共同作業(第7話)
翌日の放課後、私は化学室の前で立っていた。扉の向こうからは何の音もしない。誰もいないはずなのに、心臓の音がやけに大きく聞こえる。昨日のエッセン・ラーデンでの約束が、現実になる瞬間だ。
「……よし!」
小さく息を整えて、扉を開けた。
中は薄暗く、窓から差し込む夕陽が机の上を赤く染めていた。鳴沢はすでに来ていて、ノートを広げていた。机の上にはタブレットが無造作に置かれている。彼は私に気づくと、少しだけ視線を上げた。
「……近藤さん、来たんだ」
「うん。約束したし」
「ありがとう。まさか、化学室を借りられるなんて、近藤さんのおかげだよ」
「伊達にいい子してないからね」
私は机の向かいに座り、ノートを取り出した。中学生の時に書いていたポエムを思い出しながら、言葉を探した。だけど、真っ白のノートを前にすると、何も浮かんでこない。
「──どうやって始めればいいの?」
1人悩んでいるように見せかけて、鳴沢の方を見た。
鳴沢は少し考えてから答えた。
「うーん……まずは、言いたいことを決めて、そこから話を広げるとか」
「言いたいこと……」
私はペンを握りしめて、頭の中で言葉を探した。誰にも言えない気持ち。誰にも見せられない言葉。ラジオを聞いていた夜のことを思い出した。
「……誰にも言えない気持ちを、声にしたい」
鳴沢は笑って頷いた。
「それでいいんじゃない。じゃあ、その言葉を歌詞にしてみよう。近藤さんの詩はどれも良かったから、綺麗な言葉が書けると思うよ」
「うん」
私はノートに書き始めた。
「出会った瞬間から胸がときめいて……」
鳴沢が横から覗き込み、少しだけ笑った。
「勝手に見ないでよ」
「ごめん。でも、いいと思うよ。僕の歌に合っていると思う」
その言葉に、胸が熱くなる。自分の言葉が認められるなんて、初めてだった。
「こんな痛いポエムでも、誰かの心に届くのなら、書くのも悪くないね」
恥じらいは捨てきれないけど。
そのとき、化学室の扉が勢いよく開いた。心愛と莉里が顔を覗かせる。
「鳴沢君。進捗はどうかな?」
私は慌ててノートを閉じた。
「べ、別に! 順調だよ!」
心愛はニヤニヤしながら、鳴沢を見ていた。
「鳴沢君。玲那の歌詞はどうかな?」
「うん。すごくいい歌詞を書いてくれているよ。例えば……」
「鳴沢! 言わなくていい!」
鳴沢の正直すぎる性格もどうにかしたい。
心愛が先に知ってしまえば、永遠に私がいじられる。心愛にだけは知られたくない。
「歌って、どういうこと?」
莉里は、相変わらず何もわかっていなかった。
「え? 鳴沢って歌うの?」
前言撤回。何かに気づいている。
「もう莉里。だから付いてきても、話わからないよって言ったじゃん」
「そんな仲間はずれみたいなことやめろよ。悲しいだろ」
莉里に詰められた鳴沢は、馬鹿正直に全部話した。というか、昨日のことを改めて説明していた。
莉里は驚いて、目を丸くしていた。
「え! 鳴沢って歌うの?」
「恥ずかしながら……」
心愛は、私の方を軽く叩いた。
「玲那。いいじゃん。才能あるよ」
私が見ていない間に、心愛は私のノートを手にしていた。
「勝手に見るな!」
心愛からノートを取り上げ、強く抱きしめた。
「玲那ちゃん、顔赤いよ。恥ずかしいのかな? でも、ポエムはずっとトプ画にしていたのにね?」
「揶揄うのなら出ていけ!」
でも、心の中では嬉しかった。心愛にも「才能ある」なんて言われて、誰かに認められることが、こんなにも温かいなんて。
心愛と莉里を追い出して、化学室は再び静かになった。鳴沢はタブレットを手に持ち、音を並べた。
「このメロディに、近藤さんの言葉を乗せてみて」
私は頷き、ノートを開いた。声に出すのは恥ずかしかったけど、鳴沢が隣にいたから勇気が出た。
「出会った瞬間から胸がときめいて
君のことばかりを目で追って」
鳴沢の並べた音が、私の声と重なり、言葉が歌になった。胸が震えた。これが、歌を作ることなんだって。
「……すごい」
思わず呟いた。鳴沢は少しだけ笑った。
「僕たちの音楽は始まったばかりだよ。これからもっと作れる」
その言葉に私は強く頷いた。
それから次の日も、その翌日も、放課後の化学室は私たちの作業場になっていた。机の上にはノートとタブレット、そして散らばる歌詞の断片。夕陽が差し込む中で、私たちは言葉を探し、音を重ねた。
時には言葉が出なくなって、沈黙が続くこともあった。私はペンを握りしめ、白いページを見つめる。鳴沢は音を並べながら待っていてくれる。
「焦らなくても大丈夫だよ。もし作れなくても、過去のを歌えばいいから。それに、言葉は出すものじゃなくて、自然と出てくるものだから」
その言葉に救われた。私は少しずつ、自分の気持ちを掘り起こして言った。
「誰にも見せられないノートの落書きが、歌になるなんて」
「僕も、誰にも届いてないと思っていた歌が、近藤さんには届いていた。それだけでも嬉しいよ」
こんな会話を交わしながら、私たちは少しずつ距離を縮めていった。
ある日、鳴沢がふと呟いた。
「……近藤さんの言葉って、僕の歌に合うと思うんだ」
私は驚いて、鳴沢を見た。
「本当に?」
「うん。僕1人じゃ出せないものがある。近藤さんの言葉があると、歌が広がっていく気がする」
その言葉に、胸が熱くなった。私は初めて、自分の言葉に価値があると感じた。
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