log178.敗北
「シェァァァァァァ!!!」
地を這うような低い体勢で迫る清姫に、カレンは矢を解き放つ。
異様な光景を前にしても矢の切っ先がぶれないのはさすがであるが、低すぎる狙いに当てることはできなかった。
「チッ」
忌々しそうに舌打ちしながら、カレンは一旦上へと飛び上がる。
それを追うように、清姫も壁を這って上がる。
「シィッ!!」
「えぇい!!」
そのままカレンに向かって斬りかかる清姫。カレンは手にした矢の矢じりをナイフ代わりに斬り返すが、まったく歯が立たず袈裟懸けの一刀を受け取ってしまう。
「づっ!?」
体に走る鋭い衝撃。カレンは苦悶に顔をゆがめ、中空で体勢を崩してしまう。
手の中で砕け散った矢を投げ捨て、カレンは新しい矢を短弓に番える。
「ブラストォ!!」
矢を放つと同時にスキルが発動し、ショットガンのような衝撃波が清姫へとぶつけられた。
「くぅ!?」
一刀を振り切ったタイミングで叩きつけられたスキルを回避できず、清姫も体勢を崩す。
そのまま地面に向かって落下する両者であるが、カレンは落下する最中にまた矢を番える。
「こいつも!」
清姫を見ずに、カレンは鳴弦を響かせる。
放たれた矢は清姫に向かって突き進むが、清姫もそれに当たるほど優しくはない。
聞こえてくる風切り音に反応し、彼女は刀を幾度か振るう。
最低限の動作であったそれは、しかし確実に自身の体を射抜く矢を斬り裂き、叩き落した。
二人は同時に着地し、素早く距離を取る。
カレンは清姫から距離を取りながら、苦々しげに顔を歪める。
(真っ向勝負、全力、不意打ち……今のところ、全部いなされちまってる)
自らの保有する矢の残弾と、清姫の技量。この二つを照らし合わせながら、勝機を探すカレン。
(こっちの最速の手札である鋭矢・一閃が凌がれた以上、それ以外の手段でどうにかするしかない……。狩人の弓は三度鳴りでいけるか?)
カレンの手持ちの攻撃系スキルの中では最も火力が高く、発動も早い狩人の弓は三度鳴り。
リュージのパワークロスを参考に、通常一発にしか載らないスキルの効果を三本の矢に乗せることで、チャージ時間の必要なサジタリウスという攻撃スキルの発動を素早く行えるようにしたギア系攻撃スキルだが、清姫に当たるかどうかが問題だろう。
一応サジタリウスは範囲攻撃だが、同系列のスキルと比べた場合、猫の額程度の広さしか持たない。狩人の弓は三度鳴りの発動は、チャージ系列のスキルとしては驚異的な早さだが、清姫ならばそれを回避する程度はわけもないだろう。
(この狭さじゃ、鋭矢・千鳴も意味を為さない……。クソ、普通にやったんじゃ勝てないか)
自身の不利を悟り、カレンは覚悟を決める。
(……久しぶりに、使うか)
カレンは素早く短弓を仕舞い込むと、その代わりに自身の身の丈ほどもある大弓を取り出した。
彼女の手の中にある大弓には過度な装飾こそないが、節々に棘飾りや攻撃的な印象の彫り物が施されている。
弦の太さも、短弓など比較にもならないほど太い。細めの縄といっても通用するだろう。
短弓を仕舞い、大弓を取り出したカレンを見て、清姫は不思議そうな顔つきになった。
「あら……?」
「意外そうだね」
弦の張り具合を確かめながら清姫に問いかけるカレン。
清姫は油断なく構えながらも、彼女の問いに答えた。
「ええ、それはもちろん。このような場所で使うには、いささか大きすぎるようですが?」
清姫の指摘どおり、カレンの手にしている大弓は彼女の身長ほどもある巨大さだ。二人が戦いあう程度の場所があるとはいえ、狭い路地裏で使うには制約が多すぎるだろう。
さらに言えば、相手も悪い。速度重視の短弓でも捕らえられなかった相手に対し、威力重視の大弓ではかすりすらしないのではないか?
