log180.姫からの招待状
何杯目になるかわからない紅茶を飲み干した頃、ソフィアのクルソルにメールが一本入ってきた。
「うん? メールかい?」
「ああ。相手は……マコか」
慣れているおかげか、彼女からの連絡はメールで来ることが多い。ちなみにレミとコータは音声チャットで来ることが圧倒的に多く、リュージの場合はそもそも連絡する前に目の前に現れる。
それはさておき、ソフィアはマコからのメールを検め、不審げに眉を潜めた。
「“今すぐ話がしたい。そこを動くな。”? 文章に余計な装飾が無いのは美徳だと思うが、主語を省くのはどうかと思うぞ、マコ……」
「ありゃりゃ。あのお嬢ちゃんも性急だねぇ……。あの子達に、ここにくること伝えたのかい?」
「いや、言ってない」
ソフィアは緩やかに首を振り、ゆっくりと立ち上がった。
「マコあたりであれば、言わずとも駆けつけるかも知れんが……こちらから出迎えるのが筋だろう。ゲート辺りにいれば、簡単に会えるはずだしな」
「だねぇ。このギルドハウス、御世辞にも判りやすい場所にあるとはいえないしねぇ」
「そうだな。ラミレス、紅茶は相変わらずだった。また来るぞ」
「ええ、いつでもどうぞ」
マコとサンシターは一度尋ねた事はあるが、だからといって篭っていても仕方ないだろう。
ソフィアはリアルでよく使う褒め言葉を継げると、足早にオクトパス旅団のギルドハウスを後にする。
――変わらないというのは、一般的には良くないことだ。人とは、より良く進化を続けるべき生き物なのだから。
だが、人の進化にも行き着く先というものは存在するだろう。日常を象徴するような飲み物は、味の最上ではなく心の最上を目指すべきだ。
そうした不変を極めたものの一人であるメイド長の、仮想現実でも変わらない腕前にソフィアは感心したように何度か頷く。
「味覚を再現するこのゲームもさることながら、その中でリアルと変わらぬ味を再現するのも、並々ならぬ苦労だな。ラミレスといい、サンシターさんといい、どのような努力があれば為しえるものなのだろうな……」
まだまだ自分では及びえぬ領域というのは数多存在する。
その事に対する憧憬を覚えつつ、ギルドハウスの外へと出たソフィア。
ゲートへと向かうべく、歩みを進め始めた彼女の前に、一人の男が立ち塞がった。
「待たれよ」
「む?」
やや時代がかった呼び声。顔は、猿か何かを模した奇怪な仮面で隠しているが、首から下の道着姿を見るに、剣術系列のギルドの所属だろうか。
ひょろりとした外観の、一見すると針金か何かのような印象を与える大男は、ソフィアを見下ろしながら、確認するように呟いた。
「異界探検隊の、ソフィアで間違いないか?」
「む。確かに私は、異界探検隊の――」
「かの竜斬兵に嫁と公言されている、あの」
「待って欲しい。出来ればその、そっち方面の評価を口に出さないで欲しい」
赤の他人にリュージの嫁、などと久方ぶりに呼ばれ、ソフィアは奥の方から上ってくる恥ずかしさに体を縮めそうになってしまう。
このゲームを始めてそれなりに経つが、やはり慣れるようなものではない。見知らぬ他人から、そのように呼ばれるのは。
「リュージがたびたびそう口にするのは間違っていないが、その、なんだ。そういう評価で私を見られるのは甚だ不本意というか、その」
「………分不相応と。自分で思っているということか?」
「ああ、いや、その」
どこか静かな、しかしこちらを圧するような言葉を放つ大男。
ソフィアはその事には気が付かず、しどろもどろになりながらも、何とか咳払いをして話の方向を元に戻そうとする。
「ごほん。ごほん、ごほん。……そ、そんなことより、私に何か用だろうか? 仲間が迎えに来るので、ゲートに向かいたいのだが」
「用向きはこちらだ」
大男は感情を抑制しているかのような口調と共に、一枚の封筒をソフィアに差し出した。
ソフィアは差し出された封筒と男の顔を見比べながら、問いかける。
「……これは?」
「我等の首魁が、貴女に宛てて書いた物だ」
大男はそれだけ言うと、もう少し封筒をソフィアのほうに差し出す。早く受け取れ、ということだろうか。
ソフィアは不審を露にしながらも、大男から封筒を受け取ると、裏返しながら軽く検める。
イノセント・ワールドでは、クルソルに次ぐ利用率を誇る一般的な封筒メールだ。ご丁寧に、蝋で封をされた裏側の焼印は、見たことのない印章が用いられている。
鳥と狼と蛇だろうか。三匹の動物が、バランスよく三方に配置されている。
ソフィアは封に手をかけながら、大男の方を窺う。
「今開けても?」
「ああ」
大男が頷くのを確認してから、ソフィアは封蝋を破った。
封筒の中には、羊皮紙が一枚入っており、広げて中を読んでみると、それは簡潔な招待状であった。
ソフィアを明日、今頃の時間に、ムスペルヘイムの郊外へと決闘に誘う内容だ。
頭に明確にそう記した後、下の方にはギルドメンバーの誰も引きつれず、一人で来るようにとただし書きがされていた。
(決闘、か……一体誰がこんなものを?)
