クロウ・ファイ・サントレアは貴族である
クロウ・ファイ・サントレアは貴族である。
それも、ゆくゆくは国家運営の中枢を担うだろうと期待されている、有能で合理的で素晴らしい人間だ。
と、彼は思っている。
実際、彼は「有能で合理的で」はある。読解・分析・予測を得意とし、たしかに国家運営の中枢を担うことにはなるだろう。客観的に見て、優秀な能力を持っていると言える。それは、そうだ。
しかし。彼は一つ、大きな誤認を抱えていた。
彼は、「素晴らしい人間」ではない。
どちらかというと、というか完全に、「クズ」と呼ばれる類の人間である。
それは、今この瞬間にも証明されていた。
そう、俺はクズだ。
なぜなら、人の心を勝手に読み取り、それを利用し、周りに対して虚偽の印象を植え付けている。そのうえ、それを正そうともしない。自分勝手だ。道徳にも反している。許されることではない。
これをクズと呼ばずしてなんと言おう。
俺は、はたから見ると「有能で合理的」で、「素晴らしい」人に見えるらしい。これは幼い頃から変わらず、ある種、ひとつの指標にもなっている。
ずっとずっと、俺は周りを騙しているのだ。本当は、一人では何もできない無能なのに。申し訳ない。
そして、俺の行動によって、この評価に「優しい」だとか――これは幼少の頃、相手がして欲しいと思っていることを読み取って、先回りしてやっていたので付いた言葉だ――「冷静」だとか、そういう言葉が付加される。それを読み取ることで、俺は自分のことを客観視している。小狡いやり方だ。
今の俺は、「有能で合理的で素晴らしい、しかし誰に対しても一定の距離を置く氷のような人」という立ち位置らしい。そうなるように振る舞ってきたので、当然ともいえる。俺は、「シゴデキかつ冷静沈着判断力の塊男」の皮を被って生きているので。つまり殿下――ファイネス王国第二王子、セフィール殿下――の真似だ。
彼は本当に、有能で、人の心があんまり無い。はっきりいってクソ王子だ。唯一、婚約者殿の言うことだけは聞く。彼女がいなかったら今頃、一〇〇人単位で人が死んでいただろう。恐ろしい。
さて、俺がこの能力に目覚めたのは、物心ついてからではない。おそらく、生まれたときからこうだった。今のところ、知っているのは殿下と家族くらいのものだろう。陛下には暗部経由で伝わっているかもしれないが、放置されているので「特に有益ではない」ということだろう。
そう、この能力は、国にとって特に有益ではないのだ。利を得るのは一貴族の令息である、己だけ。しかも、誰にも気づかれることなくできてしまう。人の心を覗くこと、そんな、恐ろしい禁呪のようなことができてしまうのに、なぜ俺だったのだろう。
他の者――例えば殿下にこの能力があったら、もっと上手く、この世に利益をもたらすような使い方ができていたはずなのに。
幼い頃から人の心を覗いてきた俺は、それだけに成長が早かった。いや、実際には成長などしていなくて、ただ周りの心を読み、それに合わせた行動をしていただけだったが。
特に、剣技などにおいて、これは反則のような能力だった。相手の攻撃が読めるというだけではない。講師のイメージが直接流れ込んでくるので、それに合わせて体を動かせば良いのだ。
その年齢においてはありえない理解力と、読心できるからこその人当たりの良さを買われ、俺は殿下の側近候補になった。
そして、側近候補になって初めてのパーティーで、
――俺は天使と出会った。
それから俺は、天使のために働いている。
俺の天使はすごい。彼女は、俺なんかよりずっと凄くて、きれいで、絶対に穢してはいけない人。壊さないように、汚さないように、はるか遠くから見ているだけでいい。
でも、できるだけ幸せでいてほしいから、殿下にそれとなく「気にかけていますよ」アピールだけしている。彼の有能ぶりは、もちろん俺より何倍も上なので、いざとなったらなんとかしてくれるだろう。婚約者殿の優しさに感謝しなくてはならない。彼を御することができるのはあの方だけだ。
まあ、つまり。俺はただの、自己中心的な思想を持つクズである。この世に良い影響をもたらすことは、おそらく無い。己のことしか考えていないから。
