ランベルト家の平穏
前作の予想以上の反響にびっくりしています。みなさん読んでくださってありがとうございます。
コメントもありがとうございます。
お礼になるかわかりませんが、後日談です。楽しんで頂けたら幸いです。
夫が爵位を継いで半年、マリベルはやっと生活が落ち着き、一息ついていた。
覚悟はしていたが、本当に忙しかった。ラウルとは一緒だったものの、子供達と小鳥とすれ違う生活が続き、かなり辛かった。
乳母や侍女からぐずったり、夜泣きが増えたと報告を受け、母親として不甲斐なかった。家の為に必要なこととは言え、子供達にはまだ理解できない。寂しい思いをさせたことを取り返せるくらいこれから頑張りたい。
今回の爵位の継承に伴い、両親は隠居して邸を出ていくことが決まった。
マリベルはそれに一番ホッとしている。両親のことは嫌いではないが、同居はしたくない。
彼女が自分の両親が特殊だと気づいたのは十五の時だ。
その頃から他家の茶会に招かれたり、夜会に参加できるようになったので、友人が増えたのだ。
今までラウルと小鳥と家族しかいなかったマリベルの世界は急に広がった。
友人達の話に、世間に溢れるゴシップや娯楽、その他の色々なものを知るたびに「あれ、おかしいな?」と違和感を覚え、それがいくつも積み重なって「おかしい」という確信に変わった。
監禁が夫婦円満の秘訣ってなんだ。ありえない。
そして、そのありえない両親からそっと遠ざけてくれていたのがラウルだ。
感謝しかない。ますます愛が深まった。
マリベルは瞬きもせずに見つめてくる母を「見守ってくれている」と思っていた過去の自分を殴りたい。そんな訳がない。なんて残念な頭だ。
確かにマリベルは優秀なミルカに比べると全てにおいて平凡だった。でも、暇さえあれば見つめ続けるほど出来は悪くなかったはずだ。
そして父が居る時、あれだけ見ていたマリベルは眼中にない。
母が異常だと理解するには充分だった。
ミルカの「ずるい」に悩んでいたが、問題はそこではなかった。むしろあんな両親の元、王子に見染められるほどの淑女に育ったミルカは賞賛に値する。
ラウルに守られ、呑気に小鳥と遊んでばかりいるマリベルは「ずるい」と言われても仕方ない。
そのミルカとは結婚後は会えていない。隣国に行ってしまったので物理的に距離があるし、嫁ぎ先が王室なので気軽に会いにも行けない。
かわりに時々手紙が届く。内容は近況一割、惚気九割だ。一年前、男児を出産してからは惚気は六割に減って子供のことを書くようになったが、夫のことは変わらず大好きなようだ。
マリベルもラウルが大好きである。
マリベルはミルカの夫についてよく知らない。何しろ貴い身分の方なので、挨拶程度しか言葉を交わさなかった。でも手紙を読む限り素敵な旦那様らしい。
勿論、世界一素敵な旦那様はラウルなので、マリベルも負けずにラウルの惚気をたっぷり書いた手紙を返す。そう、倍返しなのだ。
あの両親と離れて、ミルカにはよかったのかもしれない。
子供達や小鳥とのんびり過ごせるようになって三ヶ月。忙しいラウルも子供が起きているうちに仕事が終わるようになった。おかげで子供達の夜泣きはなくなって、元の明るさを取り戻している。
あと両親は隠居先に引っ越した。
あんな両親ではあるが、頼りになるのは確かだ。少し心細く思ったが、子供達と同じ家には居てほしくない。これからはマリベルがもっとしっかりして両親を頼らずにすむよう、頑張ろうと決意を新たにする。
そんな時にラウルから「旅行をしないか」と誘われた。
マリベルは一も二もなく頷いた。旅行なんて久しぶりだ。子供達なんて初めてのことだから、きっと喜ぶだろう。わくわくしながら就寝し、次の日は朝早くに起きて、支度を整え出発した。
馬車に乗っているのはラウルだけだった。
「子供達は……」
「私と君だけだよ?」
