第四話「レイナの誘い」
夜、村の宿屋の部屋に足を踏み入れた。そこには粗末な木製のベッドと薄いマットレスが一つ置かれているだけだった。ホテルの快適さに慣れた俺にとって、この村の宿屋は初めての経験だ。新鮮ではあるが、なんとも落ち着かない。違和感が消えないのは、この場所のせいなのか、それとも俺自身の心の中の問題なのか。
「なんだこの枕、まるで石じゃねえか……」
思わず声が漏れた。元の世界のふかふかの枕が懐かしい。あの柔らかさが今はこの硬さ。布団も何度も使い古されていて、少し湿っぽい感触がある。魔法でなんとかならないのか?
「まあ、これも経験だな」
自分にそう言い聞かせる。こんな状況も悪くないのかもしれない、そう思い込むことでなんとか気持ちを落ち着けようとする。慣れない環境に順応するのも、冒険の一部だ。
「蜘蛛の巣までサービスかよ……」
虫嫌いの俺は苦笑いを浮かべる。都会のホテルでは見かけない光景だ。こんな所で本当に眠れるのか? 不安が頭をよぎる。でも、考えれば考えるほど目が重くなってくる。瞼がどんどん重くなり、思考もぼんやりとしてくる。体は正直だ。今日の出来事で体も心も疲れ切っている。眠れないかもという不安は杞憂に終わり、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。
◇
翌朝、俺は宿屋を出て村を散策することにした。どうやら異世界転移は夢ではなかったらしい。現実が目の前に広がっているのを見て、昨日の出来事が単なる幻覚じゃないことを認識した。
朝の冷たい空気が顔に心地よい。まるで新しい始まりを祝ってくれているみたいだ。俺は歩きながら、ここがどんな場所なのかを確かめたかった。未知の世界を探索するってのは、子供の頃に憧れていた冒険そのものだ。けれど、大人になると、変化というのは少し恐ろしいと感じるようになる。この状況を無邪気に楽しめない自分もいる。
広場に出ると、たくさんの露店が並んでいて、村の生活が垣間見える。新鮮な野菜や果物、おそらく魔法で作られたであろう工芸品が並んでいて、人々が忙しそうに動き回っている。活気に満ちたこの場所を見て、ここが、今俺が本当に生きている場所なんだと実感した。
「おはよう、エレパート!」
突然、明るい声が聞こえた。
(なんだ?)
振り向くと、そこにはレイナが立っていた。彼女の笑顔がまぶしい。まるで太陽みたいだ。彼女もいない理系インキャオタクには刺激が強すぎる。
「お、おはよう……」
声が上ずる。何やってんだ、俺。28歳にもなって、女の子に話しかけられてただけで、緊張して、まともに返事もできないなんて、ダサい、ダサすぎる。レイナはそんな俺を見て笑顔で肩を軽く叩いた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。さあ、広場を案内するわね!」
レイナは、見た目はもちろん超絶可愛いのだが、その割に気さくで気取らない性格をしていると思う。少なくとも、今までの彼女の言動や行動からそう感じている。でも、正直なところ、俺の気持ちはまだ追いついていない。前の世界じゃ、こんな感じの女の子に話しかけられるなんてまずなかった。俺にとって、これは未知の領域だ。知らない惑星に漂流して降り立った宇宙飛行士みたいなもんだ。ん? 本当にその喩え合ってるか? 何でもかんでも理系用語で喩えようとするのは俺の悪い癖だ。
レイナに案内されて広場の露店を見て回る。どれもこれも、俺の知らないものばかりだ。なんか全部が新鮮で、俺の生きてきた世界とは全く違う。
「これは何だ?」
興味津々で露店の商品を指さす。たかが買い物でこんなにワクワクするのは久しぶりだ。まるで子供の頃に戻ったみたいだ。レイナは嬉しそうに説明してくれる。自分の村に興味を示してくれることが、よほど嬉しいのだろうか。
「それは村の特産品の一つでね……」
彼女のフレンドリーな対応に、次第に俺もリラックスしてきた。心が少しずつ解けていくのがわかる。もしかすると、ここでの生活も、案外悪くないのかもしれない。いや、むしろ、良いかもしれない。すまないエルフィ。もらった恩はこの村で幸せを掴んだ後に返させもらう。
「ねぇ、お腹空いたでしょう? 昼食でも一緒にどう?」
