log165.狼道と許婚
「ハッ!?」
決闘に負けたソフィアが気絶していた時間は数秒。決闘部屋では、プレイヤーはすぐに目を覚ますことが出来る。
目を覚ましたソフィアはゆっくりと体を起こし、ぐるりと辺りを見回す。
「お? ソフィたん、起きた?」
リュージの姿はすぐそばにあった。といっても、手の届く範囲ではない。起き上がり攻撃でも警戒しているのか、焔王を杖のようにして体重を預けていた。
自分に警戒しているリュージを見て、ソフィアは少し頬を膨らませる。
「何故そんなに離れているんだ。別に、起きてすぐに斬りかかるような真似はせんぞ?」
「いや、あんまり近くにいると、色々我慢できないかもしれないし?」
「ふぅん?」
リュージの不穏な発言に、ソフィアは一瞬眉尻を跳ね上げる。
無論、気絶している自分に狼藉を働こうものならば、一刀ぶちかますくらいはしていただろう。
だが、そういった不埒な真似をしないのもリュージだ。彼曰く、反応がないのは寂しいのだそうだ。
ソフィアはしばしリュージを睨んでいたが、首を振って気を入れなおすと埃を叩きながら立ち上がった。
「まあ、なんであれ私の負けか……。やはり強いな、リュージ」
「それほどでも? ソフィたんに頼られるくらいの、強くてでかい男になるのが現在の目標ですから」
リュージはからからと笑いながらそんなことを言ってのける。
ソフィアも彼の言葉に照れたように笑い、それから真剣な表情で先の決闘の内容について触れ始めた。
「それにしても、やはり恐るべきは純粋技量か。こちらの放ったスキルをことごとく無力化されるとは思わなかった」
「このゲーム、スキルにも当たり判定があるから物理的に相殺可能なんだよねー。やろうと思えばレーザー系のスキルだって打ち消せるのよ」
「レーザーもか? いや、風の太刀を消されてるのだから不思議ではないのかもしれんが……うぅむ」
ソフィアは難しい顔で首を横に振る。
レーザーは光、つまり物質的な質量が極めて軽い攻撃のはずである。それを物理的に相殺するとはいかなる矛盾なのだろうか。まあ、オチとしては光速で剣を振るって真っ二つにするとかそういう方向なのだろうが。
「けど、純粋技量だって万能じゃないのよ? いわゆる飛ぶ斬撃ー、みたいな、本当に誰にも再現ができない系統の技術は誰にも出来ないわけで」
「誰にも出来ないって、どういうことなのだ……?」
「うーん、俺にも説明できない。水の上を走るくらいは出来るらしいんだけど、空を飛び跳ねるのは無理だって聞いたことはあるよ?」
「セードーは跳んでなかったか……? いや、あれはスキルか。そのあたりの垣根は、はっきりと判明しているわけではないのか?」
「うーん。そもそも、純粋技量を完全に極めきった人間、ってのがいないからなぁ。いや、いるにはいるって聞いたんだけど、プレイヤーじゃなかったらしいし」
「うん? この間出てきたらしい、プレイヤーボスという奴か?」
「らしいよ? 何でも、当時のイノセント・ワールド全プレイヤーと戦って、ほぼ無敗って化け物。無属性の時間停止すら純粋技量でぶっちぎって殴り飛ばしたとか何とか」
「無属性の時間停止……? なんだ、その物騒な響きは」
「言葉の通り。特異属性の一つの、無属性は時間と空間を操る能力があって、無属性のラインの一番奥の方に時間停止のスキルがあるのよ」
「物騒極まりないな……。そんなの発動されたら勝てないじゃないか」
「タイマンだと厳しいらしいけど、時間停止中はスキルが使えないらしいから徹底的に鍛え上げた物理防御があれば凌げるらしいよ? クールタイムは長めらしいし」
「それ専用の装備が必要じゃないか……」
現実的な話ではない。だが、かつて覇王と称されたプレイヤーがいた時代、彼を倒すためだけのスキルビルドや装備構成を研究されていたこともあったとリュージは語った。