応じる必要性すら感じない、魅力に欠けた手紙を読み進めたソフィアは、最後に記された署名に視線を落とす。
“リュージ様の許婚・清姫”、と記された署名に。
「ッ!?」
「来る来ないは貴女の自由。それによって生じる罰則も無い。来るにしたところで、誰を連れてくるもよし。首魁の言葉を守るかどうかも貴女次第だ」
手紙の最後の一文に動揺するソフィア。
大男はそんなソフィアを見下ろし、自分の仕事は終えたといわんばかりに踵を返した。
「では、確かに伝えた」
「―――! ま、待て!! お前は……いや、この清姫というのは一体誰だ!? 私の会ったことがあるプレイヤーか!?」
ソフィアは立ち去ろうとする大男の背中に声を投げつける。
それを受け、大男は立ち止まり、顔だけ振り返りながらソフィアの質問に答えた。
「――清姫様は、神宮派形象剣術の次期師範を約束された方。貴女と会った事など、一度も無いはずだ」
「………」
「だが、あの方は貴女を許さぬだろう。なにをするでもなく、奴の隣を約束されている貴女のことを」
大男は一つため息をつくと、そのまま前を向いて歩き始めた。
「あの方に疎まれる貴女には同情する。……個人的には、一度受けておく事を勧める。一先ず目的が達せられれば、あの方も満足されるだろうからな」
「お、おい!!」
ソフィアは一方的に言い置いて立ち去る大男の背中を追い、捕まえようとする。
だが、その男は少し先の路地を曲がり、ソフィアが路地を覗き込んだときにはもうその姿が消えうせていた。まるで初めからそこに存在していなかったかのように。
「……なんだと」
呆然と立ち尽くすソフィア。少なくとも、地面を蹴るような音は一切聞こえなかった。当然、スキルの発動するような気配もない。
無音にて、飛び上がる気配も無いまま、見事に消え果せたということか。
それをスキルなしにやってのけたというのなら、先ほどの男の実力は、ソフィアなど足元にも及ばない程だと言う事か。
そして、そんな男が首魁と呼ぶ、清姫の実力は――。
「ソフィアッ!」
「っ! ……マコ、か」
自身を呼ばわる声に、ソフィアが我を取り戻すと、マコを先頭に、リュージを除いた仲間たちがこちらへと駆け寄ってくるところだった。何故か最後尾には、アマテルとカレンの姿もあったが。
ソフィアは懐に先ほどの招待状を仕舞いながら、マコへと向き直った。
「ずいぶんと慌てて、どうしたんだ?」
「ちょっと伝えたいことが……ところでさっきの手紙は? 一体誰からよ?」
「ああ……オクトパス旅団の、ラミレスだよ。先ほどまでちょっと師事を受けていてな。それを纏めたものだ」
マコの問いに、ソフィアは一瞬迷ったのち、偽りを告げる。
何故、清姫の手紙のことを隠してしまったのかは、自分でもわからなかった。だが、今更訂正も出来ない。
マコはソフィアの言葉をさほど疑わず、一つ頷いた。
「ふーん。まあ、いいわ。ソフィア、ちょっと教えておきたいことがあるの」
「一体なんだ? リュージ抜きで、アマテルたちは込みというのはどういうことだ?」
「簡単に言えば、この二人は被害者よ。リュージに懸想する狂犬に噛み付かれた、ね」
「――一体何事だ、それは」
狂犬。なんとなく、その正体を察しながらも、ソフィアは問いかける。
「清姫って、刀を使う剣士よ。一対一の決闘に見せかけながら、複数の手下を引き連れて、一方的にこっちをいたぶる事を目的とした、狂った女。この二人も、そいつらにやられたのよ」
「そうなのか?」
ソフィアが視線を向けると、アマテルは静かに、カレンは悔しそうに頷いた。
マコは険しい表情をしながら、ソフィアの肩に手を置いた。
「清姫の目的は、あんたをいたぶる事。その先になにを見てんのか知らないけど、絶対に誘いに乗るんじゃないわよ。乗るにしても、あたしらの誰かと一緒にいくこと。いいわね?」
「――ああ、わかった」
マコの言葉に一つ頷き、ソフィアは軽く笑って見せた。
「私も、痛いのは嫌だからな。清姫とやらが現れたら、皆に相談するよ」
「そうしなさい。あたしも、面倒ごとは嫌いだし」
マコは険しい表情のまま頷き、それから踵を返した。
「じゃあ、行きましょうか。せっかくヴァナヘイムまで来たんだし、何かおいしいものを食べましょう」
「あ、いいね、それ。リュージ、結局ログインできないみたいだし……明日、何か御土産渡そうよ」
「サンシターさん! 今の旬は何ですか!?」
「さー? イノセント・ワールドは、現実の四季がまったく当てはまらないでありますからなぁ」
「あたいらも一緒していいかい? お金なら払うからさ」
「そうね。どうせだから、私のお勧めの店も紹介するよ」
和気藹々と歩き始める仲間たちの背中を追うように歩くソフィアは、懐の招待状にそっと手を添える。
行くべきか。行かざるべきか。
――答えは、一つしかない。
なお、ヴァナヘイムで一番おいしいのは、実は調味料の塩らしいとのこと。