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たのしい夏休み

作者: ねごとや

 街中で暮らしていた僕にとっては、まるで別世界に迷い込んだようだった。

 夏休みに入り、お父さんとお母さんに連れられて訪れた山の中の小さな村。

 アスファルトの照り返しとエアコンの吐き出すいやな空気、狭い道もお構いなしに入り込んでくる車の生み出す熱気と嫌な匂い。

 僕が暮らしていた町、そこで過ごす夏休みはいまにして思えば、あまりいい思い出がない気がする。いや、勿論友達と遊ぶのは楽しかったけどさ……。みんなでプールに行ったりとか。

 でも、ここでも僕には友達が出来たんだ。

 加茂君と言って、田舎に来た僕に親切に色々なことを教えてくれた。

 同学年、僕と同じ小学四年生の男の子で、カブトとかクワガタとかの捕り方とか川遊びのこととか、本当に色々なことを教えてくれたんだ。ただ、正直に言うと、木登りなんかは、いくら加茂君に教わってもうまく出来なかったんだ。

 あ、でも川遊びは結構上達したんだ。

 これは加茂君のお墨付き。

 加茂君は、僕の上達ぶりを見て感心してくれた。いや、感心というより「安心した」という風で、こう言ったんだ。

 「川遊び上手くなったじゃないか。木登りは相変わらずへたくそだけど……でも、この村じゃ川遊びの方が大事だからな。」

 そう言って僕を褒めてくれた後、加茂君はいつもよりずっと真剣な顔でこうも言った。

 「この村にいる限り、水とはうまくつきあわないといけないんだ。でも、これでお前も立派に俺達の仲間だな。」

 加茂君に「仲間」とか「友達」とか言われると、本当に嬉しい。

 そう思った僕は、ふと誰かに、そう加茂君以外の誰かに見られている気配、そう視線のようなものを感じた。

 「行こうぜ。」

 僕がそうした視線を感じると、加茂君はいつも絶妙のタイミングで僕の手をぐいと引く。

 「また、面白いところを教えてやるよ。」

 加茂君が僕を引く力はとても強くて、僕はいつもぐいぐいと加茂君に引っ張られていく。でも、そうして加茂君が引っ張ってくれると、僕が感じたあの視線や気配はいつも綺麗に消え失せてくれるんだ。

 やっぱり、加茂君は凄いと思う。



 街中からいまいる村に来て良かったことは、勿論加茂君に会えたことなんだけれども、それだけじゃないんだ。

 まず、僕のお父さんお母さんのこと。

 街中で暮らしている時、二人はいつも喧嘩してばかり。

 でも、この村に来てからは、いつもニコニコ笑顔で暮らしている。

 ただ、ここに来るまでに乗ってきた車はいつの間にかなくなっていたけれど。

 良かったこともう一つ。

 僕はこの村に来たばかりなんだけれど、村の小学校の図書館は好きに使わせてもらえたんだ。

 いや、この言い方は正しくないかな。だって、正式に大人の人の許可をもらったというのとは違うから。

 小学校の図書館には、杉沢さんという図書委員の六年生の女の子がいたんだ。

 とっても可愛い子……という言い方は良くないかな。だって、杉沢さんは僕より二学年上のお姉さんなんだから。

 「本当はいけないんだけれどね。」

 杉沢さんは悪戯っぽく笑いながら、僕にここにある本はどれも好きなだけ読んでいいと言ってくれたんだ。

 僕は、加茂君と表で遊ぶのは勿論大好きだけれど、本を読むのも好きなんだ。街にいた時も、お父さんお母さんによく本を買ってもらっていたし、学校の図書館にもよく通っていたんだ。だから、置いている本が古いものばかりだったりとか、建物が古くて、階段がギシギシと鳴ったりとか、小学校の図書館には嫌なこともあったけれど、僕にとっては、加茂君と外で遊ぶ以外には、ゲーセンの一つ、テーマパークのひとつもないこの村では数少ないお気に入りの場所のひとつであることには違いない。

