#30 リカ・トワの人生
*
ユイが大岩の下敷きになった。自分のせい。師匠が身体を貫かれもがいている。自分のせい。腕の中の若い命が消えそうになっている。自分のせい。黒龍は静かに復活のときを待っている。自分のせい。
ユキト長官が言った。間違っていない。全て自分のせい。宮廷でのやり方がまずかったかもなあ。もう少し大人になって、きらいな人ともうわべで仲良くするような生き方ができなかったものかな。
頭の上に岩が迫ってくる。やたらとゆっくりだ。これを防げる魔力も体力も、今の自分の身体には残っていない。
あ、そうか。なるほど。これが走馬灯というやつか。
最初の記憶は教会の擁護院。親がいない、普通じゃない子供ということを知ったのは、魔法学校に入ってからだった。周りはみんな自分の家に帰った。自分は教会に。教会には歳の異なる子供が三人いた。
宗教がきらいなんだなと認識したのはそのすぐ後。宗教そのものがきらいなのか、自分の状況がそうさせたのかは今もわからない。友達と呼べる人間はいなかった。
高等に行くお金はなかった。教会も、教義に文句をつける生意気な少女をこれ以上タダで養いたいとは思っていなかった。職について独立しよう。それがお互いのためだ。諦めていた。誰かが奨学金をくれたらしい。高等の受験期限が差し迫ったとき、学校を通じて連絡があった。学校も自分も教会もあしながおじさんの正体を知らなかった。
高等魔法学校に入学することになった。誰かの恩に報いるため、必死で勉強した。自分が立派にならなくては、その誰かは悲しむだろう。それは嫌だった。許せなかった。だってその誰かは、世界でただ一人、自分のために何かをしてくれた人なのだから。魔法の練習。魔法の勉強。長期休暇では、同窓が国内の故郷へチリジリと帰っていく中、一人寮に残り、文字だらけの青春を過ごした。誰も積極的に自分と話そうとはしなかった。
話でしか聞いたことのなかった大魔法使いロードコードが、卒業式に現れた。「首席のリカ・トワさん、とても優秀な魔法使いだと伺いました。よろしければ、魔法府に入庁して、僕の手伝いをしてくれませんか?」
決まっていた資源採掘系の大企業の内定は蹴った。
もう一度ロードコードを見た。動いている。さすが師匠。致命傷にはなっていないらしい。
ねえ。私、知ってるんですよ。なーんも言ってくれないけど、あのあしながおじさんがあなただってこと。根拠なんてありません。でも、そーいうのってわかるでしょ? ごめんなさい。期待にそえれなくて。ほんとうに。ずっと、手助けをしていたかったなぁ。多分ね。そーいうところがダメだったんです私。自分の軸がないんだな。師匠のやりたかったことを闇雲に実現しようとして、自分の評判とか、師匠以外の人の気持ちとかをおろそかにしてたから、ほら、こんなにすごい『殺してやる』みたいな恨みまで買っちゃったみたい。はあぁ。これからは気をつけます。と言いたいところなんですけど、私の『これから』はもうないみたい。
ずるいと思わないでくださいね。師匠のやりたかったカッコいい最期、先にやっちゃいますから。未来へ種を残すってやつ、ですね。メイさんは優秀ですよ。魔力面では私に劣ると思いますが、私と違って、性格がいやらしくありません。うまく色んなことをやっていけるでしょう。国の要になるかも。ああ、なんでやろ? 師匠にはやってもらいたくなかった自己犠牲。師匠の理想のために私がするなら全然ええやんって思います。気高き大魔法使いロードコードの弟子として立派なストーリィを綴っていくちゅうことで、お許しを! えへへ。
*
耳を疑った。今、「リスク」と聞こえた。岩を溶かす手が、ふらふらと惑い、思ったところにいかない。心臓が急げと声を上げている。外で水の流れる大きな音がした。激流。
刹那。固い音とともに衝撃が走った。自分のいる岩が動く。ようやく飛び出し後ろを振り返る。大岩に大岩がぶつかっていた。ごうごうと水音が聞こえ、岩の上から津波のように水が覆いかぶさってきた。驚いた拍子に身体から火が失われた。ざぶりと水をかぶり、数メートル地面を転がった。流れに抗い、なんとか立ち上がる。入り口のほうを見ると、噴水のように半球状に形作られた滝があった。どうやら、真ん中から大量の水が出続けているらしい。洞窟内も足首がつかるぐらいに水で溢れている。白髭が壁面であわあわと水を食っている。キヨが空に浮かんでいる。
滝の中に人が立っているのが見えた。水勢は徐々に弱まっている。リカだ。水がとうとう止まる。同時に、水から守られていた円状の部分にも周りから浸水が始まった。両手を広げて目を閉じているリカ。足元にはメイがいる。下半身は水にぬれ、口を開けて座っていた。目を見開いてリカを見上げている。
糸が切れた傀儡のように、やわらかくリカが崩れ落ちた。メイが「リカさま!」と叫び受け止めた。長い髪が放射状に、ゆたゆたと水面に広がっている。
走った。しぶきがもどかしい。
「メイ!」
「ゆ、ユイ!」
メイの傷は完全に治っているようだ。破けた服から健康そうな白い肌が見えている。
