log65.サラダバーの攻防
イノセント・ワールドというVRMMOにおいてイベント、と呼ばれるものは基本的にマンスリーイベントと言う、月に一度、一週間程度の期間を設けて開催されるイベントのみとなっている。
他社のVRMMOを取ってみれば様々なアニメや漫画などとのコラボ企画や、或いは独自の世界観に基く様々なイベントを一年通して切れ目なく行うゲームも存在する。そうすることでプレイヤーを飽きさせないような工夫を凝らすわけだが、イノセント・ワールドにはそれがない。それは何故か?
単純にイノセント・ワールドは他社の企画とコラボすることが一切ないというのもあるが、それ以上にプレイヤー間で噂となっているのが、イノセント・ワールドが常にアップデートを繰り返していると言う噂だ。
イノセント・ワールドは、基本的なアップデートを全てオンメンテにて行う。サーバーダウンを行わないため、プレイヤーは常にイノセント・ワールドにログインし続けられるわけだが、同時にそれは運営がどのタイミングでアップデートを行うのかがはっきりとわからないということである。
もちろん、何らかの追加要素や変更点などがある場合は運営も掲示板やクルソルにメールを送ると言う形でプレイヤーへの情報提供を行っている。だがその一方で、プレイヤーに知らされない追加・変更……いわゆるサイレントアップデートもかなりの頻度で行われている形跡があるのだ。
といっても、プレイヤーにとって不利になるような変更ではない。モンスターの群生地の移動や、ランダムイベントの内容や発生地点の変更、レアエネミーの追加などが主になる。
イノセント・ワールドにおいて、モンスターとは単なる外敵と言うだけではなく、イノセント・ワールドという世界の中で暮らす一種の生命体、という位置付けが為されている。その為、プレイヤーによる乱獲などが発生すれば、生き残るためにモンスターたちは生活圏を移動する。これは、悪質なプレイヤーによる居座り行為を妨害するための方策でもある。
ランダムイベントに関しては、既にプレイヤー検証班によって結果が出ている。概ね三ヶ月程度の周期でランダムイベントの内容や発生地点、或いは条件などが定期的に変更されている。これはプレイヤーにイノセント・ワールドを探索させ続けるためのものだろう。
レアエネミーに関しては、全容が把握されていないためはっきりとはしないが、いまだに未発見のレアエネミーの発見報告がイノセント・ワールド内のスレッドに投下されるのを考えるに、少しずつ増えていると考えて相違あるまい。
これらの要素は運営から明確に提示されているものではない。あくまで、プレイヤーたちの間でこうなのではないか?と噂されているに過ぎない。
しかし、こうしたサイレントアップデートの中に、マンスリーイベントとは異なる運営からの隠しイベントが含まれていたりすることもあり、そうした運営からの贈り物……或いは挑戦状のようなものに挑むことに熱を上げているプレイヤーもいたりするのだ。
だからこそ、プレイヤーたちは月一回程度のイベント実施回数に文句を言うことはない。現実と同じように変化を続ける故に、新たな発見を探す喜びを得られるのだ。
……といっても、全てのプレイヤーがイノセント・ワールドと言う世界の変化を追い求めているわけではない。マンスリーイベントの間の旗艦を準備期間として捉えたり、或いは休息期間と考えたりするものも数多く存在する。
「おーい、リュウー!」
「んお? なんだ、カレンか」
ギルド、ナイト・オブ・フォレストに所属するアーチャーの一人であるカレンも、そんなマンスリーイベントの間の休息を謳歌するプレイヤーの一人であった。
アルフヘイムでも有名なサラダバーにて新鮮な野菜サラダを味わっていたリュージは、きゅうりの様な野菜をぽきりと咀嚼しながらカレンに声をかける。
「最近なんか良くうちにくるな? 今はギルドの活動暇なのか?」
「まあ、そんなとこだよ。今度入ってきた新人、なかなか熱心に活動してくれて、あたいの負担が減ってさ。ヘヘヘ……」
カレンはそんなことを言い、照れたような笑顔を見せながらさりげなくリュージの隣の席に座る。
近場のウェイトレスに飲み物を注文しながら、カレンはリュージの顔を覗き込む。
「リュウのほうは、調子はどうだい? 最近はシナリオ進めてるって言ってたけどさ」
「魔王の情報やらなんやらってところだよ。正攻法だと、わらしべ長者みたいな感じになるらしいな、これ。カレンはクリアしたことあるか?」
「一応ね。あたいん時は、拾い物の本が魔王の使う魔法に関する魔道書だったね。イベント専用アイテムだから、インベントリの肥やしにしかならなくてさぁ」
「一番楽なのは、やっぱりそういったアイテムをどっかで拾うことかね。拾えるかどうかは別として」