少しばかり剣が使えて、記憶力がほどほどにあって、小狡い能力で対人関係を有利に進めているだけの、クズ。本当に性根が腐っている。
そして、そのクズは今、全てのツケを精算しなくてはならない状況に陥っていた。今までのように、逃げるということは許されない。周囲の人々が、己の一挙手一投足を見守っているからである。
いわゆる、自業自得というやつだった。
◇ ◇ ◇
ラミア・ファイ・キュリーは貴族である。
辺境の地を故郷に持ち、高山の中腹、凍える環境でもたくましく生き抜いてきた、狡猾で意地汚い人間だ。そんなやつが私と同じ、貴族として存在しているのは許しがたい。事故か何かで死ねばいいのに。
と、彼――それとなく私から距離を取った、男爵家の四男――は思っているのだろう、と私は思った。
実際、私は「高山の中腹、凍える環境でたくましく生き抜いてきた」令嬢である。
凍えるのは、高山であるからという理由が全てではないのだが。
私の住居は、屋敷の端にぽつんと建っている、石造りの塔である。
生まれた頃から、ずっとそこで暮らしてきた。母は居たが、すぐに死んだ。悲しむよりも、私は生きなければならなかった。
幸いなことに、私も母も水魔法が使えた。私は魔法でスープを作り、その魔法を使うために啜った。ただ、生きるために生きていた。
狡猾で意地汚い人間というのも、正しい評価であろう。
母が死んだとき、私はすぐに、その肉塊を埋めに行った。死んだものは、そうしなくてはならないと教わっていたから。涙も流さず、情もない、こんな私を誰が許してくれるのか。きっと誰も許してはくれない。
何もなかった私は、それでも生きた。成長し、周りを見る余裕ができると、気付いた。
母が寝ていた寝台の横、引き出しがついた、小さな机の上。
そこには、一冊の本があった。
今思えば、あれは遺品だった。それに気づく前に売り払ってしまったけれど、その中身は私の中に刻み込まれている。
本に書かれていたのは、生活魔法の使い方だった。それまでスープしか作れなかった私は、そこから再び人間になった。
ただ、それを自分以外のために使ったことはない。それほどの実力はないし、魔法を行使した際の責任を取ることも出来ない、非力な存在だから。
人になった私は、外に出ることを覚え、知識を得るために市井に混じり、他人を学んだ。
そして、父上と母上に発見された。
広々とした屋敷に足を踏み入れ、生活環境は改善された。屋根があり、風も通らず、食事だってあった。
令嬢としての教育も施され、私は人から辺境伯爵令嬢になった。もともと人でもなかったものが、今では貴族の一員。大した出世である。
父上と母上には、娘が二人いた。私にとって、彼女たちは姉であった。
彼女たちは私を恐れていた。突如現れた異物に、どう接すればいいのか測りかねているようだった。なので、彼女たちは私を排除しようとした。当然である。
それでも、しぶとい私は生き続けた。スペアのスペアとしての役割が期待されていたので、彼女たちのスペアにふさわしくなるよう、自らの能力をのばした。
それが、彼女たちを怯えさせていることにも気づかずに。
期待され、舞い上がっていたのだ。人との接し方がわからなかった私は、言われれば言われた分だけ仕事をした。睡眠も食事も、人からの信頼には勝てない。そうして私は、社交界に入ったときに知ったのだ。
私の姉たちが、私のことを「キュリー家の面汚し」と吹聴していることを。
しかし、私は真正の出来損ないであるので、この状態は当然とも言えた。彼女らを恨む気持ちも出てこなかった。それは、事実だったから。
特に反論するわけでもなく、表情の変わらない私を、貴族社会は冷ややかな目をもって歓迎した。噂は尾鰭も背鰭もつき、さらには足まで生えて一人で歩き出した。
普通であれば、噂を消すことで家に傷を付けないように尽力するのだろうが、私はもう、面倒になっていた。カスと言われるなら、そのままカスとして生きていこうと思った。一度生きてしまったのだから、生きなくてはならない。母の分まで。
そして、今に至るわけである。
