log170.乙女、出会う
イノセント・ワールドのクルソルで確認できるフレンドリストでは、誰と誰がパーティーを組んでいるかといった情報も表示される。
このシステムの便利な点は、接点がないと思っていたプレイヤー同士に意外な関係があると知ることが出来ることだろうか。
まったく違うギルドに所属しているフレンド同士がパーティーを組んでいるとなれば、その二人の間にどのような親交があるのか、気にならない人間はそうはいないだろう。
それを確認したところで、その二人のところに向かってみても良いし、あるいはどちらか片方にそのことを問いかけても良いだろう。その結果、新たな交友関係が広がってゆくかもしれない。……その逆もありえるかもしれないが。
RGSに所属するアマテルが、ニダベリルにあるRGSのギルドハウスから駆け出したのも、そのシステムで、カレンとリュージがパーティーを組んでいるのを確認したからだ。
最も厄介な恋敵はソフィアであるが、カレンに先行を許した覚えもない。カレンもよきフレンドであるが、リュージに関わる出来事で容赦する義理があるはずもない。
「コータとレミにメールしてみても、返信なし……。今まさに、皆で行動してるってことだよね」
悔しそうに歯軋りをしながら、アマテルはリュージたちの位置情報を確認する。
場所はヴァナヘイム。位置はフリーダンジョン。そこまで確認し、アマテルは舌打ちする。
ヴァナヘイムのフリーダンジョンは浮島か海底洞窟の二択になる。他の場所と違い、その範囲を細かく絞れないとリュージたちのパーティーを探すのはかなり困難である。
とはいえ、向かわないという選択肢はない。
「私、呼ばれてない……。リュージ、今からそっちにいくから!」
光属性を持つ彼女のスキルの一つに、クルソルワープに似たものがあるのだが、それを使えば適当なフリーダンジョンのそばに転移が可能なのだ。クルソルワープでは街から街にしか移動できないが、このスキルであれば運が良ければ一発でリュージたちに合流できる。
一度、街の外まで移動しなければならないのが難点だが、今は少しでも早くリュージの元へと急ぎたかったアマテルは一声咆え、そのまま一直線に駆け出そうとする。
そんな彼女の耳元に、囁くような声が響き渡る。
「――もし、貴女」
「………ッ!?」
ほとんど密着しているような距離でかかる吐息の熱さに、アマテルの背筋に怖気が走る。
慌てて彼女が振り返ると、そこには一人の女剣士が立っていた。
身長から推察するに、十代半ば頃だろうか。巫女服を意識したような出で立ちは、黒と白のみで化粧を施されている。一瞥しただけでは、喪服かなにかのような印象も受ける。
顔の片側を、巨大な御札のようなもので隠しているが、こちらを見据える切れ長の瞳と、風に揺られて見え隠れする整った顔立ちから、恐らく美人と形容すべき容姿の持ち主だということが窺える。
だが、彼女が纏う雰囲気は、到底少女と呼ばわるのに適したものではなかった。
RGSの本拠地の入り口は人通りのない、あぶれたちが暮らしている区画の一角に存在するため薄暗いのであるが、それを差し引いたとしても彼女が背負う影は尋常なものではなかった。
目の前の存在の不穏な気配に、反射的に戦闘態勢を構えながらアマテルは誰何する。
「ッ……! 誰、貴女!?」
「今、少し気になる名前を口にいたしませんでしたか……?」
だが、目の前の少女はアマテルの言葉を無視して、軽く微笑みながら問いかけてくる。
「そう……リュージ、と」
「なに?」
「リュージと、そう口にいたしませんでしたか……?」
少女はうっすらと笑みを浮かべながら、一歩前に出る。
目の前の少女の存在に気圧されるように一歩下がりながら、アマテルは彼女に応える。
「ああ、口にした。それがどうかしたの?」
「そう……なら、貴女が……話に聞くソフィア、さん?ですか……?」
ソフィア、の名を口にした途端、目の前の少女が纏う気配がどす黒く濁る。