 それに何と言っても、杉沢さんもいるし……。

 「これなんか面白いんだけれど。」

 あれは夏休み最後の日、僕が読む本を選ぶのに手間取っていると、杉沢さんが横から一冊の小説を差し出してくれた。



 「怪奇植物トリフィドの侵略」



 それが杉沢さんが差し出してくれた本の題名で、「かいきしょくぶつとりふぃどのしんりゃく」と読むのだそうだ。怪奇は読めたけれど、侵略は僕の知らない感じだったんだ。作者のところには外国の人の名前が書いてあった。勿論、僕の知らない人の名前だ。

 「空想科学小説シリーズと言ってね。これ以外にも色々あるのよ。ドイルとかアシモフとかバロウズとか。」

 杉沢さんがつらつらと並べた名前は、どれも僕の知らない名前ばかりだったけれど、彼女が勧めるのなら多分面白い本なのだろうなと僕はぼんやりと考えていたのだけれど……。

 「でも、君にはまだどれも早いかな?ほら、ここ。」

 そう言って杉沢さんが指さしたところには、「小学校高学年~中学生」と書いてあった。

 じっくりと見る僕の顔を見た杉沢さんは、「ね。」とちょっと意地悪っぽく笑う。

 「そんなことないよ。」

 ちょっとムッとした僕は、杉沢さんの手から本を取り上げると、ページを開き、食い入るようにして読み始めた。

 SFというのかな?

 杉沢さんはこういうお話が好きなんだろうか?

 ページを読み進める僕は、そこにある物語に夢中になる一方で、そんなことを考えてもいた。

(何だか、女の子が読む本という感じじゃないなぁ……。)

 こんなことを口に出したら、杉沢さんに怒られるかな?

 そんなことを思いながら、本を少しだけずらし、ちらりと僕の正面に座る杉沢さんの顔を覗き見ると……。

 目が合ってしまった。

 杉沢さんの方は、ずっと僕の方を見ていたようだ。多分、僕が本を読み始めてからずっと。

 僕の視線に気がついた杉沢さんは、先ほどのような悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 恥ずかしいこともあったのだけれど、同時にからかわれているような気もした僕は、自分の視線ごと遮りたくなって、また本をずらし、視界をページの紙と活字で埋め尽くした。からかわれているような気がすると、僕は言ったけれども、ちょっと腹がたったというのもあったんだ。

 でも……。

 四年生の僕が言うと、生意気に思われるかも知れないけれど、間近で見る杉沢さんはやっぱり可愛いなと思ってしまう。

 だから、僕は本を読み進めながらも、ちょっとドキドキしてしまったのも本当なんだ。



 杉沢さんに渡された本の半分ほども読んだところだっただろうか?

 僕の手は不意に強い力で引かれたんだ。

 この頃には、僕は読書にかなり集中していたし、本当にびっくりした。だから、思わず椅子から落ちそうになったくらいだ。

 そして、僕が椅子から落ちそうになった原因、僕の手を取って引っ張った力の主は、杉沢さんだった。

 杉沢さんはいつの間にか僕の後ろに回り込み、僕の手をとっていたんだ。

 ビックリした僕が何か言おうとしたその瞬間

 「黙って!」

 小声だけれど、強い口調で僕を黙らせる杉沢さん。彼女は、そのまま僕の手をもう一度強く引き、図書館のテーブルの下へと潜るように言った。

 「隠れて。あいつらが来たわ。」

 訳が分らないまま、杉沢さんと一緒にテーブル下に潜った僕に彼女は言う。何だか怒っているような、怖がっているような……でも、厳しい顔つきの杉沢さんもやっぱり可愛かった。何より、いまは僕のすぐ近くに彼女の顔があるんだ。

 勿論、訳が分らないまま、いきなりテーブル下に引きずり込まれたの怖かったけれども、それ以上に僕はいままでで一番ドキドキしていたのも本当だったんだ。

 でも、杉沢さんは何をそんなに警戒しているんだろう?

