log172.蛇走
だが、その微笑はすぐに掻き消えることとなった。
雷光が収まった後、路地裏が焼け焦げた後には何も残っていなかったからだ。
「っ……!」
決闘の勝敗によってプレイヤーの肉体が消滅することは基本的にない。特殊なレギュレーションをフェンリルのシステムを介して採用しているのであればその限りではないが、こうした路地裏での野良決闘であれば、まず相手の体は残る。
雷光の焦げ跡に清姫の体が残っていないのであれば、当然先ほどの一撃は直撃を免れているということ。ならば蒼天に残る魔法陣から雷光が降り注ぐはずだが、魔法陣の反応はない。
アマテルは消滅し始める追雷陣の弱点を思い出しながら、素早く探査魔法を展開しようとする。
だが、それより早くアマテルから向かって右側の建物が砕け、その中から清姫の姿が現れる。
「っ! 弾けっ!!」
アマテルは反射的に魔鏡・ヤタを清姫のほうへ向け、その機能を発動する。
果たして反射は機能し、清姫の動きを反射する。
建物の壁を破砕した、右腕の動きだけを。
勢い良く後方に弾かれる己の右腕を見て、清姫は薄ら笑いを浮かべる。
「……その鏡、どうやら動いているものしか反射できないようですね?」
「くっ!」
慌てて清姫の間合いから離れながらも、アマテルは悔しそうな表情を隠せずにいた。
清姫の推察どおり、あらゆるものを無条件に反射する魔鏡・ヤタの反射能力は、動いているものにしか作用しない。
制止している物体や魔法、人物に対して反射は作用しない。そして動いていると言ってもその場で回転を続けているようなものも反射できない。
他にも、今しがたの清姫のように、体の一部分が反射されても他の部分が動いていない場合、体全体を弾き飛ばすといったような使い方は出来ない。使いようによってはチートに近い働きの出来る反射の能力も、仕掛けが理解できれば対策などいくらでもあるというわけだ。
アマテルも、その点は熟知している。故に、清姫の全身を常に魔鏡・ヤタの姿を写せる位置に立つ。
視線だけでアマテルの動きを追う清姫は、薄ら笑いを深める。
「そして鏡の映る範囲が、効果範囲、と……。迂闊な行動は、死を招きやすいですわねぇ……?」
「……鏡の効果がばれるくらいは想定の内だよ」
アマテルは気丈に清姫に言ってのけるが、内心の冷や汗を止めることは出来ない。
割合短時間のうちに、魔鏡・ヤタの能力を分析するあたり、頭は悪くないようだ。あるいは勘働きに近いのかもしれないが、自身の動きで反射の能力を実験する度胸と、アマテルの動きからその効果範囲を察する観察眼は本物だろう。
空の見える場所でしか効果を発揮しない追雷陣の弱点を突くような行動も引っかかる。たったの一撃でその弱点を見抜いたと言うのであれば、恐るべき洞察力だ。どのような初見殺しでも、殺しきれなければ即座に対応されてしまうかもしれない。
アマテルは次に切るべき手札を慎重に選びながら、その間の時間を稼ぐべく口を開く。
「……そちらの一太刀だって、私には重過ぎるくらいだけれども当たりはしないよ。光は速さの象徴。固定砲台な私でも、その一撃をかわしきるくらいの速度はあるさ」
「ああ、ピカピカと誘蛾灯かなにかのようにわずらわしいのが、そのまま貴女の属性ですか? 着飾れなければ誇れない、貴女らしいお姿ですこと」
蔑むような笑みを浮かべながら、清姫はアマテルの姿を揶揄するようにくすくす笑いを浮かべる。
確かに、天女の羽衣のようにゆらりと動く、ふわふわとした衣装は傍目には派手に見えるだろう。衣装の端々には金細工も用いている。それが痛々しいと言う意見もあるだろう。
だが、アマテルにとってはこの姿は空を目指す天女のように、頂点を目指す決意を示すもの。それを汚すような清姫の言葉に、彼女の瞳は剣呑さを増してゆく。
