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第一話「実験室からファンタジーへ」

目を覚ますと、広大な草原に立っていた。まるで夢の中のように、見慣れない風景が広がっている。


「ここはどこだ?」


そう(つぶや)きながら、俺は目の前の光景に圧倒される。青い空が広がり、どこまでも続く緑の大地が広がっている。実験室の無機質(むきしつ)な空間とはまるで違う、まさに別世界。俺の知らない世界。いつの日か(あこが)れた、そんな世界。


「何が起こったんだ?」


疑問が頭を()(めぐ)る。自分の体を確認すると、着ているのは実験室で使っていた白衣(はくい)のままだ。目的もなく歩き出す。数歩進むと、草むらの中から奇妙な音が聞こえた。


「な、何の音だ?」


立ち止まり、身構える。草むらから何かが出てきた。目の前には見たこともない生き物が立っている。頭はウサギ、体はカンガルー、尾はリス。現実離れした存在に、驚きと警戒が入り混じる。


「何だこいつ?!」


ヤツも俺を見ている。目が合う。相手も「何だお前は?」って顔してるな。


(もしかして、エイリアンか?)


そんなことを考えながら、俺はじりじりと後ずさりする。その生物は一歩も動かず、ただじっと俺を見つめ続ける。


「いや、待てよ。この世界じゃ普通の動物かもしれない」


自分を落ち着かせるために、深呼吸を一つ。冷静になろうとした。


だが、その瞬間、その動物はジャンプし、俺に向かってきた。その(するど)い動きに、「うわっ!」と俺は思わず叫び、反射的に飛び退()いた。そして、俺はすぐさま反転して全速力で逃げ出した。


「何なんだよ、あの生き物!」


心臓がバクバクと音を立て、胸が痛い。足が草原を蹴るたびに、風が顔を()でる。くそっ、こんな状況になるなんて思ってもみなかった。


後ろを振り返ると、あの奇妙な生き物が追いかけてきている。ウサギの頭がピョンピョンと上下に揺れている。まるで俺をからかっているかのように見えた。


「やばい、めっちゃ追いかけてくるじゃねえか! 俺は無害だあああ!」


そう叫んでみるが、生き物は全く気にしない様子。さらに加速してきた。こっちの言うことなんて聞いちゃいない。


俺は全速力で走る。心臓が爆発しそうだ。後ろを振り返る。まだ追ってきている。くそっ、逃げ切れるのか?


「待ってくれえええ!」


と俺は再び叫ぶ。だけど、やはり相手は全く耳を貸さない。何で俺がこんな目に()うんだよ。ついてないにも程があるだろ。


(もうダメだ……俺、結構足速いんだけどな。やばい、追いつかれる!)


そう思った瞬間、ふと、前方に人影。目を()らすと、遠目にだが少女が立っているのがわかった。俺は全力でその少女に向かって走る。


「助けてくれえええ!」


女の子に助けを求めるなんて、情けないってわかってる。でも、もうそんなことを気にしていられる状況じゃない。それくらい俺は追い詰められていた。


少女は驚いた様子。当然だよな。急に男が叫びながら突っ込んでくるんだから。でも、すぐに状況を把握(はあく)したのか、少女は小さな杖を取り出し、しっかりと(にぎ)りしめた。


「大丈夫、任せて!」


彼女の声は自信に満ちていた。そして、その少女は空中で杖を螺旋(らせん)状に振り始めた。


「フレイムスパイラル!」


彼女がそう叫ぶと、杖の先から炎が現れた。螺旋を描きながら空中を舞い始めるその炎。目を見張るほどの光景に、俺は息を()んだ。こんなもの、見たこともねえ。まるで映画の特殊効果みたいだ。


炎の螺旋はどんどん大きくなっていく。その勢いは止まらない。そして、その炎があの奇妙な生き物に向かって突進していった。生き物は驚いて後ずさりし、振り返って逃げようとしたが、無意味だった。逃げる暇もなく、炎に包まれた。