 不審に思った僕は、隣で一点を凝視している杉沢さんの視線を追いかけてみた。

 彼女の視線は、図書館の窓に向かっており、その視線の先には……。

 「あ!」

 そこにあるものを見て、僕は思わず小さく声を上げてしまった。

 そこにいたのは、黒ずくめのピッタリとした服を着て、ボコボコと泡を吐き出している人の姿。泡を吐き出すその人のようなものは、宙に浮いた状態でじっとこちらを見ていた。

 「あいつら、最近またよくここに来るようになったのよね。」

 宙に浮く人のようなものを睨み付けながら、杉沢さんは憎々しげにそう言う。

 「ねえ、あいつら何?宇宙人?」

 この段になると、さすがに僕も怖くなってそう尋ねると、杉沢さんは首を振る。

 「さあ、あたしにもよく分らないの……。でも、この村に人が来ると、いつもああして現れるのよ。」

 最近、村に来た人……多分、僕とお父さん、お母さんのことだ。

 「いい!絶対、あいつらに見つかっちゃダメよ。見つかったら、連れて行かれてしまうから。」

 強い口調で言う杉沢さんに僕は黙って頷くだけ。

 だって、本当に怖かったんだ。

 窓の外で宙に浮いているその人影も、そして杉沢さんも……。

 「大体、君の家の車だって、あいつらが持って行ってしまったのよ。」

 それは、いま初めて知った。だから、この村に来てからは車がなかったのか。でも、車みたいに重くて大きいものを持っていくなんて……。

 そう考えると、怒りよりも怖さの方が先に走る。

 そんな僕の怯えが伝わったのだろうか?

 杉沢さんは、僕をぐっと自分の方に抱き寄せる。

 「大丈夫、あたしがいる限り、あいつら、君のことを見つけることは出来ないから。」

 そうして僕を抱き寄せた杉沢さんからは、何だかいい匂いがして、僕は何だかとても安心したんだ。

 じっとしていたおかげか、それとも本当に杉沢さんの言うとおり、彼女が近くにいたおかげなのか、窓の外の人影はいつしか消え失せていた。

 「もういいわよ。」

 杉沢さんに促されてテーブル下から這い出した僕は、再び窓の外を見るが、そこにはもうあの人影はなく、いつもの村の風景。

 夏の青空に包まれ、明るいけれどどこか涼やかで、そして時が止まっているかのような山村の風景だった。

 「多分……」とぼんやりと風景をみている僕の背後から杉沢さんの声。「あいつらは、もう当分ここには来ないわ。怖かったでしょうけど、安心していいわよ。」

 その声は、いつもの杉沢さんよりもずっと大人びていて、とろけるように僕の中に溶けこんでくる。

 だから僕は「うん。」とだけ返事。

 「だから明日もここに来なさい。」

 「うん。」

 「ねえ、この村のこと好き?」

 「うん。」

 いつしか杉沢さんの白い腕が僕の背後からしなだれるようにのしかかっていた。ちょっとびっくりしたけれど、何だかいい匂いがして、僕はその腕を振り払うことができなかったんだ。

 「そう……嬉しい。あたしも君のこと好きよ。ううん、あたし達は皆あなたのことが好き。」

 「本当?」

 「そうだぞ。」

 いつの間に図書館に入ってきたんだろう。背後からは、加茂君の声もする。

 「お前は明日も俺と遊ぶんだ。」

 「うん。」

 「君は明日もここであたしに会うの。」

 「うん。」

 「この村でなら、どこで遊んだっていいんだぞ。」

 「ここにある本は、どれでも好きなものを読んでもいいのよ。」

 何だか、どの声が加茂君で、どの声が杉沢さんか、僕にはだんだん分からなくなってきた。いや、どちらがどちらなのか、もうどうでもいい。でも……と僕は思う。

 「でも、夏休みはもう今日で終わりじゃ……」

 僕がそう口にすると、加茂君と杉沢さん、両方の笑い声が聞こえてきた。

 「終わらないわ。」

 「終わらないよ。」

 そうなの?

