log74.獲物と狩人
追記12/29、渚のビーチブラザーズのレベルを50に訂正。
勢力対抗紅白戦、第一回戦。紅と白、どちらの勢力にとっても大切な初戦の部隊となったのは、巨大な雑居ビル郡であった。
すべてがコンクリートで覆われた、無機質なビルの群れ。その中には誰かが住んでいたと思しき形式は無く、建造物を除くあらゆるものがほとんど風化してしまっている。
かすかに残った窓ガラスや、崩れてしまってはいるが逆さになったと思しきスチールデスク。そしてなにより、崩れかかったコンクリートビルが、この雑居ビル郡を襲ったであろうなにかの激しさを物語っているように見える。
広さで言えばミッドガルドと同等程度といえる雑居ビル郡の中を、コンビギルド“渚のビーチブラザーズ”がぶらりと歩いていた。所属は白組。レベルは50を超えたあたりだ。
前の空いたアロハシャツに、トランクスタイプの海パン。お揃いのサングラスに場にそぐわない健康的な小麦色の肌。波も起きないような場所で何をしに来たのかと問いかけたくなるスタイルの二人は、興味深そうに辺りを見回していた。
「ふーん……。雑居ビルってから、なんか面白いもんがみれるかと思ってたけど……なんもねぇな」
「だな。でも、平原の中にいきなりコンクリートジャングルが映えてんのはシュールだったけど」
「かなりキテるよな、これw 運営もセンスがねぇっていうか。いや、逆にあんのかなこれw」
「ねぇよw」
ケタケタと笑い声を上げながら、ビーチサンダルをぺたぺたと鳴らすコンビギルドの二人。
既にバトル開始の合図は鳴っており、いつ襲われてもおかしくない状況ではあったが二人とも平静そのものといった様子だった。
だが、いつ襲われてもいいように構えている様子ではなく、だらけきったしまりの無い顔をしながらへらへらとした表情をしている。
「つか、久々な、勢力戦。いつ以来振り?」
「半年じゃね? ここんとこ、狩りばっかで飽きてきたっしょ? ちょうどいんじゃね?」
「だべな。適当にやってりゃ、誰かがポイントとってくれるっしょ。んで、勝てたら儲けもん、負けても失うものなんてねーし」
「おいしいイベントだべな。適当に雑魚狩って、後は高みの見物みたいなー」
二人はだべりながら、辺りを見回し敵対者を探す。
どうやら、渚のビーチブラザーズはあまり真剣にイベントに参加するつもりは無いらしい。
「……んで、かわいい子いたらさらっちゃうべ?」
「んだなんだな! コブ付きならボコっちまったらいいしな!」
「いいイベントだよなー。いちいちメンドい決闘宣言しなくても男ボコれるし」
「女も脅せるしよ。らっくしょーだよなー」
その上、イベントの性質を悪用してのナンパまで考えているらしい。
今回のイベントはその性質上、いちいち決闘宣言をはさんでしまうとテンポが悪くなってしまうため、バトルフィールドとして指定された場所……今日でいえばアスガルド雑居ビル郡内であれば、決闘宣言を無視して闘うことが出来る特殊なレギュレーションが発生している。
これはもちろんイベントのテンポを悪化させないための特別な処置である。だが、当然このような悪用の仕方もされてしまいがちだ。
あまりにも悪質と認められる行為に対しては即アカバンが下されるが、運営も常にこのゲーム内の全ての行為を監視できているわけではない。
――渚のビーチブラザーズは、とりわけこうしたガールズハントにかけては、なかなかの悪名を持つブラックリストギルドの一つであった。
運営の目と手を潜り抜け、数多の女性たちを喰い物にしてきた悪童たちは、今日の獲物を探してビルの谷間を潜り抜けていく。
ビルの間を風が通り過ぎてゆく寂しい音が響くばかりのフィールドを歩く内に、渚のビーチブラザーズの二人は胡乱げに呟いた。
「……んでもなんか静かだなー。もうバトル始まってるべ?」
「言われてみりゃそうだな。静かなもんで、つまんねーな」
今回のイベントは日本の標準時間である午前0時からのスタートとなっている。日本が基準となっているのは、セイクリッド社の本社が日本にあるためだろうが、ともかく現在の日本は午前十時。
戦いが始まってから既に十時間が経過している。この雑居ビル郡のそこかしこで戦いが巻き起こっていてもおかしくないはずだが、あたりはシンと静まり返っている。
「まだ誰も入ってきてねぇのかな?」
「それはねぇだろ。俺らと一緒に入ってきた連中もいるじゃん? そいつらどこいったんだよ、って話だよ」
彼らだけでなく、他のギルドの者たちもバトルフィールドに入っていったはずだ。
だがアスガルド雑居ビル郡に足を踏み入れて即戦いが発生したりしないように、ギルドごとにまったく別の場所に転送されてしまったので、その後の動向がわからない。
どこかで戦いが起きているのか? その戦いはどれだけの規模なのか? 果たして戦いは起こっているのか?
