#5 惜別の朝
「今日は残業しませんっ! また明日!」
「はぁー? ユイ、何言ってんだお前ー! 残業なんかしたことないくせに、どの口が言ってやがるー!」
親方の返答はろくに聞かずに工房を飛び出した。海から続く、店舗前の大街道を見渡したが、カズキの姿はどこにもなかった。
「あっれぇ……カズキさんどこに……?」
「ここです」
上から声がした。はっとして見上げると、三か月前に大穴が開いたもののしぶとく息づいているケヤキのてっぺんにカズキが立っていた。距離があるので表情はうかがい知れないが、何かを見つめている。
「ええ?! ど、どうやってそんなところに?」
「学校で教わりませんでしたか? こんな感じに」
カズキが右手で空を払うと、ユイの身体が宙に浮いた。
「えっ? ええっ! ちょ、どーなって!」
足が地面を掴めないままじたばたしているうち、ユイは吸い寄せられるようにカズキの横までいざなわれた。
「リラックスして」
カズキが口元を緩めると、憑き物が落ちたようにユイの体から力みが消えた。
「グラビティカの応用です」
「グラビティカ……グラビティカ……ええと……大地系の……なんかすごいやつ……テストで出たのは覚えてる二年の二学期末……間違えたのも覚えてる……」
「そこまで覚えてて、なんで本体を忘れてるんですか!」
こらえ切れないという顔でカズキが笑った。
「あれさえ合ってれば追試を受けなくて済んだんです! だから印象だけは存分にあるんです!」
ユイは腰に手を当て、何に対してなのか頷いた。
「ははは。グラビティカは重力を操る強力な魔法です。今使える人はほとんどいなくなってますね。平和の功罪ってやつでしょう。通常は相手にGをかけて、押しつぶしたり、動きを鈍くさせたりという使い方をするんですが、上手く使えるようになると逆ができます」
「軽くする!」
ユイは表情を開き、人指し指をカズキに向けた。
「ご名答! ゼロGにすれば自由に空中に浮けます。慣れれば自分にもかけれますので、空中浮遊もできるというわけ。僕は今、自分とユイさんにグラビティカをかけてる状態です」
「なるほど! これで絶対覚えた! 私座学じゃ覚えられないんですよ。実際やったりかけられたりしないとなんでもダメ。でも、あれです。できるようになってから上達するのは一番早かったんですよ! えっへん! まあ、できるようになるまでは一番遅かったんですけど……あはは。先生が言ってるコツってやつが理解できなくって……。丹田に魔力を集中させ球状結界を構築……うんたらかんたらとか、乱雑に跳躍する魔力を練り、宙を満たすがごとく……とか! さっぱりわかんない! お腹に卵を抱えるように! とか、頭の中でウサギが飛び跳ねてるみたいに! とか、言ってくれればわかるのに。全部メイに翻訳してもらってなんとかかんとかできるようになったんですよ? わざわざややこしくするから……ん? ええと。違うな。こんな話しようと思ったんじゃないんだけどなぁ……。あっ! 思い出した。とにかく、私は『火の魔法使い』だったから、火炎系魔法については、一通り実践もしたんですけど、水とか大地とか違う系統のはほとんどやってないんです。まあ、習いはしましたけど……だから……テストでもできなかったし、今もわかんなかった! ええと、多分。そういうことが言いたかったんだと思います。言い訳かな? あはは」
「長い長い言い訳、ありがとうございます」
ぱちぱちと乾いた拍手が響く。
「なんだかおちょくられてる気がするなぁ……」
ユイは頬を膨らませたが、カズキが急に真面目な顔になった。
「……おかしいんですよね。ここら辺り一体から……妙な気配を感じるんです。一時間ほど前からですかね……だからちょっと高いところから見渡してみてたんですが……特に何も見つけられない」
「カズキさんが見つけられないなら、誰も見つけられないですよ! てことは気のせいなんじゃないですか?」
「いや……実は大昔に感じたことがある……いわくつきの気配なんです。多分、今生きてる人間でこの気配を知っているのは僕だけじゃないかと思うので……気のせいであれば助かるんですが……そうじゃなければ……ロンドリームはまずいことになる」
カズキの頬を汗がつたい、ユイは事の重要性を理解した。
「ユイさんについてとっくりと調べたかったんですが……緊急事態かもしれません。心当たりがあるから、僕は確かめてこようと思います。だから、いったんお別れです。ユイさんはお家に帰っていいですよ」
「一体……カズキさんがそんなに危険だって思う気配って……な、なんですか?」
「黒龍」
一段低い声でカズキが応える。ユイは頭がぐるりと回るのを感じた。理解が追いつかない。
「え? こ、黒龍? あの、史上最強クラスだったって言われてるモンスタの……あの黒龍? 勇者キヨと一緒に、か、カズキさんたちが倒したんじゃないんですか? そういう風に習った……と思います。自信ないけど……」
「ちょっと違います。確かに教科書や公式の声明では『倒した』ということになってますよね。でも本当は『倒して』ません。『封印した』んです。国民をいたずらに動揺させないために、ロンドリーム王国としては、『倒した』ということにしたんです」
マントをひらりと翻し、腰袋から巻物を取り出す。ユイはカズキの一挙手一投足に目が釘付けになった。今、何が起こっているのかもわからないし、これからどうなるのかも予想がつかない。しかし、良くないことが起こりそうだということはびんびんと伝わってきた。
「ユイさんに……これを預けておきます。夜明けまで……そうですね。何もなければ、明日ユイさんが出勤する時間に、僕はこの木の下に立って、君に『おはようございます。昨日の巻物を返してください』と元気に声をかけます」
