log168.悩める乙女
「やあ、ソフィアちゃん! 今日はどうかしたのかい?」
「ああ、いえ。その……ハハハ」
街角の一角にポツリと存在するカフェに席を取ったスノーとソフィアは、オープンテラスに腰を落ち着ける。
全身が丸っこく、椅子に座るのも億劫そうな風体のスノーであったが、慣れているのか椅子に悲鳴を上げさせながら座ると、メニューからケーキセットを選んで注文し、それから首を傾げるような動作をしながらソフィアのほうに表面を向けた。
「今日はリュージもログインしているようだけれど? 何かあったのかい?」
「あー、いえ。なんといいますか……」
何も知らないスノーの言葉に、ソフィアは気まずそうに言葉を濁す。
まさか悪友の一計に乗っかり、リュージの嫉妬心を煽るために呼び出したなどとは口が裂けても言えない。
苦心に苦心を重ね、何とかひねり出した話題は、先ごろのリュージとの決闘の話であった。
「じ……実は、この間、リュージと決闘してみまして……」
「お! そうなのかい? で、どうだった?」
「結果はボロ負けでしたよ……。格の違いをまざまざと見せつけられたような形でした……ハハハ」
決闘の話題に食いついてくれたスノーに感謝しつつ、素直な感想を述べるソフィア。
「正直、あれに追いつけるイメージがまったく湧きませんね……。大剣とはいえ、剣一振りでスキルを圧倒されるなんて……何度か見たことはあっても、自分がその対象になると、恐怖が二倍三倍になりますね……」
「ある一定以上のレベルの決闘者となると、スキル斬りはごく当たり前になるからねぇ。もし、対人戦闘を極めたいと考えているのなら、リュージのような戦い方は必須だよ」
「恐ろしい世界ですね、イノセント・ワールド……」
イノセント・ワールドの決闘の巷は、ソフィアの想像以上に恐ろしいところらしい。
スノーは軽く笑いながら、簡単にイノセント・ワールドの対人戦闘の仕来りを説明してくれる。
「決闘の基本は一対一。時間は、場合によりけりではあるけれど、無制限のことが多いね。勝負本数は一本勝負が大体だ」
「そのあたりは想像通りですかね……」
「そうだろうね。そしてイノセント・ワールド内での決闘者のランクだが……これは、大ギルドの一つである“レイヴンズ・アリーナ”が取り仕切っている。実力ごとに階級が定められ、規定回数勝利し、階級ごとに定められた試験をクリアすれば、次の階級に上がれるというシステムだ。レイヴンズ・アリーナは、決闘観戦の胴元も取り仕切っているので、決闘に勝利すれば褒章が入手できる。自信があるなら、それでイノセント・ワールド内の生計も立てられるよ」
「それはそれで面白そうではありますがね……」
ソフィアは苦笑しながら首を横に振る。
「それだけの実力は、私にはないでしょう。そこで実力を磨くのも悪くはないかもしれませんけれど……そんな時間は、さすがにないですし」
「だろうね。それに、レイヴンズ・アリーナの階級制度は、御世辞にも評判はよろしくない。アリーナ内の階級ごとにカースト制度にも似た上下関係があり、アリーナでの決闘には八百長疑惑もある。まあ、プロレスのような興行を行っているギルドとしては、かなり優秀なギルドなんだけれどね」
「どの世界にも、そうした腐敗した部分はあるのですね……」
「悲しい話だけれどね……。レイヴンズ・アリーナに所属していない決闘者や、野良決闘でのランクなんかは、イノセント・ワールドで出版を行っているギルドの記事を参考にしたほうがよいだろうね。最近だと、週間・決闘日和という記事がよい出来だよ」
「へえ、そうなのですか」
スノーが取り出したビラ記事にも見える出版物を受け取り、軽く記事の中身を眺めてみる。
記事に載っている決闘者の人数こそ少なめであるが、書き手の誠実さが伝わる良い記事である印象だ。
ただ、約一名の決闘者の分析だけは妙に力が入っているというか、ずいぶんと熱の篭った書き方がされていた。その決闘者のイニシャルはSさんとなっているが、記事と一緒に載っている決闘者の写真は、顔の見えない角度であったがセードーであることが窺えた。
その事に驚きつつ、ソフィアは礼を言いながらスノーに決闘日和を返した。
「ありがとうございます。……つまり、イノセント・ワールドのシステムには、決闘者同士のランクというか、上下を定めるようなものは存在しないのですか?」