「な、何があったの?! り、リカさん! ねえ! リカさん!」
メイの膝枕で眠るリカはぴくりとも動かない。
「メイ! メイ! ど、どうなっちゃったの?」
「私もわかんないよ! 気が、気が付いたらリカさまが、立ってて、それで、倒れて……あれ? わ、私? え? お腹をやられて……あれ? ……あ、え? ど、」
「リカさん! リカさん!」
肩をゆする。ほほをつねる。頭をなでる。
「リカさま! リカさま!」
メイもリカの身体を揺らす。リカの手を取る。そっと離す。重力のままに水面に落ち、ちゃぷりと音を立てた。
「うそ! うそだ! リカさん! うそでしょ?!」
納得できないのに。納得なんかしていないのに。目が熱くなる。しかし、何か決定的な事実を身体は受け止めて、それに反応している。そんなのいやだ。
「り、リカさまぁ!」
メイも泣いている。リカの時間は止まってしまった。それに抗うように身体を抱きかかえ、頬を寄せている。
「なんで……なんで! なんでなんでなんでなんで!」
世界のねじがどこかに抜けおちちゃったんだ。修理しなくちゃいけない。リカが元気にえへへと笑っている世界に早く戻さなきゃ。
「リカさん!」
遠くからカズキの声がした。見るとお腹を押さえながらこちらに走ってきている。悲しそうな顔をしていた。お願いだから、そんな顔をしないで。自分もだけど。みんなで笑えば、全部ウソだったってなるかもしれないよ。
ふらつくカズキの前に、守り人が立ちふさがった。
「まさか……リスクを使うとは……! この小娘を守るためにか……? 理解できん」
水が溜まった洞窟は、声の響き方が変わっている。混乱したような白髭のつぶやきが坑内を満たす。目が合うと、幽霊を見たような顔をされた。「なっ! ……お前! なんで!」
キヨを見た。どうか笑ってよ。
「リカは立派だったな。ほんと同志になってくれりゃよかったのによ」
そう言って悲しそうに笑った。涙がこぼれた。
「リスクを使ったヒールとウォータウォール。同時にこなした。さっき俺とカズキに同時にかけたやつを応用したんだな。水のバリアの中では嬢ちゃんの傷を治して、外ではロックメテオを水流で防いだんだよ。敵ながらあっぱれってやつだ。こんな形で俺の依頼が半分終わるとはね……惜しいなほんと。うん。ほんとちょっと辛いわ。こーいうの見せられるとやる気なくなってくるよ。カズキとだってよーほんとは戦いたくないしなー」
キヨがふわりと水の溜まった地面におりる。白髭が慌てて声をかけた。
「き、キヨさん! お、惜しいじゃないでしょう! 問題は解決してないですよ! まだロードコードは生きてるし、こ、この娘は……一体ど、どうなってるんだ?! さ、さっきの炎はなんだったんだ? それよりなぜ生きているんだ?! リカ副長官を仕留めたら終わりだと思っていたのに……なんなんだお前は!」白髭が、ない腕を振っている。
「お前さ。慌てすぎだよ。戦闘の基礎忘れてない?」
キヨが白髭をたしなめた。白髭がはっとしたようにこちらを見た。目が青く光ったと思ったら、一歩あとずさりした。
「ど、どういうことだ……クラス……A? さっきはBだったはず……感情で魔力がばらつくタイプもいるが……こ、これほどの差があるやつなんて見たことないぞ……」
「お前がさ。なんか悪だくみしようとしてるなら、一番の障壁はリカじゃねえ。カズキでもねぇ……こいつだと思うぜ俺は。でも、俺の仕事じゃないよなこっちは」
キヨは我関せずと白髭を置いて、洞窟の奥へと歩いていく。ちゃぷちゃぷと場違いに穏やかな水音が響いた。
「ばかな! こんな小娘が!」
白髭の目が血走っている。そんな顔しないでよ。笑ってよ。
「代れ」
キヨが守り人に声をかけた。カズキとキヨ。見間違えそうな二人が向かい合った。守り人は白髭に呼ばれてこっちにくる。
「参事官は?!」
「ヒールをかけました! 水面に出ている岩の上に寝かせてます。ぎりぎりなんとか……なるかな? という具合ですが……」
メイを見る。リカを抱きしめたまま変わらない。肩が小刻みに上下している。嗚咽の声が漏れている。
「こいつを始末する。手伝え」
「は、はい……そんな我々二人がかりでしなきゃいけないんですか?」
背中から声がする。メイに寄り添う。やっぱり。そうなのか。リカは。
「ユイ……リカさまは……わ、私を守ろうと……して……こ、こんな……ことに……」
声が上ずりしゃくりあげ、上手く聞き取れない。
「なんだか……もう……わかん……ない……よ! 私はユイを守り……たかったし……リカさまは……ロードコードさまを……ユイも……なんで……こーなっちゃったの?」
メイが手を握ってくる。そっと握り返した。ちゃんと温かい。メイは生きている。リカの手を触った。ぬくもりはあるが、芯が冷たい。このままかちこちになってしまうのだろうか。何かがおかしい。どこから狂っちゃったんだろう? あれ? 親方と一緒に魔具を作らなきゃだよね。私、なんでこんなところにいるんだろう?