カズキは少し悲しそうな瞳で、にこりと笑い、ユイに巻物を手渡した。
「そ、そんな……まるで……か、帰ってこないこともあるみたいな……言い方……や、やめてください! 急すぎて……頭も心も追いつかない……わ、私、どうしたら……」
声は涙でかすれ、言葉もこれ以上出てこなかった。カズキの手がユイの頭に静かに置かれた。
「黒龍を封印した場所は、王国でも一部のものしか知らないトップシークレットの一つです。本当は封印したってことすら教えちゃだめなんですけどね。僕は……いつかこういう日がくるんじゃないかって思ってました。永遠に同じ効力が続く魔法なんてありませんから。黒龍のパワーと封印の力がひっくり返る日……そういう日です。……確かめにいきます。破られていないかどうか。王都ドネザルにいる僕の腹心、リカには伝書鳩で連絡済みです。もし、連絡が途絶えたら……そういうことだから、兼ねてから想定してあったシナリオどおりにことを進めよと。ユイさんは……明日僕がいなければ、その巻物を持ってリカに会いにいってほしい……でも、これはあくまで僕の希望です。ユイさんはユイさんの人生を送る権利がある。無視してくれても構わない。でも、今から僕が黒龍の封印地にいくことは……秘密にしておいてください。世界中で君とリカしか知らない秘密に」
カズキの言葉が重なれば重なるほど、ユイの顔はくしゃくしゃに崩れていった。
「わ、私……、私じゃ絶対な、何にも……でき……ないですよぉ……! な、なんで私?……魔法学校で……でもグズだったのに……」
「……三か月前、消魔香を焚いた状態でとんでもないファイアボールを打ちましたよね。あれが全ての答えです」カズキがユイの涙をふいた。
「ケイトさんは『教授やったんならあり得る』て言ってましたよね。それは違います。僕はあの半分も出せない」
ユイははっとして顔を上げた。
「若いころやったことあるんですよ。ユイさんとおんなじしょうもない理由でね。自分の力を試してみたいって。そりゃあ出ましたよ。それなりにはね。一応、その時も五大魔法使いの一人だったし、筆頭と言われてましたし……でも、あんな凄い威力のものではなかった……僕はユイさんについて、ある仮説を持っている。でも、それをいたずらに言うことはできない。もしかしたら黒龍よりも大きな話かもしれないし」
「ど、どういうこ、ことですか?」
「だから、いたずらには言えないんです。あなたの為にもね。知らない方が良いことって世の中にはたくさんあるから……僕が帰ってきたら、それを調べていきましょう。帰らなければ……そして、ユイさんが自分について知りたいと思うのであれば……リカのところに行ってください。その際は……リカにも見せてあげてくださいね。ユイさんのホントの力」
カズキはウインクをすると、虚空に向かって腕を差し伸べた。ユイの身体が再び勝手に動き出す。瞬く間に店の前まで送られた。ケヤキを見上げると、カズキが手を振っている。
「あ、あの! どうか! どうか! 無事に帰ってきてください! じゃなきゃ嫌です! 嫌です私、そういうの!」
「嫌です……か……一番嬉しいかもしれない言葉ですね。じゃあ、お望み通り、また会いましょう。僕は約束をたがえたことがないのが自慢なので」
カズキの身体は闇夜に向かって滑るように消えていった。ユイはカズキが飛んでいった方角を半時間眺め続けた。何もできない自分をみじめに感じ、帰路へとついた。
眠れない夜を過ごし、ふらつく頭でいつもよりずいぶん早く家を出た。
店先でじっと待つ。昨日と同じ穴あきケヤキがぼんやりと一人で立っている。
会社が始まる時間になった。親方に怒られたが、頑として動かなかった。
その日、カズキは現れなかった。
続く。
用語解説
【地名等】
ロンドリーム 魔法民族の王国。現存国の中で最も歴史が古い。東州、中央州、西州、島嶼州の四州にわかれる。
シェルドン 科学民族の民主国家。比較的新しい国。技術革命により大国になった。
パランダル 新興国家。民族の別なく受け入れると表明。
バスク 自然民族。どこにも属していない。ロンドリームにもシェルドンにも居住。
レベンナ ロンドリームの町。中央州の中心都市。
ザッシュ ロンドリームの町。海岸沿いにあり、貿易が盛ん。中央州。
ドネザル ロンドリームの王都。東州の中心都市。
【人物】
ユイ 15歳の新米魔法使い。ザッシュで魔具開発会社に勤める。この物語の主人公。
メイ ユイの幼馴染。高等魔法学校首席。レベンナで官僚見習いを始める。
ケイト ユイの勤める魔具開発会社の上司。
カズキ・ロードコード モンスターハンタであり、世界的モンスター研究者。若く見えるが百歳代。五大魔法使いの一人。火の大魔法使い。勇者キヨのかつての仲間。
黒龍 伝説のモンスタ。八十年前、勇者キヨによって封印される。
【魔法】
ファイアプレイス 静置状態の火を起こす火炎系魔法。
ファイアボール 火の玉を飛ばす火炎系魔法。
シーク 相手のレベルや状態を調べる水系魔法。
グラビティカ 重力を操る大地系魔法。
【物等】
高等魔法学校 ロンドリームの子どもは、義務教育である六年間の『魔法学校』の後、希望者のみが全寮制の『高等魔法学校』に三年通う。
魔列車 魔力で動く列車。ロンドリームの主要交通機関。
消魔香 魔力を封じる香木。
五元素 地火水風空
ランク S―A―B―C とある。ランクごとの人数比は三百倍程度。例、Cランク三百人に対し、Bランクが一人輩出される。
スコープス 魔具開発会社。本社は王都にある。