人生の中の青春はかくも美しく、蠱惑的である。
「やあ英二君」
目の前には一人の幼女がいた。俺はそれに何かしらのアクションを起こす。
「はは、そうかい。まあそれもわからなくはない。なんてったってこの世界は私の世界なのだから」
俺は辺りを見渡す。見慣れた教室がぼやけている。俺は彼女に何か聞いたらしい。
「まあ、そりゃあね。これは君の記憶をもとに作られているから」
俺の顔、鏡でよく見る無気力な顔が見える。そして俺の声でこう聞こえた。
で、そんなあなたが何の用ですかい。
俺はなぜか彼女を知っているらしい。彼女は完全であるような、無限であるような、そんな存在であるということを知っているらしい。
「なに、私は君に会いに来ただけだよ。この物語の主人公の君にね」
主人公?それはどういう――
「おっと、そろそろ時間のようだ。では英二君。松本英二君。私に『おはよう』と言ってくれないか」
……おはよう。
「ああ、おはよう、英二君。これが君という物語の始まりさ」
皆さんは青春、と聞いてどんなことを思い浮かべるだろうか。甘酸っぱい恋?心躍らされる情熱?あるいは、権謀術数飛び交う謀略?まあ大体そんなもんかもしれないがしかし、ああ、そんな青春が経験できたらどんなに良かっただろうか。俺の青春、俺は今高校生なのだが、それはまさに陰陽道の人生割に表象されるそれに等しい。なんと無機的なものだろうか。まあそんなこと嘆いたって仕方がない。平凡な人生もそれはそれで楽しくはあるのかもしれないからな。
田村琢磨は平凡な少年である。学業には、そりゃあ昨今の学歴至上主義のあおりを受けてある程度の熱を入れているが、それ以外はいたって普通、運動だって人並みだし、顔だって人並みだし、性格だってどこにでもいる少年と同じだろう。しかし、そんな平凡な男はある人に恋をした。それっていうのがまた高嶺の花であって、彼も事実、あきらめようかと勘案していたらしい。だが、なぜあきらめる必要がある。彼は平凡なりにもそう考えた。そりゃあそうだろう。だって諦めるのは全部失敗して心がズタボロになってからでもできるのだから。それが怖くないのかって?いいや、彼が言うには、彼が引用するには「恋は盲目」ってやつらしい。で、話を戻すとその相手ってのが古屋美紀、誰彼構わず笑顔を振りまき、愛くるしい体躯にかわいらしい顔をした、そりゃあ大層おもてになる少女だ。ああ、俺もあの笑顔に何度ドキッとしたことか。しかし、俺っていうのは、ああ、そう、謙虚だから云々。俺の話など興味がないだろうから割愛する。まあ、一つ付け加えるとしたら、俺と田村琢磨は友達という関係であるってことだ。昼飯は一緒に食べるし、AVの話では一番盛り上がれるし、云々。ああ、たぶん皆さんは男の雄雄しい話など聞きたくないだろうから、これも割愛する。
「古屋さん」
田村琢磨は震えながらも彼女に話しかけた。足は、これは本人談だが、生まれたての小鹿のようにプルプル震えたらしいし、声も肺に地震でも起こったのではというほど震えたらしい。ああでも田村よ。田村琢磨よ。それは0から1になる大きな第一歩だぞ。俺としてはそれを祝福したいね。
「あ、えーっと、田村君!何かな?」
「い、いやぁ、あのさ、す、○○の憂鬱って知ってる?」
おい田村。そんなのはもっとオタクっぽい雰囲気の人にするもんだぞ。
「え?何それ?」
「し、知らないんならいいんだ」
怖気づいたのか田村は会話をやめようとする。やれやれ、ここは俺の出番ってわけですかね。俺はおせっかいと知りながらもあえて、友のために踏み出た。
○○の憂鬱ってのはアニメなんですよ。
俺は古屋さんに向かって言い放つ。
「あ!松本君、おはよう!」
おはようございます。
「へぇ、そんなアニメがあるんだ」
田村を一瞥すると、逃げ場を失って顔の色が失われていた。すまんな田村。これもお前の為だ。
「どんなアニメなの?」
古屋、古屋美紀はにかにかと、これまたまぶしいほどの笑顔を振りまきながら聞き返す。
ほら、田村、説明してやれ。
「え、う、うん。そのアニメは――」
震えながらしゃべる田村に相対する古屋美紀を盗み見ると、熱心に聞き入っている様子だった。やれやれ、これだから陽の者ってのは素晴らしいんだ。確実に興味のなさそうなこともこんなに熱心に聞き届けられるのだから。例えば俺を、そうだな、そこらへんに生えている木の説明に連れて行ってみろ。多分そのノートにはピカソよろしく独創的な絵が描かれているに違いない。おっと、そろそろ田村の美しいビブラートを伴った説明も終わるらしい。撤退準備をしないとな。
「――というわけなんだ」
「へぇ、面白そうだね。松本君もそれは見たの?」
ああもちろんな。これで女心ってのもばっちりだ。
「うーん、なんかソースが不安だよ」
いいや、作者の写真を見たがイケメンだったからそっち方面の経験は豊富に違いない。だから――いや、やっぱりリア充は殺してしまおう。まずは不買運動からだ。
「うわ~、ここに過激派がいるよ~、イスラム過激派だよ~」
昼食時、俺と田村は今回の反省点を考えていた。何のかって?そりゃあ、古屋美紀との会話だ。
第一お前は女慣れしていなさすぎる。なんだ、お前は女子と話すときは合唱をしているつもりなのか。
「い、いや、そうじゃないけれど……」
けれど?
