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神のみぞ  作者: 無気力な人
2/5

古屋美紀は恋をする。

古屋美紀を一言に決してしまうのなら、そう、愛くるしい少女である。小柄な体躯、笑顔がチャーミングな顔、どこまでもハイテンションな声色。すべてが調和しているといっても良い。そんな彼女の秘密が、先日暴露された。にっくき田村によって白日の下にさらされた。それは何か。彼女が誰かに恋慕しているらしいことだった。




何かおかしいと思った。そのおかしさの正体が何なのか、しかし俺にはわからなかった。だから、今日も、惰性で生きる。

よう、田村。

「おはよう、松本君」

……

「ん?なんだい?」

いや、その様子だともう立ち直ったようだなと。

「ん?ああ、あの、古屋さんの件のことかい?そりゃあね。これくらい月日がたてば――」

ん?経てば?

「ねえ、松本君、こんな会話を前にもしなかったかい?」

この会話を?いいや、していないだろう。第一、お前が復活したのはつい先日のことなんだから。

「……そうか。そうだね。これは思い違いだ」

うーん、お前、なんか今日は変だぞ。

「そうだね。そうかもしれない」

「おっはよー!」

神妙な雰囲気を打ち破った快活な声は、古屋美紀のものだった。

「おはよう古屋さん」

おはよう、古屋。

俺たちは各々にあいさつを返す。刹那、俺の頭にはなぜか負荷がかかった。それはまるで幾重にも重ねられた糸に惑わされるようだったし、次元の重みに脳が耐えかねたようだった。しばらくして落ち着くと、そこには心配した顔の二人がいた。

いいや、何でもない。少し立ち眩みがしただけだ。

「本当に大丈夫?保健室に連れて行こうか?」

古屋さんが俺のアブノーマルな状況に小首をかしげる。

ああ、俺としてはこんなにもかわいらしい古屋さんに連れて行ってもらえるのなら喜んでといきたいところだが、あいにく保健室の先生が嫌いでな。

「もう!そうやって揶揄って!」

古屋さんが頬を膨らませる。田村は、ああ、お前はやっぱり陰の者なんだな、どうしたらいいのかわからずあたふたしていた。いいや、でも、これだけははっきり言えるね。古屋さんがかわいくないってことはない。もしそんなことを世間が言うのであれば、それは世界の方が間違っている。




田村は浮かない顔をしていた。なぜだろう。そう思ったわけだが、その疑問は一瞬にして解決した。ああ、つまりあいつはまだ古屋さんとの一件から立ち直れていないのだろう。そう思って俺はこう声をかけた。

どうした。物思いに沈んでいる様子だったが。

「ああ、ううん、何でもない。たださ――」

ただ?

「うん、たださ、僕は直感ってのは侮れないと思っているんだ。超知性的直観ってのもあると思っている」

ん?ああ、哲学の話か?ベルグソンが言った――

「そうかもしれないね。でも、僕たちのそれはそんなに抽象的じゃないんだよ。どこまでも具体的なんだ」

というと?

「もしかしたら僕たちが間違っているんじゃなくって、世界の方が間違っているのかもしれないってことだよ」

……一応言っておくが超知性的直観ってのは――

「ああ知っているよ。物事の本質を見抜くってものだろう?それだったら、じゃあ、方法的懐疑と言ってもいい。つまり、この世界は偽物なんじゃないかってことだよ」

……なるほど。確かそれに対してデカルトは自己の有限性との対比で「無限」を浮き上がらせ、そこに他者を見ていたな。

「うん、触れるという意味でね。でも、例えばそれが、自分自身が無限に『触れる』ことによって存在しているのではなく、『触れられ』ることによって存在しているのだとしたら?それはつまり確からしいとは言えないんだよ」

なるほど、つまり、「われ思うゆえにわれあり」の「思う」とは、本当に「われ」が「思う」なのかってことか。

「まあそんなことはどうでもいい。つまり、僕たちの世界が間違っているのかもしれないってことだよ」

まあ、それでも俺たちはその世界で生きるしかないだろうな。




田村の謎めいた言明がフェードアウトしかけたころ、俺は古屋、古屋美紀から屋上に呼び出されていた。一体何の用だ。俺にとっては東京スカイツリーよりも高いといっても過言ではない屋上へ、悲しいかな、公立高校の定め、エスカレーターもなく階段で登ると、息を切らしながら屋上前扉についた。いつもは鍵が閉まっているはずの屋上の扉が、今回は確かに開いていて、屋上に人の気配を感じさせた。確か屋上ってのは立ち入り禁止だったはずだ。やれやれ、これだから優等生ってのは困る。あいつらは教師人に謎の影響力を持っていて、そのため何でもし放題、っていうのは言い過ぎだが、それでもある程度は許容されるのさ。屋上の扉を開けると、そこにはフェンスに寄り掛かった古屋美紀がいた。




で、何の用だ。

「あ、松本君。こんなところに呼び出してごめんね」

いや、そりゃいいさ。ただ、すまんが田村を待たせているからなるべく早く頼む。

「あー、そうなんだ。……でさ、松本君は田村君が私のことを好きなことをどう思う?」

おい、いったいそれをどこで知った。

「……え?うーんとね……ま、まあ見てればわかるじゃん」

……そうか?