これは本当に現実なのか? 信じられない。俺はただ立ち尽くし、その光景を見守るしかなかった。目の前の少女が杖から炎を出したんだ。そんなの、普通に考えたらありえないだろ。


少女は微笑(ほほえ)んで、杖を下ろした。その仕草がなんだか無防備で、余計に信じられない現実を突きつけられる。


「これで安心だね」


その言葉に、俺はようやく息を吐き出した。ホッとしたのと同時に、驚きで頭がクラクラする。何が起きているのか、まだ理解しきれていない。落ち着きを取り戻さんとするためか、俺はとりあえず顔を上げ、少女の横顔を見つめた。


金色の髪が光を浴びて(かがや)いている。風に揺れるたびにキラキラと光るその髪は、さながらおとぎ話のプリンセスだ。澄んだ青い(ひとみ)は深い海のようで、その瞳には引き込まれそうになる不思議な魅力がある。


(おだ)やかに笑うと、(ほほ)に小さなえくぼが浮かんだ。その笑顔がさらに魅力的に見える。薄いピンク色の唇が健康的で活発な印象を与えていた。


俺の視線は全身へと移る。赤とオレンジのグラデーションのローブを(まと)っている。その軽やかな素材が彼女の動きを一層引き立てる。首にはペンダント。耳には星形のピアス。


俺の心臓はまだ激しく鼓動している。もちろん、目の前の女の子にドキドキしているわけじゃない。いや、たぶん。問題は、何もない空間から炎の螺旋が出てきたこと。にわかには信じがたい。目下(もっか)不可思議(ふかしぎ)な実験結果に直面したときのような心境だ。


「ありがとう、本当にありがとう。キミに救われた。でも……い、今の、何だったの?!」

 

「ん? あれはガストループっていうモンスターだよ」


「いやいや、そっちじゃなくて!」


「え? どっちのこと?」


「火だよ、火!」


声が(うわ)ずる。確かに見た。あの瞬間、杖から火が出てたんだ。俺の頭の中でその映像がフラッシュバックされる。

 

「火を知らないの?」


「火は知ってるよ! そうじゃなくて、い、いま、杖から火が……」


声が震える。頭が整理できない。杖から火? 本当に?


「え?! 魔法、見たことないの?」

 

「魔法……?」


その言葉に、俺は一瞬固まる。魔法? 現実離れした言葉が俺の耳に響く。俺が信じていた理論物理学(りろんぶつりがく)の常識では説明できない。


「うん、魔法だよ」


随分(ずいぶん)あっさりと言いやがる。魔法なんて、ファンタジーの世界だ。まさか、本当に魔法があるってか……? 胸が高鳴り、息が詰まるのを感じる。俺の中で、世界がぐらぐらと揺らぎ、現実感が(くず)れ落ちていく。

 

「そんなもの、見たことないよ。マンガとかラノベくらいでしか」


「マンガ? ラノベ? それって何?」


「え、知らないのか?」


「うん、知らない!」


俺の知識が通じないことに戸惑(とまど)いを覚える。本当に知らない? それとも、俺をからかってる? 何を今更。ここが俺の知ってる世界じゃないことはもうわかってるだろ。いい加減、目を覚ませ。それとも俺は心のどこかでまだドッキリか何かを期待しているのか?


