#9 メイのことを悪く言って
「エリアシーク!」
メイの見開いた瞳が青く光った。辺りをスキャンするようにきょろきょろと首を振っている。鼻の頭には汗がにじむ。奥歯を噛みしめているのだろう、エラも張っている。
「め、メイ……だ、大丈夫?」
「黙って!」
メイの息は喘いでいる。首が少しずつ前にかしぎ、背中が丸まってきた。額にまで汗が球を作っている。高度な魔法は魔力、体力の消費量が半端ではない。
「あれか!」
跳ね上がるようにメイが背筋を伸ばした。震える腕で街の一角を指さした。
「あの……くっ……あ、赤いシャツの男! ユイ、肉眼じゃ遠いけど……見える?」
「ご、ごめん! わ、わかんない……遠すぎて……うん! よし! 行く!」
今にも崩れ落ちそうなメイを背中に担いだ。
「え? ちょ、ユイ! まさか!」
腰のリボンを一旦ほどき、メイを包む形で結びなおす。
「大丈夫大丈夫! 昔からよくやってたじゃない! うん、だいぶ久しぶりなのは間違いないけど。あ、メガネさん。私の荷物見ててもらえますか? これ以上盗られちゃったら、ほんともう、帰ることもできなくなっちゃう! 私! なはは」
「め、メガネさん?! ……というか……一体何を……ま、まあ、なんとなく、やろうとしてることはわかるんですけど……だ、大丈夫なんですか? 新人さんのほうが……大きいんですが……」
ジンはメガネを押さえながら弱弱しく親指を立てた。
「私は犯人がわかってないけど体力はばっちりある。昨日はよく寝れたし! いや、ほんと森の中って感じでいい宿でした! えーと……何の話だっけ……あ、メイは犯人の顔がわかってるけどもう体力がない。じゃあ、こうするしかないじゃないですか! メイ! いくよ!」
「か、神様!」
メイが何かを誰かに祈ったのを合図に、ユイは飛ぶように走り出した。右足が痛いし、メイを背負っているしで、ユイの身体は大きく左右に揺れる。
「わああああ! もうちょっと! ゆっくり!」
「私が犯人の顔見たら下ろすから! もうちょっと我慢してメイ! ところでこの角は?」
「み、右!」
通りを曲がる。人力車や人、街道の出店を巧みに避けて、ユイは競走馬のように走る。
「み、見える? あの赤シャツ!」
メイが弱弱しく腕を前に出してきた。導かれる先には、赤いシャツを着た中年男性がいた。ズボンの後ろポケットに巻物が見える。
急停止。帯をほどき、メイをゆっくりと道端に座らせる。
「ほんとにありがとうメイ! すぐ戻るから待ってて!」
「言われなくても……しばらくは一歩も動けない」メイは街路樹に身体を預けた。
ユイは一瞬で最高速までギアを上げた。なぜか痛みも感じない。人いきれの中、とうとうターゲットを捕捉した。
「そこの赤いシャツの人!」
自分の声が通りにびりびりと響いた。赤シャツが驚いたようにこちらを振り向いた。通行人の視線がユイと赤シャツを行ったり来たりしている。自然と人混みが割れ、二人の間に一本の道ができた。
「な、なんだ……あっ! こいつは……」
「返して! 私の巻物」
掌を差し出し、ゆっくりと距離を詰めていく。反対に、赤シャツは一歩二歩と後ずさる。
「はっ……何のことだか……言いがかりはよせよ」
「何のことかじゃない! 巻物! あなたがズボンの後ろポケットに入れてる巻物! 私から盗んだやつでしょ! 返して!」
「これのことか? おいおい……証拠はあるのか? これがお前のだっていう」
男はポケットから巻物を取り出し、自分の正面に持ってきた。ふてぶてしい表情で口をいやらしくひきつらせた。
「これは俺のだよ。俺が払わなきゃなんない税金の督促状さ。もちろん、お前にタダでやってもいい。お前が払ってくれるってのならな」
見物人の間で笑い声が上がった。
「お前のだっていうなら中に何が書いてあるか言ってみろよ」
「そ、それは……知らない! わかんない!」
「ほれみろ! 大人をからかうんじゃないぜまったく……」
男は踵を返し、足早に遠ざかる。周りではざわざわと声が飛び交う。「自分のなのに知らないってどういうこと?」「あのオッサンも怪しいけど、この女の子も相当変だな」
「違う! 本当に知らないの! でも、あなたが盗ったってのはわかってるの! 返してよ!」