「……いや? むしろクラスCですよ? それはそれで……おかしいですけど……」
「なに?! ……確かに……そんなに変わるものなのかね……? 本当に?」
「どういう解釈が正しいのかちょっとわかりませんが……今が仕留めるチャンスであることには間違いないのでは?」
「……私もそう思っていたところだよ。グラビティカ!」
手が地面に吸い込まれるように落ちた。重い。ばしゃりと音を立て、すぐに肩が沈む。額が水底の岩に打ち付けられ、一瞬意識が遠のいた。
「ユイ!」
メイの叫び声が遠い世界のように聞こえる。足首が、膝が、腰が落ち、水深三十センチに全身が沈み込む。腰骨が痛い。肺が苦しい。息ができない。頭が岩に擦り付けられ割れそうだ。メイの手が肩にかかった。持ち上げようとしてくれているが、ぴくりとも動かない。
「やめてください! お願いだから! ユイが! ユイが死んでしまう!」
指すら自由が奪われている。
「はっ! 死なせようとしているんだよ!」
一段と深い重さがかかった。背中が押されるような感触がして、空気を吐き出してしまった。ごぼっという音がして、あぶくが前髪を通り抜けていった。緩衝材を失った身体がより一層圧縮されていく。声も出せない。もがけもしない。このまま静かに死ぬのかもしれない。でも、そうしたら、リカに会えるのかな? 死んだお父さんにも。どこかで間違えた世界。正しい道はこれなのかもしれないな。
「やめて!」メイが泣いている。肩に指が食い込んでいる。
「やめろと言われてやめるやつがいるかね? 安心したまえ。こいつが終われば君も仲良くあの世に送ってやろう。先に行ってるリカくんと三人で、楽しく過ごすがいいさ。思えば君も不憫だね。さっき死にかけたというのに。また生き返って。また死の苦しみを味わうなんてねえ。最初で死んでおけばよかったんだ。リカくんも余計な事をしたもんだ。結果はなにも変わらない。全員死ぬ。バカみたいじゃないかね。しかもだ、リカくんがこんな大量に水をまき散らすから……しなくてもよかった水死。苦しい苦しい水死になるんだよ。こんな風にね……グラビティカ!」
肩に触れていたメイの手の感触が消えた。ばしゃりという音がする。
「リカさまを……リカさまを二度と……悪く言うんじゃない! 白髭クソ……ジジイ!」
メイの言葉は水音でかきけされた。
*
苦しい。呼吸ができない。吐いた息の体積分、身体がつぶれていく。次の息が吸えない。なんだ。こんなの水があってもなくても関係ないじゃないか。そう。リカさまのせいじゃない。
最初は警戒していた。魔法府の副長官。魑魅魍魎の中で頭角を表すためには汚いことに手を染めなくてはならないだろう。性格もひねくれていなければやっていけない。そう思っていた。ケイトの言葉じゃないけれど、そもそもいい噂を聞いたことがなかったのだ。
あの逃避行の間。ユイが寝ている間。色々な話をした。言葉の端々からわかった。この人は寂しい人なんだと。ロードコードを頑なに信じ、ロードコードの理想に沿うように努力してきた。それがこの人の中心なんだと。国の改革を一生懸命しようとしている。リカの野望だと思っていた。でもそれは違った。ロードコードが長年思ってきたことだったんだ。さっきのキヨの話で確信した。キヨは、キヨなりに国をいい方向に持っていきたいと思っていた。あの人も悲しい人だ。ロードコードはもう少し現実的に、国をちょっとずつ変えていこうとしていた。リカはそれを進めていただけだった。リカの軸は他人の理想だった。だから、滅私奉公のような態度もとれるし、敵を作ることも厭わない。自分の存在は形式上のものでしかない。
この人を救ってくれたのがロードコードで良かった。心の底からそう思った。もし、長官のような人たちの手先となっていたら、悲しい人生だっただろう。
純粋で真っすぐ。リカとユイ。気が合うのはそういうところなんだろう。二人はいい友達になれると思った。自分はそれを横で支えれたらいいなと思った。
いつの間にか、リカのことが好きになっていたんだ。
最期は、長官の言うことを信じたい。三人で天国で会えたらいいな。
肺に残っていた最後の息を吐く。これで何もかも終わり。
あれ? 身体がつぶれない。背中が、頭が、腕が、脚が軽い。両手で地面を押すと、身体が簡単に持ち上がり、水面から顔が出た。反射的に息を吸う。空気が熱い。
顔を上げた。
ユイが立ち上がり、燃えていた。足元の水がどんどん蒸発し、白い煙がユイを包んでいる。
