だな。それより、また取引しないか?」


 ヴェロニカはリオンの横を通り過ぎた辺りで足を止めた。


「いけすかねぇ他のギャングのボス連中も黙らせてもらいたいんだがな。報酬だって用意する」

「新参は虐められるわけか。モンスターペアレントのママに泣きつきたいわけだ。でも、残念ながら俺はお前のママじゃない」

「ろくでなしの男のためには動くくせに、ギャングのボスの頼みは聞けないってか? だったら、お前を俺の女にした方が早いかもな」


 ヴェロニカは振り返り、肩をすくめて馬鹿にしたような笑い声を上げる。


「あはは、やめてくれよ。いくら純真無垢な俺でも、魅力を感じる余地のない奴にはなびかない」

「あの情けない彼氏を殺してやったらどうだ? 余地はなくても、振り向かざるを得ないだろ」


 リオンの言葉に、ヴェロニカの顔から表情が消える。

 その赤い目に射竦められ、リオンは背筋に怖気が走るのを実感した。


「その時はお前を叩き潰してやる。そのいかした面をぐしゃぐしゃにしてやるよ」

「オーディを殺した時は、俺が便宜を図ったから成功したんだ。協力者もないお前一人に、そんな事ができると思っているのか?」


 ヴェロニカは瞬時にリオンの胸元を掴んで引き寄せる。

 彼の目の前で、ヴェロニカは歯を剥き出しにして威嚇する。

 その迫力は十六歳の少女とは思えないほどだ。

 見る物を怯えさせるだけの、得体の知れない凄味と威圧感がそこにはあった。


「俺にお前が殺せないと、そんなおめでたい事を本気で思っているのか? 俺一人でも十分にお前を潰せるが、権力者を引き摺り下ろそうとする奴はどこにでもいるもんなんだぜ」