そうした情報がまったく得られず、渚のビーチブラザーズはつまらなさそうにため息をつく。
「……っどーするよー、マジで……」
「しゃーねーなー……。今日は一旦、外出るべか?」
バトルフィールドを出れば、フェンリル関係の施設でイベントの進行状況や内部の戦いの光景が見られる。それで現在の状況を確認するのも悪くは無いだろう。
二人はそう考え、一度バトルフィールドの外へと出ようとする。
「―――ッ」
「ん?」
「お?」
だが、そんな彼らの視界の端に、一人の少女の姿が映った。
目深にフードを被ってはいるが、着ているローブの下からでもはっきりとわかるほどたわわに実った胸部が見える。
このゲームはプレイヤーのアバターはリアルの肉体をベースにする関係で、ネカマが極めて難しい。二人の視界に移ったのは、間違いなく女だ。
「おっ」
「おおっ」
「―――っ!?」
少女は仲間からはぐれたのか、不安そうに辺りを見回し、誰かを探しているようだ。
そして渚のビーチブラザーズの二人に気が付くと、一瞬固まったあと、慄いたかのように後ずさりし、踵を返して逃げ出した。
少女の所属は、紅組。つまり、渚のビーチブラザーズの敵だ。しかもレベルは25。渚のビーチブラザーズたちよりも、レベルが低かった。
仲間とはぐれたところに敵と遭遇してしまえば、逃げるのは必定。僧侶姿ということは、サポート役だろう。二対一で勝てるはずも無く。
「オイィ!? にがさねぇぞ!」
「当たり前だろ!? 待てよ、おい!!」
そして、獲物に飢えた渚のビーチブラザーズがそれを見逃すはずも無く。
レベル50まで鍛えた肉体を駆使し、渚のビーチブラザーズは逃げる僧侶の少女を追いかける。
「見たかよ、あの胸! あんな上物、逃すってのはねぇだろ!」
「しかもおとなしそうなタイプと見た! 自信がねぇからフードなんて被るのさ……! 俺たちが女としての自信をつけさせてやんよ!!」
空腹の狼が生まれたての子鹿を見つけたようなテンションで、渚のビーチブラザーズは少女の後を追いかける。
少女も雑居ビル郡の中を右に左に曲がり必死に逃げるが、レベル25のステータスではレベル50のステータスから自力で逃げ延びることなどできるはずも無く――。
「シッシッシッ! 追いついたぜぇ!!」
「ヒヒヒ! 逃げるんじゃねぇって!」
あえなく、袋小路に入り込んでしまった。
少女は来た道以外全ての塞がった行く先を見て、辺りを見回し、そして自身の背後から迫ってくる渚のビーチブラザーズへと向き直る。
フードで影になってはいるが、その下から覗く怯えた表情は、紛う事なき美少女。
すっきりと通った鼻筋に、軽く紅くなった頬。パッチリとした大きな瞳が、なんとも愛らしい。
目の前の少女の顔を見て、渚のビーチブラザーズたちのテンションはいよいよ有頂天になっていった。
「っひょー! おいおい、想像以上じゃねぇか!」
「ああ、ああ! そんなビビんなってぇ。暴れたりしなきゃ、痛いこともしないしさぁ」
下卑た笑みを浮かべながら、ことさらゆっくりと少女へ近づいてゆく渚のビーチブラザーズ。
目の前の男二人の表情を見て、さらに怯えたように下がった少女は、聳え立つビルの壁に行く手を塞がれる。
「シッシッシッ……!」
「ヒヒヒ……!」
完全に怯えた獲物を見る獣の顔つきで少女ににじり寄る。
――しかし彼らは完全に失念している。
「を」
「んあ?」
この場においては……彼らもまた、ただの獲物に過ぎないことに。
