第四話
結局、逃げられなかった。
ジークと名乗った青年はルシェーラと共にいることを望んだのだ。契約、という形式を含んで。
それも、精霊の来訪に驚いて厨房まで訪れた院長の前で。
問いかけたのは、院長だった。藪をつついて蛇をだした彼女を恨むことにする。
名前もばれたし。隠す意味はないけど、なんだか意地になってたんで教えたくなかった。
お祝いをしなければ! と当事者を置き去りに盛り上がってる人たちが今は憎い。
変質者の犠牲になるのがめでたいのでしょうか。
確かに精霊と契約を交わしたとなれば一生安泰ではあるだろう。
普通よりずっとたくさんの助力を願えるし、噂では病を癒したり天候を変えてもらうことさえ出来ると言うし。
生活に困ることはないだろう。お城で召し抱えてもらうことも出来るだろうから。
でも、変質者……。
契約なんて人に置き換えれば結婚のようなもののはず。
精霊は、好きになった人間の側にいてその生涯を守り、慈しむという。
愛情が存在するから、精霊の契約者が他に伴侶を得たという話はほとんど聞かない。
普通は、人も精霊を愛するらしい。
せめて、畑で聞いておけば良かった。
大人に知られる前なら、逃げられたかもしれないのに。
先生たちも、当事者の意思確認を一番にお願いします!
私の幸運を喜んでくれてるのは分るんだけどね……。
自分の浅はかさを後悔しつつ、笑顔以外の表情がないのかと罵りたくなるほど微笑んでいる青年から可能な限り離れる。
……笑顔でせっかく開けた距離を詰められた。
もう一度今度は反対方向に逃げる。
あ、笑顔が消えた。
い、いま夏だよね? なんで寒いの? 寒い、怖い怖いぃぃぃ。
全身に鳥肌が立つ。なんか、怒ってるっぽい。泣きたくなるほど怖い。
なんでこの寒さに周りの人は気付かないんだろう?
半泣きになりつつ開けた距離を自分で詰める。
うん、臆病者と言うなら言えばいい。
でも凍死の危険と変質者の危険なら、前者の方が切羽詰まってると思う!
びくびくと見上げたら、笑顔が戻ってた。
同時に部屋の気温も戻っている。
気付かなかった他の人々の楽しそうな様子がうらやましい。
夏祭りにしか食べれないはずの氷菓子がでるとはしゃいでるレイラ。
私も普段なら小躍りして喜ぶだろうけど、凍死しかけた直後では喜べない。
まだ鳥肌立ってるよ……。さすってみる。あ、ちょっと落ち着いた?
私の現実逃避はあんまり長く続かない運命らしい。
頭の上に手が置かれ、声が落ちる。
もしかしなくてもこの手は逃走防止ですか?
「なんで逃げるの?」
「に、にげてなんか、なな、なないですよ?」
口はまだ凍ってたかな、呂律が回らない。
でもここで肯定したらなんだかいろいろ終わる気がする。切実に。
だって声に温度がない。
一応笑顔だけど、笑顔だけどー……。
「もしかして、契約したくない?」
声が怖いです。そう言いたい。言ってしまいたい。
言う勇気はかなり足りないけど。
ここで頷いたらどうなるかなー。
本音を言えば、頷きたい。今後の生活の安寧とか将来を考えれば契約するのが一番良いのは分ってる。
でも、変質者だ。
私は間違っても精霊に好かれるような性格じゃない。一応自覚はある。純粋無垢な人を好む、って言われてるしね?
そもそも初対面だから性格に惹かれて、とかじゃないだろう。
でも容姿に惹かれたとかだと最悪だ。
私はまだ成長期前だ。多分。熱烈待望中です、成長期。
せめてあと10センチ。ううん、贅沢は言わない。5センチでも良い。
いや、思考がまだ逃避をはかってるけど。
成長期がまだなのが問題なのだ。この青年は少女嗜好なのだろうか。
だとすれば、立派な変質者だ。
いや、そこは問題じゃない。すごくすごく重大な問題だけど、いまは置いておこう。
私が成長して立派な大人になったら彼はどうするのだろう?
契約破棄とかは聞いたことがないけど、興味が失せた状態で契約だけ残るというのはぞっとする。
約束に基づいて嫌々側にいられるなんて冗談じゃない。
って、思考がまだずれてる……。
そもそも変質者の側にいるということ自体の危険が問題。数年後に安全になっても、それまでの期間が危ない。
「なんか、ひどいこと考えてる気がするなー」
髪を梳く指はとても優しくて、幸せな気分になる。
無駄に綺麗な精霊だよなー。惜しいと思う。これで変質者じゃなければ良いのに。
というか、その背を寄越せといいたい。思いっきりかがみ込んでるのが悔しい。
私の背は彼のお腹くらいまでしかない。……成長期前だからね?
「沈黙は否定ということでー」
なんか言ってるけど、無視無視。
いまは安全に契約から逃げる方法を考えないと。
5年もあれば確実に成長してるだろうから、そのあとにってことで時間を稼ぐのが一番良いのかな?
少女嗜好の変質者ならそれで興味なくすだろうし。
でも今すぐ契約しない理由聞かれたらどうしよう。先生たちも当時者を全力で放置して盛り上がってるし、ここで言い出すのはかなり勇気がいる。
先延ばしにする理由なんて普通ないよね。
変質者だから、って正直に言ったら今日が私の命日になりそうだし。死因はこの真夏に凍死。……嫌だ、それは。
「聞いてるー? ルシェーラ?」
呼ばれて、顔を上げる。そこには真顔の精霊がいた。
触れそうなほどに近いし、怖いし。ど、どうしよう? 一瞬でパニックに陥ってると、触れそうだなーと思った顔が本当に触れた。
顔というか、口? 唇、だよね……。鼻の方が高いのになんで口が当たるかな? 避けたからか。避けるよね、普通。でも避けるなら口も避けようよ。
そもそも顔を近づけないで欲しかったけど。これじゃあ、キスみたいになってるよ。
「契約完了ー」
笑顔になった精霊がなにか言ってる。
契約って、精霊と人間の契約の話だよね。いまここで賃貸契約の話とかしてた気配はなかったし。
契約というと、契約のキス? 結婚式にキスするのと同じだよね。
………キスみたい、じゃなくてキスだったんだ……。
呆然としてるとレイラが抱きついてきた。
「おめでとう! ルシェ、幸せになってね!」
さっきまで放置されてたのに、いまのキスだけはしっかり目撃されてた。
しかも全員に。
……いじめですか?
祝福らしい声が呪いの響きのようだ。
私の反応がなくても誰も気にしない。
もともと自分の考えに浸りすぎてうっかり反応しそびれることが多かったから、今回も流されたらしい。
普段からリアクション過多にしていれば良かったのだろうか……。
後悔先に立たず。




