log156.雪男との遭遇
「はぁ……」
ミッドガルドの遊歩道に設置された小さなベンチのひとつに腰掛けているソフィアは、空を見上げて一人ため息をついた。
「暇だなぁ……」
らしくもない、だらけた彼女の呟きを聞きとがめる者は誰もいない。興奮した様子で飛び掛る彼女に恋する少年の姿さえ現れない。
今、彼女の周りに異界探検隊の者たちは誰もいない。珍しい事に、彼女は一人でイノセント・ワールドにログインしているのだ。
コータとレミ、マコの三人であれば、さほど珍しい話でもない。コータとレミは生徒会以外の学校の活動に精力的だし、マコもアルバイトなどをしている。サンシターなんかは、むしろ一緒にインしている時の方が珍しい気もする。異界探検隊の中で、リアルが一番忙しいのは彼だろう。そろそろ大学院のための試験があるとぼやいていたのを聞いたことがある。基本は所属するゼミの教授の推薦らしいのだが、やはりある程度の学力は要するということらしい。大学への進学自体に興味がないソフィアは、話半分でそれを聞いていた。
そして、今日は本当に珍しい事に、リュージもログインしてきていない。
リアルでは日曜日なのだが、昨日に送られてきたメールによると「親父の手伝い」でログインできない環境に曝されるらしかった。
現実のスマホと連動しているクルソルで、そのメールを確認しながらソフィアはポツリと呟いた。
「……今度は何を持って帰ってくるんだろうな、あいつは」
リュージのでたらめぶりはすでに周知のことであるが、彼の父親も大概おかしい。
まず、職業が不明だ。彼の母はある剣術流派……神宮派形象剣術の元師範であるのはソフィアも知っているが、彼の父に関しては一切わからない。何らかの方法で収入を得ていることだけは間違いないらしいのだが、リュージやコハクに話を聞くたび聞くたび、その方法が異なるのだ。
あるときは、荷物を運んでいたというし、一時期は偉い人と一緒に外国を飛び回ったなんて話もある。いくつかの品を手に、仲間と一緒に貿易をしたという話もあれば、一年ほどマグロ漁船で働いていたなどという奇妙な話まである。
いろんな仕事を梯子している、というのであればフリーターなのかもしれないが、それにしてはやっている仕事が多様に過ぎる。今日のようにリュージを伴って仕事にいくときもあるので、謎は深まるばかりだ。
そしてリュージは父親と仕事に幾たび、臨時収入という名の結構な額のお小遣いと、へんてこりんなお土産を持って学校へやってくる。
基本的には片手でも持てるような木彫りの彫像やら、奇妙なアクセサリーに、無難なところでペナントなどなのだが、一回ほど新鮮な黒マグロを学校に持ち込んだことがある。さすがにその時は先生とも相談し、クラスの全員でおいしくいただくこととなった。ちなみに捌いたのはリュージである。
つくづく、一般常識というものからは程遠い立場にいる男だと、ソフィアは呆れたようなため息を吐く。
そんな男に懸想されている自分も、一般とは程遠いのだろうかと遠い眼差しで空を見上げているソフィアに、声をかける者が一人現れた。
「おや? ソフィアちゃんじゃないか? どうしたんだい、こんなところで」
「む――? 悪いが私は……」
その容姿とスタイルのおかげか、ソフィアはリアルでもイノセント・ワールド内でも結構ナンパをされてしまう。
どっちの世界であれ、リュージがいればリュージを投げつけてやるし、一人であっても切れ長の瞳で鋭く睨みつけてやれば大抵の男は怯んで立ち去る。それが効かねば実力行使だが、今回はそのどちらも使用がためらわれた。
「珍しいね、リュージがインしていないのは。何かあったのかい?」
「む、むぅ?」
思わず眼をぱちくりと瞬くソフィア。
彼女の目の前に立ち、親しげに声をかけるのは、頭まで鎧を身に着けた男……のはずだ。
だがその姿は、なんと言うか気の抜けるものだった。
まず目に入るのは、まぁるく形作られた兜。だが真円に限界まで拘ったのだといわんばかりに磨きぬかれたその兜は、完全な球体。視界を確保するために縦に何本か直線の切込みが入っているが、バーコードのようなそれはむしろ曲線を強調するかのように目が入る。
そして胴体部分に目を移すが、そこもまた丸い。胴体はさながら二段重ねの雪だるま。肩やひじの関節を防護する部分もまた丸い。ご丁寧に拳を保護する部分までしっかり丸い。あっちを見てもこっちを見ても、どこまでも丸い。
足の部分もまた丸いが、上半身に比べればまだ丸みは抑えられているように見える。足の太ももを守る装甲も美しい曲線を描いているのだが、そんなものは丸みが甘いと一瞬馬鹿な考えが浮かんでしまうほどだ。
全身の装甲部分の白さも相まって、さながら雪だるまのような様相だ。
季節外れの来訪者の姿にソフィアが呆然としていると、Mr.雪だるまは少し首を傾げるが、すぐに思い出したように頷いた。
「……ああ、そういえば! 君たちに会ったのはこの間が初めてだったね。ちょっと待ってくれ、今名前を……」
「あ、いや、待ってくれ。名前に見覚えはないが、会ったことがある気はするんだ」
Mr.雪だるまが兜を弄り始めたのを止め、ソフィアは必死に目の前の存在に関して思い返す。
といっても、姿に見覚えなどあるはずもない。こんな愉快な見た目をした仲間は、この間の城砦攻略イベントの時に同盟を組んだ着ぐるみ少女くらいだ。
だが、声は聞いたことがある。しかも、つい最近。
(この声……透き通った感じのする、バリトンボイスは……)
