1.青椒肉絲とハイボール
金曜、午後6時。職場のチャイムが鳴ると同時に俺は立ち上がり、退勤の波に紛れて役所を抜け出した。やりきったような、けれど空虚なようなこの感覚も、毎週のことだ。
地下鉄の中ではスーツの襟元を緩めながら、ぼんやりと今夜の晩飯を考える。
財布の中身は心もとないが、『週末の一杯』に手を抜くつもりはない。
冷凍庫には常備しているイオンの冷凍豚こま肉がある。切りやすいし、何より安い。ならば、あとは野菜だけを揃えれば良い。
──今日の肴は青椒肉絲だ。
アニメ『カウボーイビバップ』を観てから好きになった中華料理だ。
もっとも作中で出てくるのは肉が入っていない特製青椒肉絲だが、無論肉の入ってない青椒肉絲ってのは青椒肉絲とは言わないもんだ。ただし、金が無い時はそう言う。
話を戻そう。ともかくとして今は給料日前と言っても余裕はある。
肉の入った青椒肉絲を作る。肉は家に常備している冷凍の豚肉で十分だろう。
ピーマンは1パックが安売りされていたし、タケノコの細切りパックも見つけた。
味付けは家にある調味料で十分だ。
そして、炭酸水1.5リットルとレモンジュース、そして1000円を切る安ウイスキー。
『ハイボールセット』も忘れずにカゴへ入れる。
レジを済ませ、両手にレジ袋を提げながら、のんびりと家路をたどる。
人通りの少ない住宅街を歩きながら、週末の静けさと、自分の胃袋にこれから収まるであろう飯のことを思い浮かべるのは、小さな幸せだ。食欲と酒欲、それにちょっとのアニメ。人間、案外それだけで生きられる。
「ただいま〜……って言っても家には俺しか住んでないんだけどさ」
そんな事を言いながら無事に帰宅する。
スーツのジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖を捲る。部屋の隅に設置したスマートスピーカーに話しかけ、テレビにアニメを流して貰う事にする。
「Netflixでカウボーイビバップ流して」
『わかりました。Netflixでカウボーイビバップですね。リビングのテレビで再生します』
テレビにあの有名なジャズのメロディが流れ出し、俺は青椒肉絲の下ごしらえを始める。
まずは冷凍庫から豚肉を取り出し、解凍せずに切り分ける。俺が常備しているこのイオンの冷凍こま切れ肉は800g 980円くらいと割と安い。何より薄切りされた肉が冷凍の状態でも包丁で切れるから愛用している。使い勝手が良いのだ。
無論こま切れ肉だから、そこまで細かく切る必要もないが、薄くスライスされた肉をさらに一口大に切り分ける。ピーマンは縦にスラリと細切りにし、タケノコも水気を切っておく。長ネギの白い部分はみじん切りだ。
肉はそのままゴマ油を大さじ1引いておいたフライパンに肉を投入して、片栗粉を大さじ1、醤油大さじ1と味付けあらびき塩コショウを適量、そして酒大さじ1を入れてねっとりするまでかき混ぜたらそのまま火を通し始める。
普通ならボールに入れてする所だが、一人暮らしで自分に出すだけの料理なので、手間を減らすためにフライパンの中で直接混ぜてしまう。洗い物は少ない方が良い。
中火にかけると肉がじゅうと音を立てる。しばらくして、肉がほぐれてきたところで、ピーマンとタケノコとネギを加え、中火でサッと炒める。肉やピーマンは油通しをすると良いとは聞くが、家庭料理なのでその工程は省く。炒めてシャキシャキした食感がちょっと残るくらいで良い。
そこにオイスターソース大さじ1とチューブのおろし生姜を少々。そして合わせ調味料──醤油・酒・砂糖と黒胡椒と少しの水を混ぜ合わせた物だ──を加える。