そう言われ、なるほど、デートだったのか、と気づいて今更そわそわする。子供達が生まれてからデートなんて一回もしていない。ご無沙汰すぎてどう振舞ったらいいかわからない。
そんなマリベルの手を、隣に座るラウルが握った。
「これから向かうのはよく義父上達が籠っていた別荘だよ」
そして、そう耳元で囁いた。
「えっ、あそこはお父様達が使っているんじゃ」
「二人は別の、もっと相応しい邸を紹介したからそっちにいるよ。
ねぇ、マリベル」
ラウルがぐっと身を寄せて来て、マリベルは座席との間に挟まれた。身動きがとれないし、ちょっと息苦しい。
鼻がくっつきそうなほど近くにラウルの顔があった。
「私に監禁されてくれる?」
蕩けるような甘い声にくらくらする。確かにかつてマリベルはラウルになら監禁されてもいいと言った。
でも。
「ラウル様、監禁って何をするんですか?」
そこがどうしても気になった。
監禁とは、閉じこめることだ。では、そのあとは?監禁された部屋の中で、どう過ごすんだろう。
「えぇっと」
目の前のラウルは困ったように眉を下げた。
「いちゃいちゃする?」
「いつもとどう違うんですか?」
監禁なんてしなくても、普段から二人は一日が終わると夫婦の部屋に戻って寝るまでいちゃついている。
「うーん……」
「わたしを監禁したら、ラウル様もずっと一緒にいてくださるんですよね。そうじゃないと寂しいです」
「えっ、かわいい……」
「あっ、ずっと部屋にいるなら毎回一緒にお食事ができますね! 嬉しいです!」
「なにそれかわいい」
「最近ゆっくりお話しできなかったので、たくさんラウル様のお話、聞きたいです」
「やっぱり監禁はやめようかな」
「えっ、帰っちゃうんですか……」
「ちょっと泊まっていこうか。あんまり長居すると子供達が寂しがるからほどほどにね」
そんな訳で、二人は例の別荘に二泊した。
両親の監禁場所という曰く付きだが、別荘自体はとても居心地がよかった。立地も森の中で涼しい上、野鳥の鳴き声が絶えず聞こえるし、綺麗な泉のほとりに建っている。管理人をしている夫婦も気の利く気持ちのいい人で、マリベルはとても気に入った。
ラウルは馬車の中で頼んだ通り、ずっと一緒で、毎食同じテーブルに着き、たくさん話を聞かせてくれた。
それ以外にも散歩をしたり、泉でボート遊びをして楽しく過ごした。
ちょっとアレな使われ方をしていたが、とても素敵な別荘だ。いつか子供達も連れて来たい。
管理人夫婦の夫がマリベルが小鳥が好きだと知って、ささっと小鳥用の餌台を作って庭に設置してくれたのだ。これから餌付けをすれば、次に来る時はたくさん野鳥が遊びに来てくれているかもしれない。
子供達はマリベルに似て小鳥が大好きなので、きっと喜ぶだろう。
帰りの馬車では、久しぶりにラウルを独占できて行きより元気になり、心なしか肌艶もよくなっていた。
「こんな監禁ならまたしてほしいです」
思わずそう言うと、昔のように「そういうことを言ってはいけないよ」と、注意された。
「悪い子だね」
全然怒っていない甘い声でそう言われ、まったく痛くない強さで頬をつねられる。
たまにこうして子供扱いしてくるラウルが、マリベルは大好きなのだ。
◆
監禁旅行の少し前、ラウルは書斎で前侯爵となった義父にある資料を渡していた。
「これは?」
「人里離れた場所にある広くて豪華で機能的な監禁部屋を備えた邸の一覧です」
「…………………………そう」
義父は頭を抱えた。
ラウルが何故そんな資料を持っているのかと言えば、軽はずみにマリベルを監禁してみようと思ったからだ。
マリベルに一番いい監禁部屋がある邸はないか。むしろ新しく建てるための参考にしようか。
そう思って、部下に探させたのだ。
一週間後、十六棟見つけて来てドン引きした。