私は現在、第二王子殿下と、その婚約者様に招待され、彼らの婚約披露宴に来ていた。ここには、国中の貴族が招待されているはずだ。
殿下とその婚約者様は、大恋愛の末に結ばれたという。城下ではそれを題材にした小説が大流行だそうで、身分関係なく、全ての国民が祝福している。大変喜ばしいことだ。
そんな彼らに祝いの言葉を述べたあと、私は飲み物を受け取り、壁際へ移動した。
父上と母上をなんとか宥めすかし、王族への不敬罪を免れたので、疲れていたのだ。これ以上彼らの相手をするのは得策ではない。帰宅した後もおそらく仕事があるので、できるだけ体力を温存しておきたいのだ。社交は姉上たちがやってくれるだろう。
そうしてやってきた壁際で、情報収集のため会話の盗み聞きをしていると、いつの間にやら周りの人が増えていた。
――というか、明らかに囲まれている。
輪の中には、私と、もう一人。
名はたしか、クロウ・サントレア。私と同じ貴族であり、私と違って出来損ないではない。将来に期待され、それにきちんと応えている。素晴らしい人物だ。
私は彼を、尊敬していた。好意を持っていたと言ってもいいかもしれない。確実に釣り合わず、それがいかに馬鹿げた想いかもわかっている。そのうえで、彼には健やかであってほしかった。私は、彼が幸せならそれで良いと思っていた。
しかし彼は、彼の纏う、爽やかな香りが届く距離にいる。
あまりの近さに緊張し、固まってしまった。いつもは、中央付近に第二王子殿下とともに佇む彼を、隅から見ていたのに。どうして、こんなに近くに……
彼のほうが立場が上なので、彼から声をかけられなければ挨拶もできない。何事だろうか、もしや何か粗相があったのかと考えていると――
「ラミア・ファイ・キュリー」
目の前の彼が、静かに、それでいて威圧的に私の名前を呼んだ。
私が、やはり何かをしてしまったのだろうか。思わず、グラスを握る手に力がこもる。
私の知らないうちに、私の周りの誰かが傷つくのは嫌だ。それが、彼であればなおさら。全てを遠くに追いやって、それで損なわれなくなるのであれば、それが良い。私が害をなすのなら、どうか早く消して欲しい。
彼の顔が、苦いものを食べたときのように歪む。
そして、彼はこう言った。
「私は、貴女と生涯を共にしたい。どうか、頷いてくれないか」
耳を疑った。
クロウ様が、私に、求婚……?
「……はい」
しかし、少し迷って、すぐ承諾した。
周囲から、うっとりしたような「まあ……」「素敵ね……」だとか、「僕達も、どうかな」とひそひそ言う声が聞こえてくる。
彼にも何か事情があるのだろう。そうでなければ、こんなに苦しそうな顔で、その言葉を放つ意味がわからない。だから、とにかく今は頷いた。考えるのは後で良い、そう思ったから。
知らず止めていた息を、そっと吐く。
頷いたことで空気が緩み、思考する余裕が生まれた。
――私に求婚しなければいけない理由、それは何か。
政略結婚だとしたら、このタイミングでは遅すぎる。そういうものが成立するのは、互いの家に交流があり、対象が幼く、なおかつ、高位の側に利益が発生する場合のみである。低位の側に利益が発生しても、高位の側が損をするだけだから。
彼は公爵家の長男である。そして私は辺境伯爵の第三令嬢。辺境伯とはいえ、公爵家よりは家格が下だ。さらに、長女でもないので、私と結婚したところで家が手に入るわけでもない。完全にお荷物である。
ということは、王命か、それに準ずる何かなのではないか。では、承諾するべきことだ。良かった。
いざとなれば抜け出して、またあの塔で暮らせば良い。彼は悪女を娶らされた悲劇の男、私は変わらず出来損ない。そしてそのまま、処刑でもなんでもして欲しい。その方が世界のためだろう。
◇ ◇ ◇
「ラミア、と呼んでも良いだろうか」
隙を見せないように、間違っても、彼女を不快に、不安になんてさせないように、そう心がけて声をかけた。まあ、こんなことをしでかしておいて、今更ではあろうけれど。
「構いません」
氷のような表情で、差し出した俺の手を取る彼女は、控えめに言ってこの世に舞い降りた天使だ。たぶん、生まれてくる世界を間違えてしまったのだろう。それくらい、彼女は美しく、気高く、優しい。誰にも穢されてほしくない。できれば一生誰とも結婚とかしないで欲しい。
