追い討ち(第16話)
次の日。
朝の光が校門の鉄柵に反射して白くきらめいていた。まだ八月の名残のような暑さがアスファルトをぼんやりと揺らしている。そんな中、校門で私を見つけた心愛が、歩く速度を少しだけ速め、眉をひそめた。
「どうしたの?」
「なんでもない。映画を見ていた」
心愛は腕を組み、近くで私の顔をじっと覗き込む。湿った風が髪をわずかに揺らした。
「もしかして鳴沢君関係?」
「違う」
「絶対そう。何があったのか話してみ。それとも、放課後に家来る?」
「うん。行く。メロンクリームソーダ飲む」
「わかった。先に帰って用意しておくから、ゆっくり来て」
心愛は優しい顔で私の肩を軽く叩いた。少し体温の残ったその手の感触が、胸の奥の何かをそっと溶かす。
「玲那。悲しい時は悲しいって言っていいんだよ。友達なんだから、強がらなくていい」
その言葉が胸の内側にじんわり広がり、熱を帯びる。思わず視線を落とすと、地面に差した朝の影がわずかに揺れていた。
「ありがとう。鳴沢には絶対言わないで」
心愛は無言で頷いた。夏の名残の風が、心愛の小さな呟き――「ほんと、無理しすぎなんだから」――をかき消していった。
「行こ。教室に入る前に、顔整えてあげる」
心愛に連れられ、私は学校に着いてからいちばんにトイレへ向かった。鏡に映る自分の目元は少し腫れていて、昨夜の感情がまだ残っていた。
♢♢♢
夏休みが明けた学校は、どこかざわついた熱気を含んでいる。放課後になると、図書室の蛍光灯が白く反射し、教室のあちこちで参考書のページをめくる音が絶えなかった。鉛筆の細い音すら、いつもより鮮明に聞こえる。
私はその受験ムードの廊下を抜け、ゆっくりと心愛の実家――エッセンラーデンへ向かった。夕日がビルの隙間から差し込み、道路をオレンジ色に染めていた。
「玲那、遅かったね」
店のベルが軽やかに鳴り、心愛が顔を出す。木のテーブルと甘い香りに包まれた店内は、外より涼しくて心がほどける。
席に座ろうとした瞬間、再びベルが鳴った。
「ごめん、遅くなった」
鳴沢が入ってきた。私は心愛に鋭い視線を向ける。
「悩んでいること、全部ぶつけたらいい。言わないなんて玲那らしくない」
そう言い残し、心愛は厨房へ消えた。ドアの閉まる音が妙に大きく響いた。
「鳴沢も何で来たの?」
「羽山さんが話したいことあるって……断ったらエクスネクのことクラスにバラすって言われたから」
あの野郎。心の中で悪態をつきつつ、ため息が勝手に出た。
「面倒なことになったけど、隠していても仕方ないもんね」
鳴沢は本当に理解できていないらしく、首をかしげている。店内の柔らかい照明が彼の表情を淡く照らしていた。
私は深呼吸して、鳴沢に頭を下げた。
「鳴沢、ごめん! 鳴沢に東京行ってほしいのは事実だけど、素直に言えば行ってほしくない――」
口にする言葉が、胸の奥を掘り起こすようで痛い。テーブルに置いた手が、少し震えていた。
「私、鳴沢と一緒に歌を作るのが好き。だけど、私の夢は歌を作ることじゃない。でも、鳴沢とこれからも歌を作りたいって思ってしまっている。わがままなことはわかっているよ。考えちゃいけないって思っても、どうしてもそのことばかり考えてしまう。鳴沢の夢に私が介入していいわけないのに。だから、ここで踏ん切りをつける。鳴沢……東京に行っても頑張って。またファンに戻るのは嫌な気持ちもあるけど、一緒に歌を作っていたことの方が不自然だから。鳴沢の歌、これからも応援する」
言い切る頃には、胸にかかっていたモヤのようなものが風に飛ばされたように消えていた。けれど鳴沢は、なぜかニコリと笑った。
「近藤さん。幾つか勘違いしているよ」
「え?」
「そもそも、僕の夢は歌手じゃないし、東京へ行くつもりもない。それに……エスクネクは、高校で辞めるつもりだった」
ぽたり、と音がしそうなくらい、堪えていた涙が溢れた。木のテーブルに落ちた涙の丸い跡がじわりと広がる。
鳴沢は、まさか自分の言葉で泣かせるとは思っていなかったらしく、やたらと手をばたつかせて焦りだした。
「だ、大丈夫ですか、近藤さん?」
「ごめん……大丈夫。気にしないで……」
照明の光が歪んで見える。“気にしないで”なんて言葉が嘘だって、私自身がいちばん知っていた。
そこへ心愛がタイミングよく戻ってきた。メロンクリームソーダの緑が、グラス越しに光を受けて綺麗に揺れていた。
「え、鳴沢君何したの?」
「あ、いや、その……僕が悪いのです! ごめんなさい!」
心愛に向かって深く頭を下げる鳴沢。その慌て方が可笑しくて、少し気持ちが落ち着いた。
「心愛。悪いのは鳴沢じゃないから。大丈夫だよ」
「いや、僕のせいです……僕が……」
「とりあえず隣いい? 私も混ぜて」
反対する暇もなく、心愛が私の隣にドサッと座る。鳴沢は身振り手振りで状況を説明するが、心愛は「全然わからん」と顔に書いている。
結局、私が最初から説明した。
「なるほど。つまり、玲那が勝手に勘違いをしまくってて泣いていたと」
「だからそう言ってるじゃん! 蒸し返さないでよ! 恥ずかしい」
心愛は肩をすくめつつ、鳴沢に向き直った。
「でも、鳴沢君、本当なの? 高校で辞めるつもりなんて、もったいなくない?」
「そうでもないですよ。もともと、素人が勝手に始めたことなので――」
静かな店内に、鳴沢の声が穏やかに響く。外では自転車のブレーキ音が遠くでかすかに聞こえた。
……高校で終わりにするつもり。
初めて聞く“終わり”の言葉が胸に引っかかった。
「鳴沢……鳴沢は本当にそれでいいの?」
鳴沢の目には一片の迷いもなかった。
「はい。もともと決めていたことだから。でも、オーディションに受かってしまったらどうしようかな。大手に所属できたら、人気者になれたりするのかな」
甘い未来を想像する鳴沢が少しおかしくて、少しだけ苦しかった。
「あ、それと、近藤さん。勘違いしているようですけど、僕は例えオーディションに受かったとしても高校は卒業するつもり。エクスネクはそれまでは続くし、近藤さんの詩、歌いたいから、今後もよろしくお願いします」
「うん……!」
胸の奥に渦巻いていた複雑さが、少しだけ形を変えた。嬉しいのに、しがみつきたいのに、それでも別の未来が見え隠れする。
「近藤さん。オーディション、10月の10日と11日に決まった。土日だから学校には行けるけど、勉強大丈夫かな」
「文化祭……もあるしね」
言われた瞬間、鳴沢が「あっ」と小さく声を漏らし、頭を抱えた。
心愛。その追い討ち言っちゃダメ。……でも、言うよね。心愛だし。
二週間後には文化祭。
その一週間後にテスト。
さらに進路調査。
店の時計の針が静かに進んでいるのに、時間だけが加速していくようだった。
――十月は、忙しい月になる。
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