#6 休職届
「……な、なにい? ユイ、もっぺん言ってみてくれ。俺の聞き間違いだといけねぇからなぁー。朝っぱらは全身の感覚が今一つなんだ」
大きな手が大きな顔の横に添えられ、聞き耳立てるジェスチャをしている。この距離で聞き間違えるわけはないし、周りも静かなのだから、そんなことしようがしまいがリスニング能力は変わらないと思うけどな。ユイはまあいいやと声に出し、息を吸った。
「もう一度ですか? はい! わかりました! 私、仕事辞めます! 今日!」
ケイト親方は「ほお……」とフクロウのような顔になったあと、ゆっくりと工房の椅子に腰かけた。ぎいいっと軋む音が二人の間に妙な間を作った。
「お前が突拍子もないヤツだってことは、短い付き合いだけどよーくわかってる……」
「そうですか? まあ……それもよく言われるから、きっとそうなんでしょうね。あ、でも私も親方が私がいないときにオナラしてるってわかってます。気を遣ってもらってるなぁって。だから、案外優しい人だってことわかってます!」
ケイトの眉毛が尺取り虫のように上下した。
「お前……なんでぇー……知ってんだ?」
「ええー? そんなん臭いでわかりますよ。私が店番から工房に戻った時に残り香するときあるもん。オナラの臭いを消す魔具開発したらどうですか? うふふふ」
自分の言葉でこらえ切れず笑い出した。ケイトは頭に手を当て、ふるふると首を振った。工房にはユイの笑い声と、外の喧騒が吹き込み、牧歌的なリズムが舞っている。作業机に置かれた紙を見ながら、ケイトは口火を切った。
「これはなぁー。実に……じつーに簡単な魔具の設計図だ。携帯式の着火盤。台作って火の魔石を埋め込むだけの……不器用なお前でも作れるぐらいのやつな。こないだ注文があったからよー。昨日……意味不明に店先でじーっと固まってサボりやがったお前へのバツとして……作らせてやろうと思ってたやつだ」
「え? そ、そうなんですか?」
だとすれば初めての独力による魔具製作だ。ユイは心が躍った。
「なんだかんだでそろそろ半年だからなー。基本的な道具の扱いは教えたつもりだ。だからよ、いっちょ前にやらせてみるかってなー」
「えー! やりたいやりたい! あっ……ダメか……辞めたらできない……のか……ええー……なんでもうちょっと早くやらせてくれなかったんですかぁ……遅いよ親方ぁ……バカ……」
「バカはてめえだ大バカ野郎! お前が辞めるなんて思ってもなかったからだろがよ! まったくよぉー……久しぶりに続いた奴だったってのに……不器用で物覚えが悪くて礼儀もなってなくて態度はでかいし声もでかい奴だったけどよぉー! このバカが!」
親方は頭にまいた手拭いをとり、少ない髪をぐしゃぐしゃとかき回し始めた。
「うわっ! ひどっ! 何回バカって言うんですか! 礼儀と態度と声は親方も一緒じゃないですか! 不器用と物覚えが悪いことは認めます! ……ん? あれ? 親方?」
作業着のズボンにシミが一つ、二つと増えていく。顔を押さえている手から雫が落ちていた。
「なんかよー……お前にとって……すげえ大事なことがあったんだろうなっては思ってたんだわ。『今日は休みます』て宣言したまんま、意味もなく一日店の前で立ち呆けてるわけないからな……俺もそれに気付かねえほどガサツじゃねぇ。聞いてもなんも答えねぇだろうなって思ってたから……聞かなかった」
「……ごめんなさい。そのことについては……言えないんです……」
下を向いた。不意に侵入してきた優しさに自分も泣きそうになった。
「ちょっとよー。元気づけてやろうと思ったわけ。お前がやりたかった魔具製作でもやらせてみてなー。でも、勘違いするなよーそんな特別扱いするってわけじゃねえ。時期的にもちょうどいいんだ。一か月ばかり早めるってぐらいだ」