「ところで、その奇妙な服装は一体何なの?」


少女は興味津々(しんしん)といった表情で、俺の服を指差した。彼女の目の前には俺しかいない。だから指差しの対象は俺に決まってる。それなのに、突然の指摘で俺はつい周囲を見回してしまった。まだ動揺している証拠だ。


「これか? これは白衣(はくい)といって、科学者たちが研究室で着用するものだよ」


「はくい? かがくしゃ? けんきゅうしつ? 全然わかんない!」


彼女は頭を抱えた。嘘だろ? それも通じないのか。俺は苦笑(くしょう)しながら頭を()いた。どうやって説明すればいいんだ? 初心者にサイエンスの概念を一から教えるのはなかなか難しい。


「えっと、まず科学ってのがあってね……、一定の目的や方法に基づいて様々な事象を研究する活動のことを言うんだよ」


「……」


「例えば、どうして空は青いのかとか、どうやって植物が成長するのかを調べるんだ。いろんな不思議なことを解明しようとするんだよ」


「うーん、まだよくわかんないな……。だってそんなことどうでもいいもん」


「そう思う人も一定数はいるな。まあ、ざっくりまとめると、科学は、世界を理解するための方法みたいなもんだ」

 

とりあえず簡単に言ってみたが、彼女の表情には困惑の色が浮かんでいた。やっぱり無理か。まあ、無理に説明しなくてもいいか。彼女には彼女の世界があるんだし。

 

「その中でも物理学というものがあって、それは物や現象の仕組みを探る学問なんだ! 例えば、物体の動きや光の伝わり方を研究して、新しい技術を生み出せたりする! すごいと思わないか!」


おいおい、説明するの諦めたんじゃなかったけ? こんなときに物理信者を増やそうとしてどうする。ましてや相手は科学の”か”の字も知らなそうな異世界の少女だぞ。


やっぱり、本能的に、物理学の魅力を誰かと共感したいんだろうな。宗教勧誘とやってることはさほど変わらない。いつだって自分の好きな分野に他人を引き()り込みたいのだ。理系あるあるということにしておこう。そんなあるある聞いたことないが。

 

「……よくわからないけど、とっても楽しそうだね!」


彼女はにっこりと笑った。その笑顔はぎこちない。目は宙をさまよっていた。女の子が少しでも物理に興味を持ってくれるだけで俺のテンションは爆上がりなんだけどな。


「と、とにかく、この白衣はそういう研究をする人が着る服なんだ。ちょっとした制服みたいなものさ」


「制服かあ。それにしては変わったデザインだね!」


いやいや、そっちの方がよっぽど奇天烈な格好だろうが、と思わずツッコミたくなった。赤とオレンジのローブに星型のピアスって、まるでコスプレイベントから飛び出してきたみたいじゃないか。現代日本の感覚からしたら、絶対に振り返られるレベルだ。


「ところで俺はこの世界のことが全然分からない。だから教えてくれないか? 例えば、さっきの……火の魔法とか」

 

「この世界の人じゃないの?」


「うん、違うよ。俺はこの世界の人間じゃない」


信じてもらえるのか?こんな話。普通なら、嘘だと思われても仕方ない。実際、もし地球で、異世界から来ました、って目の前で言われても、アニメやマンガの見過ぎだ、としか俺は思わない。でも、彼女の目は真剣だった。

 

「なるほど、だからガストループに驚いていたんだね!」


少女は納得したように(うなず)いた。あまりにも現実離れした状況なので、理解してもらえるか不安だったが、この少女にはその心配は無用のようで、少し安心した。同時に、俺が異世界から来た人間であることをこんなに簡単に受け入れられたことに対して、胸の中に不協和音のような違和感が響く。


「俺が異世界から来たって言っても、驚かないのか?」


「異世界の人を見るのは初めてだけど、エテルニアはいつも不思議なことばかりだからね」


「エテルニア?」


「エテルニアは私たちの世界の名前だよ。君はどこから来たの?」


少女の(ひとみ)が輝いている。その(ひとみ)に映る自分の姿を見て、俺は少しだけ心を開く気になった。助けてもらってなんだが、やはり目の前であんな物騒(ぶっそう)な魔法?なんてもの見せられたら、最初は警戒せずにはいられなかった。


