心愛の違和感(第25話)
あとは二人にしたら大丈夫だと思っていた。
なんだかんだ言って、気の合う二人だし、私がいない方が本音で話せて、うまくまとまるだろうと、そう信じて疑わなかった。
だから、ほんの少し席を外しただけだった。
トイレから戻る途中、店内のざわめきに混じって、耳を疑うほど鋭い声が飛び込んできた。
「勝手にしてろ!」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
玲那が怒鳴ること自体が珍しい。ましてや、人前で感情を爆発させるなんて、常識的に考えてありえない。
胸が嫌な予感で締めつけられ、私は思わず走り出していた。
二人が座っていたはずの席には、立ち尽くした鳴沢君の姿があった。
顔色は悪く、何か言おうとしては言葉を失ったように口を開きかけている。
視線の先、窓の向こうには、夕方の光を裂くようにして走り去っていく玲那の背中が、小さくなっていくのが見えた。
「は、羽山さん、どうしましょう……?」
縋るような声だった。
物語の中なら、「追いかけろ」と言うのが定石なのだろう。
でも私は、鳴沢君の肩にそっと手を置いて、席に座らせた。
「とりあえず、何があったのか話して」
ここは田舎だ。
行き先がわからなくても、数時間も探せばだいたい見つかる。
行方不明になる高齢者と違って、若い玲那が山奥に迷い込むことはない。
今は、まず状況を整理する方が先だった。
鳴沢君の話は、意外なほど素直だった。
玲那を楽にさせてあげたかったこと。
暫定的に書いてくれた歌詞をもとに、先に曲を完成させてしまったこと。
そして、それがどうして玲那を傷つけたのか、ちゃんと理解していること。
だから話は早かった。
「話はわかった。玲那に謝ってきな。行き先も、だいたい見当はついてる」
私は頭の中で、玲那が一人になりたくなった時に行きそうな場所を思い浮かべる。
橋を渡って学校方面は、用事がなければ行かない。
鳴沢君の家もあるし、大熊神社は今の気分では行きづらいはずだ。
橋の先の住宅街も、咄嗟に向かう場所じゃない。
残るのは――中学校の方面。
候補は五つ。
莉里の家。
昔よく遊んだ祠。
中学校横の公園。
中学校裏のお寺。
少し遠いけれど、辰神神社。
「この中のどこかにいると思う。莉里の家には私が行く。あとはお願いね。祠は、坂を下りて右に曲がって、そのまままっすぐ」
「わかりました!」
店を出ると、夕方の風が肌を撫でた。
走り出した鳴沢君の背中に向かって、私は声を投げる。
「あとは任せたよ!」
鳴沢君は振り返らず、代わりに拳を空に突き上げた。
私は莉里の家へ向かった。
庭先に置かれた自転車を見て、胸の奥で小さく安堵する。
呼び鈴を鳴らしても返事はなく、扉が開いているのを確認してから、家の中に向かって声を張り上げた。
「莉里ー! 玲那、来てる?」
しばらくして、階段を小走りで降りてくる音。
イヤホンを耳からぶら下げた莉里が、不思議そうに首を傾げた。
「いないけど? 何かあったの?」
莉里は今、大学受験に向けて必死だ。
余計な心配はかけられない。
「新作のお菓子を食べてもらおうと思って探してるだけ」
「へえ。今回はどんなの作ったの? 来るなら持ってきてよ」
「ごめん、慌ててて忘れた」
「もう、心愛って肝心なとこでいつもそうなんだから。次来る時は絶対ね」
「わかった。玲那が見つかったら、三人で食べよう」
「いいね。私も久しぶりに心愛の店、顔出そうかな」
「うん。たまには息抜きも大事」
「ありがとう。じゃあ、よろしくね」
莉里の家にも、玲那はいなかった。
すぐに鳴沢君へメッセージを送る。
けれど、なかなか既読はつかない。
空がオレンジ色に染まり始めた頃、店の外で旗を片付けていると、既読通知とほぼ同時に、鳴沢君が現れた。
俯いたまま、肩を落として立つ姿を見て、結果は察しがついた。
「……仲直り、できなかった?」
鳴沢君は、黙って頷いた。
祠で玲那を見かけたこと。
そこに笹川君がいて、楽しそうに話していたこと。
その光景を見て、自分は玲那の隣に立つべき存在じゃないと思ってしまったこと。
「笹川は幼馴染なんだから、楽しそうに話してても不思議じゃないよ。
それに、玲那は鳴沢君と音楽を作りたいって言ってくれたんでしょ?
もう少し、玲那を信じなよ」
私はため息混じりに続けた。
「あとさ、大事な連絡はちゃんと入れな。
鳴沢君、一人で抱え込みすぎ。もっと周りを頼って」
「……ごめんなさい。善処します」
「その言葉、玲那にも言ってあげて。間は取り持つから」
「き、機会があれば……」
「だめ。明日、機会は作る。絶対」
「そ、それは……心の準備が……」
「大丈夫。そんなの気のせい。いざとなったら勝手にできるから」
鳴沢君を見送ってから、スマホを手に取った。
玲那への誘い文句は、いつも決まっている。
(玲那、新しいお菓子作ってみたから、明日食べにおいで)
(いや。行かない)
即答だった。
(なんで?)
(今回はクッキーだよ)
(玲那、クッキー好きでしょ)
(プリンが良かった?)
(プリンも用意してるよ)
(玲那? 聞いてる?)
(おーい)
(家に突撃するよ?)
返事は、もう来なかった。
いつもと違う。
そのことだけが、胸に引っかかって離れない。
不機嫌な時ほど、玲那はお菓子を頼る。
なのに、今回は違う。
何が原因なのか、頭の中で必死に探してみたけれど、どこにも答えは見つからなかった。
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