「覇王ってプレイヤーは時間停止の使い手だったらしくて、それに負けて悔しがった連中が必死こいて時間停止の破り方を研究してたんだって。俺が言った防御ガン上げもその研究成果の一つ。まあ、実際にやってみたら覇王さん、徹底した削り戦術を取り始めたとかで、最終的に競り負けたらしいけど」
「まあ、そうなるわな……。だが、純粋技量はそれ単体で時間停止を打ち破る、か」
「あくまで理論上は、の話らしいけどね。今のところ、それが出来るだけのプレイヤーはいないし」
「想像の上に生まれた技術や産物が、それに類似するとはいえ人間の業で打ち破れるというのは、なんというか面白い話ではあるがな」
ソフィアは純粋技量の可能性に小さく笑い、そしてリュージが自身を倒した技について言及する。
「ちょうど、お前が最後に使ったあの技のようにな。あれも、純粋技量の産物だろう? 剣を握る手のスイッチングなど、即興で出来る技では――」
「ああ、いや。あれは現実に存在する技の一つよ?」
「……ん? 聞き間違い……か?」
「んにゃ。あれは神宮派形象剣術・狼道の技の一つ、双狼斬。刀を持つのとは逆の手も使って、普通の斬り返しよりもはるかに素早く敵を二度斬る大道芸だよ」
「大道芸ってお前……」
自分の使った技を大道芸と評するリュージに、思わずソフィアはあきれてしまう。
まあ、傍目には確かに大道芸の類だろう。一度薙ぎ払うように刃を振るったはずが、次の瞬間には斬撃が交差するように斬り返しているのだ。常人には何が起こったのか理解も出来ないだろう。
必殺技と言えるかといえば微妙な立場の技でもある。リュージにはすでにパワークロスや秘剣・龍下ろしがある。斬撃を一点に重ねることで威力を単純に二倍三倍にするこれらの技の前には、素早い二連撃程度では下位互換と言わざるを得まい。
……だが、これを現実で使えるのであれば話は別だろう。パワークロス等はイノセント・ワールドのシステムがあって始めて成立する技。現実では逆立ちしようとも実行は出来ない。
対して双狼斬は神宮派形象剣術の技だとリュージは言った。ならば、現実でも使用可能な技であるはずだ。現実で双狼斬を放たれては、恐らく対処は難しいはずだ。先ほど、ソフィアがあえなく斬り倒されてしまったように。
「芸と言うには、いささか殺気が強すぎるだろう。防御不可能の逆胴などかまされては、死ぬ以外に道はないぞ?」
「まあ、剣呑なのは認めるよ。御袋が知ってる狼道って、そう言うのばっかりだから。何でも、実戦剣術として継承されるんだと」
「ふむ? それを知っているということは……やはりきちんとおば様に師事したのか?」
「ううん。前に、御袋が目の前で使ってる技を目コピして使ってるの。なんで、要訣とかはわりと無茶苦茶だと思う」
「この場合、無茶苦茶なのは恐らく秘技の類を目コピで実現してしまうお前のほうだと思うわ」
リュージのまさかの発言に、ソフィアはジト目で彼を睨み付ける。
恐らく、初代から連綿と続く神宮派形象剣術の継承者たちの努力を全力で踏みにじっているような気がしてならない。技として破綻していなかったようだったので、恐らく完コピなのだろうが、それはそれで血の滲む努力を技の取得にかけたであろう先代の神宮派形象剣術の使い手たちが浮かばれない。
「だが、珍しいな? お前が実家の技を使うなど。確か、よい思い出がないのでなるべく封印したいと言っていなかったか?」
ソフィアは首を傾げながら問いかける。
詳しい事情は窺っていないが、現在の辰之宮家は神宮派形象剣術の本家とほぼ断絶状態にあると聞いている。その関係で、リュージもなるたけ神宮派形象剣術の技は使わないようにしているし、剣道などの剣術に関連のある競技にも助っ人しないと言っていたのだが。
ソフィアの指摘に、リュージは一つ頷き、こう言った。
「うん、ちょっとした勢いづけみたいな感じ。今日、言いたかった事に関わりがあってね」
「ああ、言っていたな。一体、なんだ?」
「いや、実は、本家にいる俺の元許婚がイノセント・ワールドにログインしているらしいって、この間フレの一人に聞いて」
