log155.霧葉樹の中の決闘
6月12日・ニダベリル→ムスペルヘイムに修正。岩肌のどこに木が生えるポイントがあるのかと。
城砦攻略型、マンスリーイベントが終了してからしばらくして。
イノセント・ワールドを賑わすこととなる、シャドーマンという名前のPKが現われる少し前。
ムスペルヘイム近郊の霧葉樹と呼ばれる木々が生える森の中で、ある少女が決闘を行っていた。
「フゥ……フゥ……!」
片手に居合刀と呼ばれる刀剣を握りしめた、陣羽織を肩に羽織った少女は息を荒げながら周囲を睥睨する。
背の低い彼女が手にする居合刀の長さは二尺程度。いざ抜けば、居合の名に恥じぬ剣速で敵を両断せしめるだけの鋭さはあるだろう。
しかし、居合少女の前に敵はいない。もっと言うのであれば、少女は敵の姿を捉えられずにいた。
木々の間を、素早く何かが通り過ぎてゆくのが見える。少女の敵となる、対戦相手なのであろうが、奇妙な事に木々を通り抜けてゆくその影の高さは、異様に低い。よく仲間に背丈が足りないと笑われる、居合刀の少女の腰よりも下だ。その俊敏さもあわせて、さながら獣のような動きで居合刀の少女の周りをぐるぐる回っているのが伺える。
まるで、弱った獲物を確実に仕留める絶好の機会を窺っているかのように。
その動きを追いきれない居合少女は、意を決したように瞳を閉じる。
「フゥー……!」
そして居合刀の鍔を親指で力強く押さえながら、少女は摺り足でゆっくりと腰を落としてゆく。
――心眼、と呼ばれる技術がある。目ではなく、心で見る眼の名の通り、眼を使わずに相手の動きを察し、戦う技だ。
この技術はただ修練を重ねるだけで得られるものではない。長い戦いの人生の中で培われた経験が、敵の動きを予測し、武術家の体を動かすものだ。
天性の心眼、というものがないわけではないが、それにしたところで少女の容姿は幼すぎるように見受けられる。
瞳を閉じ、心眼の開眼を祈るような姿の少女を見てか、彼女の周りを動き回っていた影は滑稽な姿の少女をあざ笑うように、わざと大きな音を立てながら少女へと急接近していった。
方角は正面。少女の居合刀が向いている方向だ。誘っているといわんばかりの挙動であったが、少女は影の近づく音が自身の間合いに入ったと確信を得た瞬間に眼を見開いた。
「ハァァァァァァ!!!」
そして、己の頼みにする最大の技を放つ。
親指を使った一瞬の溜め。本来は存在しない僅かな抵抗を打ち破るべく、腕に込められる力。
それの力が親指の枷を打ち破る一瞬前に、少女は鍔を解き放つ。
ごく一瞬の力の溜めが、少女の斬撃に力と速さを与える。小柄な体躯からは想像できないほどの速度で振りぬかれた刃は、目の前の空間を、音を立てて薙ぎ払った。
「っ!?」
……そう、空間を。
少女の刃は何もない空間だけを斬り裂いた。
ならば近づいていた影の姿はどこへ消えたのか?