「そうだね。決闘というシステムこそ存在はするけれど、その優劣を数字として競い合うようなシステムは存在しないよ。運営は、決闘をクルソルを介したメールや掲示板のような、コミュニケーションツールの一種として捉えているようでね」
「決闘を? 運営は何を考えているんです?」
呆れたようなソフィアの一言に、スノーは同意するように頷いた。
「まあ、闘争は人類の最古の対話手段の一つとも言われているからね。力関係を明確にするためには、最もわかりやすく単純でもある。そして、同時にゲームとしては荒れ易い話題の一つだ。運営が用意したシステムで強さのランクが計れると、どうしてもその稼ぎに効率を求めるものが出るし、システム上にご褒美とかがあろうものならば、もう目も当てられない事態になるだろう。対人戦闘システムが原因で荒れ、廃れたMMORPGは枚挙に暇がないからね」
スノーは苦笑しながら、肩をすくめた。
「それを考えれば、対人戦闘システムを用意しただけ、というのは英断……は言い過ぎにしても、良い判断ではあると思うよ。イノセント・ワールドのシステムはそんなものばかりだけれど、後の判断や行為行動をプレイヤーに一任するようにしておけば、運営は複雑なバランス調整を考える必要はないからね。もちろん、対人戦闘において凶悪すぎるような組み合わせやバグなんかが発見されたらそれを修正するくらいはしてきたけれど……一部のバグなんかは、仕様として組みなおされたりしているしね。ハハ」
「バグを仕様にって、なんですかそれ」
おかしそうに笑い始めたスノーの言葉に、ソフィアは一つため息をつく。
バグを仕様にするとは、どのような判断なのだろうか。
昔のゲームには、バグはバグでも面白いバグが多いゲームが存在し、バグまで含めて仕様、などと冗談交じりに語られたことがあると聞いたことはあるが、運営が積極的にバグを仕様に整えなおすなど、聞いた事がない。
スノーは呆れた様子のソフィアを見て、それがイノセント・ワールドなのだ、と語る。
「そのバグだって、修正できないわけじゃなかったんだけれど、プレイヤーにとっては有益で、残して欲しいという声が多かったのさ。運営はプレイヤーたちの声を聞き、問題がないと判断したうえで、そのバグを残したんだ。イノセント・ワールドという舞台を用意し、それをより良くするするための努力の一環として、プレイヤーの声を積極的に取り入れる。そうした運営の努力は、私には好ましいものに思えるよ」
「……なんというか、色々と奇想天外なゲームですよね。プレイヤーの発揮できる能力といい、決闘のシステムといい……」
「違いない」
驚くのにも疲れた、といわんばかりの様子でソフィアはもう一度ため息を吐く。
スノーはそれに同意するように笑い、それからソフィアに一つ問いかける。
「……少し、気は晴れたかな?」
「え?」
「いや。なんだか、ずいぶんと悩んでいるように見えたからね」
丸いフルフェイスヘルメットの奥で、小さく微笑んだような気配がする。
「親しい仲間たちとずっと一緒にいられるとはいえ、彼らにも打ち明けられない悩みの一つ二つはあるさ。私がそれを解決できるとは思わないが、少しでも気が晴れるのであれば、いつでも頼ってくれていいんだよ?」
「は、はあ……ありがとうございます」
スノーに内心を言い当てられ、ソフィアは呆然としながらも礼を言う。
スノーは立ち上がると、近くを通りがかった店員に会計を済ませると、ほとんど手付かずだったケーキセットを御土産代わりに包んでもらい、ソフィアに片手を振って別れを告げる。
「すまないが、私はそろそろ時間になるから仕事に行く事にするよ。代金は払ってしまったから、ソフィアちゃんはゆっくりしていくといいよ」
「重ね重ね、ありがとうございます」
「気にしなくていいよ。それじゃあね」
スノーはもう一度笑うと、そのまま丸っこい鎧を揺らしながらカフェから立ち去っていく。
あっさり悩みを看破されてしまったソフィアは、立ち去るスノーの背中を見送り、一つため息を吐いた。
「リュージにも、あれだけの落ち着きや気遣いが出来る心があれば……いや、無理かな。ハハ」
ソフィアの口からこぼれたのは、乾いた笑みであった。
口に運んだケーキが塩っ辛いのは……きっと涙の味だろう。
ちなみに、ソフィアたちの入ったカフェでは塩入ケーキなるものが流行っているとかいないとか。