「うん、たぶん」

……そんなもんか。

「……でさ、松本君はどう思うかな?」

そりゃあ、田村だって一人の男であるわけだし、当然だと思うがな。

「……そう、……はぁ、ということは、今回も無理かな」

今回、と言うと?

「ううん、何でもない。……まあ一応言うだけ言ってみよう」

古屋美紀は深呼吸した。息を吸う音が聞こえると、彼女の小鼻が少し膨らんだ。夕焼けの空に飛ぶカラスが声を上げた。後ろに見える森林が梢を鳴らした。一陣の風が吹きわたった。彼女はしっかりとした声音でこう言った。


「松本君!私と付き合ってください!」


その言葉は衝撃となって俺の脊椎を駆け回り、耳の中で反響した。心には重くのしかかる。そして、それを証左に俺は理解をし始める。今、何が起こったのか。今、何を言われたのか。

付き合う、というのは――

「私は松本君が好きなんだ。だから、付き合ってほしい」

俺の確認の言葉はすぐに肯われる。俺の耳からは音が消え、俺の眼からは光が消えた。そして気づくと、俺は白い部屋にいた。




(お前はどうこたえるんだ)

ふと、俺の声でそんなことが問われた。

もちろんうれしいわけだし、受けるつもりだが。

(本当にうれしいのか)

……ああ、嬉しいはずだ。

(たとえそれが恋であっても?)

恋?

(ああ、彼女の言ったあの言葉は、おそらく愛からくるものではないだろう)

恋と愛に違いなんか――

(いいや、ある。少なくともお前は気づいている)

……ああ、確かにそうかもしれない。恋は理想の押し付けで、愛はありのままの受容だ。だとしても、恋から始まる愛だって――

(ああ、あるだろうな)

だったら――

(だが、お前たちはそれなのか?そんな確証どこにある?)

……確証なんてない。だが、それこそ未来だ。

(いいや、お前はそう思っちゃいない。お前はそんな不安定なものに頼っちゃいない。そうだろう?)

……

(まあいいさ。だがな、お前の過去はどうだったんだ。お前は、ほら、高校受験一つをとってみたって、確実なところに堅実に言ったって感じではないか。お前は今まで堅実に生きてきた。お前はあの時にそう学んだじゃないか。あの――)

やめろ!もういい!……ああ、だが、確かにそうだ。俺は不確かなものに頼るような人間じゃない。そうさ、もしかしたら彼女の幻滅はそのまま俺の絶望に変わるかもしれない。それだったらこのままの関係のままがいいさ。

俺の目の前には、何かを期待するようなまなざしをした古屋美紀がいた。




気が付いた時には目の前にいる彼女、古屋美紀は慟哭していた。俺はすかさず駆け寄る。

「来ないで!」

彼女の悲痛な叫び声が響いた。俺はその声を聞いて、意味を理解したのではなく、彼女が何でこんなに傷ついているのか理解ができずに止まる。

「なんで松本君はわかってくれないの!私はこんなにも松本君が好きなのに!ちょっと一緒に居る時間を増やしてくれるだけでもいいのに!なんで!どうして!――」

泣き叫ぶ彼女の様子は、普段の姿からは想像もできないほどだった。

「私が何度松本君に告白したか知ってる!?これでもう32回目だよ!?」

そ、そんなに告白を受けては――

「したんだよ!松本君は覚えてないかもしれないけれど、私はこの日を何回も繰り返しているの!」

……と、言うと?

「私はこの世界を何度もやり直しているの!松本君に告白を承諾してもらうために!」

俺は絶句した。

「もういい!もう一回やり直す!」

そう言って彼女は俄然、上空へ向けて手を挙げた。

おい!待て――




何かおかしいと思った。そのおかしさの正体が何なのか、しかし俺にはわからなかった。だから、今日も、惰性で生きる。……




「もしかして、僕たちの世界が繰り返されているということはないかい?」

田村は俄然、こんなことを言った。

というと?

「ほら、僕たちはなぜか今日だけこんなにもデジャヴを感じるじゃないか。だから、もしかしたら僕たちの世界が繰り返されているなんてのも」

ほう、なるほどな。しかし、なぜ?

「僕はあれだな、今日だけなぜか古屋さんの様子がおかしいのが気になるんだ」

古屋?まあ確かに少し憔悴気味だったが。

「ねぇ、なんでだと思う?」

……さあな。乙女心っていうのはてんでわからん。

……




「或いはこの後松本君が古屋さんに何かをするのかもしれない」

何か、と言うと?