ただの監禁部屋ではない。「広くて豪華で機能的」な監禁部屋である。住む者が快適で、なおかつ絶対逃げ出せないような作りの部屋がある邸が十六棟。
所有者がいないものがこんなにあるなら、今まさに使われている監禁部屋はどれほどあるのか。
我が国はどうなっているのか。
動揺のあまり部下と「どういうことなの」「知りませんよ」というやりとりを五回も繰り返してしまった。
この件を通じてラウルは理解した。彼に監禁は無理だ。たくさん監禁部屋があるというだけでこんなに動揺してしまうラウルは監禁に向いていない。
だから、これから監禁されるだろう義父に資料を進呈した。せっかく部下が調べてくれたのだから有効活用してほしい。
義両親はすでに監禁場所を持っているが、あの別荘は冬になると寒いし、監禁部屋が地下にあるのでこれから老いていく義父には辛い。
一方で、資料の邸はすべて冬でも比較的暖かい地方にあるものばかりだ。邸の間取りに、監禁部屋の仕様までしっかり書かれているのでわかりやすいはずだ。
「ラウル君、あの、もうちょっと孫達と一緒にいたいかな、って、思っているんだが……」
「その孫の情操教育に悪いので早く出てってください」
「ううっ……。その通りすぎて反論できない……」
「それとも、その資料義母上に渡しましょうか」
「ありがとう。参考にさせてもらうよ」
義父は慌てて資料を抱え込んだ。「このことは内密に」なんて、前侯爵らしい威厳を振りまいて書斎を出て行く。
とりあえず、懸案事項がひとつ片付きそうでラウルは胸を撫で下ろした。義両親のことは喫緊の問題だったのだ。
最近、義母はマリベルではなく二歳の息子をガン見するようになったので。
息子は金髪だけラウル譲りで、他は全部マリベルに似ている。
つまり、髪色以外は義父にそっくりだ。
本人は幼さ故に気づいていない。しかし、マリベル譲りの髪でラウルに似た四歳の娘が「おばあさまのめがこわい」と怯えていた。
娘を怖がらせ、息子を脅かす義両親をナイナイするのは親として当然のことだ。早めに隠居先を決め、夢の監禁生活を満喫してほしい。
義父はかなり悩んでいたが、ラウルがちょくちょく急かしたので、覚悟を決めて自分の監禁先を自分で選んだ。
大喜びの義母を連れて、死んだ目の義父は旅立って行った。
なんだかいやいやを装っているが、あんな義母から逃げないあたり義父だって監禁が満更でもないのだ。今頃小踊りしているに違いない。
義両親が去ったあと、ラウルは彼らの監禁場所だった別荘に行くことにした。
あの別荘の周辺の森は国内屈指のバードウォッチングスポットらしい。特に小鳥の種類が豊富で、あの森にしか生息してない小鳥もいるそうだ。
情報源はいつも小鳥を譲ってくれる鳥好きの彼だ。
彼の友人である義父はもう二度と外へ出られないかもしれないが、今やすっかりラウル達と仲良くなっているので付き合いに変わりはない。
マリベルが小鳥を飼っていることに加え、鳥好きの彼が細密な鳥類図鑑をくれたので子供達はすっかり鳥が大好きになった。
絵本より図鑑に夢中で、二人で舐めるように読み込んでいる。娘は図鑑に載っている鳥の名前をほとんど暗記しているし、息子は図鑑で言葉を覚えている。
最近、娘は自分の小鳥がほしいとおねだりしてくるが、ラウルはまだ自分の世話もおぼつかない者に小鳥を与えるつもりはない。
なのでしばらくはあの別荘へ行って、見るだけで満足して貰いたい。あそこは地下への入り口さえ塞げば普通に使えるはずだ。だから一度確認に行きたかったのだ。
別荘へ行くのにマリベルだけを連れて行ったのは、子供達に危ない場所があるかもしれないからで、監禁発言はただの悪ふざけだ。
だから、あんな答えが返ってくるとは思ってもみなかった。訊かれてみると監禁後、何をするのか思い浮かばない。わざわざ閉じ込めてすることとは一体?
義両親は何をしていたのだろう。談合か?