肉に絡ませた片栗粉がソースのねっとり感を出してくれるので、味の全体がしっかりと絡む。火の通りが良い具合になったところで、青椒肉絲の完成だ。
フライパンの中から香ばしい香りが漂い、思わず食欲がそそられる。アニメの戦闘シーンに耳を傾けながら、皿に盛り付けて、見た目にも美味しそうな青椒肉絲が出来上がった。肉の照りがキラリと光る。ピーマンのシャキシャキ感が視覚からでも伝わってくる。
次は、ハイボールだ。真空断熱のステンレスジョッキに氷をたっぷり入れ、ポアラーを付けた安ウイスキーの便で酒を注ぐ。量はあまり測ってはいないが、もう何度も作っているから手が覚えている。酒はポアラーで30mlが測られ、レモンジュースを適当に少し加え、マドラーを伝わせるようにして炭酸水を注ぐ。
マドラーで回すのは氷を持ち上げるようにして一回しだけする。混ぜ過ぎには注意だ。そうすれば過度に炭酸が抜けなくて美味しいハイボールが出来る。
炭酸の泡がシュワシュワと音を立てる中、ゴクゴクと飲み干すと、喉越しが爽快で、ひと口で週末の気分が高まる。
青椒肉絲を一口。ピーマンのシャキシャキ感と、タケノコの歯応えが楽しめる。豚肉はジューシーで、オイスターソースの深い旨味が絡んで、素晴らしい味わいだ。少しピリっとした黒胡椒の刺激も、ハイボールとの相性抜群で、どんどん食が進む。
香ばしい匂いが部屋を包み、食欲が湧いてくる。テレビには第一話のカテリーナが「アディオス……」と主人公のスパイクに呟いて、最期を迎えるシーンが映る。
「カテリーナって選ぶ男間違えてるけど、実は良い女なんだよな……」
飛空挺で恋人のアシモフと共にスパイク達と警官隊からの逃亡を図ったシーンだが、そのシーンはとにかく切ない。逃れられないという不安を抱えながら暴走するアシモフと共にカテリーナは逃げるが、やがて逃れられないと悟ると、自らの手で恋人を射殺し、警官隊の戦闘機からの一斉射撃を受けカテリーナも絶命する。
それを見ながら、俺はハイボールを一口。
青椒肉絲の濃い味が、ふと切なく感じる。
たまには、こんな虚しさと一緒に酔ってもいいだろう。
今夜が終わっても、土日を過ごしてもどうせまた月曜がやってくる。だが、この金曜の夜は俺だけの物だ。
それでもこのひとときがある限り、また一週間を乗り越えられる気がする。
青椒肉絲をもう一口。ハイボールを飲み干す。
氷がカランと音を立て、週末の夜が、ゆっくりと更けていく。
40代の独身生活ってのは、こんなくらいがちょうど良いのだ。
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◾︎ちょっとズボラな青椒肉絲
材料(1〜2人前)
・ピーマン1パック(個数で言うと4個くらい)
・豚肉 150gくらい
・水煮タケノコ(細切り) 1パック
・長ネギ(白い部分) 10cmくらい
・ゴマ油 大さじ1
・片栗粉 大さじ1
・醤油 大さじ1
・あらびき塩コショウ 適量
・酒 大さじ1
・オイスターソース 大さじ1
・チューブおろし生姜 少々
・合わせ調味料(醤油小さじ2、酒大さじ1、砂糖 小さじ1/2、黒胡椒 少々、水 大さじ1.5)
作り方
1.豚肉は一口大に切る。ピーマンは細切り、長ネギはみじん切りにする。
2.フライパンにゴマ油を引き、冷凍のまま豚肉を入れて片栗粉、醤油、塩コショウ、酒を加えてよく混ぜる。中火で火を通す。
3.肉がほぐれたらピーマン、タケノコ、ネギを加えて炒める。
4.オイスターソースとチューブ生姜を加え、調味料合わせを加えて全体を混ぜ合わせ、ソースが絡んだら完成。
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