第二話「エテルニアの言葉と魔法」
「さて、エレパート、まずは近くの村に行ってみない?」
「村? どうして?」
「ここでの生活を始めるには、必要なものを揃えなきゃ。食べ物や衣服とかね」
「確かに、それもそうだな。でも、その村はどこにあるんだ?」
「少し歩けばすぐに見えてくるよ」
俺は彼女の提案にうなずいた。エルフィの背中を見ながら、ふと思った。見た目からしてまだ年頃の女の子が、俺みたいな中年の男と一緒に行動するなんて、普通なら警戒するよな? この少女のこの行動力は一体どうやって育まれたのだろう。事情は詳しく知らないが、危険な野生動物がいるような草原を一人で歩いているのも少し気がかりだ。
「エレパート、何か考え事?」
「いや、別に。ただ、色々と気になることがあってさ」
俺は軽く笑ってごまかした。
「大丈夫! きっと上手くいくよ」
エルフィは明るく言った。その無垢な言葉に、不思議と安心感を覚える。彼女の言葉は魔法のように俺の不安を消し去っていく。どこまでが本物の魔法で、どこまでがただの自然現象なのか、本当にわからなくなってくる。
俺は彼女の後ろをついて行った。どこに行くかは分からないが、エルフィと一緒なら、きっと大丈夫だろう。そう思うくらいには、俺はすでに彼女を信用していた。
「エルフィ、村に行く前にちょっと聞きたいことがあるんだが……」
「なに?」
「なんでキミは日本語を話せるんだ?」
先ほどの疑問が口をついて出た。エルフィの目が俺に向けられる。
「日本語? それ何?」
「今話してる言語だよ」
エルフィは一瞬考え込むように黙った後、自然に答えた。
「……。エテルニアの人はみんな同じ言語を話すよ。私たちの世界では、それをエテルニアンって呼んでるけど」
「俺と話せることに違和感なかった?」
「別に。たぶんそれも魔法のおかげじゃない?」
エルフィは軽く肩をすくめて言った。
どうやらこの世界では、あらゆる超常現象は魔法に帰着するらしい。何でもかんでも魔法で片付けるってわけか。科学の発展が遅れてるのもそのせいだろうな。ま、そりゃそうだ。ほとんどの問題は、魔法で解決できるんだから。
◇
俺たちは、緑の葉が覆い尽くす森の中の細い道を歩いていた。空気はひんやりとしていて、心地よい静けさが漂っている。
エルフィは柔らかな足取りで前を進み、俺はその後ろに少し距離を置いて歩いていた。彼女の歩く姿は軽やかで、まるで風のようだ。
「エルフィ、この世界の魔法って、どんな感じなんだ?」
ずっと無言なのも何となく気まずくて、思わず声をかけてしまった。それに魔法の仕組みなんて全然わからない俺にとって、彼女の答えは純粋に興味があった。
「魔法はね、頭の中でイメージすることで色んなことができるんだよ。例えば、火をバッと起こしたり、水をビュンビュン操ったり。でも、イメージできない複雑な現象はできない。仮にイメージできたとしても、その威力には限界があるの」
そもそも、この世界ではエネルギー保存則が成立していないように思えるのに、威力に限界があるとは……。理論無視の世界に、突如現れる法則の輝きとでも言おうか。それなりに合理的な理由があるんだろう。
「つまり、単純な炎の発生は簡単だけど、火山を爆発させるのは無理ってこと?」
「そうそう。……ていうか、火山を爆発させたら、その瞬間に自分がその炎に飲み込まれちゃうよ!」
「たしかに」
思わずクスッと笑ってしまった。エルフィの言う通りだ。そんな莫大なエネルギーを人間が簡単に扱える道理がない。
どうやら魔法にもいくつかの制約が存在するようだ。自由自在に見えても、現実はそう簡単じゃない。魔法も万能じゃねえってことか。そう考えると、ちょっと安心するな。もし本当に何でもできるんなら、それはそれで恐ろしいことだ。
「じゃあ、エルフィ。雷を呼び起こすことはできるか?」
「無理だよ! 雷を出す人なんて見たことないし。『パチッ』と音を立てるくらいならできるけど……」
それは静電気のことだろうか。
「『パチッ』てやつか。なるほど、それでも使えれば便利だよな」
