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多脚装甲車の歴史

多脚装甲車AMLV(Armored Multi-Leged Vehicle)は現在、強襲機動陸戦兵器多用途型Assault Mobile Land battle weapons-Versatile (強襲機動陸戦車両Assault Mobile Land battle Vehicleとも)と呼ばれることもある。

現在では「市街地の覇者」とまで呼ばれるAMLVの歴史を紐解いていこう。

AMLV、多脚装甲車の歴史は冷戦最盛期の1960年代にさかのぼる。

当時アメリカ軍では作業の効率化のために外骨格型パワーアシスト機械、ハーディマンの開発が進んでいた。今でも空母などでは改良が進んだものが見られるほか、港湾や工事現場などの民間向けでも見られる外骨格の始祖である。

1970年になり実用的な域になったところで基地や空母で運用が開始されたが、ベトナムにおける撤退戦でM2やM134などの重機関銃を搭載し撤退を支援した事から戦闘用途への転用が議論され1974年にはハーディマンⅡが開発された。これがAMLVの実質的始祖とされている。ハーディマンⅡはハーディマンと並行して開発が進んでおり、大型航空機のエンジン整備にも対応するため全高3メートル程度に大型化。コックピット方式になり、腕には火器運用のための固定具が付いた。

さらに1980年にはハーディマンシリーズと別にユナイテッドディフェンスをパートナーとして開発された全高4.5メートル程度の二脚型車両と四脚型車両が多脚装甲車という触れ込みで実戦配備される。これがアメリカ軍、そして世界の第一世代型多脚装甲車、LV3ウォーカーとLV4ソーンだった。

ウォーカーという名前は第二次世界大戦や朝鮮戦争で活躍したウォルトン・ウォーカー将軍と「歩くもの」のダブルミーニングだった。その印象故に英語圏を中心として四駆車両のジープのように二脚型多脚装甲車全般をウォーカーと呼ぶことがある。また中国語では主に音転写の沃克が使用される。この機体は大きな防弾キャノピーによる広い視野を持ち、対歩兵戦を大前提としていた。ベトナム戦争でジャングルのゲリラに苦戦したことからこのような設計に至ったとされる。

この後追従したのはソ連と日本だった。

ソ連はオブイェークト901として四脚型BAsN‐1を、オブイェークト911として二脚型BAsN‐2を開発。BAsN‐1の特徴はケンタウロスのような四脚に人型の上半身を取り付けた構造を取ったものだった。双方とも開発中の外骨格の小型化が思うように進んでいなかった所に、大型化による多脚装甲車への転用というアプローチで方針転換して出来上がったもので、第二世代のコンセプトに類似した装甲コックピットにスリット窓の狭い視野が特徴だった。ただBAsN‐2に関しては、気密性は劣悪でNBC条件下では専用装備を着用せねばならないのはもちろん、冬は寒く熱帯や砂漠では暑いうえに操縦者は常に立ってなければならないという報告がグラスノスチで公開された資料に存在する。

日本は多脚装甲車一型と二型から二型を84式として導入した。こちらは攻撃ヘリに手足をはやしたような設計で二人乗りだった。LV3開発の話を基に背広組による妨害を防ぐために独自かつ秘密裏に研究開発を進めていたことがスピード導入の裏にあったと言われる。前席が歩行、後席が火器管制の分業制で負担を減らしていた。

ウォーカーの初めての実戦は1983年のグレナダ侵攻であった。実戦配備直後のウォーカーは重機関銃やLAWを搭載して揚陸。敵歩兵や装甲車を文字通り蹴散らした。対歩兵戦のほか、装甲車戦闘にも有効であると証明されたのだ。

また、1985年のNATOによる市街戦演習ではアメリカ軍多脚装甲車がドイツ軍戦車を圧倒した。車体の前後長が短く、脚のひねり機構による超信地旋回が可能であったために戦車より小回りの利く機甲戦力と認識され、それが第二世代へと継承されていった。

第一世代の後、装甲コックピットによる対装甲車両戦闘を大前提とした第二世代が世界各国で開発される。

これ以降多脚装甲車の主流は二脚型へとなってゆく。

西ドイツのグリズリー、イギリスのラスター、イタリアのギガンティⅠ、フランスのVBMP10といった欧州勢に加えアメリカのLV3A2ヘビーウォーカーやLV3A4スーパーウォーカー、日本の95式、ソ連・ロシアのオブイェークト913・BAsN‐3、オブイェークト904・BAsN‐4といったさきがけの国々、中国の92式、98式、韓国のK756といった新興諸国などの堂々たるラインナップだった。

先陣を切ったのはアメリカのLV3A2だった。グレナダ侵攻の直後にペリスコープを搭載し完全装甲化を成し遂げたこの機体は、重量増や視野が狭まったという欠点はあるものの、安全性が飛躍的に改善したために他国で開発が進んでいた多脚装甲車にも反映されていった。

LV3A3ではビデオカメラ化、LV3A4では統合センサー化が行われ、火器管制装置も強化されていった。

自衛隊の95式では当初から統合センサーで設計されており、当時世界最高の多脚装甲車と呼ばれた。

イタリアのギガンティは、それまで上面ハッチ式が主流だった中、世界で初めて背面ハッチ式を採用した多脚装甲車として注目を浴びた。

そして、2008年、M3シリーズの純粋な後継機であるXLV5アドバンスドウォーカーを破ってのLV6スティルウェルのアメリカ軍制式導入で第三世代の時代が幕を開けた。

現在、第三世代型はLV6と日本の15式、ドイツのヴィルトフンド、ロシアのオブイェークト917、イタリアで試験中のギガンティⅡ、イスラエルで開発中のネフィリム、イギリスで開発中のルーター、フランスで開発中のVBMP20、中国で設計中の886工程、韓国で計画中のKAMLV‐Xなどが存在する。

第三世代は通電変形ポリマーを利用した駆動系を採用したのが最大の特徴とされる。それまでの油圧よりも高速で俊敏な動きが可能となり操縦性が改善。機体重量の軽減や保守の簡便化にもつながった。さらに完全電気駆動化によって稼働時間の大幅改善や振動や騒音の減少、エンジン整備の省略などの特徴も持っている。さらに重量の軽減化からインホイールモーターによる装輪滑走も可能となっている。

人工筋肉は鎖状高分子の一種であり、通電することで分子内のエネルギーが大きくなり異性体になる。

人工筋肉の通電時異性体は非通電時より分子鎖がはるかに短くなる。

また人工筋肉は分子内の力で結合していることもあってかなりの強度を誇る。

人工筋肉は定数、係数と通電回数と電圧、引っ張り応力の公式によって導かれる確率で分子鎖が切断される。この場合通電回数が多く電圧が高く引っ張り応力が大きいほど分子鎖の切断される確率が高くなる。

日本では東レのTEIP‐223、アメリカではデュポンのデポリマシ、欧州ではBASFユーロパワーポリマーのEPPが存在する。


本文内の多脚装甲車の世代分けは自衛隊式と呼ばれる分類法である。これは自衛隊が採用した順に世代を決めていくスタイルである。

多脚装甲車の元祖であるアメリカではウォーカー・ジェネレーションとスティルウェル・ジェネレーションと分けられる。

また欧州では自衛隊式の第二世代からが第1世代であり、自衛隊式の第一世代はプレ世代とされている。

なお、ロシアは自衛隊と同じ分類法を取っている。

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