だからこそ、こんなクズとは一生縁など無いように、そうなるように動いてきたのに。
今回の求婚には、今、会場の中心でだらしない顔を晒している第二王子殿下が深く関わっていた。
不敬になるので口には出せないが、あのクソ王子は俺と同じくらいのクズだ。婚約者殿がかわいそうでならない。しかし、国家の運営には必要な人材である。彼は、国王が儚くなったとき、代わりを務められるものとして、一生を国に捧げることが決まっている。覚悟はあるので、そういうところは尊敬している。
代わりに、彼は自分の欲望には忠実である。婚約者殿を手に入れたことも然り、王立学園の校則を大改定したことも然り。大改定は、後輩の間では「セフィール殿下の大革命」とも呼ばれているらしい。婚約者殿にバレて笑われてしまえ。
基本的に、彼は婚約者殿のことしか見ていない。他はどうでもいいそうだ。上に立つものとして、その態度はどうなのかと思わなくもないが、彼の切り替えは凄まじいので、助言するまでもなかった。有能ではあるのだ。ちょっと、人の心が無いだけで。
そして、ある日。
休日だというのに呼び出された俺は、なんとなく不機嫌な彼を目の前にして、何を言われるか想像して憂鬱な気分になっていた。おそらく、ろくなことじゃないんだろう。鳥の鳴き声がうるさかったとか、そういうのかもしれない。彼とは付き合いも長いので、だいたい何を考えているかなど、心を読まなくてもわかるのだ。
そして、彼は俺にこう言った。
「リリーが、お前とラミア嬢の関係について悩んでいる。早く求婚してこい」
「なっ、えっ、それはどう、どういうことですか」
めちゃくちゃ動揺した。
なんか全然、想像してたのと違う話が来た。
なんで婚約者殿が、俺と俺の天使の関係について悩んでいるんだ。いつ知った。殿下から話が行ったのか? 殿下が婚約者殿の前で俺のことなんて話すのか? あっ婚約者殿が俺の話したから機嫌悪いのか。なーんだ、良かった。
……いや良くない! 何も良くない。というか求婚って? 何言ってるんだ? 頭打った?
いきなりのことで、思わずいつも被っている「シゴデキかつ冷静沈着判断力の塊男」の皮が剥げ、脳内は混迷を極める。
いい加減にして欲しい。いま天使が俺を見てたらどうするんだ。彼女を怖がらせてしまうだろう。そんなことは断じてあってはならない。まあ、見てるなんてことありえないけど……はぁ……悲しい……
「心優しいリリーは、お前のわけのわからない宗教観を聞いて、心配になったらしい。『ねえ殿下、ラミア様とクロウ様が結婚できたら、クロウ様も安心するのかしら』と言った。だから、さっさと求婚して、結婚しろ」
説明を聞いてもわからなかった。どういう飛躍だ。
宗教観って何のことだ。もしや、俺がラミア様のことを「天使」と言っていることから来てるんじゃないだろうな。まあ確かにラミア様は女神で天使だから、あながち間違いではないかもしれないが。
もう少し詳しい情報が知りたい。無駄だろうが、一応彼の頭の中を読んでみることにする。
(ああ忌々しい。なんでこいつごときがリリーの頭の中に憂いを残してるんだ。俺以外のものがリリーを独占しているなんて許せない。殺してやりたい。でもリリーが悲しむだろうな……クソッ。俺はいつでもリリーのことしか考えてないのに。リリーは優しすぎる。リリーは自分のことしか考えなくていいのに。そんなところも好きだ。ああリリー、リリーが望むなら、俺は何だってできる。リリー以外の人間は全て死ねば良いのに)
この王子、婚約者殿が絡むと馬鹿になる。やっぱり読んでも無駄だった。相変わらず殺意が高いな。なんでこの国は滅びないんだろう。有能だからか。
国を憂いていても仕方がないので、返事をすることにした。そろそろ殿下の目つきが「俺がラミア様と結婚するって正気ですか? 頭打ったんですか? そこから禿げろ」とか言おう。
と、そこまで考えて、ふと気付いたことがあった。
あまりにも普通のことのように言うから、理解が追いついていなかったが、そういえばこいつ、「結婚しろ」って言ってたな。
……結婚?