レイナが笑顔で提案する。え、なにその感じ。もう付き合ってもOKなフラグ立ったんじゃないの? なんて、内心、浮き足立っていたが、俺は自信のなさから返答をためらっていた。
「どうしたの? 私と食べるのはいや?」
腹は正直に空いているし、何より彼女と話すチャンスを逃すのも惜しい。決して、可愛い女の子と二人きりで食事したいなんていう、くだらない下心からではない。情報収集、そう、ただの情報収集だ。心の中でそう自分に言い聞かせた。
「そんなことはない。ぜひ、お供させてくれ」
◇
食事の間、レイナがエルフィとの関係について語り始めた。俺は彼女の話を聞きながら、目の前の食べ物をフォークで適当にいじっていた。どうやらエテルニアにもフォークという便利な道具はあるらしい。彼女の美しい容姿にも慣れてきて、興味の対象が徐々に未知の食べ物や道具に移っていった。
「エルフィとは昔からの友人なの。彼女がこの村に魔法を教えに来てくれてから、私たちの生活は大きく変わったわ」
彼女の言葉に、俺はフォークをテーブルの上に置いて顔を上げた。
「というと?」
「彼女のおかげで村は守られているの。村人の魔法が弱すぎると、村自体が滅びかねないから」
俺は眉をひそめた。そんな大袈裟なこと言うか? エテルニアでは、魔法が地位に直結するものだと勝手に思い込んでいたが、まさか村の存亡にまで関わるとはな。
「滅びるか……。魔法がそこまで影響力を持ってるとは思わなかったな」
「あなた、そんなことも知らないの? 誰でも知ってることよ?」
やばい、あんまり怪しまれる発言は避けないと。俺は笑って誤魔化すことにした。まあ、笑ってやり過ごすは得意技だ。
「あはは、実は魔法については全然詳しくないんだ。地元では魔法があまり使われていなかったからな」
「……もしかして、あなたは魔法禁止の地域から来たのかしら? エテルニアでは魔法が当たり前だけど、魔法を憎んでいる人たちもいるって聞いたことがあるわ。彼らは長い間魔法のせいで差別を受けてきた。だから、俗世を離れてひっそりと魔法を使わない村を作った……。その噂は本当だったのかしら?」
そんな話、エルフィからついぞ聞いたこともないが、ここで否定するわけにもいかない。
「ま、まあ。そんなところだ」
「じゃあ、なんでわざわざこんなところまで来たのよ」
どう答えるのが一番無難か、瞬時に頭をフル回転させた。俺は少し息をついてから答えた。
「俺個人は別に魔法を憎んでるわけじゃない。ただ、一族が魔法を嫌っていてな。俺自身はそれほど魔法に抵抗感がないんだ。むしろそんな柵みが鬱陶しくて、故郷を出て、旅に出たって感じだ。それに、この世界をもっと知りたくてここまで来たんだよ」
レイナは俺の話に納得した表情を見せた。俺は内心でほっと息をつく。異世界から来たことをうまく誤魔化せたようだ。彼女には悪いが、もしこのことが村中に知れ渡れば、異端者とみなされてトラブルになりかねない。もっとも、レイナがそんなことを言いふらすような人間には見えないが。念には念を。今は黙っておこう。
「そんな事情があったのね……」
レイナの目が優しく光る。その目に少しの同情が混じっているのがわかる。彼女は多分、自分の過去に共感してくれているんだろう。でも、それが少し怖い。だって、本当のことは言っていないんだから。罪悪感に苛まれるからあまり深刻に考えないでほしい。まあ、異世界転移なんていう酷い目にあったのは違いないか。
「あなたも色々大変だったんだろうけど、ちょっと羨ましいかも……」
レイナの言葉に少し驚いた。俺の事情を知って、どうして羨ましいなんて思うんだろう。まあ、真実を言ったわけではないのだが、故郷を出て、旅に出たって部分はあながち嘘というわけではない。でも、それを羨む理由がわからない。普通の人なら、そんな危険な旅を望まない。ましてや今喋っているのはか弱そうな村娘だ。
「どういうことだ?」
「なんでもないわ。こっちの話」
彼女の微笑みには何か隠されているような気がしたが、深追いはやめた。こっちも異世界から来たことを隠してるからな。
その後、俺たちは和やかな雰囲気で食事を続け、村の話や魔法の話題で盛り上がった。
昼食後、レイナと一緒に広場を歩きながら、エルフィについて再び話した。心の中では、まだ彼女の言葉の意味を考えていたけど、あまり追及してもいいことはないだろうと思った。
