放課後、高々等学校・教室にて(足場黝美と豊田守恵、南城猛)
序
「人を食ったようなツラ、しやがって」
彼女は嘲笑った。
「差別用語だよ。それ」
笑われた彼、足場は、いいかえした。
彼女の言葉──それは彼女や足場のような、高々等学校の『高々生』である彼ら、その口から飛び出していい言葉ではない。
《《人を食う》》羅刹、その顔のようだと、蔑む発言だった。羅刹という種族のいるこの世界、この現代社会が、いまでも抱える差別のそれだった。
そうして彼女は豊田は、羅刹女だった。足場は、眉をひそめざる得なかった。考えなしにもほどがある。
しかし豊田は、かまうことなく、足場が座っていた教室での席、その前に仁王立ちして、彼女の整った眉をつり上げて、言った。
「じゃあ何、足場さ。女子喰ってそうな、ヤリチン面とでも言ってあげよっか?」
そのまま豊田は、腰をかがめ、足場の顔の目の前に、彼女のおおきな瞳を見開かせ、語気強く言い募った。
「アンタさ、いい加減にしたほうがいいよ? 勉強ばっか、本読むばっかでさ、キョーチョーセー、ないの? 一人が好きでいるのはいいけどさ、一人でいたいからみんなを無視するの、やめてよ。ヒドくない? それ」
豊田は足場の机、青チャートやらノートが広げられていた、その端と端をつかんで、のしかかるようにしながら、うつむいた足場の顔をやや下のほうから覗き込み、狙うように、にらみつけた。
放課後の高々等学校の教室──十代後半な制服姿の少年少女が、まばらに思い思いなようにしているそこで、豊田と足場のまわりだけが、浮いていた。なにか、雰囲気というのか、違和感のような、そんな空白の地帯だった。
それは足場の席があるからなのだ。豊田はそう確信していた。
豊田がそこへと今日の今、こうして足を踏み入れるまえから、足場の席のまわりは、そうして足場という男子は、クラスの中で「空白地帯」だった。足場にはそれが何故か、許されていた。空白地帯が、足場の領土だった。
領主は、彼の顔どうにかを覗き込もうとする豊田へと、目を一瞥やった。
じろり、とでもいえばいいのだろうか──豊田は、そのくりくりした自分の目、男子へと視線をやってみれば、男子がとたんにぎこちなくなるような、それを、足場からの一瞥に、おもわず慄かせた。
足場の目は重ったるく、なんら動じていなかった。鈍い煌めきがあった。鋼鉄のような輝きを瞳に帯びさせ、ゆったりとした目元をした、そんな目つきをしていた。
「豊田さん。で、僕に用事があるんでしょう。聞かせてよ」
「アンタさ。私さっきそれ言おうとしたんだよ、声かけたんだよ!??! なのにさ、無視したじゃん。そんでさ、なに、なんなの、その言い方! なくない、ありえなくない!?」
「ごめん」
足場は目をそらすことなく、目つきを何ら変えずに、そう言った。
「ね、なんでさっき無視したの? つーか『煩い』っていったよね? なんでー?」
豊田はそう聞きながら、足場の机から手を放し、屈んでいた背をもどして、そのまま足場の横の空席へと近づいた。
机の上にあげてあった椅子をもち、それを足場の横へと置いた。そこへと座って、足を組み、腕も組んで、足場の目をみつめ、答えを促した。
「豊田さん、悪かったよ。僕が悪かった」
「な・ん・で?」
「……ちょっと、自分のことで手いっぱいで」
「うーわ、がり勉ってやっぱ自己中だよね」
豊田は、足場の机の上の青チャート、ノート、筆箱なんかを見やって、言った。
「てゆーか、ペン、青ペンでやってんの? ノート書いてあるの真っ青だし。なんで?」
「万年筆使いたくて……ブルーブラックて言うんだ、この色のインク。万年筆、うちの部活で、使ってるんだ。それで、先輩がとにかく使いまくれって、そうしたら書き心地良くなるからって……」
「えー、意味わかんない。つーか私たち部活一緒でしょ、私、使ってないよ?」
「“部署”が違うだろ。《《保安部》》でも、僕は文書課で、豊田さんは保安課なんだから……」
そのとき、二人のほうへと男子が一人近づいてきた。
男子は、丸く大縁な眼鏡からその目を細めて笑いかけつつ、足場の机の前で立ち止まった。
茶髪に染めてパーマをかけた、高々等学校の制服である白いYシャツに、濃紺色のスラックスを着た姿だった。
男子はそうして、単色のTシャツに青ジーンズを履いた足場、制服を着るかどうかが自由である高々等学校の生徒としては、なんら問題ない彼へと、言った。