「地球……いや、宇宙って言った方がいいかな」


「宇宙? なんか壮大そうな名前だね!」


「まあ、そうかもしれないな……」


「それで、どうやってここまで来たの?」


彼女の(さぐ)るような(ひとみ)が俺を見つめる。俺は無意識に視線を()らし、再び自分の内側に問いかけた。どうしてここにいるんだっけ俺? 何が起こったんだっけ? ただの夢だと言い聞かせても、現実感が強すぎる。それに異世界転移なんて現象、どう説明すればいいのか……。よし、起きた出来事をありのまま話そう。


「正直、俺にもよくわからないんだが、実験中に触れた装置が突然光り出して、気がついたらこの世界にいたんだ」


あの瞬間のことを思い出す。装置が暴走し、一気に閃光(せんこう)に飲み込まれた。まるで世界が一瞬で消え去ったような感覚。視界が真っ黒になって、次に気づいた時には足元に柔らかな草の感触があった。ここがどこなのか、理解する間もなく、異世界の香りが鼻腔(びくう)をくすぐってきた。


「実験? よくわかんないけど、それでエテルニアに来たんだね」


「そうなんだ。でも、この世界は本当に不思議だ。魔法が本当に存在するなんて、まるで夢みたいだ」


「うん、エテルニアでは魔法が普通なんだよ」


現実の感覚と冷静さが徐々に戻ってくる。同時に、魔法という言葉が何度も頭を(めぐ)る。エテルニアという名の異世界。魔法が存在するなんて(いま)だに信じがたい。


くどいなんて言ってくれるなよ? 物理学者が魔法なんて現象を()の当たりにしたらそう簡単に割り切れない。少なくとも自分で納得できるような理論を作り上げるまでは。


「そうなのか……。俺の世界では、そんなものはただの空想に過ぎないんだ」


「魔法が空想? 変な話だね。でも、ここでは、その空想が現実になるんだよ。試してみたら?」


「いや、さすがに怖いけど……興味はあるな」


「大丈夫だよ。魔法なんてそんなに難しいものでもないし」


「そう言われてもなあ……。魔法を使うには、何か特別な訓練が必要なんじゃないのか?」


「ううん、基本的なことなら誰でもすぐに覚えられるよ。たとえば、ここにあるこの石を見ててね」


彼女は手元の小さな石を持ち上げると、目を閉じた。石は徐々に光り始め、ふわりと宙に浮かび上がった。


「これが基本の浮遊魔法。ほら、簡単でしょ?」


「……すごい。やっぱり物理学じゃ説明できない現象だ。でも、目の前で見た以上、信じるしかないな……」


この世界では、空想が現実になる。その現実を、俺は受け入れるしかなかった。でも、なぜだろう。今までの理論が通用しないクソッタレな状況なのに、期待や好奇心といった(たぐい)のものがだんだん自分の中で(ふく)らんでいることがわかる。


「なら、さっきの火の魔法ってどうやるんだ? もしよければ教えてくれないか!」


胸が高鳴る。俺の中で理性と感情がぶつかり合っている。元の世界に戻る方法を探さなきゃいけないはずなのに、この異世界の秘密を知りたいという欲望が勝っている。自分でも笑っちゃうくらい、好奇心に突き動かされているのだ。


「基本的には意志の力だよ。集中して、自然の力を炎に変えるイメージをするの」


彼女の説明はまるで夢物語のようだが、不思議と理解できる気がする。量子力学(りょうしりきがく)の『不確定性原理』を思い出す。意志の力が現実を変えるなんて、考えてみればそれも()にかなっているかもしれない。


「意志の力? つまり……念じるってこと?」


「そう、そんな感じ。まず、心の中で炎をイメージしてみて。」


彼女が優しく微笑(ほほえ)む。その笑顔によって魔法に対する俺の不安が少し(やわ)らぐ。よし、やってみよう。俺は(まぶた)を閉じ、心の中で炎を(えが)いてみる。物理学者らしく想像力を働かせて、炎の熱さ、光、揺らぎを細かくイメージする。