「エルフィは自分のことよりも他人の幸せを優先する人。だからこそ、彼女の負担を少しでも軽くしたい……」
レイナがそう言い放った。エルフィのために、そしてこの村のために何ができるのか。俺はレイナの言葉を聞いてそんなことを考えてた。これは別に偽善ってわけでもない。こういうのは回り回っていつか自分に返ってくるものだ。それに、異世界から来た俺は、できるだけ多くの人の助けが、今後、必要になってくる。今のうちにいろんなところに恩を売っておくのも悪くないだろう。まあ、エルフィに関してはすでに助けてもらった身なので、恩を返すという意味にはなるが。
◇
翌朝、俺は早めに目が覚めた。宿屋の部屋は少し冷えていて、薄い布団の中で身体を丸めながら昨日のことを思い出していた。どうする、俺。このままエルフィの旅について行くか、それともこの村で働くか。魔法は使えないけど、田舎の村だったら科学の知識が多少は役に立つだろう。それに、エルフィの旅の邪魔をしすぎるのは良くないとも思う。総合的に考えると、俺はこの村に残った方がいいのかもしれないな。
布団から抜け出すのが億劫だったけど、これ以上布団の中で悩んでも仕方がない。意を決してベッドから起き上がると、冷たい床が一層身に染みる。その冷たさが、ぼんやりした頭を一気に覚醒させた。
顔を洗って宿屋を出ると、村の朝の静けさが広がっていた。露店が少しずつ開き始め、村人たちが一日の準備をしている。俺は宿屋の前で深呼吸し、朝の空気を肺に吸い込んだ。新鮮な空気が体中に染み渡る。ふぅ、田舎の朝がこんなにも気持ちいいとは知らなかった。いや、この世界ではどこでももこのくらい綺麗な空気なのかもな。
広場に向かう途中、エルフィと再会した。朝の光が差し込む中、彼女はすでに起きていて、村の周囲を見回している。
(やけに早起きだな。)
「おはよう、エルフィ」
「おはようエレパート、早起きだね」
エルフィは微笑みながら俺に近づいてきた。エルフィがこんなに早く起きるのは意外だ。正直、昼まで寝てるタイプだと思っていた。なんて失礼な考えだ、と自分でも思うけど。
「少し散歩しようと思ってな。そっちは?」
「私は魔法の練習をしてたよ」
朝から魔法の練習か。エルフィは魔法が好きなんだな。そういえば、彼女は戦争の道具としての魔法が嫌いだと言っていたけど、こうやって自分のために使うのは別の話なんだろうか? 彼女の清々しい表情を見ると、そんな気がしてくる。
二人で村の広場を歩き始める。露店の店主たちが元気に挨拶を交わし、エルフィもその度に笑顔で応じる。その様子を見ていると、彼女が本当にこの村を愛していることが伝わってきた。
俺は辺りを見回しながら、エルフィの姿を横目でちらちらと見ていた。彼女の笑顔は、なんかこう、まっすぐで、俺にはちょっと眩しすぎる感じだ。こんなに活気に溢れた村、そしてその中心にいるエルフィ。なんか、いいよな。
「エルフィ、ちょっといい?」
レイナが俺たちの背後から話しかけてきた。彼女の声に驚いて、俺は振り返った。レイナの顔には、何か言いたげな表情が浮かんでいる。俺の中で、何かがざわつく感じがした。なんだ、何かあったのか?
「レイ、おはよー。どうしたのー?」
「おはよう。薬草庫に案内したいのよ。旅に役立つ薬草やポーションが揃ってるから」
「それは助かるわ、レイナ」
俺たちはレイナについて行った。さっきのざわつきは杞憂だったのか。
◇
薬草庫に入ると、俺の鼻を刺激する独特な香りが漂ってきた。棚には色とりどりの瓶や草が整然と並んでいて、なんだか宝箱みたいだ。
エルフィは驚いた顔をしている。
「まるで薬草の宝庫だね……こんなにたくさんあるなんて」
「このポーションは疲れた時に役立つわ。旅の途中で使ってね」
レイがそう言いながら、エルフィにポーションを渡した。エルフィはその瓶を大事そうに受け取る。
「ありがとう、レイ。助かるよ」
「どういたしまして。困ったときはいつでも言ってね」
そのポーション、一体どんな成分が入っているんだろうか。非常に気になる。科学者として知っておかないといけないだろ。こういう知識って、結構大事なんだよな。いろんな角度から物事を見れるようになるし。俺の好奇心は尽きない。エルフィに頼んで、まずは使ってみるか。それとも、もっと詳しく聞いてみるべきか?
