log175.素直になれない
「それであたしのところに?」
「まことに不本意ながら」
ミッドガルドから南方、ヴァナヘイム。
四聖団の一角たる子ギルドの一つ「オクトパス旅団」。
伝説の魔獣“スキュラ”の体を持ちながら、自らを蛸と称すギルドマスター・ラミレスは、不満げな表情で鼻を鳴らすソフィアを見て、苦笑する。
「不本意とはずいぶんじゃないかい。せっかくギルドマスター専用の部屋に招いて、おいしい御茶も入れて差し上げたってのにさ」
「お前の腕は知っているさ、ラミレス。貴様ら全員がこの中にインしているのは、ヴァルトから大体聞いている」
「あらいやだ。ヴァルトも案外口が軽いねぇ」
ソフィアの言葉を聞き、ラミレスは若干呆れたように肩をすくめた。
「まあ、あの堅物がソフィア様に言い寄られて黙ってるってほうがおかしいかね」
「お前たちの楽しみに、土足で踏み込むような真似をしてすまないと思っている」
「ああ、いいんですよ、ソフィア様。そのうち、リュージに招かれていらっしゃったらバラすつもりはあったんですから。遅かれ早かれですよ」
一つ頭を下げるソフィアを見て、ラミレスは慌てた様子で足を形成する触手と手を振ってみせる。
ラミレス……リアルにおける、間藤家のメイド長を務める才女は、楽しそうな笑みを浮かべながらソフィアの前に紅茶を差し出した。
「まあ、まさかこっちの世界でソフィア様に、素直になる方法を尋ねられるとは思わなかったですがねぇ」
「……リアルでは、誰に聞かれているともわからんだろう」
ソフィアは呟きながらそっぽを向く。頬が赤く染まって見えるのは、きっと気のせいだろう。
「あの屋敷は広い故に、人の気配を察知しづらい。隣の部屋で、ミミルあたりが聞き耳を立てていたりしたら、ことだろう?」
「あたしのことをお呼びですかにゃ、ソフィア様!」
ソフィアがその名を呼んだ途端、窓を開けて一人の鳥人が飛び込んできた。
白色を土台にしながらも薄い灰色を纏った腕の翼は、カモメのものだろうか? 頭に猫耳カチューシャを乗せているあたり、所属しているギルドとあわせて“うみねこ”のつもりなのかもしれない。
幼い頃からの付き合いがある、付き人の一人、ミミルの突然の登場に、ソフィアは静かな動作で花瓶を投げつけてやった。
予想だにしないソフィアの攻撃に、ミミルは悲鳴を上げながら窓の外へと落っこちていった。
「ノォォォォォォ!? ソフィア様、花瓶ってなんでぇぇぇぇぇぇ!?」
「……ホントになんで花瓶なんだい? 他にも椅子とかあるだろうに」
「いや。普段からリュージへのツッコミに多用している関係でストックが余っていて、つい」
エコーと共に遠ざかるミミルの姿から視線を外し、ソフィアは首を傾げてラミレスへと問いかけた。
「しかし、お前の治めているギルドは海洋生物中心だと思っていたが、違うのか?」
「別にうちだけじゃないさ。鳥人は四聖団の中じゃ伝書鳩的なポジションでね。他の子ギルドにも、結構のな人数の鳥人が所属してるよ。鳥って生き物は、どっかの場所限定で生きてるわけじゃないからねぇ」
「言われてみればそうか」
鳥人。ラミレスのような魚人と同じように、大きく生態の変わる転生種族の一種である。
最大の特徴は、やはり両腕が変化する翼だろう。この両翼は専用のスキルを保有しており、魔法やスキルの補助を一切必要せず、空を自在に飛びまわることが出来るようになるのだ。
イノセント・ワールドにおいて、背中に翼を生やすためには人体改造に手を出さなければならないため、維持費や難易度の関係で空を自由に飛びたい場合は魔法か鳥人の二択であるといわれている。
そんな鳥人の一人である猫耳メイドのミミルにしてみれば、窓枠からの落下など尻餅をつくようなものである。叫んだ数瞬後には復活し、鉤爪状の足を窓枠に引っ掛けながらソフィアに向かって食って掛かり始めた。
「ひどいにゃひどいにゃソフィアさまぁ!! せっかくの幼馴染付き人に対してこの仕打ちはあんまりにゃぁ!!」
「ひどいのはお前の属性盛り具合だと思う……。ネコミミ+ハーピー+ミニスカ+メイド服って、お前どんだけ属性盛るんだ……」
「ソフィア様も、その辺理解できるようになったんだねぇ……」