結婚って、あの結婚?
俺が、ラミア様と――?
「私が、ラ、ラミア様とけっ、ぐっ、けっこ、くッ……!」
言えるわけがない! ラミア様と結婚って!? 何事!? 俺たち今そんな話してたの!?
なんなんだこの王子。なぜそんな、「ちょっとそこで逆立ちしろ」と同じようなトーンで言えるんだ? 人の心とかじゃなくて、そもそも心がないのか!?
ラミア様と、結婚するなんて、そんな……恐れ多いし、少しでも「出来たら良いなあ」とか思っちゃっている自分が醜い人間すぎて嫌。死んだほうが良い。誰か殺してくれ。できるわけないだろこんな性悪と天使が結婚とか。
「鶏の真似は良いから早くしろ。どうせお前は準備するんだろう。ちょうどいいから、俺とリリーの婚約披露宴でやれ」
「は!?」
というわけで、暴虐の第二王子により決定された、俺とラミア様の結婚(もとい婚約)。
それはつい先程、彼女の承諾をもって達成された。
そう。
なんとも信じられないことに、達成されてしまったのだ。
さて、現在。
俺は、一切の躊躇もなく俺のエスコートを受け入れた、いっそ幼気な彼女を、馬車に連れ込んでいた。
客観的に見て大犯罪である。俺は捕まったほうが良い。なぜ親告罪というものが存在するのか。
「……君は、理由を訊かないのか?」
あああごめんなさいラミア様。俺の考える「シゴデキかつ冷静沈着判断力の塊男」は殿下なんだ。だから口調も高圧的になっちゃうだけでほんとは、ほんとは違うんだ、ごめんなさい。
絶対に変態とかだとは思われたくないので、俺とラミア様は対角線上に座っている。そして俺は外を見ている。ジロジロ見たら、俺が本当はクズで無能でどうしようもない変態だとバレてしまう。それで彼女が怯えたら、もう、俺は腹を切ってお詫びするしかない。崖から身投げでも良い。死ぬしかない。
「聞いても詮無きことですので」
彼女はそう答えた。俺は外を見ているので表情は伺えなかったが、落ち着いた声音だった。
そう、俺の女神はとてつもなく優しい。今だって、理由は聞かずにそっとしておいてくれている。心根が美しいからこういうことができるのだ。
俺が、正しくて、思いやりがあって、この世の全ての人間より優秀だったら、ラミア様にも釣り合うのかもしれない。本当に、彼女と俺が結婚できたら、どんなに幸せなことだろう。
そんなありえない未来を思い描き、俺は目を瞑った。
ちょっと、あんまりにも彼女が近いから、休憩させてくれ……ちょっとでいいから……
◇ ◇ ◇
披露宴を途中で抜け出し、クロウ様の馬車に乗り込んだ私は、考え事をしていた。
なぜ、この馬車には私と彼しか乗っていないのだろうか。
通常、未婚の男女が密室にいるのは悪しきこととされている。今の状態も、一般的には良くないとされる。婚約者とはいえ、である。
考えられる可能性はいくつかある。
まず考えられるのは「愛人として囲いたい」という意思表示。
貴族社会では許されないことをして、遠回しに「結婚してくれというのは偽装であり、本命が他にいる」ということを伝えたいのかもしれない。
彼は見目が良いから、「他に本命がいたとしても、愛人としてでもいいから結婚して欲しい」と言ってくる人も居るだろう。そういう人だと思われたのだろうか。確かに、それが彼のためになるのなら喜んでしようと思うから、当たっている。さすがだ。
また、彼の家庭が、例えば異国の風習を取り入れており、一般的な常識とは違う価値観を持っている可能性もある。
サントレアは他国との貿易が盛んな場所であったはずなので、それもあり得るだろう。ただ、危機管理が甘すぎると言いたくなってしまう。私のようなものが彼の近くにいたら、何が起こるかわからないのだから。
あとは、密室の定義が異なる可能性もある。馬車というのは動いているが、いざとなればすぐさま逃亡を図ることが可能だ。壁も一枚しかない。故に、密室ではないと思っていてもおかしくはない。