「「「許婚ぇぇぇ!!??」」」
リュージの言葉に、彼の前に立っていたソフィアも、スタンド席の方で光学迷彩魔法で隠れていたカレンとアマテルも、悲鳴じみた叫び声を上げる。
場の空気は一瞬で凍りつき、ソフィアはゆっくりとスタンド席に振り返り地獄の低音で呟いた。
「………………なんでお前らがここにいる………………?」
「いや、それは、ほら、色々あって?」
「そんなことより! 許婚、ってどういうこと? リュージ!」
凍てつきそうな波動を静かに放つソフィアも物ともせず、アマテルはリュージの胸倉を掴む勢いで駆け寄ってきた。
カレンはソフィアを何とか宥めようとしているが、気はそぞろなようだ。リュージの次の言葉が気になって仕方がないのか、ちらちらと彼の方を窺っている。
勝手に閉まるはずのない決闘部屋の扉が勝手に閉まった辺りでなんとなく察していたリュージは、二人の登場に対して驚いた様子もなく、あっけらかんとアマテルの質問に答える。
「なにってそのまんまの意味。まあ、昔にその関係でトラブって、そっから絶縁状態だから許婚なんてほとんどなかった話だけどな。昔はそういう話もあったってこと」
「そうなんだ……」
「まあ、よかった? っていうべきかい?」
「私に振るな、私に……」
ソフィアは想像もしなかった乱入者の登場にご機嫌斜めであったが、リュージの許婚と言う言葉は気になるのか、彼をちらりと見やりながら問いかける。
「……今は、連絡も取っていないんだよな?」
「おう。こっちはもちろん、向こうからの接触は全面的に禁止されてる。仮に俺の周辺で本家連中が何らかの活動を行っていることが確認されたら、神宮派形象剣術は法的に解体処分を受けて、歴史の闇に埋葬される事になってる」
「一体何事だい……?」
「歴史の闇って……」
リュージと神宮派形象剣術の本家は、なにやら根深い関係にあるらしい。
ともあれ、今は関係ないという彼の言葉に一応胸を撫で下ろす少女たちであるが、それでも彼が何故今この話題を口にしたのかは理解した。
長く交流が断絶していた、神宮派形象剣術の本家の少女がイノセント・ワールドをプレイし始めた。これは確かに、気になる話だ。
「まさか、リュージを狙って……?」
「いや、リュージの言葉を信じるなら、活動確認と同時に解体されるんじゃ?」
「けど、その取り決めってもっと昔に決められたんじゃないかい? 誓約文の中にイノセント・ワールドとかのMMORPGが含まれてなかったら……」
リュージとの関係修復を狙ってインし始めたなどとは、さすがに考えにくいが、万が一もありうる。
ソフィアは三人を代表してリュージを見、彼へと問いかけた。
「どうするんだ? その……元許婚の子は」
「一先ず放置かねぇ? 目的がわかんない以上、こっちから接触しに行くのはご法度でしょ。神宮派形象剣術の名前を隠そうとしなかったのは気になるけど、それ自体に問題はないわけだし……」
リュージ自身も気がかりはあるのか、頬を搔きながらばつの悪そうな表情になる。
だが、薮を突いて蛇が出てきても困る。彼の言うとおり、現状は放置が一番だろう。
「ま、なるたけソフィたんには隠し事もしたくないしね。言いたくないことはそこそこあるけど、これは隠して良いことじゃないと思ったから」
「言いたくないことがお前にもあるんだな……。まあ、私にもあるが」
彼の言葉にソフィアは渋い顔をするが、その心の内はかすかに熱を帯びる。
隠し事をしたくない、と言う彼の真心の現れは、ソフィアの心を少しだけ、熱くしたのだ。
(……ちゃんと、私のことを想ってくれているのだな)
狼藉者登場も一瞬忘れるほど、ソフィアは上機嫌になる。誰よりも、リュージが自分を大事に想ってくれていると、再確認できて。
……その上機嫌も、カレンとアマテルがリュージに抱きつこうとする数秒後には霧散する事になってしまったのであるが。
なお、ソフィアには許婚の類は存在しない。それが決まる前に、リュージが彼女の家に挨拶に現れたためである。