他人のやり取りを静かに観察して、必要な時にだけ口を出す。それが普段の俺のスタイルだ。でも、今日はちょっと違うかもしれない。こんなに興味を引かれる薬草庫、放っておけるわけがない。そのポーションに対する興味を隠しきれない様子を見て取られたのか、レイナが俺に声をかけてきた。
「ねえ、エレパート……あなたはこれからどうするつもりなの?」
「え? ああ。是非ともそのポーションとやらを試してみたい」
「はあ? そうじゃなくてエルフィの旅に同行するのかって話よ」
「あ、そっちの話か」
「そっちってどっちよ。話の流れ的にそれしかないでしょ」
ちょっと考えてみれば、確かにそうだ。
「で、どうするのよ?」
その答えは俺の中でもう決まっていた。
「俺はエルフィについていく」
「でも王国までの道のりはとても危険よ? この村に残ったほうがいいんじゃない?……」
「そうだよ! この先はちょー危ない場所だから、エレパートはここにいようよ!」
エルフィは説得するように言った。だが、俺は引き下がるつもりはない。
「危険? エルフィ、俺はもう君に命を救ってもらったんだ。そのお返しをさせてくれよ」
「でも……」
「頼む。一緒に連れて行ってくれ」
「本当に行くの?」
「もちろん。必ず君の役に立つよ」
「なんでそんなに自信満々なの?」
エルフィは首をかしげた。
「だって俺は……」
「エレパートは……?」
「俺は、ここにいる誰よりも早く逃げる自信があるからさ!」
「……」
「……」
そう言った瞬間、俺の発言が場を凍らせた。なんだよ、この静けさ。え、俺、なんか選択ミスった? まさか。俺、今の発言で完全に空気読めてない感じ? 論理的に考えれば、魔法が使えない俺に勝ち目がないのは明白ですのに。
「……。まあ、たしかに逃げ足が速いってのは大事かも……」
エルフィは少し残念そうにそう答えた。
異世界に転移してすぐ、ガストループに追いかけられてエルフィに助けを求めた自分を思い出す。おいおい、俺って男としてすごく情けなくない? しかし、俺の話を聞いてくれ。男としてのプライドなんて転移前の地球に置いてきた。だから、仕方ないんだ。まあ、そんなプライド元からなかったのだが。
「いやいや、冗談だって……。確かに俺は魔法を使えない。でも、俺の知識はエルフィ……きっと君の助けになると思う」
エルフィは微かに眉をひそめている。やっぱり信用されてないのか? 実際に魔法の戦いになったら手も足も出ないかもしれないが。
「……分かった。じゃあ、一緒に行こう。でも、危険な時はちゃんと逃げてよ?」
エルフィの目が真剣だ。俺も腹をくくるしかない。危険な時は逃げる。それでいい。無理はしない主義だし。
「了解。俺の逃げ足は、ウサイン・ボルト並み……、とまでは言えないけど、それなりに速いから、安心してくれ!」
「ウサイン・ボルトって誰?」
「あ……、えっと、なんでもない。と、とにかくすごく速いんだよ」
やべ、またやっちまった。現代の知識を持ち出しても意味がないのに。あんまり深く突っ込まないでくれよ。
すると、突然レイナが会話に飛び込んできた。二回も空気ぶち壊したこと責められるかも。
「ねえ、二人とも。今夜エリオットと一緒にご飯食べない? エリオットは昔、セレスティア王国に行ったことあるんだって。その話を聞いてからエルフィについていくか決めてもいいんじゃない?」
「それは非常にありがたい。前人の知識を聞くのは大事だからな」
情報は多いに越したことはないし、この世界に関する知識はまだ不十分だ。エリオットの話から得られるヒントもあるかもしれない。俺がこれから何をなすべきか、少しでも指針が欲しい。
「うん、そうだね。エリオの話を聞いてからでも遅くないよ。彼の経験談はきっと役に立つと思う」
エルフィもその提案に頷いた。
「じゃあ、決まり! 今夜はエリオットの家に集合ね」
レイナは笑顔で言った。しかし、その笑顔の奥に、何かもどかしい不安が垣間見えた。彼女の目の刹那の陰りと微かに震える手がその心の揺れを物語っていた。彼女も何か抱えてるのか?
そして、夕方、空がオレンジ色に染まる中、俺たちはエリオットの家へと向かい始めた。これからの道のりはどうなるのか。エリオットの話を聞いて少しでも先が見えるといいんだけどな。
皆さん、ここまで読んでいただきありがとうございます!
第四話はいかがでしたでしょうか? 今回は、エレパートが異世界での宿屋体験をしつつ、村の生活に少しずつ慣れていく様子を描きました。新しい環境に順応しながらも、彼の理系的な思考がちらほら見え隠れするところがポイントです。そして、レイナとのやり取りやエルフィとの会話が物語をさらに盛り上げてくれたのではないかと思います。
異世界での冒険がどのように展開していくのか、次回以降もお楽しみにしてください。また、読者の皆さんからの感想や評価は、私にとって非常に励みになります。ぜひ、感想や評価(★)をいただけると嬉しいです!
次回もどうぞお楽しみに!