スカートの裾をを握る手に力が入る。相変わらず汚い床だな。なぜかそんなことを思った。
「お前はー……とんでもなく生意気だけど……俺にこんな口叩くやつ今までいなかったってぐらい生意気だけど……つまり、それは……真っすぐってことだ。いちいち覚えてねえけど、俺が店に立ってるとき、お客さんからしょっちゅうお前の話を聞く。飾り気のない良い子だとかなんとかな」
「……なんでそういうこと……今言うんですか……普段言えばいいのに!」
頬を伝う熱い感覚と一緒に前を向いた。工房に親方。当たり前の光景だと思っていたものが、今日なくなっちゃうのか。急に気づいた。
「親方が弟子に甘い顔をしたら、技術はそこで終わりなんだよ。俺が教えるのは技術そのものじゃねぇ。技術との向き合い方だ。ぴしっとした環境で真剣に取り組む姿勢が道を拓くと思ってるからよ。まあ、ほとんどの奴はすぐに辞めちまったけどなー。お前は見込みがあるよ。ホント」
ケイトはやおら立ち上がり、壁際の書棚に向かった。引き出しから一枚、何かを取り出すと、踵を返しユイの前に立ちふさがった。
「さあて……肝心のお前の申し出だけどなー残念だが認めねぇ」
ユイの眼前に紙が突きつけられた。
「休職……届? え? 休職?」
「お前が辞めると、『いつまでたっても後継者が全然育ってねえ』って俺も本部から睨まれて困るし、お前と話すことを楽しみにしてるお客さんも困る。お前も……いざというときに……戻れる場所がないと困るだろ?」
「お、親方……わ、私……辞めなくてもいいんですか?! 昨日一日中悩んでたのに!」
膨れた頬に、とうとう物理的に休職届が押し付けられた。
「ごちゃごちゃいってねぇでさっさと書け! どうせお前のことだ。二三日先のことしか考えてねえだろ。辞めてまでやらなきゃいかん用事が、一週間でかたづいたらどうするつもりなんだよバカ」
「うわっ! ほ、ほんとだ! 確かに! に、二三日どころか……私、とにかく王都にいかなきゃってだけしか思ってなくって……じゃあ、しばらく時間とられるから仕事辞めなきゃって思って……うわー親方賢い! 休むって手があったか! さすがです! そうか、これが年の功ってやつですね!」
ユイは紙を恭しく押しいただき、作業机でさらさらとペンを走らせた。
「ほんとごちゃごちゃうるせー」
ケイトの声には穏やかな響きがあり、ユイは「やっぱり優しいな」と思い、休職届を提出した。
「これは俺が責任もって預かる。用事が終わったらさっさと帰ってこい。……ところでお前、王都にいくのかー」
「え? な、なんで知ってるんですか?」
動悸が速まる。
「お前が今自分で言ったんだろがよ!」
「あ、あれ? そ、そうでしたか? ご、ごめんなさい! 秘密でお願いします! ほんとにほんとの秘密! あ、そうだ! 迷惑ついでにもう一つお願いが……今出てきました!」
「技術者はなー口が堅い。安心しろ。そんで? もう一つってなんだー? もう一つぐらい聞いてやるよ」
「ええと……この件、色々理由があって……親には何にも言ってなくて。今日も普通に家を出たんですが……」
「お、お前! 本気でバカだな! どうするつもりだったんだよ! 成人してるとはいえ、実家で一緒に住んでんだろ? このまま黙って王都に行くつもりだったのか? 魔列車使っても往復で三日はかかるんだぞ!」
大音量で窓ガラスがびりびりと振動した。
「あー……だから、そこんとこ何も考えてなくて……なはは。今、ほんと今言い訳考えなきゃなって思い当たったんですよ! いやーよかったよかった。忘れるところだった」