その答えは、少女の目の前にあった。
「ウフフフフフ………」
なんと、少女に接近していた影は、手にした刃を近くの木に突きたて、少女の斬撃の間合いから僅かに逃れていたのだ。
血の三日月を連想させるほど、深く笑みを作った影は、木を蹴り手にした刃を引き抜くと、刃を振り切ってがら空きとなった少女の胴体に手にした剣を叩き込んだ。
「づっ!?」
すり抜けるような一閃を放った影は、そのまま体勢を低くすると瞬く間に木々の間に隠れてしまう。
少女は苛立ちを隠そうともせず、刃を鞘の中に収めて大声を張り上げた。
「卑怯者ォ!! 隠れてないで、正面からかかってこいっ!」
「ウフフフフ……あなたが、私を捉えられるというなら、考えて差し上げましょう」
「クッ……!」
挑発するように、影は木々の間を移動する。その姿を少女は捉えられず、悔しそうに歯軋りをする。
「ならっ!!」
少女は吼えると同時に、再び刀に手をかける。
だが、今度は力を溜めることなく、さらには影の姿を見ることすらなくその場で一回転するように刃を解き放った。
「シャァァァァァァァ!!!」
高速で回る少女の回転に合わせ、手にした刃からは透明な雫が伸びている。
少し少女から離れてみれば、彼女の刀から放たれているのが水の雫である事が窺い知れただろう。
高速で放たれた水の雫は、常識外れな速度で回りに飛散し、その勢いのまま周囲の霧葉樹を斬り裂き始めた。
ウォーターカッターの原理は、イノセント・ワールドでも通用する。現実よりも、はるかに少ない労力によって。
「っ!」
木々の間を駆け抜けていた影は、水の力で隠れていた木を切り裂かれ、素早くそのそばから躍り出る。
その瞬間を見逃さず、少女は摺り足で一気に影に近づいた。
「逃すかぁぁぁぁぁぁぁ!!」
鞘に収められた刀に力を溜め、少女は影を真上から両断せんと飛び上がった。
だが、影は……まだ年若いと見える少女は苛立たしげに顔をしかめて居合少女を睨み付けた。
「……美しくない」
忌々しげな呟きと共に、影であった少女は逆手に持っていた刃を地面につきたて、それを支点に宙返りのような動きをとった。
棒高跳びを行うように体を反転させ、居合少女が刃を抜き払う前にその利き腕に蹴りをぶち当てる。
「くっ!?」
「安易に己の物でない技術に頼るその姿勢……汚らしいわ」
居合少女と影の少女の動きが、蹴りの接触により一瞬止まる。
その一瞬の間に、影の少女は手の中の剣を支点に体を大きく回し、居合少女の体を地面に向かって蹴り飛ばした。
「ッハァ!」
「ぎゃぁ!?」
影の少女の思わぬ動きに、居合少女は為すすべもなく地面へと叩きつけられてしまう。
それでも何とか刀を手放すことなく立ち上がろうとする居合少女であったが、体を起こし上げたタイミングで、影の少女の蹴りが胸元を襲った。
「ガッ!?」
「地べたを這いなさい負け犬。剣技を磨かぬ愚か者」
仰向けに蹴り上げた居合少女の胸を、さらに影の少女は踏み抜き、地面に押さえ込む。
そして手にした刃……直刃の刀を抜き払い、居合少女の首元に狙いを定める。
「自らの怠惰を、後悔する間もなく死になさい」
「くっ……!」
居合少女は影の少女を睨みつけ暴れるが、自身を踏み抜く足は微動だにしない。
なおも足掻こうとする居合少女の姿を見て、影の少女はうっそりと微笑んだ。
「……しょせんゲーム。これも児戯よ。死ぬほど痛いらしいけれど」
それだけ呟き、笑顔のまま影の少女は刃を振り上げる。
居合少女はなおも抵抗するが、ゆっくりと振り上げられた刃が頂点を指し、僅かな間をおいて振り下ろされた瞬間、反射的に瞳を閉じてしまう。
「………ぅ!!」
瞳に浮かぶのは、僅かな涙。
圧倒的な敗北と、絶対の死を前に、少女は恐怖を覚えてしまう。
――だが、その刃が彼女の柔らかな喉を斬り裂くことはなかった。
響くのは軽い金属音と、自身の耳元に刃の突き刺さる軽い音。
そして、よく響く低音の、男の声だ。
「そこまでぇい!」
「!」
居合少女には、もう耳にたこができるほどよく聞いた男の声が聞こえてくる。
慌てて眼を見開くと、想像したとおりの男が影の少女の刃を自身が手にした竹刀で制しているのが見えた。