離れたところに長官がいる。さっきと何かが違う。腕が。残ってた腕も。両腕がない。
「メイに……私はいいけど……メイには手を出さないで……って言ったよね……」
感情が死んだ、のっぺりとしたユイの声が響く。多分、言ってない。ユイの世界が、ユイの中で広がっていく。
「あ……あああ」
長官の顔は恐怖で怯えている。水をかぶったように汗が噴き出し、壁を背になんとか立っているような有様だった。自分が気が付いたときにはもともと右腕の肘から下が無くなっていたし、今また、左腕が肩口から失われている。どちらも焼けこげたような跡が残った腕の部分にある。左腕があったであろう付近の壁には、ぽっかりと丸い穴が開き、白い煙が立ち上っている。ユイが何かをして、グラビティカが解除されたんだということだけがわかった。
隣では同じように畏怖している様子の守り人が、きょろきょろと長官とユイに何度も視線を合わそうとしている。
「なんでウソをつくの? ダメだって言ったのに……そんなんだから、リカさんだって怒ってるんだよ? 白髭のおじいさんにさ」
ユイがこちらを見た。にっこりと笑い、「ねえリカさん」と声をかけた。リカは半分水に浸かって静かにたゆたっていた。慌てて抱きかかえる。
「なんでリカさんは眠ってるの? なんで目を開けないの? 何をしたの? おかしいじゃない。こんなにさ」
ユイの手が光る。目がくらむような閃光が止むと、じゃんっという大きな音がして何かが焦げるようなにおいがした。
長官と守り人の間にまた、大きな穴が開いている。奥にはかすかに光が見える。外だ。もしかすると、これはファイアボール? 岩をバターのように溶かして洞窟を突っ切ったのか? 普段なら「論理的に考えてあり得ない」と一蹴するところだが、キレたユイ・アムルには可能なのかもしれない。長官がへたり込んだ。守り人は震える脚でまだぎりぎり立っている。動かないリカの肩をぎゅっと引き寄せた。
「こんなに大きな音を出しても起きないなんて変じゃない? リカさんてね。結構耳ざといんだよ? リカさんがオナラしたかもしんないっていう私と親方のこそこそ話、聞こえてたんだから」ユイが笑う。
「でもさ。リカさんしてないんだって。私もしてないし、メイもしてない。じゃあ一体だれがしたの? こんなことってある? おかしいおかしい。誰かが絶対してる。もしかして私なのかな? 気が付かないうちにやっちゃってた? あ! 面白いこと思いついた! 屁のないところに音は立たない! っていうのどう? 面白くない?」
ユイが笑う。
「な、なんなんだ……お前は一体……なんなんだ……」
長官の声はもう、誰かに向かってしゃべっているものではなかった。自分の状況と世界をどうにか位置づけようと必死で言い訳を捜している。そんなつぶやきに聞こえた。
「再びモンスタのおでましか……お前知ってたの?」
洞窟の奥ではキヨがロードコードとしゃべっている。
「……知ってましたよ。できればこういう事態は避けたかったんですがね……それに……兄さん……あの子の力はまだ……こんなものでは……ないはずです」
苦しそうにしゃべるロードコード。顔色が悪い。
「こんなもんじゃない?! 十分すぎるほどこんなもんじゃねえか! 俺やお前レベルをすでに超えてるぞあれは……」
「き、キヨさん……」
守り人がキヨを見る。
「残念だけど……あの子は俺のターゲットじゃないんでな。それに俺も死にたかねぇよ……」
キヨが苦笑いで肩をすくめる。
「で、でも依頼人なんでしょ?! 依頼人は守らなきゃいけないでしょ?」
「なんでだよ! それなら依頼人を守るって依頼だろーがよ! もっと言えば、依頼人が死亡した場合、俺が依頼を遂行する必要も義務もなくなるからな!」
「そ、そんな……」
はっとしてロードコードを見ると、目が合った。それはいけない、と言われた気がした。しかし、ロードコードを守るには。ユイの手を汚すのを防ぐには。そして、リカの無念を、リカの意思を、リカの仇をうつためには。
自分が。自分がやるしかない。
「あとね。リカさんて結構寝言言うの! いつも先に起きられてるんだけど、たまーに私が早く起きるときがあって、そのときにむにゃむにゃ言ってる! 親方の家でもね。私が先に起きた時に……なはは。エラさん! コカトリスのお肉追加! とかむにゃむにゃ言ってて! 笑いそうになったんだけど、起こしちゃ悪いから必死でこらえて! あのときってみんなすんごくお腹すいててね。だからたぶん夢にまで見たんだと思う! ね。リカさんってすんごくお茶目なんだよ。みんな悪いように言ってるけど、全然そんなことない。頭もいいし、可愛いし、すごく強い! 私もリカさんみたいになれたらなぁ……」