「えーと……じゃあこうしろ! お前は急遽王都に出張する! いいな? 俺たちの会社スコープスの本部は王都にある。これはホントだしな。そこに行くことになったことにしろ。理由は……うーむ。研修……そうだ! 研修だ! まあ、あれだ! 実際に本部を見学してもいいと思うぜ! ためになることがわずかながら、もしかしたら、本当にちょっとはあるかもしれんし、他山の石にすべきと思えることが山のようにたくさんあるかもしれねぇしな!」
「なんかあれですね。本部に対する印象良くないんですね」
ユイが笑うと、ケイトは
「まあな」
と親指を立てた。
辞めると言い出さなければ、親方のこんな一面を見ることはなかったかもしれない。ユイはどこか満足して頷いた。
「じゃあー。道中気をつけろよ。……ところでどうやって行くつもりだ?」
「はい。とりあえず歩いて行こうかなと思ってます。親方がくれる給料が少ないからあんまりお金がなくって魔列車代を節約しようかと」
「あほか! 何十日歩くつもりだよ! 宿泊費食費! そっちのほうが旅費が高くつくぞ! それにお前の給料を決めてるのは俺じゃねぇよ! ええい……待ってろ!」
獣のような勢いで姿を消すと、布袋を抱えて帰ってきた。
「これをもっていけー! いいか? 遠慮するな! なぜなら貸してやるだけだからだ!」
ユイが袋を覗くと、札束やコインが入っており、ざっと五十万ロンドはありそうだった。
「えええ! こんなに持ってたら物騒じゃないですか! ソワソワしちゃって泥棒に目をつけられそうだなぁ……それになんですこのお金? もしかして売り上げをごまかして密かに貯めてた……?」
「堂々としてりゃあいいんだよ! これは俺のへそくりだ! キレイな金だ! ちゃんと返せよー!」
「あ、あの……その……さすがに……いや……でも……そっか……うん! よしっ! もらう! ありがとうございます!」
「よし、もらう、じゃねえよ! 返せってんだよ!」
親方のひげ面が楽しそうにわしゃわしゃと広がった。
続く。
用語解説
【地名等】
ロンドリーム 魔法民族の王国。現存国の中で最も歴史が古い。東州、中央州、西州、島嶼州の四州にわかれる。
シェルドン 科学民族の民主国家。比較的新しい国。技術革命により大国になった。
パランダル 新興国家。民族の別なく受け入れると表明。
バスク 自然民族。どこにも属していない。ロンドリームにもシェルドンにも居住。
レベンナ ロンドリームの町。中央州の中心都市。
ザッシュ ロンドリームの町。海岸沿いにあり、貿易が盛ん。中央州。
ドネザル ロンドリームの王都。東州の中心都市。
【人物】
ユイ・アムル 15歳の新米魔法使い。ザッシュで魔具開発会社に勤める。この物語の主人公。
メイ・トルティーヤ ユイの幼馴染。高等魔法学校首席。レベンナで官僚見習いを始める。
ケイト ユイの勤める魔具開発会社の上司。
カズキ・ロードコード モンスターハンタであり、世界的モンスター研究者。若く見えるが百歳代。五大魔法使いの一人。火の大魔法使い。勇者キヨのかつての仲間。
黒龍 伝説のモンスタ。八十年前、勇者キヨによって封印される。
【魔法】
ファイアプレイス 静置状態の火を起こす火炎系魔法。
ファイアボール 火の玉を飛ばす火炎系魔法。
ファイアモール 高熱の火で穴を掘る火炎系魔法。
シーク 相手のレベルや状態を調べる水系魔法。
グラビティカ 重力を操る大地系魔法。
【物等】
高等魔法学校 ロンドリームの子どもは、義務教育である六年間の『魔法学校』の後、希望者のみが全寮制の『高等魔法学校』に三年通う。
魔列車 魔力で動く列車。ロンドリームの主要交通機関。
消魔香 魔力を封じる香木。
五元素 地火水風空
ランク S―A―B―C とある。ランクごとの人数比は三百倍程度。例、Cランク三百人に対し、Bランクが一人輩出される。
スコープス 魔具開発会社。本社は王都にある。