「勝負は付いた! 太刀合いは命のやり取りあれど、殺生の場ではなし! これ以上はやりすぎと見るが!?」
「………」
影の少女は自身の刃を押しのけるように差し出された竹刀を見て瞳を見開き、さらに時代がかった男の言葉に正気を疑うような呆けた表情をした。
男の竹刀は見事に影の少女の刀の腹を押し、居合少女の首に届く寸前でその軌道を捻じ曲げている。
驚嘆すべきは、竹刀の強度か男の技か。数瞬迷い、影の少女は一歩飛び退いた。
「……そうですね、私としたことが。足元の小バエを、わざわざ狙って踏み潰す必要もありませんでしたね」
「なにぃ……!!」
「お前は正座!!」
影の少女の言葉に激昂仕掛ける居合少女の頭を押さえ、男は改めて影の少女に向き直る。
「先ほどの一戦、途中からではあったけれど拝見させてもらった。噂に聞く、神宮派とお見受けするが、いかがかな?」
「……まあ、博識ですね。お察しの通りです」
男の言葉に気を良くした様子で、影の少女は刃を舐めるかのように掲げ挙げてみせる。
「我が流派、神宮派形象剣術は、門外不出……といえば聞こえは良いけれど、実際は一子相伝の理のおかげで、取得者が限られてしまうマイナー剣術ですからね……。知っているだけで、自慢できますよ?」
「はっはっはっ。そいつはありがたい。神宮派形象剣術の門下の人にそう言ってもらえると、剣術バカ冥利に尽きるというもの」
明るく笑った男は、しかし一転したかのように鋭い眼差しで影の少女を睨み付けた。
「……だが、君の太刀筋にはずいぶんと剣呑なものを感じるな」
「へぇ……?」
男の指摘に影の少女が笑う。
先ほどと形の変わらぬはずの笑みであるが、その中に含まれる剣呑な気配は色を増したように思える。
先ほど自分の首を斬られる瞬間を思い出し、体を縮ませる居合少女。その気配を察しながらも、男は一旦構わず影の少女に声をかける。
「剣は凶器、剣術は殺人術とは言ったものだが、そんなものは単なるお題目だ。自ら望んで修羅道に落ちる必要はないだろう?」
「……なにを言っているかはわかりかねますが、ご忠告だけは受け取っておきましょう」
少女は剣呑に笑いながらも刃を収め、そのまま体を翻す。
男に組み伏せられながらも、居合少女は居丈高に声をかける。
「まてぇ! 逃げるのか!?」
「負けたお前がそれを言わない!」
「………」
男と居合少女の会話に興味すら示さず、影の少女は霧葉樹の吐き出す霧の中へと消えていった。
しばらく少女の消えた方角を睨み続けていた男だが、その気配が完全に消えたタイミングでため息をつきながら居合少女を解放した。
「まったくお前は……辻斬りするなら、相手を選びなさいといつも言ってるでしょうが!」
「うるさい! 私に指図するなブーブー男!」
「人の下の名前を連呼するんじゃありません! なんか下品に聞こえるでしょうが!」
少女の悪態に男は叫ぶ。
だが、霧の中へと消えた神宮派形象剣術を使う少女が気になるのか、無精ひげを撫でながら唸り声をあげた。
「しかし、神宮派形象剣術かぁ……。まさか、イノセント・ワールドで二人も見かけるとは思わなかったなぁ」
「二人? あんなけったいな剣術使う輩が、まだ一人いるのか?」
「いるというか、まあ、習ったわけじゃないらしいんだけどな? 本人曰く、見て覚えたんだとか」
「どっちにしろ、関係者か……。バン・ブー。そいつ、私に斬らせろ」
「物騒なこと言うんじゃありません。レベルはお前の方が高いし、例え不意打ちかけてもお前が負けるのは確実な相手だよ」
「そんなのわからないだろう!? 私の居合で、そいつをぶった斬ってやる!!」
「むりむり。今のお前さんが束になってかかっても、勝てる相手じゃないよ。竜斬兵は」
居合少女を宥めるように、その頭をなでてやりながら、バン・ブーと呼ばれた男は片目を眇めて思案する。
(はて、本家筋に知り合いはいないといったが……話を聞いてみても良いもんかね?)
あの影の少女がまとう気配が、どうにもいやな感じで引っかかるバン・ブー。
彼女が背負うそれは、人斬りの修羅道に堕ちかけた人間のそれであった。
霧葉樹とは、ムスペルヘイムにのみ生息する木々の一種で、枝に葉ではなく霧を纏う奇妙な木である。