「うん! たとえば、ドアノブに触る前に相手を『ビリッ』とさせるとか」
俺はその微笑ましい発想に心が温まった。単純だけど、そういうアイデアって意外と役立つかもしれないな。
「ああ。確かにそれでちょっとしたいたずらはできそうだな」
「でも、雷を呼ぶとなると、ちょっと話が違うかも……」
エルフィは顎に手を当て、少し俯いた。真剣な表情を浮かべている。先ほどの朗らかな様子とのギャップが可愛らしくて、正直萌える。
「雷は、たぶん、とてつもない力を秘めているから、魔法で呼び起こすのは難しいの……。でも、その『パチッ』ってやつの威力をアップさせて、なんとなくそれっぽくすることはできるんだよ!」
そうか、雷ってのは科学的には放電現象だ。エネルギーの蓄積と急激な放出で生じる。でも、エルフィの話じゃ、イメージだけで自然界の大規模な現象を再現するのは無理みたいだ。だが、工夫すれば、あるいは……。俺の頭の中で、いろんな可能性がぐるぐる回り始めた。
「じゃあ、魔法で天気を操るのも無理ってことか?」
「うん、無理だね。狭い範囲に風を起こすことはできても、広い範囲で嵐を起こすのは無理」
俺は納得した。そりゃそうだよな。この世界でも、自然の力は圧倒的で、その制御は非常に困難らしい。エルフィの言葉を聞きながら、俺は改めて自然の偉大さを感じた。
「そういえば、エルフィ。この世界の教育システムについて教えてくれないか?」
「もちろん! エテルニアでは魔法の勉強がちょう大事なんだー」
「魔法の勉強?」
「そう、子供たちは小さい頃から魔法の基礎を学ぶの」
「じゃあ、文字の読み書きとかは?」
「もじ? 聞いたことないな……」
(エテルニアには文字がないのか?……)
「ないならいいんだ。それなら言語の勉強はどうしてるんだ?」
「エテルニアンは学校で勉強しないよ。勉強しなくても不思議とみんな勝手に覚えちゃうの」
「この世界の住人、記憶力モンスター?」
「うーん、よくわかんないけど、初めて聞く言葉でもなんとなくわかっちゃうんだー」
「その理由はまだ解明されていないのか?」
「この世界では意思疎通も魔法の一部だと思われているの」
「魔法を使った意思疎通?」
「そう、何もしなくても、成長するにつれてみんな自然とできるようになるの。だからそう思われてるの」
元の世界では、意思疎通において、発声と文字が中心的な役割を果たしていた。だが、ここではどうやら魔法が基盤となっているらしい。まったくもって理解不能だ。けど、これは俺の新しい現実だ。
しかし、呼吸をしており、風という現象が存在する以上、空気は存在している。したがって、空気の振動を通じて情報は伝達されるという仮説が立つ。今まで見た感じ、この世界の物理現象は地球とほぼ同じっぽい。最も異なる点は、魔法という現象の存在であり、それが加わることによって物理法則を根本から見直さないといけないってことだ。
でも、それこそが物理学の醍醐味だし、俺が今まで学んできたことだ。理解不能なことに直面したときこそ、物理学の真髄が試される。何がどうなってんのか。この世界の意思疎通の謎も必ず解き明かしてみせる。
「……それで、学校では魔法以外にはどんなことを学ぶんだ?」
「基本的には歴史を学ぶかな。あとは魔法の実践訓練とか」
「実践訓練? 何のために?」
「対人戦闘のためだよ」
対人戦闘。嫌な響きだ。
「なんで対人戦闘の技術なんか高めるんだ?」
「もちろん自分の身を守るためもあるけど、基本的には戦争のため……」
戦争。俺の胸に重いものがのしかかる。やっぱりこの世界でも戦争があるのか。なんだか、元の世界とあまり変わらないじゃないか。ここでも人は争い、戦うのか。戦争なんてくだらない。世の中楽しいことなんて他にたくさんあるのに。
しかし、俺はこの戦いの渦に巻き込まれるしかないのか? 元の世界では逃げることができたかもしれない。でも、ここではどうだ? 自分を守るため、戦うために魔法を学ぶ。それがこの世界の現実なら、俺も覚悟を決めなきゃならないのか。その答えはまだ明確ではないが、少なくとも今は情報を集めることだ。