そう考えながら、ふと向かいを見た。彼は何をしているのだろう。
さきほど話しかけてきた彼は、今は窓枠に肘をつき、目を閉じていた。疲れたのだろうか。
……そういえば、この馬車は私の家のものと似ているので、あれがあるかもしれない。
ドレスのスカートを手で押さえ、座席の下を覗き込む。少々はしたないが、誰も見ていないので良いだろう。彼も寝ていることだし。
狭い空間をじっと見つめると、暗闇に目が慣れ、私はそれを発見した。やはり、この型の馬車の、備え付けの備品のようだ。
そして手にした、柔らかな黄色をしたその毛布を、彼の肩に掛けたとき。
彼は私の腕を掴んだ。
◇ ◇ ◇
彼女が、俺に、毛布を掛けた。目を瞑っていたから、眠っていると思ったのだろう。優しい。
そう思いながらうっすら目を開くと、天地がひっくり返ったような衝撃が俺を襲った。
天使が笑っている。
そして、その天使の手が、俺の、おれのかたに、ちょっとふれた。
触れた……!?
体が勝手に動き、俺は彼女の腕を掴んでいた。離れていくのが惜しくて、無意識だった。
そして、クズな俺は、無意識に、彼女の心を読んでしまった。
(クロウ様、寝ていたんじゃなかったの? ……ああ、やっぱりいい匂いがする。こんな人と私が同じ空間にいるのは良くない。きっと、彼は知らないんだろう。私がカスであることとか、自分のことしか考えてないこととか、せめて私が、もう少し心がきれいな人だったら、彼に好意を持っていることも、もう少し肯定できたのかもしれない、というかどうして腕を掴んでいるんだろう)
彼女は、凄くいろんなことを考えていた。殺意が高いときの殿下と同じくらい考えていた。なんということだろう。やはり彼女は頭の回転が早く、何でもできる天使なのだ。思わず、どうでもいいことを考えてしまう。
流れてきた思念に、俺は完全に動揺して、やらかした。
「あっごめんなさい、ほんと、申し訳ない、未婚の女性に、ていうかここ密室か! すみません配慮が至らずあっ俺降りたほうが良いですよね!?」
あ、と思ったときには遅かった。もはや別人。人格崩壊である。「あ」って言い過ぎ。本当にひどい。
先程まで被っていた「シゴデキかつ冷静沈着判断力の塊男」との落差がひどすぎた。彼女の記憶ごと俺を抹消してくれ。クズはどう頑張ってもクズにしかなれない。彼女に恐怖を与える俺は消えたほうが良い。
しかし、いきなり挙動不審になった俺に、彼女は態度を変えること無く、
「いえ、構いません。私は大丈夫です」
と言った。やっぱり彼女は天使だった。俺はなんて幸運なんだろう。彼女に毛布を掛けてもらえるなんて!
許可をもらったことに安心して、両腕を掴んでいた手を移動させ、そのまま彼女の両手を包み込む。これは実質、手を繋いでいることになるんじゃないだろうか。愛し合っている者同士がやる、あの仕草。手を繋ぐという行為を、俺と天使がやっているのか……!? 歴史的快挙である。
そして、麗しの天使と手を繋いだまま、彼女の顔を見ていると、だんだん落ち着いてきた。今日も素晴らしいまつげだ……血色が悪いのはいつもながら、少し気になる。が、やはり彼女は内側から滲み出る神々しさがある。はぁ、落ち着く……。
落ち着いて、落ち着いたから、気づいてしまった。
さっき彼女は、「彼に好意を持っている」と思っていた……!?
俺は、クソ王子からの圧でおかしくなってしまったのかもしれない。そう思ったが、明らかに彼女は「彼に好意を持っている」と思っていた。ということは、つまり
「ラミア様って俺のこと好きなんですか!?」
俺はそう叫んだ。彼女の手をぎゅっと握りながら。
もう皮を被るのは諦めた。無理。衝撃が強すぎる。取り繕ってる場合じゃねえ。
俺の言葉を聞いた彼女の顔色が、雲のように白くなった。
え……? やっぱり幻覚だった……?