だが、何も起こらなかった……。


「心配しないで。ちょっとずつ練習すれば、きっとできるようになるよ」


「なるほど。もう少し具体的な手法が知りたいな。魔法にも、科学のような理論体系があるのでしょうか?」


「りろんたいけい? よくわからない……。でも、イメージとか感覚で覚えるかな!」


いくらなんでも抽象的すぎないかい? 彼女の答えに少しがっかりしたけど、まあ、仕方ない。


「俺に魔法が使えない可能性とかはないのか?」


「魔法が使えない人なんていないよ! 才能がなくてもできる魔法を教えてあげるね!」


「た、たのむ……」


彼女の話し方があまりにフランクだったのか、自然と俺の口調(くちょう)も同年代の友人と話す時の口調(くちょう)に変わっていた。なんだか、彼女と話していると、自分が少しだけ素直(すなお)になれる気がする。まあ、それも悪くない。これからどんな魔法を教えてもらえるのか、少し楽しみになってきた。

 

「まずは風を感じてみて」


少女はそう言って、目を閉じ、手を広げた。


風を感じるなんてワード、前の世界じゃ恥ずかしくて人前で言えなかったな。なんていうか、そういうのって、ちょっと中二病っぽくてさ。でも、ここではそれが普通らしい。魔法はそういう生きづらい世の中も吹き飛ばしてくれるのか。いや、だからって本当に風を感じるなんてできるのか? 俺の中の疑念が(ふく)らむ。


「次は風の流れを頭でイメージしてみて……」


割と真剣な彼女の声を聞いていると、冗談だと笑い飛ばすわけにもいかなかった。魔法なんていう荒唐無稽(こうとうむけい)代物(しろもの)を彼女は本気で俺に教えようとしている。なんか、魔法に対するその本気具合が逆に面白くて笑えてくる。


笑うんか笑わんのかどっちやねん、なんて自分でボケて自分にツッコミを入れる様子を見ると、どうやらいつも通りの自分に戻ってきたようだ。


とにかく、俺もやってみるか。俺は少し息を吸って、意識を集中させた。


「こ、こんな感じか……」


「そう、その調子。次に、風を集めるのをイメージしてみて……」


彼女の言葉に従って、俺は目を閉じた。目を閉じると、周囲の音が遠くなる。風が手のひらに集まる様子を想像する。だけど、ただの想像だけで本当に何かが変わるのか? 本当に風が集まるのか? 半信半疑だったが、それでも頭の中で風が渦を巻くイメージを描いてみた。


風よ、俺の手に集まれ。心の中でそうつぶやく。馬鹿(ばか)らしいと思う反面、どこかで期待している自分がいる。風の感触が、少しだけ手のひらに感じられた気がした。


「よーし、行くよー!」


少女が手を前に差し出し、軽く揺らすと、目の前の落ち葉がまるで小さな(ちょう)の群れのように一斉に舞い上がった。


「すげー……」


口から思わず漏れた言葉。彼女が魔法のように見せてくれた風景に、俺も参加できるのかもしれないという希望が胸に(ふく)らんだ。


彼女の声が再び聞こえる。落ち着いた、優しい声だった。


「大丈夫、ゆっくりでいいよ。風の力を感じて」


その言葉に励まされ、俺はもう一度深呼吸をした。手のひらに意識を集中させ、風の動きを感じ取ろうとした。果たして、俺にもできるのだろうか。自分に問いかけながら、俺は手のひらに(かす)かな風の流れを感じ始めた。


