#1 ユイ・アムル
「我々は新しく国家を樹立することを、ここに宣言する……か」
ユイは紙面から目を離し、窓の外に視線を向けた。朝の陽光を波が反射し、ガラスを砕いたようにきらきらと海が光る。先ほどまで凪いでいた風が、思い出したように吹き始め、暖かな三月下旬の空気が庭に混ざっていく。
今、この海の向こうでは新しい何かが起こっているんだ。
そう考えると居ても立っても居られなくなり、ユイは家を飛び出した。
「ユイ! どこにいくの?」
母の声を背中で聞き、振り向いて大きな声を上げた。
「メイのとこ! すぐ戻る! たぶん!」
幼馴染のメイの家は通りを二つ渡ったところにある。
あんたの『たぶん』は当たったためしがないのよ。まったく。という声がぼんやりと聞こえた気がしたが、いつも言われていることなので、幻聴かもしれない。ユイは飛ぶように道を走り抜け、メイの家の扉を叩いた。
「おはようございます! おはようございます! ユイです! メイいますか?」
出てきたのはメイ本人だった。
「ちょっとユイ! 朝から騒々しすぎるんだけど! 近所迷惑もいいとこよ! とにかく入って!」
「ごめんごめん。急にどうしても話したくなっちゃって……」
ユイは頭を下げた。
火の魔法を使っているのだろうか。メイの家はユイの家より数度は温かい。
「ねえねえ。『ファイアプレイス』使ってる?」
自分の部屋に向かっていくメイを追いながらユイは聞いた。
「まさか。論理的に考えてよ。冬じゃあるまいし。魔力もったいない」
「えーそうなの? でも私の家より大分あったかいよ」
居間を抜けながら、メイの母に挨拶をした。やけにニヤニヤとしてこちらに近づいてくる。
「ふふふ。暖かいわよね……ユイちゃんわかる? さすが! 実はねぇ……あなたたちが寮に入ってる間に『断熱工事』ってのやってみたのよ! 全然違うわよね? でもメイったら、昨日卒業式終わって帰ってきてから今まで、全然気付かないのよ! いやになっちゃう」
メイの母は、小馬鹿にしたような視線をメイに送った。
「え? ええ! そ、そうなの? え? い、いつ? ほ、ほんと?」
メイは急に狼狽しはじめた。しっかり者だし、学年一番の優等生だったし、卒業式では答辞までした彼女だったが、不意をつかれると急に弱くなる。ぴんと立ったまつ毛までふにゃりと垂れ下がった。昔から変わっていない。
「いつってあんた。こないだ冬休みに帰ってきてから今までの間によ。きまってるじゃない。あんたの好きな『論理的』にはこれしかないでしょうよ?」
メイの母が肩をすくめる。
「う。あ……。そ、その……。そ、そうなんだ……」
メイが負けを認めた。そもそも勝ち負けではないけれど、彼女は何もかも知っておかなければ気が済まないタチだった。
「で、でもさ! 『断熱工事』ってあれじゃない! シェルドンの技術だよね? なんでそんなもの?」
「イイものはイイ! 他に意見ある?」メイの母は人差し指を立てた。
「い、いや……ない。じゃあ……私……もう部屋にいくね……」
「メイのお母さん! その話、後でゆっくり聞きたいな! 私!」
「おっけーユイちゃん!」
ユイはうなだれたメイの背中を押すようにして部屋に入った。
「で? ユイが本当にしたかった話はなに? 今長ーい口上述べてた近所の噂話ではないんでしょ?」
三十分ほど、どうでもいい話で盛り上がった後、ようやく落ち着きを取り戻したメイが言った。
「わっそうだ! 危なく忘れるところだった!」ユイは額を手で打った。
「あいも変わらず大丈夫なの? あんたのその極楽とんぼっぷり……」
「へへへ……こうしてメイがいるから大丈夫大丈夫!」
「今はね……四月からバラバラじゃない。やっていけんの? そんなんでさ?」
「まあまあ、捨てる神あれば拾う神あり。拾う神あれば拾わない神もありだよ!」
「不安しかないわ……」
「私の話はいいんだよ! メイさ、今日の新聞見た?」
「見た」
「なんか思うところなかった?」
「あった」
「おおっ! ズバリそれは?」
「相変わらず偏向報道してるなぁって」
「がくっ!」
「ねえ……それさ。口で言うことなの?」
メイが笑った。
「あはは。こっちのほうがいいんだよ。いちいち『がくっ』ってしてたら体力使うし」
「あんたってたまに論理的だわ」
メイの母が用意してくれたクッキーを口に運びながらメイが続けた。
「ユイは何に思うところあったわけ?」
「新しい国家樹立!」
ユイは開いた右手を顔の横に挙げ、宣誓のようなポーズをとった。
「あー。あれか。すごいよね。建国イベントなんて何百年ぶりだよね」
「そうなの?」
「おい! 学校の『ロンドリーム史』で習っただろ! 今から一番最近でも……確か……チュボールが建国されたときのはずだから……ざっと三五〇年前か」
「ああ……なんか聞いたことあるような名前だねぇ……それ、ちゅ、チュボール?」
ユイは腕を組み、頭を傾げた。
