log182.決闘
「……すまない」
誰にともなく呟きながら、ソフィアはムスペルヘイムの郊外へと向けて歩いてゆく。
自分よりも先にログインしていたマコに嘘をつき、彼女は一人で清姫と会うことを決めていた。
相手の技量が自分よりも上にあること、そしていざという時には複数でかかってくる卑劣を厭わないこと、リュージに対する執念をいまだ滾らせている事、自分に対して何らかの感情……恐らく、憎悪を抱いているであろうこと。
全て、了承した上で、彼女は一人で清姫のもとへと向かっていた。
――清姫の招待状に応じる決意をしたのは、その差出人を知った時だ。
相手が、あのリュージの……元許婚であると知った時、彼女は会うべきだと直感していた。
勝算など、ありはしない。勝負を受ける利得があるわけでもない。
だが、それでも会わねばならぬ。ソフィアの中の何かが、そう叫んでいた。
リュージが過去に出会い……そして、歪んでいたものの、婚姻を結んだ相手。
彼女が今、何を思い、イノセント・ワールドへやってきたのか。
知る必要があるはずだ。リュージの、今を知る者として。
「………」
ムスペルヘイムの外側、霧葉樹に覆われた郊外。
葉っぱの代わりに濃い霧を纏う霧葉樹の間を進みながら、ソフィアは招待状の示す場所を目指す。
白い濃霧の中を進んでゆくと、やがて霧葉樹の林が開けた場所へとたどり着く。
程よく広く、真円状に広がった霧葉樹の広場。その中央あたりに一人の少女が立っているのが見えた。
「……貴女が、清姫か?」
「ええ。ようこそ、ゴミクズ」
ソフィアがそう呼びかけると、清姫はうっそりと微笑みながら、吐き捨てるようにソフィアをそう呼んだ。
「あの方に選ばれ、安穏とその居場所を享受する愚者。身の程というものを弁える方法を教えて差し上げますわ」
「……殺気が強いな。ずいぶんと、恨まれたものだ」
こちらの話すら聞く様子もない清姫の、一方的な物言いにさすがにムッとなるソフィア。
すでに抜刀を終えている向こうを見て、腰のクノッヘンに手を伸ばす。
「恨みを買うような覚えはないのだがな」
「傲慢ですのね? ご自身がどれほど恵まれているのか、理解していませんの?」
清姫は、笑みを深める。
裂けた、血のような三日月を連想させる表情をしながら、彼女は一歩踏み込んだ。
「神宮派を栄光へと導く天啓……我が流派始まって以来の神童とも称されたあの方……隆司様。あらゆる全ての頂点に立ちうる、そんな恵まれた方の御傍にいるということ。貴女は理解しているのかしら?」
「……そんな大層な男ではあるまい。太ももフェチの、変態だぞ?」
今日も今日とて、現実では挨拶代わりに人の太ももに飛び掛ってきたリュージ。
彼の奇行を思い出し、一つため息をつくソフィアを見て、清姫はさらに笑みを深める。
「あの方の求めに応じるほどの器量もないとは……。狭量ね。ますます、身の程を弁える必要があるわ……」
静かな呟きと共に、清姫は刀を体で隠しながら、体勢を低くする。
刀を握らぬ手を地に着き、まるで這うかのような体勢を取る清姫。
「少しずつ、削り取って差し上げましょう……」
清姫の呟きと共に、展開される決闘場。
剣呑に過ぎる彼女の決闘宣言に眉をしかめながら、ソフィアもそれに応じる。
「その言葉に応えよう。我が剣技にて」
「おままごとの間違いでしょう?」
清姫は嘲るように呟き、一気にソフィアの元へと這い近寄る。
「シィィィィィィ!!」
地面を這うというありえない姿勢で、異様な速度で接近する清姫。
ソフィアはクノッヘンを抜き払うと、清姫の動きに合わせてスキルを発動する。
「パリィ!!」
「シィッ!!」
クノッヘンを基点に発生する防護フィールドが、清姫の一刀を凌ぐ。
鋭い金属音を響かせながら、防護フィールドの表面を滑る刀を見送りながら、ソフィアは一歩退く。
「チッ! さすがに速いな……!」
「小ざかしい!! その程度の小細工でぇ!!」
口が裂けたと錯覚するほどの大口で叫んだ清姫は、伸び上がるように立ち上がり、体を勢い良くしならせる。
「蛇円閃ンンンンン!!」
「フッ!」
体全体で円を描くように刀を振るう清姫。その切っ先は、彼女の腕の長さをはるかに上回る半径を描き、ソフィアに襲い掛かってきた。
鋭く呼気を吐きながら、ソフィアはその切っ先を打ち払い、一歩大きく踏み込む。
「ソードピアスッ!!」
衝撃波も纏う、必殺の一突き。多くのモンスターを屠ってきたソフィアの必殺が清姫へと襲い掛かる。
清姫はグニャリと、腰をくねらせソフィアの一突きを回避すると、そのまま地面を這って一旦ソフィアから距離を取る。
「チィィィ……!」
まるで蛇かなにかのように舌舐めずりしながら、ソフィアを睨み付ける清姫。
クノッヘンの切っ先で、彼女を牽制するように構えながらソフィアも油断なく彼女を睨み付けた。
(……思っていたほどの威力は出ていないな。恐らく、牽制か、手加減しているのだろうが)
数合の打ち合いにてそう分析しながら、ソフィアは次の一手を考える。
(ソードピアスは当たらない。不意を打てばワンチャンかもしれんが……)
ソードピアスには、パワースラッシュのように一撃の威力に威力倍率を適用する以外に、速度上昇の効果もある。真っ向から打ち込んだ場合、至近距離であれば普通の人間であれば反応を許さず痛手を与えられる程度の速力はあるのだ。