 リオンは息を呑んだ。

 ゴクリという自分の喉の音が、リオンの耳に酷く大きく聞こえた。

 息苦しい程の緊迫感に、喉が渇く。


 不意に、ヴェロニカの表情が優しげな笑みに変わった。

 寸前まであった凄みが嘘のように消え去っていた。

 胸元から手を放し、握りこまれて皺になった場所を丁寧に繕う。


「まぁ、友好的であろうとしてくれる間は仲良くしてやるさ。もちろん、お前もそれを望んでくれるだろ?」

「あ、ああ」


 リオンはそれにただ頷く事しかできなかった。




 世の中の裏側には、公に知られない部分がある。

 主にそれらは、人のモラルを著しく損なうものばかりだ。

 人が嫌悪し、厭い、拒否反応を見せるものばかりだから表から目の届かない場所へ追いやられて隠される事柄である。

 人身売買という商売もまた、そういった種類のものだ。


 商品として売られる人間の行き先は数多ある。

 愛玩用として飼われる。

 バラされて移植用の臓器に加工される。

 食用の肉とされる。などなど。


 後ろ暗くはあっても、需要のある商売だ。

 そうした商売の商品にされた一人の少女、ジェニー・ルーシャス。

 彼女の行き先は、愛玩用でも、移植用臓器でも、食肉でもなかった。


 彼女が売られたのは、頭のおかしな退役軍人の家だった。

 大きな屋敷に住む退役軍人は、兵器開発局に身を置いた優秀な研究員であり、数々の兵器を開発して華々しい栄光を得た人物だった。

 屋敷には多くの勲章が飾られ、男はそれを誇りに思っていた。

 飾られた勲章は毎日磨かれ、どれも新品の様に輝き続けていた。

 彼は終生を軍人として、研究者として捧げる覚悟を持っていたが、退役したのは周りがそれを望んだからだ。

 彼はさらなる栄光を求めるばかりに、人道を踏み外してしまった。

 その結果である。


 自分の愛国心を認められなかった彼は、退役した後も研究を続けていた。

 再び、栄光を取り戻すためだ。

 彼は人間そのものを兵器に作り変える研究をしていた。

 ジェニーは、その研究の被験者とされたのだ。


 屋敷の地下には、彼女と同じく被験者となる子供達が数多くいた。

 檻に入れられた少年少女達は、誰もがジェニーと似た境遇の子供ばかりだった。

 子供達は互いに励ましあいながら日々を生き延びていた。

 耐えていれば、いつか出られる日が来る。

 そんな希望を口にして、子供達は長い夜を一つずつ越えていく。

 ジェニーもその希望を信じて、何度も同じ境遇の仲間達に勇気付けられた。

 しかしそれを嘲笑うかのように、退役軍人の無謀な実験は子供達の命を奪っていった。

 昨日励ましあい笑顔を浮かべて眠りについた子供が、翌日の実験で帰ってこない。

 そんな事は日常茶飯事だった。


 死の恐怖と隣り合わせの苦しみを伴う実験の数々。

 他の子供達が耐えられずに死に行く中、ジェニーだけは苦痛に満ちた実験を一つずつ耐え、乗越えていった。

 それは彼女の懐く希望がそれだけ強かったからだろうか。

 彼女は生きてまた、最愛の兄と再会したかった。

 その一心で、死ねないと歯を食いしばった。


 そして気付けば、生きている子供は彼女だけになっていた。


 退役軍人の実験は、すでに人が耐えられるものではなくなっていた。

 まず間違いなく、死を免れない程度の過酷な実験だった。

 それを耐えられたのは一重に、執念じみた生への渇望があったからだろう。

 檻の中には傷だらけの彼女が一人きり。

 励ましあう相手はおらず、ただぼんやりと虚ろな目で四肢を投げ出して、日々を過ごした。


 そんな地獄の日々も、やがて終わる。


 数え切れない苦痛の夜が過ぎ去り、実験による施術が全て終ったのだ。

 全ての実験が終わり、兵器として完成したジェニーに退役軍人は喜びの声を上げ、むせび泣いた。


 そんな彼をジェニーは殺した。


 癇に障った。

 単純な理由からくる殺人だった。

 仲間達を無残に使い潰し、その末に無邪気な喜びを見せる男がたまらなく癇に障ったのだ。

 そうして自由になった彼女は、真っ先に兄の事を思った。


 これで、また一緒に暮らせる。


 と、喜びに胸が震えた。


 けれどその時、実験室にあった薬品棚のガラス窓に、自分の姿が映る。


 体中に無数の手術痕を残した自分の体が、男の血で赤く染まっていた。

 少女の体には、死が纏わりついていた。

 それは男の体から噴き出した赤い物だけではなく、共に暮らしてきた仲間達の命である。

 自分という兵器を造るために、多くの仲間が命を散らしたのだ。


 そして自分は、仲間達が望んで得られなかった希望へと到達していた。

 こうして生き残った命は、もう自分だけの物では無い。

 ジェニーは自分の生に、重い責任を感じた。

 だから、自分のためだけに生きてはいけないと彼女は思った。

 生物として不自然な体と激情のままに殺した命は、これからの自分の生き方を示すようだった。


「私はこれから、悪を殺して生きていく。これから先、私達のように不幸な人間を出さないために……。それが、こんな私にできる事だから」


 彼女は、悪を殺すヴァイスとして生きる事をその時決意した。




 路地の奥にあった空き地。

 建物に四方を囲まれた日の当たらない場所である。

 そこで二人は隣り合って座っていた。

 ジェニーはこの一年で自分の身に起こった事を語り、アランはそれに黙って耳を傾け続けていた。


「それから、屋敷から私のために用意された装備を持ち去って、今に至る」


 そう締めくくり、ジェニーは話を終える。


 アランに、再会を喜ぶ暇はなかった。

 喜ぶ以上に、ジェニーの語る一年は壮絶で痛ましい気持ちしか浮かんでこなかった。


「大変、だったね……」


 どう言っていいかわからず、考えた末にアランは躊躇いがちな声でそう言った。


「うん……。大変だったんだ」

「僕も大変な目にあったと思ってたけど、僕のこの一年がとても穏やかに感じたよ」

「私は痛い目にいっぱいあったけど、何日も食べられないなんて事はなかったよ。御飯は、三食ちゃんと出ていたしね」


 ジェニーは苦笑して返す。

 アランはジェニーに向く。


「その傷も、手術の痕?」


 ジェニーの首には、大きな傷が横に走っていた。


「そうだよ。昨日は化粧で隠してたけど、全身にあるんだ。……この傷痕は、顔の皮を剥かれた時だ。額と顎の皮下に強度を高めるための金属プレートを入れられた。その時、一度剥がされたんだ」


