書き直し(第28話)
新年明けて早々のことだった。
久しぶりに机の引き出しを開け、奥にしまい込んでいた作詞ノートを引きずり出す。
指先に触れた表紙は、思っていたよりも冷たく、薄く埃をかぶっていた。
軽く息を吹きかけ、払う。舞い上がった埃が、冬の朝の光の中でゆっくりと沈んでいった。
ページを開くと、紙の端は少し黄ばんでいて、そこに並ぶ言葉たちは、まるで他人が書いたもののように見えた。
必死だった頃の自分。
うまくいかない苛立ちや、誰にも届かない焦りを、そのまま吐き出すように書き殴っていた文字。
ペンを持つ手が、最初は少し震えた。
一行目を書こうとして、止まる。
消して、また書いて、結局消す。
納得できなかったフレーズ。言葉にできず、誤魔化してしまった行間。
既存の歌詞を頭の中でなぞりながらも、それに縋りすぎないように、何度も自分を戒めた。
——逃げたくない。
そう思うほど、胸の奥がじんわりと痛む。
言葉を選ぶたびに、鳴沢の顔が浮かんだ。
あのとき言えなかったこと。
勢いのままぶつけてしまった感情。
そして、取り返しがつかないかもしれないと思いながら、見送ってしまった背中。
——それでも、今なら書ける気がした。
感情を押し殺すのではなく、なかったことにもしない。
ちゃんと、向き合うための言葉を。
旅立ちの唄
光差す朝日に胸焦がれて
待ちきれない気持ちで家を出る
新しい世界の光は
どこかへ連れていってくれる気がした
今日が旅立ちの日
未来へと進む1日
小さな一歩が
大きな歩幅へ変わってゆく
恥ずかしがらずに胸張って
前を向いて生きてゆく
花びらを撒き散らす通り風は
新しい気持ちを植え付ける
大きく手を振った姿を
どこかに重ねたりしてみて
今日が旅立ちの日
夢へと進む1日
小さな夢でも
大きな夢へと変わってゆく
恥ずかしがらずに胸張って
明日の世界を生きてゆく
一度きりの人生
最後の一行を書き終えたとき、ふうっと息を吐いた。
肩の力が抜け、背もたれに体を預ける。
「よし……できた」
思わず声に出してしまうほど、胸の奥が少し軽くなっていた。
完璧じゃない。だけど、今の自分に嘘はない。
すぐにスマホを手に取り、鳴沢の名前を探す。
けれど、文字を打とうとした指が、画面の上で止まった。
——まだ、仲直りできてないのに。
こんなものを急に送られても、戸惑わせるだけかもしれない。
歌詞なんて、ましてや未完成の想いの塊を。
そう思い直して、送り先を心愛に変えた。
数秒後、心愛から返事が来る。
「……私に送るな」
即レスだった。
でも、一回きりだし、いいかと自分に言い聞かせて、スマホを伏せた。
その夜のことだった。
心愛から、一つのファイルが送られてきた。
タイトルもなく、説明文もない。ただの音源データ。
少しだけ躊躇ってから、再生ボタンを押す。
静かなピアノの音が、部屋に流れ出した。
派手さはない。けれど、確かな温度を持った旋律。
鳴沢が先に作った音源は、まだ聞いていない。
それなのに、これは——私の書いた歌詞に、確かに寄り添っていた。
まるで、言葉の隙間を知っているかのように。
言えなかった部分を、代わりに抱きしめるように。
旋律が進むにつれて、胸の奥が締めつけられる。
気づいたときには、頬を涙が伝っていた。
音と一緒に、後悔や想いが溢れ出す。
謝らなければ。ちゃんと、鳴沢に。
「……明日、行こう」
小さく呟いて、スマホを胸に抱いた。
♢♢♢
翌朝、いつもより早く目が覚めた。
眠った気がしない。それでも体は軽かった。
簡単に朝食を済ませ、コートを羽織って外に出る。
吐く息は白く、空は澄みきっていた。
歩きながら、どんな言葉で謝ろうか、何度も考えた。
でも、鳴沢の家に着いたとき、そこはもぬけの殻だった。
嫌な予感がして、マリちゃん先生にメッセージを送る。
返ってきたのは、「家族で東京に旅行に行っている」という内容だった。
帰ってくるのは六日の予定。
それまで鳴沢はいないらしい。
直接メッセージを送ることも考えた。
けれど、画面を開いたまま、結局何も打てなかった。
♢♢♢
六日になった。
今日、鳴沢は帰ってくる予定だ。
けれど、何時に帰るのかわからない。
家の前で待つのは、さすがに迷惑かもしれない。
そう思って、何度も時計を見ては、結局何もできないまま日が暮れた。
——明日でいい。
明日、改めて行こう。
そう自分に言い聞かせて、その日は終わった。
♢♢♢
次の日、再び鳴沢の家を訪ねた。
出迎えてくれたマリちゃん先生は、少し困ったような顔をしていた。
鳴沢は、東京に残ったという。
オーディションに受かり、そのまま向こうで今後の話を聞いてきたらしい。
すぐに歌を作るわけではない。
講師の指導を受けながら、歌についての理解を深め、実際に曲を作るのは約一年後。
「だからね……一年は帰らないって」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が静かに沈んだ。
その日の夜。
意を決して、鳴沢に電話をかけた。
呼び出し音が何度か鳴り、やがて切れる。
もう一度かけようとして、やめた。
繋がらなかったスマホを握りしめながら、私はただ、静かに画面を見つめていた。
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