「大丈夫かい? リュージはすぐに気付いてくれるが、そんなのは彼くらいで――」
Mr.雪だるまがリュージの名を呼んだ時、不意にソフィアの頭の中に目の前の人物の名前が閃いた。
「―――! レイ! そうだ、あの時の!!」
「お、おお。まさかすぐに言い当てられるとは思わなかったなぁ」
Mr.雪だるまは、ソフィアが叫んだ名前に驚きながらも、クルソルを差し出してその画面に自らのステータス画面を呼び出した。
「君の言うとおり、私の名前はレイ・ノーフェリアだ。しかし、よく分かったね?」
「私の知る限り、リュージの名を呼ぶ男性の知り合いはあまりいませんからね。実際の交友関係はもっと広いんでしょうが、私の名前も知っているとなると、そうとう限られます」
レイの差し出すクルソルを見て、一つ頷いたソフィアは、すぐに顔を上げると奇妙なものを見る眼差しでレイの姿を眺めた。
「しかし、なんですかその姿……。なんというか、受け狙いかなにかですか?」
「ハハハ、もちろん違うよ。表の私は有名すぎるからね。こうして、名前隠しの面でも使わないと、気軽に出歩けないのさ」
そう言いながら、レイは丸い兜を何度か叩く。名前隠しの面とは、兜系防具専用のスキルのひとつ。プレイヤーが取得するのではなく、兜に付与するタイプのスキルで、その効果名の通りプレイヤーの名前を隠し、別の名前を表示するものだ。
名前の表示を変えるという効果を持つため、悪人がこぞって利用しそうなスキルであるが、あくまでプレイヤーの視界に表示される名前を変えるだけであり、IDの変更はできない。覚えるのが大変であるためあまり利用するプレイヤーはいないが、IDの表示をONにしているプレイヤーには名前隠しはあまり効果を為さない。運営は、プレイヤーIDを確認し、BANなどの処置を行うのだ。
だが、レイのようにイノセント・ワールド内で絶大な人気を誇り、出歩くだけで人だかりができてしまうようなプレイヤーには効果絶大だろう。さらに彼は普段の容姿からは想像もできない、言ってしまえば間逆の格好をしている。
恋する乙女がこぞって頬を赤らめるイケメン、レイ・ノーフェリアがこんな愉快な仮装をして往来を歩いているなど、誰も想像しないだろう。
「というわけだから、この格好の時はスノーと呼んでくれると嬉しいよ」
「そうですか……わかりました、スノーさん」
レイ改めスノーの言葉に、ソフィアは頷く。
彼女の返事に、嬉しそうに頷き返しながら、スノーは一言断ってソフィアの隣に腰掛けた。
椅子に座るだけで難儀しそうな鎧を身に着けているスノーであるが、慣れた様子で背もたれに体を預けている。
「よっこらせ、っと……。さて、ソフィアちゃん。今日は一人なのかい?」
丸い見た目に合わせているのか、あるいはこれが素なのか、以前人だかりを率いていた時と比べてはるかに柔らかい口調で問いかけてくるスノーに、ソフィアは頷きながら答えた。
「ああ、はい。皆、用事がありまして」
「ふぅむ。他の子たちはともかく、リュージが君を放っておいて、別行動を取るというのは想像しなかったな」
「ああ、スノーさんもそんな評価ですか……」
スノーの言葉に乾いた笑みを浮かべるソフィア。
彼の馬鹿っぷりは、彼の友人たちにも周知のことであるようだ。
「それはもちろんだ。レベルを下げる直前の頃など、口を開けば君とイノセント・ワールドを遊ぶことに関してばかり言及していたものだよ」
「ハハハハハハ」
乾いた笑い声をあげることしかできないソフィアを見ながら、スノーは楽しそうに頷いた。
「レベルを下げてまで、一緒に遊びたがる子だ。どんな子なのかと思ったが、思っていたより普通の子でびっくりしたものだよ」
「……え? 普通、ですか? 私が?」
スノーの評価に、ソフィアは驚いたように自身を指差す。
自身の出自などを含め、一般には程遠いなどと考えていたところにこれだ。驚きもするものだ。
そんなソフィアを見てますます笑みを深めるように笑いながら、スノーははっきりと告げる。
「ハハハ、そうだとも。なぜなら、一人ぼっちで寂しそうにぼんやりとしている女の子だ。そんな子が普通でなければ、なんだというんだい?」
「むぅ。そんな顔をしていましたか……」
ソフィアは少し唸りながら、顔をぺたぺたと触る。
ソフィアの行動を見て、またスノーは笑う。
「ハハハ。だが、その方がらしいと思うよ? リュージが想いを寄せるのも頷ける。彼も、君のそんな部分に惚れたのかもしれないよ?」
「そうでしょうか……」
ソフィアはひとつ嘆息し、ふとある事に気が付いた。
(……そういえば、この人は私の知らないリュージを知っているのか)
リュージは過去の異名が絡むせいか、あまり昔の知り合いをソフィアたちに紹介しようとはしたがらない。
出先で出会えば、紹介する程度だ。積極的に会わせようとすることは今までなかった。
そのため、ソフィアの知っているリュージの知り合いはカレンとアマテルの二人くらいだったのだが、今隣にはスノーがいる。
リュージの男の知り合いが。
「……スノーさん。ご予定が空いてるのであれば、これから一狩りどうでしょう?」
「ふむ? いいともいいとも。私なんかでよければ、いくらでもご一緒しよう」
ソフィアはそう言って、スノーをフィールドダンジョンへと誘う。
彼から見たリュージの話を聞くために。
ちなみに、レイ・ノーフェリア=スノーであることを知っているのは、彼が本当の友人だと認めた一握りだけである模様。