「ったく……。よく卒業できたな……。まあ、ユイは、ムラがあるとは言え、肝心要の魔力が半端ないからね。後の教科はお情けで単位くれたんだろ。総合的な判断ってやつ?」
メイが今日一番の大声で笑った。
「でもさ。チュボールも結局、十年で潰れたからね。新興国が続くのって難しいんだ」
「そうだっけ……」
「そうだよ! しかも潰したのは、我々が家城『ロンドリーム王国』様様だからな。そんときはまだ、今ほど巨大国家じゃなかったにも関わらずね。だからさ。今回新しくできた国、ええと確か……」
「パランダル」知っていることに対する反応は速い。
「ああそうそう。パランダル。パランダルがいつまでもつかなぁ……ってのが私は気になるね。今はなんせ、ロンドリームだけじゃなくて、シェルドンて大国も出来てるんだからなおさら。論理的に考えて持続不可能だよ」
「うーん……やっぱりそう思う?」
「思う。見込みがない。早速二大大国から声明も出てたじゃん。ロンドリームもシェルドンも『認めるわけにはいかない』ってさ。いっつも仲悪いのにこんなとこでは協調しちゃって、おー怖」
メイが両手で身体を抱く真似をした。
「でもさぁ……。パランダルの信条読んだ? あれすっごく感動したんだよ私」
「読んだ読んだ。ロンドリームの人もシェルドンの人も……バスクの人だって受け入れる。人間みな平等。いがみ合ってはいけない。わが国では誰でも仲良く助け合って生きていこうって感じのやつでしょ?」
「そうそう! ユートピアじゃない? ほら、この主旨に賛同してさ、どんどん移民が増えてさ、世界的な発言権も大きくなってさ、ロンドリームもシェルドンもみんなパランダルに習ってさ、他国民にも優しくなってさ! ハッピィな世界になるんじゃないかって! そう思ったの!」
時折振り降ろされるユイの両こぶしに、メイは身をのけぞらせた。
「あんたって……ハッピィな人だね……」
「褒めてくれてありがとう! みんなをハッピィにしたい!」
ユイはにこりと笑った。
「根が深いんだよ……。特にロンドリームとシェルドンはさ……。あんたはちゃんと『ロンドリーム史』やってないみたいだから分かってないみたいだけど……」
「なんでよ。ロンドリームは魔法。シェルドンは科学。まあ、科学って何のことかわかんないんだけど。とにかく、それぞれ別の分野で発展してきたってだけでしょ? 同じ人間でしょ? どうして仲良くできないかなぁ……」
「ないものねだりじゃないかな。私はそう思ってるよ。お互いがお互いを羨ましく思ってるところがあるんだ。だから仲良くできない」
「変だよ。羨ましいって思いがあるから仲良くできないなんてさ」
「あんたも大人になればわかるさ」
メイはメイの母によくにた仕草で肩をすくめた。
「えー! なにそれ! それもおかしい! 私が大人じゃないならメイだって大人じゃないから、そんなセリフ言えないはずだよ! メイが大人なら言ってもいいけど、その場合私だって大人じゃん! 矛盾矛盾!」
「大人ってのは単純に生きてきた年数で決まるもんじゃないんだよ。私もユイも十五年ちょっと生きてるけどさ」
「ん? 待って待って。それってつまり、メイは大人で、私は大人じゃないって言ってる?」
「まあ、そんなとこ」
「ひどっ!」
二人は部屋から通りを満たすほど大きな声で笑った。
「でも、大人だ子供だってこんなこと言えるのはあと三日っきりだ」
「わかってる。四月からは社会人。役割としては大人になっちゃうんだもんね」
「私は北のレベンナで官僚見習い。ユイはこの町、ザッシュで魔具開発会社の丁稚」
「なんかお互いしょぼくれた肩書だけど頑張ろうね! なんだかんだ言ってそんな遠くないしさ」
「そうだね。二十キロぐらいだし、魔列車も通ってるし、会おうと思えばいつでも会えるさ……」メイが微笑み、何かに気付いたように目を逸らした。
「ずうっと一緒だったじゃん。私達。赤ちゃんの頃から、高等魔法学校卒業するまで。なんなら寮の部屋も三年間一緒だったし」
「言うなよ」
「それがさ、『会おうと思えばいつでも会える』に変わるんだなって」
「言うなって」
メイの目が赤くなっていた。
ユイは「メイ」と言い、静かに友を抱いた。
続く
ロンドリーム 魔法民族の王国。現存国の中で最も歴史が古い。
シェルドン 科学民族の民主国家。比較的新しい国。技術革命により大国になった。
パランダル 新興国家。民族の別なく受け入れると表明。
バスク 自然民族。どこにも属していない。ロンドリームにもシェルドンにも居住。
レベンナ ロンドリームの町。中央州の中心都市。
ザッシュ ロンドリームの町。海岸沿いにあり、貿易が盛ん。
高等魔法学校 ロンドリームの子どもは、義務教育である六年間の『魔法学校』の後、希望者のみが全寮制の『高等魔法学校』に三年通う。
魔列車 魔力で動く列車。ロンドリームの主要交通機関。
ファイアプレイス 静置状態の火を起こす火炎系魔法。