彼は真実に近づく
例えば世界に始まりがあるとするのならばどうだろう。その世界の前、始まる前には何があっただろうか。……そう、何もないはずだ。なぜなら、この世界にはいろいろなものがあるのだから。この世界が始まったと同時にいろいろなものも始まったのだから。しかし、だとしたら、なぜ世界は始まることができたのだろうか。これだとわかりづらいかもしれないからもう少しかみ砕こう。いろいろなもののひとつ、時間という概念がないにもかかわらず、つまりこれは前と後、現在過去未来がないということを示すが、要するにその何もない世界に時間的区別がないということだが、なぜ、「始まる」などという時間的概念を前提とした、つまり、始まるというのは、例えばリレーを思い浮かべていただければわかるように、何かが走り出すとき、その前から時間が始まっていなくてはならないのだが、そのようなことができたのだろうか。とすると、我々は世界が無限の中にあるように思うかもしれない。つまり、始まりなどないわけだ。しかし、だったらなぜ現在がある。世界がもし無限なのだとしたら、過去も無限だったわけだ。それにもかかわらず、過去は終わっている。過去が終わっているから現在がある。しかし、だとしたら世界は無限ではないのではないか。過去が無限であるにもかかわらず終わってしまっているのだから。これを、このような論証不可能な、よって理性にはとらえきれないものを、カントの概念で「アンティノミー」という。ああ、これは確かに人間の考えられる域を超えている。だが、もし、人間の考え得る域にもアンティノミーなんてものがあったら?そりゃあ、俺としては辟易としちまうね。
田村琢磨は、先述の通り、平凡な少年である。しかし、彼は、これを俺から言ってしまうのは誠に憎たらしいのだが、頭がいい。しかしそれは、ああそう、よく夕方に放送されている国民的アニメ、「真実はいつも一つ!」などと叫ぶ探偵ものの登場人物のような頭の良さではない。むしろ彼の頭の良さは逆ベクトルである。つまり、彼の脳にはこの世界が複数に見えているというわけだ。名探偵は証拠による消去法により真実を突き止めるが、彼は証拠があっても可能性を消去しない。実証できるまでじっくりと待つのだ。或いはこうも換言できよう。彼は複数ある世界を楽しんでいると。
「例えばこの世界が誰かを中心に回っているとしたらどうだろう」
誰か?
「ああそう、誰かだ。だとしたら、例えば君の周りで超能力が相次ぐってのも説明できる」
いやいや、弥左先輩のはあの人の思い違いだろ。
「じゃあ古屋さんは?」
……
「そう、それで君は黙らざるを得ない。なぜなら君は見てしまったのだから、知っているのだから、経験を通じて彼女が本当の能力者である、いや、であったということを」
……だとしたらだ、誰がその中心だというんだ。
「僕は君だと思っている。彼女たちには一つの共通点があるんだ。いや、僕はあると思っている。これはあくまで心の内だから断言はできないけれど、彼女たちは君に救われたのではないか」
……いや、ないな。人は勝手に自分自身から救われる。
「だとしてもだ。ああ、幾分その傾向があるのかもしれないが、そのチャンスを与えたのは君なんだよ。いや、君かもしれない」
牽強付会だな。第一、じゃあその力の発生源はどこなんだ。
「そう、それが問題なんだよ。なぜ彼女たちは力を得たのか、誰から得たのか」
短くなってしまって申し訳ありません。しかし、言い訳ですが悔しいことがあったのです。なんと、コンテストに落ちました。