 明るく、気にしていないというふうにジェニーは説明する。

 けれど、彼女が無理をしている事にアランは気付いていた。

 女性にとって、肌に傷を残す事は辛い事だ。アランはそう理解している。

 気にしていないはずはない。

 まして、妹の事。

 兄であるアランにその心情を察する事は難しくなかった。


「今の私はすごいんだ。手足の骨の一部は完全に金属の代替品で、体中のいたる所には人工筋肉が移植されてる。強靭で千切れにくくて、千切れちゃってもある程度ならナノマシンが修復してくれる。ダメになっても交換できる。感覚だって頭蓋骨を――」

「ねぇ、昨日の事なんだけど」


 聞いていると痛々しい気持ちになり、アランは話を遮った。

 その意図をジェニーは正確に察した。

 自分の事を慮ってくれる兄に、素直な喜びを覚えた。


「あの時はごめんなさい」


 その謝罪は、再会した時に拒絶した事に対してだ。


「でも、あの時はお兄ちゃんを早く遠ざけたかったから。私は、あの時ロッキーを殺そうとしていた。そのために、あの店へ潜入したの。それを見られたくなかったし、自分の正体を知られたくなかった」

「そう、なんだ」

「私も驚いたけどね。まさか、お兄ちゃんがあんな所に来るなんて思わなかった。だからこうして、会いたくなっちゃった」


 ジェニーはアランに向き直った。

 その青い瞳には薄っすらと涙が浮かぶ。


「僕もだよ。僕も、ジェニーに会いたかった」

「お兄ちゃん……」


 本格的に泣き出しそうな顔になるジェニー。

 彼女は一度目元を拭うと、フルフェイスを顔にかぶり直した。

 ガチリ、と金具がロックされる音の後、シューと空気の抜ける音がしてフルフェイスが装着される。

 ジェニーは立ち上がり、アランを正面から見下ろした。


「やめよう。私は、ヴァイスだ。ただのジェニーに戻るつもりはない。もう、君と共に在る事はできない」


 幼さの残る可愛らしい声が、ボイスチェンジャーの歪みに隠される。


「君に言いたい事は一つだ」


 彼女は、兄と呼んでくれなかった。

 肉親ではなく、あくまでもヴァイスとしてアランに接するつもりなのだろう。


「ハートレスから離れろ」


 彼女にそう言われて、アランは自分が今どんな表情をしているのか気になった。

 その言葉にどう思ったのか、自分でも把握できなかったからだ。


「君はあれに恩を感じているのかもしれない。仇を討つ好機と考えているのかもしれない。だが、あれは君が思う以上に危険だ」

「……いや、ジェニーが思う以上に、僕は彼女の恐ろしさを知っているよ」


 少し迷い、アランはヴァイスをジェニーとして扱う事にした。


 ヴェロニカは恐ろしい。


 それを知っているのに、離れないのは何故なのか?

 疑問に思い、そして自覚する。

 先ほど、言われて理解できなかった感情が、今になって遅れて実感される。

 離れろと言われて、真っ先に思い浮かんだのは拒否だった。

 彼女とは離れたくない。

 認めたくないが、アランは確かにそう思ってしまった。


 きっと自分は、ヴェロニカの事が好きなんだろう。


 どういった形であれ、彼女は自分を救ってくれたのだ。

 好意を覚えてもおかしくない。


 これじゃあ、ヴェロニカの恋の理由を訝しむ事ができないな。


 アランは内心で苦笑した。


「ジェニーこそ、そんな事は止めた方がいい。どれだけ憎くても、人殺しはいけない事だ」


 誤魔化す意味もあって、アランは話をヴァイスへ向ける。


「……君はハートレスに仇を殺させているじゃないか」


 アランは思わずヴァイスの顔を見た。

 思っていた以上に、その言葉はショックだった。

 それも最愛の肉親から出たからこそ、ダメージが大きい。

 とても痛々しく今にも泣きそうな表情に、ヴァイスは居たたまれなく思って顔をそらす。

 アランは深く息を吐き、心を落ち着けた。

 口を開く。


「警察に通報する事だってできる……」

「警察では悪を裁けない。特に汚職の蔓延るこの街の警察ではな。それどころか、正義そのものですら悪を裁けないんだ。悪を裁くには、より強い悪にならなければならない」

「ジェニーじゃなくてもいいじゃないか。どうして、ジェニーがそんな事をしなくちゃならないのさ?」


 改めて、ヴァイスはアランの顔を覗き込んだ。


「恐ろしいものを相手にするには、自分も恐ろしいものにならなくてはならない。今の私にはそうなるだけの力がある。これは、私にしかできない事なんだ。私はこの街の悪を滅ぼすためなら、どんな立場も手段も厭わない」