「戦争って、宗教とか文化の違いで起こるのか? それとも領土争いとか?」
「まあ、そういうのがきっかけになることもあるけど、最大の原因は人が『究極の魔法』を求めることだって言われてるんだよね」
その言い方だと、確信はないってことか……。
「つまり、どういうことなんだ?」
「魔法って、イメージが大事だって言ったじゃん? だから、自分が見たり聞いたりしたことしか再現できないんだよ」
実体験が魔法の行使における重要な要因であるということか。
「でも、さっき言ったように、見たことがある現象でも再現できない魔法もあるんだよ。さっきの雷とかもそうだね」
俺の仮説では、それは取り出せるエネルギーに限界があるためである。
「でもさ、人ってやっぱり使いたくなっちゃうんだよね、そういう魔法……」
この世界では、知的好奇心に類似した魔法への渇望が進化を遂げたようだ。人間の心の奥底には、禁断の果実とでもいうべき、難解で手の届かないものほど欲望を掻き立てる本能が潜んでいる。そして、その果てしない欲望の追求は、まるで蜃気楼を追い求めるように、人間を際限なく翻弄し続けるのだ。
「つまり、未知の魔法や高難度の魔法を取得するために戦争を行っていると?」
「そう……。戦争に勝つと、いろんな魔法の情報が手に入るんだ。そしたら国も強くなって、また新しい魔法を求めて戦争が始まる……」
「そうか……。それで、究極の魔法って一体何なんだ?」
「エテルニアには、『伝説の魔法』っていうのがいくつかあるっていわれてる。さっき話してた雷を呼び起こすみたいな魔法だね」
「つまり、どんなに想像しても再現できないレベルの魔法ってこと?」
「そうそう。で、それ全部使えるようになったら『究極の魔法』に辿り着くってバカみたいな話」
なんてこった、夢物語みたいだな。こちとら、子供でも使えるような魔法も碌に扱えないっていうのに。
「その言い方だと、エルフィは究極の魔法とか伝説の魔法とかにあんまり興味ないのか?」
「魔法は好きだけど、それで争うのは……私はイヤ」
エルフィはとても悲しそうな顔をしながらそう言った。彼女の中に何か深い葛藤があるように見えた。もしかして、過去に何かあったのか? しかし、それを尋ねる気にはなれなかった。彼女の心の傷に触れることを恐れたからだ。杞憂かもしれないが、今はそれが杞憂かどうか確かめる術はない。
「……。ところで、『伝説の魔法』やら『究極の魔法』やらが実在する根拠は何かあるのか?」
「さあ、どうかな。田舎育ちの私にはわからないよ。大体、そんなこと知ってるのは王国のエリートだけだからね」
血筋や権威とは無縁の世界。魔法の力がすべてを決める世界。
(どうせ俺には無理だろうな。頂点になんて立てるわけがない)
そんなことを考えている自分が滑稽に思えてくる。俺が求めているのは、地位や名誉なんかじゃない。豪華な城になんて興味はないし、華やかな舞台も俺の性には合わない。俺の求めるものは、もっとシンプルなもの。そう、真理の探究。それだけだ。
(まったく……、俺には俺の道があるんだ)
心の中で自分に言い聞かせる。自分の生き方を貫くことが、一番大事だ。どんなに周りの環境が変わろうとも、俺は俺の信念を守る。
読者の皆様、今回もご覧いただきありがとうございます。いかがでしたでしょうか?エルフィとエレパートの新しい生活が始まり、彼らの冒険がどのように展開していくのか、楽しんでいただけたら幸いです。
今回のエピソードでは、エルフィの魔法の知識やこの世界の独特な教育システムについて少し触れました。彼女がどのようにして魔法を使いこなしているのか、その背景を知ることで、今後の物語の理解が深まると思います。また、エレパートの視点を通じて、彼が新しい世界に適応していく様子やその心情の変化もお楽しみいただけたでしょうか?
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次回もお楽しみに!