胸の中で小さな火が(とも)る。それが希望か、それともただの幻想か。そして、手を前に出したら、かすかな風が周りに広がった。まるで俺の意志を感じ取ったかのように。


「や、やったのか?!」


驚きと喜びが入り混じった声が出る。けど、その声に応えるように彼女の冷静な一言が耳に届く。


「……いや、それただの自然の風だよ」


その言葉に、俺は一気に現実に引き戻された。肩を落とし、ついでにため息もついた。期待していた分、失望も大きい。


「はあ……、やっぱり異世界人の俺にはできないのか? 運動神経は悪くない方なんだけどなあ……」


「まだ諦めるには早いよ。もう一回やってみよう!」


彼女の明るい声に引っ張られるように、俺はふと顔を上げた。彼女の笑顔を見ると、何だかもう一度挑戦したくなる気持ちが湧いてくる。ああ、この笑顔には(あらが)えない。精神論でどうにかなるとは思わないが、俺は気合を入れ直し、もう一度風の流れを頭の中で(えが)いた。それに、諦めたらそこで試合終了ですよって、誰かが言ってた気もする。


「風が君の手のひらに集まるイメージを忘れないで!」


彼女のアドバイスを胸に、全身の力を抜いてみる。風がどこから来るのか、感じ取ろうと集中する。


そして、風の動きを感じ取りながら、掌中(しょうちゅう)に風を集める感覚を心に(えが)く。そうだ、イメージが大事だ。


「今度こそ……!」


俺は確信を持って手を前方に突き出した。しかし。


「……」


目の前の葉っぱは微動(びどう)だにしない。まるで俺の努力を鼻で笑っているかのように見える。もっと深く考えなきゃいけないのか? いや、もっとシンプルに考えるべきか?


「えー、うそでしょ! 子供でもできる超簡単な魔法だってのに……」


「もう、俺はこの世界の落ちこぼれ確定ってこと?!」


「……もしかして、風さんと仲良くなれてないんじゃない? 風さんは君のお友達なんだから」


「自然界にそんな概念が存在するのか?! 風と友人になるとは、いささか奇妙な考え方だな……」


名前か……。そんな単純なことで何かが変わるのか? 俺は一瞬考え込む。物理学者としては、もっと根拠のある方法を試すべきだと考えるべきなんだろう。でも、エルフィの言葉には何か引っかかるものがあった。名前をつけることで何かが変わるかもしれない。いや、変わると信じてみたい。


「名前か……。じゃあ、風太(ふうた)にする。」


エルフィは笑いをこらえながら(うなず)いているように見えた。本当に大丈夫か?おい。


「いい名前だね。じゃあ、風太(ふうた)を手のひらに集めるイメージしてみて」


エルフィの言葉に従い、俺は目を閉じた。風太(ふうた)。俺の手のひらに集まる風のイメージ。風太(ふうた)風太(ふうた)……。名前を繰り返すことで、風との距離が縮まるような気がした。いや、たぶん気のせいなのだが。


「よし、風太(ふうた)、行け!」


風太(ふうた)は全然動かない。何も変わらない。無風だ。なんだよ、つれないな。こんなに頼りにしてるのに、風太(ふうた)のやつ、全然応えてくれない。


「あはは、そんなことで魔法が使えるわけないじゃん!」


少女はお腹を抱えてゲラゲラ笑っている。今度こそ魔法が使えるって期待してたのになあ。(すご)い魔法が使えるかも、と心の奥底で自分の才能を信じていた俺がバカみたいだ。


「ごめんね、つい、ちょっとからかっちゃった! お()びに名前教えるよ。私の名前はエルフィーナ。エルフィって呼んで!」


魔法が使えなかったのは残念だが、可愛(かわい)い女の子にからかわれるのは満更(まんざら)でもない。少なくとも、彼女は楽しんでるみたいだし、笑顔を見ると腹立つどころか、むしろ嬉しい。