 言うと、ヴァイスは一歩後退した。

 この場から去るつもりだ。

 そう悟ったアランは、引きとめようとヴァイスへ手を向ける。


「待って……」

「いいか? ハートレスからは離れろ。これは忠告だ。もし、君があれに染まってしまうような事があれば、その時は私が殺してやる」


 アランの言葉を遮って告げると、ヴァイスは助走もなく跳躍した。

 建物の壁を蹴り、三角跳びでさらに上昇。

 蹴った壁とは反対側の建物の屋上へと姿を消した。


「ジェニー……」


 答える者のない呼びかけが空き地に響き、すぐに消えた。




 アランが隠れ家に帰りついたのは、十二時を少し回る頃だった。


「お帰り」


 玄関先で、ヴェロニカが待っていた。


「ただいま」

「何かあった?」


 笑顔を作ったまま、ヴェロニカは訊ねる。

 アランは目をそらさない。

 そらせば、後ろめたい事があると思われるだろう。


「ヴァイスに会った。君から離れろと言われた」


 そして素直に答えた。

 本当はそれだけじゃないが、嘘は言っていない。

 敵対している彼女には、ヴァイスの正体を知られたくなかった。


「自信の中におどおどした後ろめたさがある。嘘を言っていないだけって感じだな」


 すぐにばれた。


「まぁ、追求はしない。隠したい事を暴いて、嫌われるのは御免だ。それより――」


 ヴェロニカはおもむろにアランへ近付く。

 見下ろすとすぐに顔がある位置まで近付かれ、アランは戸惑った。

 そんな彼の心境を知ってか知らずか、ヴェロニカはアランの上着のポケットへ手を伸ばした。

 引き抜かれた手には、小さな機械があった。


「何これ?」


 機械を検分してから、ヴェロニカは質問に答える。


「発信機だな。どうやら、盗聴機能はついていないようだ」

「発信機!? そんな物、いったい誰が……」

「ヴァイスだろ」


 短く答えると、ヴェロニカは室内へ走り出す。

 アランもその後を追った。

 けれど、ヴェロニカがそのまま自室へ入ってしまったので、立ち止まる。

 開け放たれたドアから部屋の中を見ないよう、壁に背中を預けて待機する。


「別に入ってくれても構わない。君が見て楽しいものなんて、キスマークがついた君の隠し撮り写真と昨日脱ぎ散らかして放置した染み付きショーツぐらいだ」


 本当にあったらいたたまれないなんてレベルの話じゃない。


「どうして、発信機を付けられてるってわかったの?」

「センサーを持ち歩いてる。特定の電波を感知して震えるやつを」

「もしかして、この場所を特定された?」

「間違いない。忠告のついで……もしくは初めから俺の居場所を探るため君に近付いたのかもしれないな。純粋な君を利用するなんて、酷い奴だ」


 ジェニーが、ヴェロニカを探すために僕を利用した?