「やっぱ緊張しちゃって……」
そうか……俺も確かにそういう時があった。そういう時はな、あれだ、話題はこっちから出すが短い応対を繰り返すんだ。そしてその時に絞って腹に力を入れればよい。
「なるほど。……でもどうやって?」
そんなの簡単だ。例えば今回の場合だったら……
「『○○の憂鬱って知ってる?』
『知らない』
『いやぁ、あれ、面白いんだよね』
『へぇ、どんな物語なの?』
『SFラブコメだよ』
『面白そう!』 」
ってな感じだ。
「な、なるほど。ということは、相手を会話にもっと参加させる機会を与えるってことだね」
まあ、大体そんな感じだな。まあ俺もコミュニケーション能力はあまり高くないし、一家言だが。
「いやいや、でも参考になったよ。ありがとう」
「おはよう古屋さん」
「あ、おはよう!田村君と松本君!」
おはよう。
「古屋さんは昨日の○○見た?」
「うん!見たよ!」
「××さん面白くなかった?」
「うん!そうだね!」
……
で、うまくいったっぽかったが?
「うん、先日よりかはね」
よし、この調子だな。
「ありがとうね、松本君」
いいさ。
そして田村琢磨の挑戦は連日続いた。そろそろ古屋さんも打ち解けてきたことだろう。このままいけば付き合うなんてことも……あるいは可能かもしれない。俺はそう思っていた。田村が俺と飯を食べているときに不意に泣き出すまでは。
いったいどうしたっていうんだ。
俺は泣いている田村に聞いた。
「うん、ごめんね松本君。急に泣き出したりなんかして。でも、だめだったんだ。何もかもが無駄だったんだ」
何がだ。
「古屋美紀さんには彼氏がいたんだよ」
俺は唖然とした。そうだった。その可能性を考えていなかった。確かに彼女なら彼氏ぐらいいてもおかしくないのだから。つまり、俺は、純情な田村の手伝いをすることによって、逆に彼を泣かせるという結果に収束させてしまったのだった。
それからの田村の憔悴ぶりは激しかった。そりゃそうだ。好きな人に彼氏がいたなんていう事実、もし俺であっても夜通し泣き続ける自信がある。しかし、これは俺にはどうすることもできない。俺だってカップルの幸せの邪魔をするほど厚顔無恥な野郎ではないからだ。そしてやりきれない気持ちを心の奥底に抱えながら過ごしているとき、たまたま俺と田村で屋上の掃除をする機会があった。
……なあ田村。カラスってなんで鳴くんだろうな。
田村はしゃべらない。
……はぁ、今日の授業もきつかったな。
田村はなおもしゃべらない。
二人の間には沈黙が流れる。
黙々と掃除をしているとき、田村がか細い声でこう言った。
「カラスはたぶん、その黒々として異質な自分を嘆いているんだよ」
……なんでそう思う?
「僕だったら嘆くよ。なぜ僕は生まれてきてしまったのか。なぜ僕はあちら側ではないのか」
あちら側、とは?
「……僕もよくわかんないよ。ただ、漠然と輪の中に入れていない感じがするんだ」
……
俺は沈黙せざるを得なかった。それはたぶん、彼の今の状況のことだから。
「ねぇ、例えば僕が鳩だったら――どんなに良かっただろうね。鳩だったらどんなにかわいがられたことか」
……鳩である必要はないんじゃないか?
「……と言うと?」
ああ、確かにお前はカラスなのかもしれない。だが、仲間がいるじゃないか。
「……確かにそうだね。カラスには――」
いいや、お前にもいるじゃないか。
「……誰が?」
俺だよ。確かにお前は古屋さんに、ある意味で捨てられたのかもしれない。全世界から迫害されているのかもしれない。だが、俺がそばにいてやるさ。
「ふっ、気障だね」
いいや、表面上の言葉じゃないさ。ああ、確かにお前は平凡さ。だがな、それでも俺はお前と友達になれてよかったと思っている。友達だと思っている。そうである以上、友達ってのは支え合うもんだろ?
「……支え合う。支え合うか。うん、いいかもしれない。じゃあ松本君、僕は今失意のどん底なんだ。どうかそんな僕を支えておくれよ」
田村はどれだけ自分が古屋さんにアプローチしたか、どれだけ頑張ったか、ぽつぽつと語り始めた。まるでその記憶を、静謐に降る雪が地面に消えるように語った。
「――最後に、これは僕からの懺悔だ。改悛だ。僕は一つ嘘を言った。悔しくて嘘を言った。古屋美紀に彼氏などいない。あるのは恋慕だけだ」
恋慕?いったいなぜそんな嘘をつく必要があった。
「それは僕が彼女の好きな相手を聞いたからだよ」
それは一体――
「言わないさ。これは僕の関与すべき問題ではない。……ただ、ああ、確かに君にも迷惑をかけたが、僕は君の友達、であるわけだから彼女にも迷惑をかけただろう。それは謝らないといけないね」
彼の呟きは謎に満ちていた。
不定期です。