「そうかいそうかい。じゃあ見せてやるよ」
男は立ち止まり、こちらに向かいなおった。巻物をぱらりとほどく。
「な? いいぜ? 差し上げてもよ」
ユイの目の前まで近づき、つきつけてきた。確かに督促状だった。
「そんな……」
肩の力が抜けた。
「メイが……見てくれた。一生懸命シークしてくれた。盗ったのはあなた! メイが間違うわけない!」
勝ち誇ったように男が眉毛を持ち上げた。
「残念でしたねお嬢ちゃん。お嬢ちゃんと同じで早とちりのお間抜けさんなんだろ? そのメイってやつもよ。まともにできもしない魔法でも使ったんじゃないのかよ。間抜けな上にバカで身の程知らずだな。その結果がこれだ! こんな公道のど真ん中で、わざわざ俺に恥かかせやがってよ。謝罪しろ謝罪! 赤の他人に督促状見せる羽目になってよぉ! いい迷惑だぜ!」
鉄の味がした。いつの間にか唇を噛み切っていた。心臓からどくりどくりとポンプのように熱が伝わってくる。
「私はいい……その通りだよ……いつも早とちりのお間抜けさんだよ……でも、メイが……メイが間違うわけない! ……バカじゃない! 身の程知らずじゃない! だから……あんたが犯人なんだ……てことは、あんたはウソをついてる! 私を……今周りの人も含めて騙そうとしてる……! 逃げようとしてる……! メイのことを悪く言って……メイのことを……悪く……悪く言って!」
頭が熱い。頭が熱い。奥歯がきしむ。腕が、脚が震える。全身が粟立つ。髪の毛が逆立つ感覚が脳を突き抜け、唐突にぶるんと、陽炎のように視界が揺らいだ。
「はぁ?! お、おいおい……じょ、冗談きついぜ……な、なんだよそれ……お、お前……」
男の顔から表情が消えた。嘲笑気味だった周囲のざわめきが、不穏な空気に変わっていくのがわかった。悲鳴じみた声が通りを支配する。
自分が抑えられない。熱い。許せない。抑えられない。あいつはメイを悪く言った。メイを。熱い。悪く。許せない。
男に向かって一歩踏み出す。石が焦げる臭いが立ち上った。足元を見ると、身体が燃えていた。
冷静な部分の頭が、「これ久しぶりだなぁー。自分では覚えてないだろうけど。どうせこれもすぐに忘れるんだろうけど」とのんびりつぶやいたのが聞こえた。
続く。
用語解説
【地名等】
ロンドリーム 魔法民族の王国。現存国の中で最も歴史が古い。東州、中央州、西州、島嶼州の四州にわかれる。
シェルドン 科学民族の民主国家。比較的新しい国。技術革命により大国になった。
パランダル 新興国家。民族の別なく受け入れると表明。
バスク 自然民族。どこにも属していない。ロンドリームにもシェルドンにも居住。
レベンナ ロンドリームの町。中央州の中心都市。
ザッシュ ロンドリームの町。海岸沿いにあり、貿易が盛ん。中央州。
ドネザル ロンドリームの王都。東州の中心都市。
アルジャント ロンドリームの町。中央州にある。山間の田舎町。
【人物】
ユイ・アムル 15歳の新米魔法使い。ザッシュで魔具開発会社に勤める。この物語の主人公。
メイ・トルティーヤ ユイの幼馴染。高等魔法学校首席。レベンナで官僚見習いを始める。
ケイト ユイの勤める魔具開発会社の上司。
カズキ・ロードコード モンスターハンタであり、世界的モンスター研究者。若く見えるが百歳代。五大魔法使いの一人。火の大魔法使い。勇者キヨのかつての仲間。
ジン ドネザルにおけるメイのメンタ。
黒龍 伝説のモンスタ。八十年前、勇者キヨによって封印される。
【魔法】
ファイアプレイス 静置状態の火を起こす火炎系魔法。
ファイアボール 火の玉を飛ばす火炎系魔法。
シーク 相手のレベルや状態を調べる水系魔法。
エリアシーク 周りの状態を調べる水系魔法。
グラビティカ 重力を操る大地系魔法。
【物等】
高等魔法学校 ロンドリームの子どもは、義務教育である六年間の『魔法学校』の後、希望者のみが全寮制の『高等魔法学校』に三年通う。
魔列車 魔力で動く列車。ロンドリームの主要交通機関。
消魔香 魔力を封じる香木。
五元素 地火水風空
ランク S―A―B―C とある。ランクごとの人数比は三百倍程度。例、Cランク三百人に対し、Bランクが一人輩出される。
スコープス 魔具開発会社。本社は王都にある。