「運が良けりゃ、最速攻略だものね。まあ、そんな豪運の持ち主がいるのかって話だけどねぇ」
「それに関しちゃ俺はなんとも……。そういや、お前んとこのギルド、先のマンスリどうだったん? 王冠はそこそこ集まったのか?」
「一応ねー。適当な育成アイテムと交感して終いさ。さっきも言ったけど、今は新人育成に力を入れてるからね。今度入った連中は、結構長居してくれそうな感じだから団長たちも慎重でさー」
運ばれてきた飲み物やスティックサラダをつまみながら、リュージとの世間話に興じるカレン。オープンテラス形式のサラダバーにて、穏やかな気候のアルフヘイムで静かに過ごす、贅沢な午後と言った雰囲気だ。心なしか、二人の間を取り巻く空気もアルフヘイムの気温とは別の暖かさを帯びているようにも見える。
「…………」
そんな二人を、面白くなさそうに見つめるのはソフィアである。ちょうど、バイキング形式のサラダを取って戻ってきたところに、いつの間にかリュージの隣に座っているカレンを見つけてしまったところだ。
リュージの隣に座るカレンは、ソフィアに気がつかぬようで楽しそうにリュージと話しながら体を密着させている。袖なし肩だしのノースリーブの健康的なカレンの肌が、リュージの肩にぴたりとくっついている。リュージはさして気にしていないようであるが、外から見ているとなんとも親しげな雰囲気が醸し出されている。あんな風に、ソフィアはリュージと接したことはない。
「………っ」
思わず歯軋りしてしまう。あんな風に大胆にリュージと接することは、ソフィアの矜持が何故か許してくれない。恥ずかしさもある。大胆さと言う分野ではカレンのほうに軍配が上がるという事か。
だが、ここで荒れてリュージに当たる様では余計に面白くない。それはカレンにとっては望むべき展開だろう。
ソフィアは静かに深呼吸すると、そのまま何食わぬ顔で余っていたリュージの隣側に座る。
「あ……」
「お、ソフィたんお帰り」
「ああ。カレンも来ていたのだな」
「んー……まあね」
ソフィアの帰りに気がついたリュージが嬉しそうに顔を綻ばせ、カレンは逆に少し顔を曇らせる。
もう少しリュージと二人で話をしていたかったと言うのがカレンの本音だろうが、それを表に出さないように努める。
ソフィアの言葉になんてことはないように返事をしながら、カレンはスティックキャロットにマヨネーズをつけて頬張る。
そんなカレンを尻目に、ソフィアは何気ない様子でリュージへと問いかける。
「ところでリュージ。お前はなにを持ってきたんだ?」
「んー、きゅうり? なんかモロキューな気分だったんで」
「私は無難にレタスだったな……。そうだ、お互いの野菜を交換しないか?」
「もちろんいいともさ! ほい、ソフィたん」
甘辛みそを一掬いし、リュージはモロキューをソフィアに差し出す。
ソフィアはモロキューを一瞥し。
「ん……いただきます」
そのまま、リュージの手の中にあるきゅうりを頬張った。
「んぐっ!?」
突然のソフィアの行動にカレンは思わずにんじんを喉につまらせる。
手の中のきゅうりをいきなりかじられたリュージは驚きこそしたものの、ソフィアの突然の行動に言及することなく少し笑いながらソフィアに問いかける。
「おいしい?」
「……ん。このお味噌、なかなかいけるな」
ソフィアはかすかに頬を赤らめながらもリュージの言葉に一つ頷き、お返しにマヨネーズをたっぷり塗ったレタスを差し出す。
さりげなく、リュージの口元に近い位置に差し出すのを忘れない。
「じゃあ、交換だな」
「ん。サンキュー」
しかしリュージは直接口で頬張らず、ソフィアの手の中からレタスを受け取り、そのまましゃきしゃきとおいしく頂いてしまう。
「んー。みずみずしいねぇ、アルフヘイムの野菜は。リアルの野菜も、こんくらいだったらなー」
「……ん、そうだな。このくらいおいしいと、皆幸せだな」
ソフィアは直接食べてくれなかったことにこっそり肩を落としながら、自分もレタスを食べ始める。
「………っ」
ソフィアの思わぬ行動に今度はカレンが臍を噛む。
まさかリュージの手の中からぱくりと野菜を食べさせてもらうとは思わなかった。リュージにそんな意図はなくとも、自分から食べにいった。まるで甘えにいくかのように。
なかなか勇気のある行動だ。というより、密着するよりも遥かに恥ずかしいのではないだろうか。
肩だしで身を寄せると言う大胆な行動に出てみたカレンも、さすがにリュージの手の中から直接野菜を食べるようなことは考えていなかった。
(く、ソフィアやるね……!)
(負けはしないぞ、カレン……!)
一瞬視線を交わし、バチリと火花を散らす。
乙女たちの静かな戦いをよそに、リュージはのんびりとモロキューを楽しんでいるのであった。