ユイは両手を頬にあて、にこりとして目を閉じた。そして、急に目を見開く。まとう炎がゆらりとうごめき、朱が紅へと色を変えた。
「ねえ……リカさんは……死んでるんじゃないの? おかしいよね絶対。生きてるなら、わって起き上がって『ユイさん』て声かけてにっこり笑って頭撫でてくれて……」
静かな口調の中に押し込められた感情がびりびりと伝わってきた。手が震え始める。右手で左手を押さえた。
「あなたが……やったの?」
ユイの目ははっきりと長官に向けられていた。長官の目に色が戻り、慌ててもごもごと口を動かした。
「ち、違う……副長官は自分で……」
「この世に……死ななきゃいけない人がいるなら……それはリカさんじゃなくて……あんただよ……あんたが死ねばいい……そしたら安心してリカさんが戻ってくるかもしれない……そうでしょ?」
ユイの炎が青に変わる。
「ま、まて! ユイ・アムルくん! わ、私が死んだらこの国はどうなる? 誰が舵をとっていくのだ? 次期国王はまだ若い! だ、誰かがサポートしていかねば! そ、そうだユイくん! 君も手伝ってくれ! 良い国造りをしたいんだ!」
長官の見えざる腕が自分の身体を守ろうと前に出される。
「この国のことなんて知らない……私の前から……わるいやつらが……根こそぎいなくなればいい。私はそんな国で生きていたい……ロンドリームがそうじゃないなら……こんな国なくなってしまえばいい……世界がそうじゃないなら……この世界は……一回滅べばいい……また……やり直すだけ」
ユイの腕が静かに前に伸びる。開かれた掌には、恐怖で髪の毛が逆立つような魔力が集中し始めている。
今しかない。右手で左手を支えた。どちらも震えている。リカさまお力を! 両腕の間でリカをがっしりと抱え、自分の身体が動かないように筋肉をしめた。
「ウォータアロー!」
水の矢が飛ぶ。
驚いたような長官の顔。
驚いたようなユイの顔。
長官が自分の身体を見る。
水に戻った矢が左胸から流れだす。
ぐぷっと言う音とともに血が噴き出す。
声もなく、水音が立つ。
ばしゃ。
身体を半分水にうずもれさせたまま、長官の動きは永遠に止まった。
人を殺した。
人を殺した。
息が荒くなる。
頭の中がわーっといっぱいになる。涙があふれる。手が震える。リカの顔を見た。綺麗な顔で、寝ているように少し微笑んでいる。心がしんと静まった。
リカさま。これでよかったと私は思っています。怖いけど。涙が止まらないけど。後悔はしていません。
「め、メイ……ど、どうして?!」
ユイが眉毛を八の字にして不思議そうにこちらを向いた。炎が消えている。わかりやすいよホントあんたは。
「……こいつが憎いのは……あんただけじゃないってことだよ。あんたがさっきまでのこと覚えてるかどうかわかんないけどさ」
どうにか笑顔を作った。綺麗な純粋なユイを守れた。
「死んだか……じゃっ。俺の依頼はもう終わりだな。後は好きにさせてもらうぜー」
キヨはくるりと身を返し、ロードコードの前から退いた。洞窟の奥に歩んでいく。
「カズキ、お前と戦いたくはなかったからよかったよ。若干さ、こーなることを待ってたかもしれねえ」
と親指を立てた。
「き、キヨさん! ど、どーするんですか! お、俺はどうなるんですか?」
守り人が足を絡ませながら慌ててキヨにすがりつく。その瞬間、「ぐふっ」という声とともに、守り人の身体が壁面にたたきつけられる。
「しるか。自分のケツは自分でふけよ。そこにいるやつらがお前を許してくれるならもうけもんだな。ははは」
ロードコードがフリーになる。同時に膝をついた。「ユイ! リカさまをお願い!」ユイにリカの身体を預け、急いでロードコードの側に行き、ヒールをかけた。
「ありがとうございます……」
優しい声だ。
「この傷で……よく動けましたね……」
リカといいロードコードといい、無茶がすぎる。
「年の功というやつですかね……しかし……そう休んでもいられない……兄さんは黒龍を復活させるつもりですから……」
ユイの泣き声が聞こえる。リカさんリカさん。洞窟にこだまする。
「リカさん……」
ロードコードが下を向いた。
「久しいな。ロードコード兄弟」
大地を揺らすような低音がびりびりと空気を揺らした。