 「そうだよ。」

 「そうよ。」

 今度は僕が言葉を口にする前に返事が返ってきた。

 「お前が望む限り。」

 「あなたが望む限り。」

 僕にのしかかる白い腕はさらに重みを増し、背中に柔らかいものが当たるけれど、僕はそれが気にならなかった。だって、耳元に響く声はとても心地良かったし、何だか甘くていい匂いがしてきたから。それに何と言っても、このまま杉沢さんに抱きしめられていたかったから。

 「あなたは、あたし達と。」

 「俺達と。」

 そして、今度こそ本当に二人の声は重なり、

 「ずっと一緒にいていいんだから。」

 と僕の耳元に。

 「うん……」

 僕は返事をするのが精一杯だった。多分、もうあまりものを考える力も残っていなかったんだろうと思う。

 でも、いいんだ。

 ここにいる限り、夏休みは終わらないんだから。



 もう九月も終わろうとしていた。

 夏の残り香とも言える強い日差しの下、数台の警察車両が止まり、その周囲では野次馬と化した観光客がたむろしていた。その視線の向かう先には、大量の水を湛えたダム湖。

 一ヶ月前のことだった。学校の夏休み最終日、一家三人を乗せた乗用車がこのダムに飛び込んだのは。

 捜索作業の結果、何とか問題の車両は見つかったものの、乗っていたはずの一家三人の行方はようとして知れず、事件後一ヶ月が経過したいまも、その遺体はおろか遺品も見つからないでいた。

 原因の一つとしては、このダム湖の成り立ちが考えられる。

 もともと、このダムの底には廃村となった村がそのままあり、水位が下がった時など、古い家屋の屋根や場合によっては墓石さえ見えることもある。故に、水中での捜索作業ではそうした過去の建造物が障害物となって、ダイバー達の行く手や視界を阻むのだ。

 結果、今回の捜索では車両の発見以降は、これという成果が出せないでいるのが実情だ。

 乗車していた一家三人、都内で事業を営んでいた夫婦とその子供、小学四年生の男の子の行方は、捜索開始後約一ヶ月を以てしてもようと知れず、その所持品ですら発見することが出来ないでいる。

 捜索作業と言っても、現実問題として予算と期間、それに人員には限界があり、ダイバーを使ってのそれもおそらく今回が最後になるだろう。

 もともと、件の夫婦が事業に失敗して多額な負債を負っているのは調査の早い段階で分っており、車両の落下は心中であろうということで警察マスコミともに見解は一致しており、ここで捜索を打ち切っても非難されることも恐らくはない。

 警察の陸上班が見守る中、水面からその姿を見せたダイバー達は一様に首を振る。この態度に対し、もう陸上班の誰からも、落胆の色こそ見せるものの彼らダイバーを責める声は出てこない。

 「駄目だ。」ダム湖から引き上げられたダイバー達の一人からそんな声が漏れる。「原因は掴めないが、旧集落の辺りの底流が不安定だ。特に小学校跡の辺りなど、手がつけられん。」

 「それに……」とこれは小声で別のダイバー。「大きな声では言えないが、あの辺りに行くと女の声が……」

 「もういい!」ダイバーから漏れる声を封じるのは、責任者らしい壮年の男。「余計な話は、マスコミを喜ばせるだけだ。」

 やがて、ダイバーごとボートは陸揚げされ、捜索隊は撤収態勢に入っていく。



 九月最終日、夏休みという言葉はとうに色あせ始めていた。

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