だが、清姫はそれを回避した。彼女の蛇円閃が予想以上に広い間合いを持っていたというのもあろうが、それでも一歩踏み込めば十分に射程距離だったはずだ。
向こうの純粋技量は、ソフィアよりも上ということだろう。恐らく普通に斬りかかっても回避されるはず。
ならば、選択するべきは――。
「ソニックボディ!!」
ソフィアは素早く強化スキルを発動し、清姫へと接近する。
ここはソニックボディの速度強化補正に期待するしかないだろう。これとソードピアスの合わせ技ならば、まだ当たる可能性があるはずだ。
清姫は接近してくるソフィアを見て、侮蔑の表情を浮かべる。
「ままごとで、この私に挑むとでも」
「舐めるなよ! 私の剣技も、ある流派に師事したものだ!!」
ソフィアは居丈高に叫びながら、クノッヘンを振るう。
清姫は軽い動作でそれを打ち払いながら、再び飛び退く。
「まあ、素敵。大口もそこまで叩ければ、気持ちがよいでしょうね……」
そうして彼女はゆっくりと目を細め。
「……ならばその舌、ご自慢の剣技ごと斬りとって差し上げましょう」
カッと見開くと同時に、再びソフィアに向かって這い進む。
鋭い稲妻のような動きで接近する清姫は、瞬く間にソフィアを射程の中へと捉える。
「シィィィィィ!!」
伸び上がるような一閃。
ソフィアはそれを打ち払うようにクノッヘンを振るう。
……だが、その切っ先は清姫の刀と打ち合うことはなかった。
刃が触れ合う寸前、清姫は柔らかく刀を引き、そのままクルリと踊るようにソフィアの側面に回りこむ。
「シィッ!!」
「ツッ!?」
振り下ろされる一刀を、ソフィアはクノッヘンの鍔元で受け止める。
ソフィアは歯を食いしばって清姫の一撃に耐えるが、次の瞬間には受け止めていた刀の重さが消えうせる。
「!?」
「遅い……遅すぎますわ」
するりと刃を引いた清姫は、まるでソフィアの体を這うような動きで背後に回りこむ。
ソフィアは素早く背後に向かってクノッヘンを振るうが、清姫はいとも容易くその一撃を受け止める。
「これが貴女の言う、流派の一撃ですの? まるで、産毛を撫でるような、優しい一撃ですのね」
「チッ!」
ソフィアは悔しげに呻きながら後ろに飛び退こうとするが、彼女の後ろ足を清姫の蹴り足が引っ掛ける。
「ウッ!?」
「弱い……弱すぎる……」
そのまま後ろに向かって倒れ込んでしまうソフィアを見下ろし、清姫は酷く、低い声で呟く。
「これが、あの方の見初めた女……? こんな、あまりにも、弱弱しい女を、あのお方が……」
「く、くそ……!」
ソフィアは素早く立ち上がろうとするが、それを遮るように彼女の顔を清姫が蹴り上げた。
「ガッ!?」
「恥を知れ、俗物がっ!! 至高のお方に見初められたというのに、その身を鍛えることすら知らぬ惰弱な存在がっ!! あのお方の傍で悠々と! のうのうと!! でかい顔をするんじゃぁない!!」
もんどりを打って倒れ込むソフィア。彼女の足を踏みつけ、清姫は容赦なく膝裏に刀を突き立てた。
鈍い衝撃がソフィアの全身を走り、彼女は思わずといった様子で悲鳴をあげた。
「あ、ああっ!?」
「あのお方の傍に立つのにも、最低限の格というものがあることを知れっ!! ただ無為に日々を過ごす唾棄すべき存在! その最後を、他の生き物のために捧げる家畜と比較することすらおこがましい豚が!! 身の程を知れぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「うぐ! が、がぁ!?」
清姫はそのまま、幾度となくソフィアのわき腹に蹴りを入れる。
武器を用いた攻撃ではないため、素手として判定されるその蹴りは、じわじわとソフィアのHPを削り取ってゆく。
「ぐ、く……!」
「ああ、なんということ!? 本当に、本当に、なんということなの!? あのお方が、このような、愚劣な存在を見初めるなど……! これではっきりと確信が持てた!! あのお方は騙されている! こんな矮小な存在が隣に立つことなど許されるはずもない! 卑怯な生き物め、あのお方に色目か何かを使い、騙しているのだな!!」
「づ……! 私、は……!」
「黙れっ!! あのお方に並び立つことすら許されない、弱者ごときが!!」
思う様ソフィアのわき腹を蹴りつけていた清姫は、ソフィアの膝から刀を引き抜くと、その首を握りしめ、そのまま持ち上げる。
「っづ……!」
「この程度の実力で、並び立てるものか……! 神宮派の未来を背負う、至高のお方が……! ハッ!」
ソフィアを見て、鼻で笑い、歪んだ笑みを浮かべて清姫は刀を構える。
「理解したかしら? 実力の差を……あのお方の隣に立つということの意味を! 自らの身を守ることすら出来ぬような、弱者が、愚者が、愚劣なる存在が!! 強者の隣に立つことの不遜を―――!!」
ソフィアの顔面に、刀の切っ先を付きつけ、清姫は甲高い声で叫ぶ。
「思い知れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「―――!!」
ソフィアは、清姫の突き立てる刀の切っ先を見つめることしか出来ない。
清姫はますます顔に浮かぶ笑みを歪め、ことさらゆっくりと刀を引き……恐怖を煽るように、ソフィアの顔面に向かってその切っ先を突きたてた。
……隣に立つ、資格、か。
……そんなもの、あるのだろうか。