文化祭(第17話)
9月も終わりに差し掛かり、朝の空気はささるように冷たくなった。校庭の木々はところどころ葉の縁が黄色くなり、枝の間から差し込む光は細く頼りない。つい1ヶ月前まで四十度を越えていたなんて、信じられない。山に囲まれたこの地区は、夜の冷え込みが一気に来る。息を吐くたび、白くはならないものの、胸の奥がひゅっと縮むほど冷たかった。
私は、首にマフラーをギュッと巻き直した。ふわりと触れた毛糸の感触が、少しだけ心を落ち着けてくれる。
校門前には、心愛と莉里が並んで立っていた。2人の吐くため息がふわっと揺れ、登校する生徒たちの足音が湿ったアスファルトに吸い込まれていく。
「おはよう……」
「格好が冬だね」
「マフラーは早くない?」
「いきなり十度になるとか聞いてない」
「今日は特にらしいね。十一月の終わりくらいらしいよ」
「くっそさみーわ」
朝の昇りきらない光に照らされながら、私たちは肩を寄せるようにして校舎へ向かった。扉を開けると、ほんのりと温かい空気が頬に当たり、ほっとする。
教室に入ると、何人かが体操服に着替えて文化祭の準備をしていた。机が端に寄せられ、黒板にはチョークで雑にメモが残っている。ガムテープのちぎれる音、机を運ぶ低い唸り声、工作用ボンドの甘い匂いが混ざり合って、いつもの教室とはまるで違う。
文化祭まではあと1週間。佳境に入ったはずなのに、勉強が忙しいせいか進みは遅い。それでも、心愛の伝手で炭火台を借りられたおかげで、私たちの出し物は焼き鳥のあたため販売という比較的簡単なものに落ち着いた。火の扱いの制限もあり、法律的にも妥当なラインだ。
準備期間は3週間あったはずなのに、参加者が集まらず、チラシでさえ作れていない。見かねた先生が全員参加にしたが、状況は相変わらずだった。
「鳴沢ー、大丈夫?」
「大丈夫です。もう緊張して手は震えているけど、暇人なので」
鳴沢は、文化祭準備が始まってから毎日、朝も放課後も欠かさず来てくれていた。机の端で作業するその姿勢は真っ直ぐで、薄い肩が細かく震えているのがわかる。
「無理はしないでね」
「大丈夫。こうでもしてないと、あのことを考えて、吐きそうになるから」
「絶対に考えちゃダメだよ。授業も集中してね」
鳴沢の目から、光がすうっと抜け落ちたように見えた。
「もう……テストやだ」
「まだ大丈夫だって。文化祭終わったら手伝ってあげるから」
「本当にお願いします……」
その声は小さく、教室のざわめきにすぐ溶けた。
「わかったって。最後くらいもっと頑張ろう」
「はい……」
鳴沢は手を止め、自分の指先をじっと見つめた。
「……普段から頑張ってるつもりなんですけどね……どうしても、テストが近づくと、どうでもいいことばかりしてしまうんです……」
「わ、わかるよ……謎に部屋とか掃除しちゃうよね……」
「そうなんだよ……教科書開いても、今まで気にならなかった、テストとは全然関係のないページにばかり目がいってしまうんだよ」
「ああ……」
本当はそんな経験はない。でも、赤べこみたいに頷くことでしか寄り添えなかった。
♢♢♢
文化祭当日。
校舎は、いつもとまるで違う匂いに包まれていた。焼きそばのソースの焦げた香り、綿菓子機がまき散らす甘ったるい匂い、絵の具や木材の香りが廊下に流れ込む。玄関ホールでは風船が割れる音がして、外からは太鼓のような軽音部のドラムが響いている。
私は制服の上からカーディガンを羽織った。胸の奥で、心臓の鼓動がいつもより速い。手のひらがじんわり汗ばんでいた。
「玲那、緊張してる?」
心愛が笑いながら肘でつついてきた。
「……ちょっとだけ。でも、楽しみの方が大きいかな」
教室に入ると、鳴沢は席で固まっていた。まるで石像みたいに微動だにしない。
「鳴沢、おはよう」
「お、おはようございます……」
声はか細く、指先は震えていた。鳴沢にとって明日は、運命の日。緊張は当然だった。
「鳴沢! 大丈夫! 今はとりあえず目の前のことに集中しよう!」
「はい!」
鳴沢の声は裏返り、周りの男子がちらっと振り向いた。
「落ち着いて!」
焼き鳥の温めは男子が交代で行い、女子は接客と呼び込みを担当した。私は呼び込みに駆り出され、気づけば鳴沢とは離れ離れになってしまった。
鳴沢、大丈夫かな……。文化祭ですら緊張してるのに……。東京に行ったら倒れるんじゃないかな。
「玲那、難しい顔して何考えてるの?」
「ごめん。ちょっと鳴沢のことが気になって」
「ああー確かに。あの緊張具合はやばそうだもんね」
「心配で、私まで緊張しちゃいそうだよ」
「緊張をそのまま持っていかないといいね」
「やればできる子だから、大丈夫だよ」
強がって言ったけど、私自身も胸の奥のざわつきが消えなかった。
文化祭は順調に進んだ。私たちのクラスの焼き鳥は大盛況で、3クラスしかない学校なのに見事1位をとった。教室には煙の香りが薄く残り、机に貼ったポスターの端が少し波打つほどの熱気だった。
田舎だから、打ち上げのできる場所はエッセンラーデンしかない。夕暮れに染まり始めた校門を出て、クラス全員でぞろぞろと店へ向かった。道端のコスモスが風に揺れ、その向こうで山の稜線が赤く沈みかけていた。
心愛の両親が腕によりをかけて、私たちのためだけに特別メニューを準備してくれた。店内には温かい湯気が満ち、鉄板から立ちのぼるいい匂いにお腹が鳴る。やがて先生も合流し、窓の外の空が藍色に変わるまで、私たちは食べて飲んで笑った。
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