見ていて痛々しすぎるほどに萌え属性を装備したミミルを見て若干引いているソフィア。
ラミレスは、理解が広がったソフィアを見て嬉し涙を流すが、思っていたような評価を得られなかったミミルは、不服そうな表情で両羽を腕のように組んだ。
「なにをぅ!? 新境地開拓って、ダーリンも満面の笑みだったのに!!」
「お前のダーリン、恐らく思考が麻痺したんじゃないのか? ほら、刺激を受けすぎると、感覚が鈍るわけだし」
「辛辣なのはこっちでもなのね……うにゃにゃにゃ~」
謎の泣き声を挙げながら、ヨヨヨと崩れ落ちるミミル。
ソフィアはそんな幼馴染の姿を数秒で忘れ、ラミレスへと向き直った。
「ところで、ラミレス。さっきの問いだが」
「あたしのこと数秒で放置ってさすがにひどくないかにゃ!?」
「ああ、素直になりたいってやつかい?」
「ラミレス様まで!? うわーん!!」
敬愛する主人だけでなく、尊敬する上司にまで無視を決め込まれたミミルはいじけて窓から外へと飛び出していってしまう。
白い羽を撒き散らしながらものすごいスピードで遠ざかってゆくミミルを眺めながら、ソフィアは一つ呟いた。
「……鳥人は、DEX特化系なのか? かなりの速度だが」
「だねぇ。他のステータスを犠牲に、DEXに限界までステータスを触れるっていう、かなりとんがったキャラが作れるよ。まあ、それはともかく」
ラミレスはソフィアの問いにいちいち答えながら、一番最初の問いかけに関しても答え始める。
「素直になる方法、ってのは色々あるけれど、ソフィア様が望むようなものとなると、それはソフィア様自身でどうにかするしかないねぇ」
「……色々と言うと?」
「一番わかりやすいのは、アルコールだねぇ。素直になれない大人の御友達さ」
にょろりと伸び上がるラミレスの触手の内ひとつが、大きめの酒瓶を握っている。
チャポンと揺れる透明な液体は、日本酒の類だろうか。
「普段は堅物でも、お酒が入れば素直にいろんな感情を吐露するようになるもんさね。あたしはそれが羨ましくてねぇ」
「ああ。お前は枠だとかざるだとか言われる人種だったか」
間籐家で年末に行われる忘年会で、毎年樽単位で酒を消費しながらも、結局最後までしらふのままで過ごしているラミレスを思い出すソフィア。
酒豪とは彼女のためにあるような言葉だなと思いつつ、彼女は疑問を重ねた。
「なら、お前はどんな風に素直になったりするんだ? 普段のお前からだと、想像できないのだが」
「そうだねぇ……。まあ、定番なのはベッドの上で二人っきりになることかねぇ」
ラミレスは腕を組み、豊かな胸を強調するように押し上げながら、いやらしい笑みを浮かべる。
「肌を重ねて、お互いに抱きしめあえば……誰だって素直になれるもんさ。旦那様だって、ソフィア様の後継ぎを望まれるだろうしねぇ」
「そんなのもっと先の話だろうが、バカモン」
「そうだねぇ。ごめんごめん」
さすがに下世話に過ぎると、ソフィアは怒り顔になる。
ラミレスは笑って謝罪しながら、優しい顔でソフィアに語りかける。
「……きっかけがあれば素直になりやすいけれど、きっかけがなくとも素直になれるもんさね。本当に、そうしたいと思っているならね」
「……私は、その足がかりを知りたいんだ」
「だろうねぇ。けれど、こればかりは百万言尽くしたところで、語り切れるものじゃないのさ」
駄々をこねるように頬を膨らませるソフィアの頭を、ラミレスはゆっくりと人の手で撫でる。
「何も、急ぐことはないさ。ゆっくりと、少しずつじゃ、駄目なのかい?」
「……駄目だ。今すぐ、だ」
「困ったもんだねぇ」
珍しく我侭なソフィア。手間の掛らない子女だと思っていたものだが、かわいらしく頑固なところもあるものだ。
ソフィアの新鮮な態度に苦笑しながら、ラミレスは新しい紅茶を入れなおし始めた。
「だったら、今日一日でもゆっくり考えてみようじゃないか。あたしも一緒に、考えてあげるからさ。一日くらいなら、ソフィア様も我慢できるだろう?」
「……うむ」
ラミレスの提案に、納得いっていないようであったが、ソフィアは一応頷いた。
ラミレスの新しく入れてくれた紅茶を手に取りながら、ソフィアは仏頂面でカップの中身を啜るのであった。
なお、ミミルは人間→猫人→鳥人と経由した変り種の模様。