シールがない。
黒龍にかけられていたシールが消滅している。
見上げるほど大きな竜がその姿を現し、寝起きの身体を慣らすように腕や脚、翼をゆっくりと動かしていた。
「久しいって、お前あれから何年経ったのかわかってんの?」
キヨがくすくすと笑いながら答える。
「さあな。封印中の時の流れは知らぬ。吾輩が最後に見た面々とは異なっておるゆえな」
「八十年だ」
「そうか。それは吾輩にとってもなかなかの時間だ」
おそらく笑い声なのだろう。ぐわっという振動が身体にぶつかってきた。思わず尻もちをついた。ロードコードが立ち上がる。
「あなたと再び会って話すことになるとは……思いませんでしたよ」
「カズキ……お前はそうかもしれぬな。キヨの思惑は異なるようだが」
黒龍がキヨを見る。
「ちょっと魔力を付加して手助けしただけだよ。俺がどうこうしなくてもいずれ復活してたはずさ。時間の問題」
言い訳するように明後日の方向に視線を飛ばした。
「それは……そうかもしれません。どのみち僕だけでは抑えきれませんでしたし……リスクシールをしたところで、問題を先送りするだけなのはわかってましたから……」
ロードコードの手が震えている。それは、自分も気付いていた。結局黒龍を倒してしまわなければ、いつまでも同じことが続く。
「お前もわかってんだろ。王国の体制が腐ってるってことはよ。こいつの力を使って、強い奴がちゃんと評価されるような世界を作るんだよ。血筋だなんだだけで、クズみたいな野郎が権力持つような世界でいいのかよ? 俺たちの……苦しみは、お前と俺が一番知ってるはずだろーがよ!」
「それは……その通りです。でも……そんな方法で本当にいいんでしょうか? どうにかする方法が他にもある……そう思って……ずっとやってきたつもりです」
リカが生きていれば、誰よりも先に叫んだだろう。ロードコードの努力を、成果を。
「ああ。その結果がこれだろ?」
キヨが両手を左右に開ける。
入り口の壁際で、長官が絶命している。
近くでリカの躯を抱くユイが慟哭している。
その奥で生死不明の守り人が倒れている。
逆の壁際で裏切った守り人が腹部を押さえて呻いている。
黒龍の側に参事官が黙したまま横たわっている。
「要約してやるよ。お前の八十年を」
キヨがロードコードに指を突きつける。
「無駄だったな」
「そ、そんなことはありません……少しずつ……少しずつ良くなってきています」
ロードコードの握られた拳から血が流れている。
「少しずつね。それは否定しないよ。お前がそういうんだから、多分、良くなってるんだろうな。多少は。で? それで後何年かかるんだ? 百年か? 二百年か? それとも千年か?」
「五百歳になる吾輩が良いことを教えてやろう。いや、五百と八十歳かな。貴様ら人間は昔から同じだ。何も変わらない。五百年前のロンドリーム王国と今の王国。同じだよ。何度も何度も同じようなことを我々にしてきた。竜もコカトリスもクラーケンも、まとめてモンスタと呼び、おのれ自身も自然界の一種でしかないことを忘れ、それ以外の種を区別し、迫害する。それも意味なくな」
呼吸が荒くなる。胸が締め付けられる。誰かに支えてもらいたい。
「兄弟よ。あの時分、吾輩がなぜ急に王国を攻めたのかを教えてやろう。吾輩はそれまでも長い間ここで生きていた。お前らの親の親の親の親が生まれる前からだ。その間、王国と敵対したことはなかっただろう? 歴史が語っているはずだ」
「なんとなくわかるよ俺。我慢ならねーことがあったんだろ? 俺と一緒」
キヨが腕を組んだ。キヨの心が、黒龍の心が、自分の心に近づいてきているのがわかる。胸の隙間を汗がつうと流れた。ロードコードの血は止まらない。
「竜という種には様々ある。小さいもの大きいもの。弱いもの強いもの。吾輩のように黒龍と、色で呼称される竜は、古来から人間どもに畏怖されてきた特別に強い竜である証だだ。もっとも勝手に呼ばれているだけで、ヴァリックという真の名前もある」
高等で習った。歴史や伝承に登場する、黒龍以外の色付き龍。統一歴二百年頃にいた白龍。五百年ごろの蒼龍。そして、紅龍伝説。
「吾輩は何度か『討伐』という名の襲撃を受けたことがある。ほとんどの場合、『治安』のためだった。そして、いずれにおいても吾輩が人間を食べたため、だった。それは間違いないのだが、そもそも吾輩はテリトリィ以外で狩りをしない。勝手にこちらの住処に入ってきて勝手に食べられて、それを責められては、こちらも困る。人も里山に出た熊やウォーウルフを狩るのではないか? それと同じことをしているだけだろう? 人間がこちらに近づかなければ良いだけの話だろう? 普段わざわざ分かれて暮らしているのだから」