先程までの穏やかな空気は一転、重苦しい沈黙が、狭い馬車の中を満たしている。
彼女は、痛みを堪えるようにまつ毛を伏せ、唇を噛む。
噛むなら俺の手にして欲しい。痛そう。何で俺は彼女を傷つけているんだ。死にたい。こんな事言わなきゃよかった。……あ、ちょうどいいところに。あれで首を切って死のう。それを詫びとしよう。それが良い。
壁に掛かっている、彼女の護身用に置いておいた短剣で、首をかききろうかと決意した、そのとき。
彼女は、絞り出すようにこう言った。
「……ええ、そうです」
ええ、そうです……?
「ヤッター! じゃあ今日からうち来ますか!? アッ早いですよねでも今からそのまま教会行きたいんですけど良いですか!? 気が変わらないうちにいや気が変わったらぜんぜんあの捨ててもらって構わないんですけどとりあえず籍は入れましょう!」
世界は俺の手の中にあった。
「え……?」
視界がひらけ、全てが輝き出す。首切らなくて、良かった!
本当に嬉しい。まさか、彼女が本当に俺のことを好きだったなんて! ……ということは、これで彼女が一生俺のものってこと!? 信じられない! 最高かよ! 殿下、クソとか言ってごめん! 婚約者殿ありがとう! 俺達、結婚しま〜す!
あまりの嬉しさに、彼女を抱きしめた俺は、その柔らかさで即座に正気に戻り、土下座しようとしたら、頬を染めた彼女に止められた。
俺の天使は、俺の天使になってくれたのだ!
◇ ◇ ◇
ラミア・ファイ・キュリーは貴族であった。
辺境の地を故郷に持ち、高山の中腹、凍える環境でもたくましく生き抜いてきてくれた、美しい心根と鋭い視点を持つ、クロウにとっての天使様だ。
そんな人が、俺の隣に座っているというだけで、この世界の全てに感謝したくなる。
しかも、今はもう、ラミア・ファイ・キュリーではない。
ラミア・ファイ・サントレア――俺の、奥さんになったのだ! きっと、俺の人生はラミア様に会うためにあった。あなたを幸せにすること、それが俺の人生の意義だ。
と、彼は本気で思っているらしい。それを、嫌と言うほど教え込まれた。ひたすら自分を褒められるというのは、すごく恥ずかしいことなのだと、初めて知った。
彼が言うには、私は天使なのだそうだ。違うと言ったら、この世の終わりみたいな顔をしたあと、私を抱きしめ、どこからか書類を取り出し、「ラミア・ファイ・サントレアは天使である」ことについて滔々と説明された。
その間、私はずっと彼の膝の上だった。彼は、距離が近い。夫婦とは言え、貴族としてはあるまじきほどに。
でも、困ったことに、全く嫌ではなかった。
だって、私は彼が好きだから。私は彼を好きでいいと、そう言ってくれたから。
私は、ラミア・ファイ・サントレア。
クロウ・ファイ・サントレアの妻にして、彼の天使。
そして、貴族である前に、一生をかけて彼にこの気持ち――彼を愛していること、彼に感謝していることを伝えようと、そう思っている、一人の女だ。
「クロウ様」
「どうしました? ……あっ、馴れ馴れしかったですか!?」
「いいえ」
次は私が、教えてあげなくちゃ。
「クロウ様のこと、きっと、あなたが思っているより、ずっとずっと――好きですよ」
「は!?」
クロウ・ファイ・サントレアは貴族である。
そして、私の夫で、私の一番好きな人。
そう、私だって彼に負けないくらい、彼のことが、大好きなのだ!
お読みいただき、ありがとうございました! 楽しんでいただけたなら幸いです。
読んでいただけたというだけでも、とても嬉しいです。ありがとうございます。
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また、誤字脱字等ありましたらお気軽にお知らせください。直します。
ちなみに、「ファイ」というのはこの国の貴族であることを示す、国号みたいなものです。




