夏の歌(第14話)
夏休みも終わりに差し掛かった。今年の夏は近年で最も暑く、この辺りでは珍しく、気温は四十度を目前にしていた。
陽炎がゆらゆらと道路の向こう側を歪ませ、アスファルトから立ち上る熱気が肌にまとわりつく。
「暑っ……」
額の汗を手の甲で拭いながら、私は自転車を漕いで、心愛の家――エッセンラーデンを目指していた。
ハンドルは陽に焼けて熱を帯びているし、背中のランドセル風バッグは汗でじっとりと湿っていた。
学校の化学室にはエアコンがなく、ついこの間、打ち合わせに使ったが、窓全開でも蒸し風呂のような暑さになってしまい、私たちは逃げるようにエッセンラーデンへ避難したのだ。
店のドアを開けると、涼しい空気が胸の奥まで流れ込む。レモンとミントが混ざったような、心愛特製の芳香剤の匂いがふわりと鼻をくすぐった。
「いらっしゃい……なんだ、玲那か」
「おい、客だぞ。ちゃんと接客しろよ」
カウンターの中で髪を後ろでまとめた心愛は、いつも通りの無愛想さで肩をすくめる。
「場所使わせてあげてんだから、文句言わないで。それとも何? また化学室でいいの?」
「……調子乗ってすみません。ありがたく使わせてもらいます」
「わかればよろしい。メロンソーダでいい?」
「プリンもつけて」
「はいはい。私のオリジナルね」
「変な味じゃないよね?」
「大丈夫! 昨日食べて美味しかったから!」
「じゃあ、それで」
「毎度〜。適当な席に座っててね」
「あーい」
鳴沢の姿を探す。午後の日差しが店内に斜めに差し込み、テーブルの上に細い影を落としていたが、その中に彼の姿はまだなかった。
入ってすぐの席に腰を下ろそうとしたとき、カランカランと軽やかなベルが鳴った。
扉が開き、強い日差しの向こうから鳴沢が飛び込んで来た。首元に汗がにじみ、息が少し上がっている。
「ごめん。遅れた……」
「大丈夫だよ。時間なんてあってないようなものだから」
彼が私の正面に座ると、すかさず心愛が水滴のついたメニューを手にやってくる。
「鳴沢君、いらっしゃい。飲み物何にする?」
「あ、ああ、じゃあ、コーヒーで……」
「アイスでいい?」
「あ、はい。お願いします」
氷の音がカランと鳴るピッチャーを持って心愛が奥に戻る。
飲み物が来るまでの間、テーブルの上では私と鳴沢のノートや楽譜が風に揺れ、小さく擦れる音がしていた。
「夏祭りの時の歌なんだけどさ、歌詞は一応できた。でも納得がいかなくて」
「僕も、曲はできたけど、満足はしていない」
「次の更新まで時間はあるけど、どこまでクオリティーを上げられるか、不安ではあるな」
「はい……近藤さんのおかげで時間を割くことはできているけど、正直、これ以上良くなるとも思えない」
「夏の歌だから、夏の間に作ってしまわないとって、焦ってしまったのがダメだったのかな」
「そんな気がする。ごめん……僕が花火を歌にしたいって言ったから……」
「鳴沢のせいじゃないよ。私だって、あの花火を見たら歌を作りたくなったんだから」
冷房の音が低く唸る中、私と鳴沢の席だけ、湿ったような重い空気が漂っていた。
「大丈夫? 二人とも」
「あ、心愛……メロンソーダありがとう」
シュワッと弾ける炭酸の音が、少しだけ気持ちを軽くする。
「何があったの?」
「実はね……歌はできているんだけど、どっちも納得がいっていないっていうか……こんな歌を世に出していいのだろうかって、悩んでて」
「本当は聞いてアドバイスができたらいいだろうけど、歌のことなんてわからないからね。でも、悩んでいるのなら出してみてもいいんじゃないかな。下手な歌でも、今後の糧になるよ」
心愛は、棚からプリン皿を二つ取り出し、軽やかな手つきでテーブルへ置く。照明に照らされて揺れるプリンは宝石みたいだった。
「それに、もっと音楽を知った時に、『なんでこんなつまらない歌を作ったんだ』って笑い話にできる。最初の間は、どんなに下手でも作ってなんぼよ。鳴沢君の分もプリン置いておくね」
心愛の言葉が静かに胸に沁みた。
よし、プリン食べたら覚悟を決めよう――そう思って皿を見ると、そこにあったのは鮮やかな黄色ではなく、深い緑のプリンだった。
「心愛、これ何? 抹茶?」
「かぼちゃの皮。勿体ないから、使えないかなって、そしたらこうなった。まずくはないよ」
スプーンを入れると、ぷるんとした弾力があるのに、どこかザラッとした抵抗が指に伝わる。
勇気を出して口に入れると――確かにまずくはない。でも、美味しいとも言えない。ただ、
「皮みたいなのが少し気になるね」
「そうなんだよね。でも、裏ごししたら、身が残らなかったし、味がただのプリンになってしまって、かぼちゃプリンを作ってる意味がなくなっちゃうの。だからこれは試作じゃなくて失敗作。素直な感想が知れてよかった」
「でも、まずくはなかったよ」
「僕も全然食べられると思います。もったいないを再利用する心意気には感動しました」
「ありがとう」
――再利用。
鳴沢が口にしたその言葉に、胸の奥がピクリと反応した。
積み上げてきた言葉。昔書いたポエム。しまい込んだままのノート。
「……そうか、昔のポエムから言葉を探せばいいんだ」
小さな呟きは、冷房の音に混じって二人には聞こえていなかった。
「鳴沢! 歌、作り直せる?」
「え、あ、うん。大丈夫だよ」
「歌詞を全面的に変えるから、合わせて歌を作って」
「わかった」
私は歌詞ノートを広げ、さっきまで悩んでいた歌詞に大きくバツをつけた。
心の中にあったもやが、スッと晴れていく。
「大胆だね」
隣で心愛が笑う。
「名残惜しいけど、消さないと囚われてしまうから。こればかりは仕方ない」
新しいページにペンを滑らせる。インクの匂いと緑茶のようなプリンの香りが混じり合う中、私はスマホをめくりながら、過去の自分の言葉を引っ張り出していく。
「よし! できた!」
夏休み最後の金曜日。
私たちは、新曲を披露した――。
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