いつかのユイの言葉が蘇る。
黒龍だってモンスタの一人なんだから……彼の思いをくんであげなきゃだよね……
人間社会にとって危険な考え方だと思ったが、こうして黒龍の立場からの話を聞くと、『人間社会にとって』という大前提の立脚論拠があやふやになってくる。
「いずれもなかなかの使い手との戦いだった。だが、吾輩と相対するほどではなかった。そして、あの時。人間の歴史としていつのことなのかは知らぬが、貴様ら兄弟が吾輩のもとにくる十年程度前の話だ。吾輩のもとにまた『討伐』の一行が訪れた。吾輩は聞いた。何故ここに来たと。やつらは答えた『黒龍の血肉は、究極の食材であり、美味かつ不老不死の力があると聞く。わが国王が欲している。それゆえお命いただきに参った』と。このような無粋な理由があるとは思わぬだろう? 吾輩は憤怒した。その場で討伐隊を皆殺しにし、同じようなことを人間にもすることにした。大義無き、余興的な殺戮をな。人間の血肉にどんな価値があるかは知らぬが」
ごごごという振動。黒龍が笑っている。
「なるほどね。俺たちがまだ若いころだったな。黒龍が一年に一つずつ街を破壊してるって噂で持ちきりだったのは。そんで、急遽討伐隊の募集があって、一山当ててやろうっていう奴らが王都に集まったんだ。俺たちみたいな奴らがさ」
自分がやられたことをやりかえしただけ。黒龍はつまり、そう言っている。なんとなく理解はしていたが、今まで見えていた景色がいびつに形を変えていく。この話を聞いてリカならどう思うのだろうか。ユイなら。ロードコードはわかっていたはずだ。矛盾を抱えながら生きてきた。だからこそ、彼の血は今も滴り落ちている。
「そこの黒髪のお嬢ちゃんは、きっとこの国で綺麗に生きてきたんだろうな。教えてやるよ。俺たちは生まれた時から差別されていた。地の民バスクとの相の子だったからな。それに双子。吉兆であるはずがないってわけだ」
衝撃が走る。思わずキヨとロードコードの顔を見た。バスクはロンドリーム王国にもシェルドンにも住んでいる国を持たない流浪の部族。商取引もするし、話すことももちろんある。近所にも住んでいた。彼らは魔法を使いはしないが、ロンドリーム王国の人と何ら変わらない。同じ住人としての権利が保障されていた。
表面上は。
感情的には一段下に見られていて、生活の面で様々な差別を受けている。
一般的に彼らと血縁関係を結ぶのは禁忌とされている。万が一、そのような事態になった場合、その一家はバスクと『同等』とみなされる。
「そんな俺たちが人間らしく生きていくためには、このチャンスに賭けるしかなかったのさ。ここで黒龍を倒して、一躍ヒーロにってな。一生地べたを這うような生き方はしたくなかったからな。俺はそう思ってた。カズキはカズキの思いがあるんだろうけどよ。まあ、なんやかんやあって、俺たちは無事にこいつの討伐隊に選ばれて、戦って、どうにかこうにか封印までできた。でも、俺は戦いの中で、こいつの言ってることのほうが正しいんじゃないかって思っちまったんだよ。自分も人間なんだけどさ。人間ってもんに愛想を尽かしちまったんだ。嬢ちゃんは賢そうだから、俺の言ってることもわかるだろ? いや、別に強要はしないぜ。多分、あの白髭野郎とかデブには言っても理解できないだろうからさ」
「わ、私は……」
言葉が出てこない。価値観が見えてこない。論理があやふやになる。誰かが背中を押してくれないと、前に進めないような感覚。キヨの倫理。黒龍の倫理。ロードコードの倫理。長官達の倫理。全ての倫理が間違っているようで合っているように思える。
「別にいいって言ってるだろ? まだ、自分を固めるような歳でもねえよ。色々経験して考えていくことだな」
キヨがパンと手を打つ。
「さあ諸君!」
生きている全員がキヨを見た。ユイの泣き声も止む。
「どうする? 俺はこいつに……黒龍についていく。まーやることはわかってるだろ? この国の連中が改心するまで……つまりは多分王都をぶっ潰すまで人間社会を蹂躙するつもりだ。ついてきたい奴はついてこい。運命に飲まれたくないやつは、今からすぐに家に帰って、よその国に引っ越しでもするんだな。あと……止めたいやつは止めてみろ。この三択だ。道を決めろ」