「言うじゃないか、負け犬風情が……。リュージの目にもかからない程度の存在だろう?」
「目に、かからない……ですって……?」
アマテルの挑発に、清姫の目の色があからさまに変わる。激しい憎悪のような、濁り腐った感情が露になる。
それを見てほくそ笑みながら、アマテルは言葉を重ねた。
「ああ、そうさ……君はリュージの眼鏡に適わなかったんだろう? そうでなければ、リュージがここにいるはずないさ。今頃、君の流派も安泰だったろう……? だが結果はどうだ? 君はリュージの視界の端にすら収まれなかった……。憐れみすら覚えるよ」
「黙れっ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
アマテルの簡単な挑発にあっさりと乗り、清姫は髪を振り乱し、半狂乱になりながら叫び声をあげる。
その隙に、次に放つ魔法の準備を進めるアマテルであったが、清姫は顔を上げると目を見開きながら甲高い声で叫ぶ。
「力が足りなかったと言うのであれば、今が照覧の時なのよ!! あの方の御眼鏡に適うかどうか、その試金石にしてやるわ!! クズ石程度で、受け止められるかしら我が一撃がぁぁぁぁぁ!!」
清姫は叫びながら、手にしていた刀を逆手に持ち、その刀身を体で隠す。
そのまま体勢を低くし、残った腕で地面に爪を立てた。
「蛇走・オロチナギィィィ!!」
そして次の瞬間。おぞましいほどの速度で清姫は、地面を這うようにアマテルへと接近していった。
「ッ!?」
「シャァァァァァ!!」
甲高い蛇の威嚇音のような声と共に襲い掛かる斬撃。
アマテルは辛うじて魔鏡・ヤタの鏡面でその一撃を受ける。
だが、地面を這うような音は彼女の背後を迂回するように遠ざかり……そしてすぐに近づいてくる。
アマテルが振り返るより早く、地面から伸び上がるように刀が一閃される。
ヤタの鏡面で清姫の刺突を受け止められたのは、幸運と言うより他はない。
「つぅっ!?」
危うく取り落としかける魔鏡・ヤタを何とか抱え込みながら、アマテルは地上での攻防を諦める。
(想定外なんてもんじゃない……! こんなの、想像できない!?)
地を這う、蛇のような異様な動き。左手と両足で、どうすればそんな動きが出来るのか疑問の方が先に立つほどに素早い。
これが、単に素早いだけなら魔鏡・ヤタの反射で多少は対応可能だが……問題は、体勢の低さだ。
異様な速度を誇る今の清姫を魔鏡・ヤタに捉えるのに、斜めに構え直す必要のある清姫の体勢の低さは致命的となる。
体勢が低いだけでも問題だと言うのに、清姫はその状態で斬撃まで放ってくる。体を使って隠された刀の剣閃は、初動を捉えられないだけだというのに、斬撃の軌跡すら見えない。
純粋技量に長ける清姫相手では後手に回らざるをえないのに、敵の攻撃に対応できないのは致命的過ぎる。何とか攻撃範囲外に逃れ、相手のペースを乱さなければ一方的に嬲り殺されてしまう。
先ほどまでチャージしていた魔法を放棄し、ノンチャージで使用できる魔法を地面に向かって叩きつける。
「フラッシュ!!」
アマテルが叫ぶと同時に地面の一点が強く輝く。
ストロボのように光を焚くことで、相手の視界を一瞬だけ奪う魔法だ。敵がNPCならば強制的に動きを止めることが可能だが、地面に伏せた体勢の清姫にどこまで効果があるのかはわからない。
だが、何もしないよりましだろう。フラッシュが発動するのと同時に、アマテルは空へと飛び上がる。
僅かでもいい。刀の間合いから遠ざかり、そこから一撃でも放てればいい。
……そんなアマテルの淡い希望は、脆くも崩れ去る。
「シィィィィ!」