そんな、嘲りの感情を込めながら清姫は笑みを浮かべる。
「自信がおありなのは結構ですけれど……それで自身の首を絞めるのはどうかと思いますわよ?」
「言ってな、ド変態。あんたに対しちゃこれで十分って話さ」
カレンはそう嘯きながら、大弓を構える。
地面に大弓の片側を突き立てながら、弦に手をかけるカレン。その手の中には、矢の姿はない。
だがカレンは真剣な表情で、清姫を睨み付けた。
「さて、仕切りなおしだ……」
「――シィィィ!!」
一瞬、カレンの行動の意味を図りかねる清姫であったが、彼女が行動を終えるより先に斬り捨ててしまえば問題ないと考えたのだろう。
地面を這うように、高速で迫る清姫。
だがカレンは、清姫の方を見ようとしない。……いや、見ることができないというべきだろうか。
視線は前を向いたまま固定され、ピクリとも動かない。今の彼女が動かせるのは、弦に手をかけた右手だけだ。
「……いくよ。必弓トリスタン」
呟きと共に解き放たれる弦。甲高い鳴弦の音と共に、トリスタンから放たれたのは形無き矢。
空気を歪めて突き進むトリスタンの矢は不可思議な軌道を描いて清姫の背中へと突き刺さった。
「っ!?」
「鋭矢・二鳴っ!」
苦悶の声を飲み込むも、そのまま地面に叩きつけられる清姫。
カレンはさらに二度、弦を掻き鳴らし、不可視の矢を二発放つ。
矢は複雑な軌道を描きながらも、狙ったように清姫の背中を打ち据えた。
「ぐ、がはっ!?」
「……私の遺物兵装、トリスタンは絶対必中のスキル持ち。あたいの攻撃から逃げられると思わないことだね」
静かに呟きながら、再び弦を鳴らすカレン。
清姫は慌てたように立ち上がりながら、飛来する不可視の矢に向かって刀を振るう。
その斬撃を回避するようにグネグネと曲がって飛翔する不可視の矢であったが、辛うじて払い落とす事に成功する。
清姫はその顔に怒りを迸らせながらカレンを睨み付けた。
「このような……! 道具に頼る戦いなど……!」
「なんとでもいいな。最終的に勝ちゃあいいんだよ、こんなもんはね」
カレンは静かに……いや、いっそ冷徹に言い切りながら弓の弦を引き絞る。
――カレンとて、こんな勝ち方がよいとは思っていない。ただの決闘であれば、負けるのもまた乙なものだ。
だが、この戦いに負けるわけにはいかない。この清姫が何者かはわからないが、そんな輩にむざむざやられてやれるほどカレンも優しくはない。
レベルが下であろうとも、純粋技量を操る剣士に対して遠慮など無用だ。このまま一気に畳み掛ける。
そう考えるカレン。だが、次の瞬間。
―――ゴォン……!!
「っ!?」
どこか、遠くで響く打撃音。そして揺れる地面。
カレンの体を倒すには、その衝撃は軽かった。だが、動きを止めるには十分だった。
「シィィィィヤァァァァァァァァ!!!」
清姫が、一歩踏み込み、刃を振り上げるだけの時間を稼ぐには、十分だった。
伸び上がってきた刃は狙い違わずカレンの心臓の位置を貫き、クリティカルの快音を響かせる。
薄い鎧しか装備していないカレンに、清姫の一撃を凌ぐ術は無い。
視界の中で一瞬で0になるHPを見て、カレンは悔しそうに呟いた。
「……くそ……油断、した……」
崩れ落ちたカレンの体から、手の中の刀を引き抜きながら、清姫は忌々しげに呟いた。
「ちぃ……! この程度のプレイヤー相手に……!」
ちらりとあらぬほうを見やり、それから舌打ちしながら倒れているカレンを見下ろす。
決闘にHPが0となったため、半ログアウト状態になったカレンの体は、今もここにある。決闘によって発生する半ログアウトは、基本的にその場で目が覚める事になる。そのためなのかはわからないが、例え倒れてもアバターは消滅しない。
「………チィ!」
清姫は、倒れ込んだカレンの体に向かって刀を容赦なく振り下ろす。
鋼の刃が霞むほどの速度で振り下ろされた刀は、狙い違わずカレンの首を切断する……。
寸前。カレンの体が一瞬光り、清姫の刀を弾き返した。
仕様上、無防備になるプレイヤーの体を守るログアウト障壁だ。プレイヤーのアバターがイノセント・ワールド内に残る状態で半ログアウトすると発生するシステムで、あらゆる攻撃や性的行為に対する無敵の防壁が発生するようになる。この障壁に触れたプレイヤーの視界には、相手が半ログアウト状態である旨と、障壁に接触するような行為をやめるよう、警告する文章が現れる。
この障壁と警告文を前にしてもそうした行為を繰り返そうとする輩に対しては、警告なしのアカウントBAN処置が施行される。
清姫は自分の視界全てを覆いつくすような警告文を確認すると、再び忌々しそうに舌打ちをした。
「チッ……忌々しい。敗者をいかようにしようとも、勝者の勝手でしょうに……」
清姫はしばし佇んでいたが、やがてカレンに害をなすことを諦めるようにため息をついた。
いずれにせよ、目的……前座共の撃破は済んだ。
あとは、あの泥棒猫への仕置だけだ。
「………フフフ。待っていなさいな。貴女にふさわしい、扱いというものがあるのですから、ね……」
清姫はそう呟くと、アルフヘイムの路地裏から消えうせた。
アルフヘイムの路地裏に放置されたカレンの体を、小さな旋風が軽く撫でていった。
遺物兵装・必弓トリスタン
「ナイト・オブ・フォレストに所属する弓鳴・カレンが操る遺物兵装。遠距離攻撃系の遺物兵装としては珍しくも無い“絶対必中”のスキルと、“空気弾”というスキルを持つ。空気弾は汎用性が高い遺物兵装のスキルとしては珍しく、風属性のプレイヤーでしか扱うことの出来ないスキルであり、効果としては“遠距離攻撃系武器で、リソースを消耗しない”というもの。だがこのスキルの真価は節約ではなく、弾道が見切りづらくなりというものだ。空気弾の名前の通り、空気で弾が形成されるのだが、この弾丸はほぼ透明で、弾道も見えなくなってしまう。この絶対必中と空気弾の組み合わせは狙撃手の遺物兵装の組み合わせとしては鉄板であり、この効果を狙うためだけに風属性を取得するものもいるとのことだ」