 妹に謀られた事が少しショックだった。

 話をしている間に、仕込まれたのだろう。

 いつ入れられたのか、皆目検討もつかないが。


 どんな手段も厭わない。


 そう言った彼女の言葉が思い出される。


「ここを放棄するつもりだから、荷物をまとめてくればいい」

「え、ああ、うん。そうする」


 言われるまま、アランは自室へ向かった。

 とはいえ、ここに滞在した時間は少ない。

 文字通り、着の身着のままの生活を送っていたので、元から私物も少なかった。

 彼の持ち物と言えば、家族の写真とヴェロニカから買ってもらった数着の服だけだ。


 5分もかからず、荷物は持ち出せた。

 ヴェロニカの部屋に戻ると、彼女は大きなリュックサックを背負っていた。


「持とうか?」

「ありがとう。お願いする」


 ヴェロニカにリュックを渡される。


「さて、準備はできた。逃げようか」


 言いながら、ヴェロニカは笑顔で手を差し出した。




 発信機の移動が一定時間同じ場所で留まるのを確認して、ヴァイスはその建物へ向かった。

 目的地である廃ビルの隣に建つビルから、助走をつけて跳躍する。

 五メートルの谷間をものともせず、ヴァイスは難なく目的の廃ビルへ辿り着く。

 飛び込む勢いのまま廃ビルの窓ガラスを蹴破り、中へ強引に侵入した。

 着地後すぐにサムライソードを抜き放つ。


 だが、彼女の前にいたのは、椅子に座らされたテディベアだった。

 テディベアの頭には、ヴァイスがアランに仕掛けた発信機が置かれ、手には抱えるようにホワイトボードを持たされていた。


『プレゼントフォーユー&グッドラック』


 一瞬、困惑し唖然としたヴァイスだったが、すぐに意図を悟る。

 フルフェイスに内蔵されたセンサーが気化したガソリンを感知したのだ。


 すぐさま踵を返し、助走をつけると、先ほど蹴破った窓から飛び降りた。

 同時に、部屋の中にセッティングされていたC4の時限爆弾が爆発。

 気化したガソリンへ燃え移り、広範囲を炎で舐め尽した。

 ヴァイスの飛び出した窓から爆風と火柱が噴き出し、落ちるヴァイスの勢いを後押しする。

 勢いを増されたヴァイスはそのまま地上に落ちていき、道を仕切るためのブロック塀に強くぶつかった。


 壁が衝撃に耐え切れず壊れ、砕けたブロックを下敷きにしてヴァイスは地面へ叩きつけられた。

 通常なら、人間としての形をとどめられないほどの衝撃だが、彼女は生きていた。

 彼女の全身を支える骨には、金属による補強が施されている。

 それに加え、ゲル素材のプレートが衝撃吸収剤として各所に組み込まれていた。

 ちなみに、その分のスペースを確保するために大部分の脂肪が削られているが、運動エネルギーを電気式のパワーアシストによって補強し、活動時間を確保している。

 それらの措置のおかげで、彼女は命拾いしたのだ。

 緩やかに起き上がり、体の調子を確かめる。


「くっ」


 全身を駆け巡る痛みに苦痛の声を漏らす。


「くそ、あいつめ……!」


 最低限、動ける事を確かめたヴァイスは笑うハートレスの顔を思い浮かべて悪態を吐いた。




 ヴェロニカの隠れ家から少し離れた路地。

 そこにひっそりと隠れるように、マンホールがあった。

 その蓋が、内側から押し上げられた。

 そうしてマンホールからひょっこりと顔を出したのは、ヴェロニカだった。


「亀になった気分だ」


 呟き、彼女はキョロキョロと辺りを見回してから身軽な体を外に押し上げた。

 マンホールに手を伸ばす。

 伸ばされた手を掴んで、アランも外に出た。


 隠れ家の地上階には、下水道へ続く隠し通路があった。

 ヴェロニカは色々な所で恨みを買っているため、襲撃された時を想定して作っていたのだ。

 ヴァイスが来る事を察知したヴェロニカは、荷物を纏めるとすぐに爆弾を仕掛けてガソリンを隠れ家中にばら撒いた。

 そして、自分達は下水道に逃れたのである。


 アランがヴェロニカを見ると、少し先に見える廃ビルを見上げていた。

 建物が倒壊するほどではないが、起こった爆発によって未だ窓から炎が漏れ続けている。


 ジェニーはどうなったんだろう?


 アランは妹が心配になった。

 あの中に入ったかもしれないのだ。

 できるなら、彼女が中へ入る前に爆発していてほしい。


「大丈夫かな」

「どうだろう。俺の計算どおりなら、奇襲大好きなあいつはあの窓から部屋に飛び込んだはずだ。メッセージに気を取られて、巻き込まれる事を期待しているが……」


 アランの呟きを別の意味に取って、ヴェロニカは答えた。

 そして振り返る。笑みを向けて言葉を続けた。


「あのサイバーパンクニンジャの事だ。逃げられたかもしれないな」

「そう……」


 ヴェロニカの言葉に少し安堵し、アランも廃ビルを見上げた。

 妹の無事を祈る。

 そんな彼の目をヴェロニカは眺めていた。

 その顔に表情はない。

 何か言おうとして口を開く。

 けれど、言葉が出てくる前に口は閉じられた。

 アランの手を取り、表情を笑顔にする。


「お昼はまだだろう? 食べに行こうじゃないか。何が食べたい?」

「え、うん。お腹すいたね」


 言われて、アランは空腹を自覚した。


「俺としてはピッツァな気分だ」

「ヴェロニカの食べたい物でいいよ」

「じゃあイタリアンだ。食事を終えたら、新居に行こう」


 ヴェロニカに手を引かれ、アランは路地を後にした。

 こちらの勝手な都合により、しばらく更新できません。

 ごめんなさい。

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