「例えば、告白を断るとか」

告白?無い無い。第一、それは古屋が俺を好きという前提だろう。

「それだったら一層あり得るよ。第一――いや、なんでもない。他人の問題に部外者が口を出すってのはナンセンスだ。ただ、あいにく僕もこの日に閉じ込められたくなくってね。だから、もし、松本君が古屋さんから告白されたら、それとなく聞いてみてよ」

ああ、もしもだけどな。

……




俺は屋上に来ていた。古屋美紀に呼び出されたためだ。俺は古屋が見えたら聞こうと思っていることがある。まず、告白するつもりなのかだ。それでもし、仮にもそうだったのなら、俺は断らなくっちゃいけない。だが、もし告白だった場合、古屋は世界を繰り返していることになる。田村が言うことが正しいのであれば。だからそれも辞めさせなくちゃならないのだ。まあ、とにもかくにも、扉を開けないことには始まらない。俺は扉を開けた。




なあ古屋。お前は俺に告白する気なのか?

「……よくわかったね、松本君。そうだよ」

古屋美紀は憔悴した顔で言う。

悪いがそれは断るぜ。

「……そっか、じゃあ――」

世界をやり直すか。

「……そっか、気づいちゃった?」

いや、田村の仮説だが、そりゃあこんなにデジャヴを感じればな。

「ふーん、田村君って結構頭いいんだ」

ああ、確かに頭は良いな。

「それで?それを知ったら何か答えが変わるとか?」

あー、ないな。

「そっか。じゃあもう一回だ」

古屋美紀は手をあげようとする。

まあちょっと待てよ。

俺は彼女を呼び止めた。

「なに?心変わりでもした?」

いいや、まったく。ただな、最後にお前に教訓でも授けようと思うんだ。

「……いいよ。好きじゃない人なら聞かないけれど、松本君は好きだから聞いてあげる」

へいへいそうかい。そりゃあ嬉しいこった。

お前は人間をどう考えている。

「人間?そりゃあ、知性がすごく高いってことくらいなら」

それもそうだ。だがな、俺はそうは考えていない。俺は人間は連続性のあるものだと考えている。

「……ふーん」

そうだろう?誰かが火を使い始めた。誰かがものを数える記号を作った。誰かがものの存在について考え始めた。……つまり、いろいろなことが連綿と受け継がれて今があるんだ。

「まあそうだね」

例えば、そう、愛なんてのもそうだろう。

「あー、松本君がしきりに欲しがる愛ね。それで私を振ったんだよね」

……一体違う世界の俺が何を話しているのか、ものすごく気になるところだが話を続けよう。愛っていうのはまず、ありのままの相手を知らないといけない。そこに連続性があるのは自明の理だ。そしてさらに、相手を思い続けないといけない。これだって連続性がなきゃ駄目だ。

「でもそれだったら世界を変えても私だけは――」

いや、それだけじゃない。というより、重要な奴がまだ一つ残っている。それは、相手に思い続けていることを示すことだ。そうすりゃ相手だって、自分のことを愛するようになってくれる。最近の婚姻関係ってのは多様化しているらしいから、もしかしたら片思いの結婚なんてのもあるんだろうが、しかし、それは長くは続かないだろう。やっぱり相思相愛じゃないと心地よさってのは生まれないからな。その点、古屋、お前はどうだ。世界を変えては逃げてばかりではないか。そんなんじゃ、こんなことを言うのは本当に汗顔の至りなのだが、俺の心はゲットできないだろう。

「……でも、私は松本君が好きで!――」

だったらそれを証明してみろ。いいや、違うな。お前のそれはまだ恋の段階だ。もしそれが、ああ、愛になったというのであれば、俺は喜んで受け入れよう。

「……わかったよ。あーあ、なんでこんな男に惚れちゃったかなぁ」

なんだ、幻滅か。

「うん、そうかも。でも、それと同時に松本君に惚れてよかったと思っている自分、松本君に惹かれている自分もいる」

おう、そうか。……反応に困るな。

「もーう、そうやって初心なところがモテるんだぞぉ」

おもむろに古屋美紀は手を挙げた。

ああそうか、納得できなかったか。

「ううん、違う。こんな恥ずかしい話、忘れてほしいからもう一回やり直すの」

なるほどな。ちょうどいい。俺も忘れたいと思っていたところだ。

俺は目をつむって、屋上の壁に背をもたれるとその時を待った。しかし、一向にその時が来ない。

おい古屋。一体何をしている。

すると青い顔をした古屋美紀が恐る恐る俺の方を振り返った。

「どうしよう。能力が使えない」

……

「……」

はぁ!?そ、それじゃあ俺は羞恥の中に生きろってことか!?

「わ、私もやり直せるもんだと思ってつい口を滑らして――わ、忘れなさいよね!べ、別にあんたなんか好きじゃないんだから!」

いや!そんなことより俺の羞恥を!俺の恥をどうしてくれるんだ!

「なによそんなことって!」


拝啓神様。俺たちにはまだ能力が必要だったようです。


物語の展開に悩むこと数日。書く時間をとることに数日苦節し、ようやく書き終えました。

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