「足場くん、守恵から聞いた? 文化祭の話」
「誰? それ」
足場のすねを、豊田のローファーが蹴った。
「あ、豊田さんの名前ね。いや、悪かったって……ごめんって! おい、蹴るな!! ……ええと、んで、アナタは……」
「え、俺? 南城! 南城 猛 ! てゆうか足場くん、まえ話したって! 覚えてる?」
「いや。忘れてた。すまん」
豊田があからさまに顔をしかめてみせた。
「うーわ。足場、まじナイよ、それ」
「南城、いつ話したっけ、僕たち」
南城は笑った。
「いやー、覚えてないっしょ! ええとね、ほら、部活動の見学の時」
「ああ。あの時?」
足場は思わずというふうに顔をしかめた。そのまま、こう言った。
「んで、南城。文化祭の話って何?」
「ああ、それね! いや足場くんさ、今度、学園祭でうちの学校がさ、「劇校」とコラボしようとしてるの、知ってる?」
豊田が鼻で笑った。
「知るわけないじゃん。こいつ、自己中すぎて他人に興味ないだけだよ」
「財部詩劇女学校のことだろう、劇校って。南城、でも、学園祭って、まだ先じゃないか? 今、六月はじまったばっかりで……いつやんだっけ、うちの学校の学園祭」
「九月、九月!! 二十日ぐらいじゃなかったっけ?」
それを聞いて、足場は、豊田のほうを向き直った。目が合った。豊田は、目をそらそうとはしなかった。
「んで、豊田さん。それについて、僕に話そうとしたの」
「……ん、まあ、そう」
「僕に、なにを?」
「あ、え、……ええと」
南城が、その時、言った。
「実はね、足場くんに手伝ってほしいんだ……足場くん、まえ言ってたじゃん! 神謀町に住んでるって。劇校って、神謀町にあるんでしょ。もろ間近じゃん。あのへん、詳しいんじゃないかと思って」
「言ったっけ、そんなこと? まあいいよ。でも、なに手伝うんだ? 僕、文化祭の実行委員でもないし、だいたい、誰なの、うちのクラスの実行委員?」
「足場、あんた、マジ、周り見たほうがいいよ。興味なさすぎだろ。まえ、うちのクラスの出し物を決めるって言って、ホームルームの時間にやってたじゃん。居たでしょ、髪がアフロの。アフロってわかる?」
「ああ、居たね」
「え、分かんの?」
「それで、南城。僕は何やればいいんだ? 文化祭って言ったって……うちの学校、劇校から離れてるじゃないか。何がどうなったら、コラボなんて……出店でもやるの? それともステージでライブとか?」
「ちがうちがう!! これはその、まだ本決まりじゃないんだけど……。文化祭の同時開催っての、やる気なんだって、先輩たち! んで、とにかく今はいろいろとりなしてる最中なんだけど……、うちの学校でも、劇校の文化祭に準備に行ったりだとか、それができるような、そういう人が欲しいんだよ」
「ああ、俺は劇校の近くだからってか」
足場は思わずというふうに、頷いた。やや頬をゆるませ、目つきをやわらかくしながら、言った。
「いいよ、南城。なに、名簿とかに名前載せるの? 手伝いに行ける生徒、みたいな感じで」
「あ、うん。多分……今度の、劇校とうちの学校の生徒会同士での、その会議なんかで、協力できる人数とかといっしょに提出ると思う」
「じゃあ、僕の名前、つかってくれ」
「ありがと! ……そういや、足場くんて実家暮らしだって言ってたじゃん?」
南城は笑みを浮かべて、そのまま足場の机へとかるく寄りかかった。
「そんなことまで言ったのか。そうだけど、まあ。それで、どうしたの?」
足場は机の上へと片腕を上げ、所在なく空を切らさせたあと、頬杖をついた。
南城は足場の机の端に手をやり、机上へと視線をさまよわせながら、言った。
「いや、俺もさ、劇校、手伝いに行きたいんだよね。でさ、俺は下宿が、学校の寮なんだ。門限があって、遅くまで居残れないんだけど……」
「うん」
「もしよかったら、泊めてくれない? 前夜祭とかもいけたらいいと思ってて」
「ああ、そういう感じね」
足場は南城の目を、座りながら見上げて、見据えて、言った。
「そんなら、そうね、一応、……家族には伝えておくけど、来る前には言ってほしいね。ライン、交換しようぜ。んで、来るならラインして。もし家のほうで駄目そうだったら、そう返信すから」
「ああ、うん、もちろん!!」