アマテルは、思わず一瞬目を伏せかける。自らが目指す光の輝きとはまったく違う。
それは、まさに闇。どこまでも深い、深い、深淵の淵を覗き込んだ時のような。ありえないほど、暗く、深い。感じたことのないような、怖気の走る、おぞましさ。
一体何があれば、そんな気配を纏えるのか。アマテルは目の前の少女から目を離さぬよう気を張り、彼女の質問に答えた。
「……いいや。私の名前は、アマテル、だ……。私を注視すれば、名前は見えるだろう?」
「あら、そうですか……。名前に関しては注視だけでは当てにならぬと伺っていたものですから。ごめんなさいね」
少女は一言謝罪する。その謝罪と共に、彼女が纏う気配が一気に薄くなる。
つまり、今の感覚は彼女が意図的に発していたということだろうか。ありえない、とアマテルは心の中で呟く。
相手を威圧し、動きを制限する類のスキルは確かに存在する。だが、それは肉体的精神的な状態異常を相手に与えるタイプのものである。アマテルが状態異常になったなどと表示されてはいないし、何よりスキル発動を行った気配がない。
イノセント・ワールドにおいては、スキル名を叫ぶことがスキル発動の前提となる。それがない場合は、スキル名を叫ぶという行為を何らかの動作に割り当てることでスキルの発動を行うことはできる。
だが、目の前の少女はそのどちらも行った様子はない。ただ、立っているだけでこちらを威圧してきたのだ。
一体、どのようなからくりだというのか。だが、少女はすでにアマテルに対して興味を失ったようだ。
「あの方のそばを飛び回っている羽虫の一匹だと聞いていたけれど、容姿だけではやっぱり探し当てるのは難しいのかしら……」
アマテルにくるりと背中を向けると、少女はニダベリルの路地裏に消えようとする。
アマテルは、そんな彼女の背中に声をかけた。
「……待ちなさい。あなた、ソフィアと会ってどうするつもり?」
「どう……? 妙なことを聞くのね」
少女はアマテルの声に反応し、振り返りながら笑みを浮かべる。
口が裂けたかのように、大きく弧を描く不気味な笑みを。
「あの方……リュージ様の周りを飛び回る羽虫を潰すのです。あの方に、自分が嫁だなどと流言を吹聴させているようですし、入念に……ね」
「……そう」
アマテルはピクリと眉を跳ね上げる。
少女の返答の中に、自身もよく知る気配を感じる。
ひどく濁った色の中に、微かに浮かぶ、淡く、暖かく、心地よいあの気配。
人はそれを、恋心、と呼ぶ。
「なら、行かせる訳にはいかないね」
「あら? 何故かしら?」
アマテルは、背筋を伸ばし、まっすぐ立つ。
先ほどまで恐れていた彼女を見据え、きっと目を見開く。
「あなたの言う羽虫が、ここにもいるからよ」
「あら? 貴女……見逃してあげているのだけれど?」
少女はにやりと笑みを浮かべながら、ゆっくりと目を細める。
彼女の瞳の中に、剣呑な気配が宿るが、先ほどまでと異なりアマテルは一切怯まない。
「見逃す? それはこちらの台詞だ。ソフィアを狙わないのであれば、見逃してやっても良かったけれど……彼女を襲うというなら、話は別だ」
「ほぅ。何故です?」
「簡単さ」
アマテルはにやりと笑い、はっきりと告げてやる。
「横恋慕が許される免罪符は、誠実さだからさ。そんな汚泥のような汚いやり方、見過ごせるわけないじゃないか」
「――――」
少女の持つ気配が、がらりと一変する。
先ほどまで纏っていた、ドロドロと濁ったような暗い気配は、刀のような鋭い殺気へと様変わりする。
少女の興味をこちらに引く事に成功したアマテルは、笑いながら魔法発動の準備をする。
「これで貸し一つだ、ソフィア」
ここにいない恋敵に向かって呟きながら、目の前の少女を睨み付ける。
少女は、ゆっくりとした動作で腰の刀に手を伸ばし、それを引き抜いているところであった。
なお、少女の着ている装束は、神宮派の正式な道着の一種である。