「っ!?」
建物の壁から聞こえてくる威嚇音。地面のみならず、壁すら這って上った清姫はあっさりアマテルの頭上を取り、再び彼女の頭を割らんと刀を振り下ろしてくる。
先ほどの、刀の刃だけが襲うような生易しい斬撃ではない。大蛇がこちらを頭から丸呑みにするように、体全体でぶつかってくるような、そんな一撃だ。
アマテルは悲鳴を飲み込みながら、魔鏡・ヤタで清姫の一撃を受け止める。
鏡面の軋むいやな音を立てて魔鏡・ヤタが歪むがその程度でこの遺物兵装は壊れたりはしない。切り札たるもの、あっさり破壊されるようでは困る。
――だが、それを支えるアマテルの腕はそうはいかない。
先の斬撃も受けきれないアマテルの細腕で、清姫の体重を支えられるはずもない。魔鏡・ヤタを握っていた腕は、清姫の斬撃の重さに負け、鏡から手を離してしまう。
「ァ――」
一瞬、時間が止まったように感じるほど、ゆっくりと清姫の刀が動いてゆく。
アマテルの顔の横を通り抜け、鋭い刃はまっすぐに、アマテルの肩へと吸い込まれてゆく。
アマテルの肩に鈍い衝撃が襲い掛かった瞬間、世界は速さを取り戻す。
「――ァァァアアア!!??」
鈍い衝撃が過ぎ去った跡には、辛うじて繋がっている己の右腕だけが残される。
叩きつけられた斬撃の導くままに、アマテルの体は地面へと叩きつけられた。
その衝撃で魔鏡・ヤタを取り落としたアマテルは、肺の中に残った空気を吐き出しながら、目を白黒させる。
「ゴ、ホッ!?」
痛みはない。衝撃だけだ。
だが、動くことは出来ない。なぜならば、倒れた彼女の胸を、清姫が容赦なく踏み抜いたからだ。
「グガッ!?」
「いい声で鳴きますわね……貴女」
逆光により表情の見えない清姫であるが、笑っていることだけはわかった。
何故なら、紅い三日月を描くように、彼女が深く笑みを浮かべているのだけははっきりと見えたからだ。
笑顔だけが見えるという不気味な状況の中、清姫はゆっくりと刀を振り上げる。
「実力の差は、理解できましたわね? では、死になさい」
「く……ぐ……!?」
アマテルは反論の言葉を放つことが出来ず、ただ、清姫の刀が振り下ろされるのを見ていることしか出来なかった。
「……やはり、首は飛ばないのね」
HPが0となり、強制的に半ログアウト状態となったアマテルを見下ろし、清姫はつまらなさそうに呟く。
出来れば首を跳ね飛ばし、適当なところに蹴飛ばしてやりたかったところだが、そうしたグロ表現が出来るようには作られていないと言うことだろう。
清姫はアマテルの体から足を退け、刀を鞘に収めながらその場を離れる。
ちょっとした挨拶代わりに、アマテルを尋ねてきただけだったはずだが、存外熱くなってしまった。清姫は苛立たしさを散らすように舌打ちをする。
師匠にも口をすっぱくしながらよく言われるのだが、清姫は激情を押さえ込むのが苦手であった。
ちょっとした挑発にも、あっさり乗ってしまう。この性格は、時として大きな力を生むが、多くの場合において欠点としてしか機能しない。
「……ああ、いやだ。あの程度の挑発、受け流せるようになりませんと……」
清姫はため息を吐きながら、路地裏を出る。
そして、クルソルを取り出し、何枚かある画像データの内の一つ、アマテルが映っているものを削除する。
「まずはこの女……そして次は……」
清姫はカレンが映っている画像データを選択しながら、裂けるような笑みを浮かべる。
「フ、フフ……フフフ………」
笑みを浮かべながら、清姫の姿がニダベリルの雑踏の中へと消えてゆく。
次の瞬間には、彼女がそこにいたと言う証拠すら確認できなかった。
なお、決闘で半ログアウトに陥った場合、大体二、三分程度で復帰できる模様。