南城はスラックスのポケットから、スマホ、二眼カメラの、メカニカルなケースのついたそれを取りだした。
「ね、私は?」
豊田がローファーで、足場のジーンズのすそを軽くつついた。
「へ? 来るの、家に? 南城と??」
足場は、南城のラインのQRコードを読み込むのにやっきになりつつ、言った。
豊田はむっすりと頬をやや膨らませた。
「ちがう。私たち、同じ保安部でしょ。クラスだって同じだし。なに、また無視すんの? さっきゴメンって言ってたじゃん」
足場は、豊田へと向き直った。豊田の目が見つめてくる。足場は頷いてうつむいたまま、手元に持ったスマホを差し出した。
「分かりました、ハイ。仰せのままに」
一瞬の静けさ。
足場は顔を上げた。豊田は目をぱちくりとしていた。が、足場に見つめられたとたん、相好を崩して、噴き出した。
豊田はとっさに口へと手をやり。そのまま顔をそっぽ向けて、うつむかせ、肩をふるふると振動させていた。
ふふ、ふ、っふ、ふふっ。そう声を潜めさせて、笑っていた。ツボに入ったようだった。息を数回、ゆっくりと吸ったり吐いたりして、それから足場のほうへと顔を上げた。
眉をハの字にして、目を潤ませて、口元をほころばせていた。頬にえくぼができていた。
「あ、足場さ、ちょ、ちょっと待って」
「はッツ!。御用、聞き仕りまする!」
足場は至極、真剣な顔つきでキリリと言った。
ぶっ、ふふっ、ふは、ははは!! 豊田はふたたび、つんのめるようにして、抱腹して、笑った。
そして、椅子に座ったまま顔をつっぷして、垂れた黒髪の隙間から、明るくやわらかに笑んだ吐息を、ほふほふ漏らしていた。
「豊田クン。マジメにやりたまえヨ。僕はマジメにやってるんダゼ。」
「ふっ、ふふッ……! いや、っくく、いや、あ、足場さ、最後のは、ちょっと……、んふっ、い、いや、いや! 最後のは、ウザい!」
豊田は顔を上げた。目に輝きを帯びさせて、足場のほうを見た。
しかし、またその顔を突っ伏させた。しゃっくりでもするように、その制服姿、白いYシャツに、濃紺の長めなタイト・スカートなその姿を、震わせた。そうして言った。
「でも、足場、その顔! 顔! せめて、ふ、ふふっ、ふ。ちょ、そのマジメ面は、ダメ!!」
それでも、髪をかき上げながら、顔を上げた。
同時に、足場は自分の顎に手をやり、深刻そうに顔をしかめて悩んでみせた。豊田はむせた。
南城は、そんな豊田たちを苦笑しながら、見ていた。が、ふと、声をかけた。
「ようし。んじゃ、守恵、行こっか。足場くんにも話したし」
「えー、私、もうすこしいるわ、ここに。つーか今日、保安部あるし。足場、どうすんの、これから?」
「勉強のつづき……と、僕も文書課、保安部が、あるね」
足場は教室のロッカー、その中に収めている、自分の保安部の制服──ディープ・レッドのYシャツ、濃紺のスラックス──について思い描いた。
六月の今は夏服であるから、上着を着る必要がないのが、ありがたかった。保安部の制服の上着は、学ランよりも裾が長く、ロッカーに入れておくとかさばるのだった。
南城は豊田のほうを向いて、うなずきながら、寄りかかっていた足場の机から離れて、立ち尽くした。その時、彼ら三人のほうへと、教室の外のほう、廊下から手を振ってきた人影があった。そのポニーテールを揺らしながら、教室へ入ってきた。
「ナンジョー、いるー? 帰ろーよー」
彼女はリュックとともに、肩へと縦長の、スポーツ用品店のマーク入りなきんちゃく袋を、提げていた。彼女は豊田、南城、足場の順に、その垂れ目で見やっていった。
豊田が口をまるくして、眉を上げて言った。
「あ、フェンシング部の……。ウメちゃんって、呼ばれてない?」
「ウメちゃんことー、埋忠でーす。どーもー」
埋忠は片手をあげて、ぺこりと会釈した。それは足場に向かってだった。足場は首をすこし引っ込ませるように、ぺこりと返した。
そのまま埋忠は、南城の横へと立った。南城よりも二回りほど、背が低かった。
「あ、埋忠……」
南城はそういい、それから豊田のほうをちらりと見た。
豊田は足場のほうを振り向いた。足場は、自分の万年筆を利き手に持ち、ノートの上、ブルーブラックの文字が広がったそこへと、目をやっていた。
「足場、ライン。よこせ」
豊田のローファーが、足場のスニーカーを、くにりと柔らかく、踏んだ。