第六話「灰色の都市街の奥で」
金属でできた分厚い押し戸の奥に裏切り者がいる。
その直感は、確かに俺の脳を駆け巡った。
台所で滴り落ちる水滴の音。開かれた窓から染み出すガソリンの臭い。
確かにこの体はここに存在していた。いつからいたのか知り得ないが。
確かに俺は記憶を失っている。いつの記憶が偽りなのか知らないが。
呼び鈴のキカカンッと鳴り響く音へと、衰えた体を向かわせる。
光源を失った暗い部屋のさらに奥。深淵へと足を進める。
光のない廊下に影はない。
得体の知れない廊下を手探りで歩く。匂いと音しか状況を判断する材料はない。
ガソリン臭が不快感を植え付ける。シンクの底にポタポタと滴り落ちる水滴が静寂を一層強める。
ギシギシと沈み込む床は不安を覚えさせるのに簡単だった。
空虚な世界が色を戻し、感覚が戻った。自我を取り戻したこの体が不安を感じないはずがない。
こわばった腕が腰の位置でゆっくりと先へ伸びていく。
金属製の押し戸のノブに触れた。
熱を吸い取っていく感覚にゾワリと背筋が伸びる。
扉の奥、俺は確かに温かな体温を感じた。
深淵の先で潜む影は、裏切り者か、介入者か。はたまた両方か。
押し戸さえ開けばすべてが分かる。
ヒンヤリとしたドアノブを回してぐっと前に力を入れる。
押し戸は勢いよく開かれ、外からガソリンの強い匂いが俺を襲った。
外界には明かりはなく、ただ今までと同じように暗
闇が支配するのみ。
開かれた扉の先で、俺を見つめていたのは深淵だった。