間抜けな声と共に響いた轟音は、長大なバスタードソードが地面を打ち砕いた音だった。
間抜けな声を上げた主は、ぽかんとした表情をしながらポロリと頭を取りこぼしているところだった。
下と一緒に首を伸ばし、少女に少しでも早く触れようとしたのが悪かったのだろうか。ゴア表現をONにされた攻撃によって、一撃で殺された相方を見て渚のビーチブラザーズの片割れが悲鳴を上げる。
「テ、テメェ!?」
反射的のインベントリから愛用の銛を取り出す渚のビーチブラザーズ(一名)。
だが、彼の一撃はバスタードソードを手にした男に叩きつけられることは無かった。
「ソードピアスッ!!」
「っが!?」
背後からの奇襲。心臓を一撃で貫くレイピアの一撃によって、彼もまた即死させられてしまったのだ。
「ぐ、が……!? ば、か、な……!!」
薄絹で作られたアロハシャツでは、レイピアの一撃を防ぐことなど到底不可能。布製防具は、属性耐性は高くとも、物理耐性は低いのだ。
首を切り落とされ、心臓を貫かれた渚のビーチブラザーズは静かにその場から消えていなくなる。
レベル50の渚のビーチブラザーズを一撃必殺した下手人たち……リュージとソフィアは、目深にフードを被っていたレミの方を見て声をかける。
「レミ、おつかれ! あとでコータの胸の中で慰めてもらうが良いぞ」
「すまなかったな、レミ……」
「怖かったよぉ~……」
フードを払ったレミが、半泣きでその場にへたり込む。
そしてさらに、その場に一人の男が現れる。
虚空から降り立ったように見えるニンジャスタイルの男は、深く頭を垂れたままリュージたちに謝辞を述べた。
「……協力感謝いたします、リュージ殿」
「んにゃ。そっちこそサンキューな。あの二人がまっすぐレミのほう向くように、音消しまでしてもらって」
「お気になさらず」
ニンジャが呟いた瞬間、あたりの静寂がはじけるように消え、代わりにあちらこちらから響く破砕音に魔法やスキルの発動音が聞こえてくる。
いかなる方法か、渚のビーチブラザーズたちの行動範囲の音を全て消していたわけだ。
頭を垂れたまま動かないニンジャを見て、リュージは軽くため息をつく。
「おかげでこっちは、労せず4000ポイントゲットだ。……よかったのか? 敵に組して」
「我ら、ジャッジメントブルースの本懐は秩序の維持。リュージ殿に手柄を渡したとて、あの者たちを一時でも廃せるのであれば、団長は怒りますまい」
頭上に白組の証を浮かべるニンジャはそう言いながらも、微かに笑う気配を見せる。
「……それに、この程度で勝敗は揺るぎますまい。まだまだイベントは始まったばかり。存分に競いましょう」
「だったな。お互いの頑張ろうじゃん?」
「ええ。それでは、失礼いたします」
ニンジャはそう言い、その場から姿を消す。
再び虚空へと溶ける様に消える忍者を見送って、レミは小さく呟いた。
「……不思議な人だね」
「ニンジャだけあって、ジャッジメントブルースじゃ上位の実力者だ。レベルも60超えてるし」
「問答無用で攻撃されずによかったよ……。現れた時は完全に不意打ちだと思ったからな……」
先ほどのニンジャが現れてきたときのことを思い出しながら身を震わせるソフィア。
まだ見ぬ強敵たちは、既に戦いを始めてしまっている。
リュージたちもまた、その戦いに参ずるべく、待機しているコータとマコの元へと急ぐのであった。
なお、こうして紅組と白組が手を組むことは稀によくある模様。