静まりかえった。誰も何もしゃべらない。横でロードコードが深呼吸を一つして言う「お名前も聞いておらずにすみません。あなたがメイさん……ですよね? ユイさんの大親友の」にこりと笑う。
頷いた。
「入り口近くで倒れている守り人……シュン君の様子を見てきてくれませんか? もし生きていればヒールをかけてあげて欲しい。そして、意向を聞いてほしい」
目で合図して走った。ずっと気になっていた。ぽかんとするユイの横を抜け、シュンの側に片膝をつく。仰向けになっており、ぎりぎり水面に顔が出ている。生きているかもしれない。呼吸を確かめる。浅いが、ある。
「ヒール!」
シュンを回復させている間に、慌てた様子の声が背中に聞こえる。
「参事官! 参事官! 起きてください!」
「……う、うるさい! 静かにしたまえ……まだいろいろ痛いんだ私は……」
「ど、どうせ気絶したフリして、き、聞いてたんでしょ?! ど、どーするんですか?!」
「考えてるんだ私も! せ、せかすな!」
「き、キヨさん! あ、あなたについていったら、お、俺の生活はど、どうなるんですか?」
キヨの笑い声が響く。
「残念だけど、お前たちはニ択だ。俺たちについてくるって選択肢はないよ。それぐらいわかんだろ? ほんとバカだな。お前たちみたいなやつが気に食わねえから世直ししようって話だぞ? ちゃんと聞いてたか?」
「そ、そんな……」
「じゃ、じゃあ……そういうわけで……家に帰ります。さようなら……ははは」
「参事官! ず、ずるい! じゃあ俺も! 俺も帰ります!」
ぱちゃぱちゃと水を踏む音がする。だんだん早くなり、近くを通り過ぎた。
「だっせぇな」
鼻から息と同時に吐き出したようなキヨの声が聞こえた。
シュンが目を開ける。
「気がつきましたか?」
「……君は……誰? はっ! ロードコードさま!」
シュンが飛び起きた。ロードコードがこちらを見てにこりと笑った。
「ぶ、無事でしたか……い、いや……え? こ、黒龍……どういう……? え? ロードコードさまがふ、二人?」
混乱するシュンに今までの経緯を、自分の知り得る限りの経緯を説明する。
「そ、そんな……リカさま……」
シュンがユイに抱かれたリカを見る。ユイはずっとぼんやりしている。もごもごと口元が動いている。
「一度捨てた命です……ここで使わなければどこで使うのでしょう。き、キヨさん? 勇者の? 本物? ちょっとまだ理解が追い付いていませんが……あなたを止める以外の選択肢はありませんよ。黒龍をここに封印しておくのが私の職責ですから……」
少しふらつきながら、ロードコードが立つ場所へと、シュンは向かった。
「ありがとうシュン君……兄さん。僕ももちろん……あなたを止めます。正直のところ、兄さんの話は痛いほどよくわかりますし、荒療治が必要なことも……理解しています。ただ……どうしても……この、今を生きている咎無き街の人達まで巻き込むことに……僕の気持ちがついていかない……だから!」
「いいよカズキ。そうくると思ってたから。俺だってお前の言いたいことはわかってる。ここで決着をつけようぜ。本当はあんまりやりたくないけどな」
「僕もですよ。なんで兄さんと戦わなきゃいけないのか……」
二人とも本当に辛そうに見えた。
「あと二人。そこの嬢ちゃんたちの気持ちが決まれば……始めようか」
キヨがこちらを見た。
「ユイさん、メイさん……僕からの最後のお願いです。ご家族を連れてどこかに避難してください。もうこうなってしまった以上、どうにかできることは限られています。彼らは言ったことは守る人たちです。無駄な殺戮はしません。僕たちが負けて、この『王国』が灰燼に化したとしても、『この地』に生きる人たちは変わらない」
ロードコードの言葉にかぶせるようにキヨがしゃべった。
「わかってると思うけど、八十年前、俺とカズキとその他二名の大魔法使いさまを合わせても、この黒龍さんにはかなわなかったからな。カズキは死に場所を探してるんだよ。真面目だからな。大魔法使い二人の命の重み、そして、多分、俺をずっと幽閉してた罪悪感もあってさ。だからお前らを巻き添えにしたくないって言ってるんだよ。紳士だろ? 俺と一緒さ」
「……からかわないでください」
ロードコードが足を肩幅に開いた。
「だから、お嬢ちゃんたちはさっさとどっか……」
キヨの言葉が宙に浮く。口が次の言葉を健忘してしまったように不自然に固まった。
ユイが立っている。
続く