何より、彼女は命の恩人だ。感謝しないといけない。俺も名乗ることにしよう。


「俺の名前はタロウだ。よろしく、エルフィ」


「タロウか……うーん、それってちょっと変に思われない?」


「え、そうなのか?」


佐藤(さとう)太郎(たろう)なんて、日本じゃ普通すぎて逆に少ない気がする。なんか語呂(ごろ)もイマイチだし。全国の佐藤(さとう)太郎(たろう)さん、ごめんね。


「うん、ここではその名前はかなり違和感があるの。もっとエテルニア風にしてみたら?」


え、そんなんわかるわけないやん。


そういえば、興奮状態が続いていて気づかなかったが、エルフィがなぜ日本語を話しているのか少し疑問に思った。いや、冷静になって考えてみると、これは結構重要なポイントだろう。


これも魔法によるものだろうか。そう考えるのが自然だが、なんとなく納得いかない。どんな魔法を使ったら言葉の壁がなくなるんだ?


「うーん。そうだな……」


「アレックスとか、リカルドとか?」


「それってイケメンの定番みたいな名前じゃん」


「じゃあ、エルドリックとかゼルファスとか?」


「俺には似合わないな……」


名前一つでこんなに悩むなんて。俺は頭を(かか)えた。何が正解なのか、全く分からない。自分に合う名前、自分らしい名前って何だろう。自分自身をどう表現するか、それがこんなに難しいとは思わなかった。


「うーん……どうしたものか」


「あなたの心がときめくものの名前をつけたら?」


エルフィの言葉に、ふと大学の研究のことが頭をよぎる。


「素粒子……」


「そ……りゅうし?」


「俺たちの世界では、ミクロスケールの粒子(りゅうし)が宇宙の構造を形成しているとされていて、その粒子(りゅうし)素粒子(そりゅうし)って呼んでるんだ」


「へ、へえ……。面白いね!」


エルフィは口元に()みを浮かべていたが、その目には困惑の色が見え隠れしていた。やっぱり、そんな反応になるよな。


それを隠そうとする作り笑いが、かえって彼女の戸惑(とまど)いを露呈(ろてい)させている。エルフィ、無理して笑わなくてもいいんだぜ。


「じゃ、じゃあ、それを名前に入れちゃえば?」


俺は頭の中であれこれと組み合わせを試してみた。うーん、エルフィが納得するような名前にできるかな? どんな名前がエルフィの心に響くんだろう? いや、そんなこと考えたって意味はない。とにかく、俺の直感を信じよう。


「なら……、Elementary(エレメンタリー) Particle(パーティクル)から取って、Elepart(エレパート)ってどうだ?」


「エレパート……?」


エルフィは少し驚いた顔をした。何かまずかったか?


「いいね! それに、なんかめっちゃイケてるかも!」


「本当に?」


俺は少し照れながら尋ねた。内心では、自分のネーミングセンスに自信がなかったから、彼女の反応が嬉しかった。


「うん、エレパートってエテルニアっぽいし、君にもすごく似合ってるよ!」


「ありがとう、エルフィ」


「じゃあ、エレパート。これからそう呼ぶね!」


俺はうなずいた。エレパートか。新しい名前が俺の中で響く。なんだか未来が少し変わる気がする。今までとは違う冒険が、ここから始まるんだなと感じた。名前ひとつでこんなに気持ちが変わるなんて、驚きだ。エレパート。これから俺は、エレパートとして進んでいくんだ。

読者の皆様、ここまでお読みいただきありがとうございます。いかがでしたでしょうか?この第一話を通じて、新しい冒険の始まりを感じていただけたら嬉しいです。


今回の物語では、科学と魔法が交錯する世界を舞台に、異世界からやってきた主人公タロウ(もといエレパート)がどのようにしてこの新しい世界で成長し、困難に立ち向かっていくのかを描いていきます。少しでもこの物語に興味を持っていただけたなら、ぜひ次のお話も楽しみにしてください。


また、作品を楽しんでいただけた方は、ブックマークや評価(★)をいただけると大変励みになります。感想やコメントもお待ちしていますので、ぜひお気軽にお寄せください。


それでは、次回もお楽しみに!


エレパートの冒険が皆様にとって素晴らしい時間となりますように。

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