やっぱりラウルに監禁は向いていないことを改めて知って、別荘では内装や周辺を確認しつつ、マリベルと存分にいちゃついて過ごした。
別荘の中に地下室以外の危険な場所は無く、外もきちんと遊歩道が整備されているので、小さな子供でも安全に歩き回れそうだ。泉は子供の足がつかない深さだからそこだけ要注意だ。
地下室については管理人夫婦に入り口を塞いでもらうよう頼んだ。
それからバードウォッチングについて相談すると、森のしっかり整備されてない道を歩いたりもするので子供達にはまだ早いとのことだった。
そのかわりに管理人の夫の方が小鳥用の餌台を手作りして設置した。即席で作ったとは思えない出来にマリベルは喜んでいた。
仕事ができる男だ。義両親の監禁については押し黙ってまるで口を割らないが、これは口が堅いということで使用人としては美点だ。
マリベルと久しぶりに二人っきりで過ごせた上、確認したかったことが全部済んだので上機嫌で帰宅した。
邸の玄関では激怒した娘が待ち受けていた。
そういえば、使用人に数日留守にすると伝えたが、子供達には言ってない。
娘の怒りようは凄かった。
息子は土産の菓子で機嫌が直ったが、娘は全く許してくれなかった。
見かねたマリベルが別荘で小鳥を見られると話したことでやっと怒りが解けた。逆に図鑑で見た小鳥の本物が見られると大興奮だ。
そんな姿を見たら、数日留守にしたから仕事が溜まっててすぐには別荘に行けないなんて言えない。
ラウルは書斎に閉じこもって仕事を始めた。毎日コツコツ片付けているのでそこまでは溜まっていない。
だいたい三日徹夜すればなんとかなるはずだ。
彼に付き合うことになる部下は盛大に舌打ちしたが、そんなことを気にしているようでは部下なんて持てない。
集中して仕事をしていると、マリベルがラウルのために茶を淹れて来てくれた。
何故か小鳥が一緒だ。マリベルが言うには部屋に入りたがったらしい。
ラウルの肩に飛び移って茶の支度が終わっても動かないので、特に邪魔にもならないし、しばらく預かることにした。
今のマリベルの小鳥は顔のあたりは黄色で頬紅を塗ったようなほっぺたをしていて、ぴんと立った羽冠があり、他は全体的に灰色の羽を持っている。
普段は人懐っこく、甘えたなぐらいなのに、何故か今は肩に乗って、じっとラウルを見てくる。黒いつぶらな瞳から感情を読みとるのは難しい。
ただ、ラウルは勝手に飼い主を連れ出したので、その件で罪悪感を刺激される。
結局、マリベルが迎えに来るまでずっと見つめられていた。怒っていたのだろうか。
それとも人の言葉を真似る種類なので、言葉ではなく、義母の行動を真似てみたのだろうか。
実際にされてみると冷や汗が出るほど怖い。早めに義両親を隠居させて正解だった。
義母の異常性は改めて痛感したが、小鳥の心理はわからないままだ。ラウルもそこそこ小鳥は好きだが、まだ心を読む域には達していない。
子供達が就寝の挨拶に来て、マリベルも寂しげに先に寝室へ向かった頃、慌てた執事が兄の来訪を告げた。
こんな夜更けの忙しい時に何の用だと鬱陶しかったが、わざわざ夜に訪ねて来た理由も気になった。
厄介事の予感がひしひしとしたので、応接間に通すよう執事に命じ、仕事を部下に任せて書斎を出る。
応接間に入ると、兄は挨拶もそこそこに怒涛の如く話し出した。
要約すると「妻が異常」。これに尽きる。
兄の行動を把握している。
女性に話しかけただけで嫉妬する。相手が侍女でも、女児でも老女でも関係なく。
行動を制限したがる。邸どころか部屋からも出るなと言う時すらある。
以上、兄が挙げた妻こと元王女殿下の異常性だ。
兄が夜に訪ねて来たのは、王女が寝るまで待っていたかららしい。
そして兄が言うにはこんな不自由な生活を続けるのはまったく理不尽で、弟のラウルはその理不尽から兄を守るべきなんだそうだ。
だから妻を交換するべきと兄は断言した。公爵の位は譲ってやるのでラウルが王女と結婚し直して、兄はマリベルを妻にする。
これが一番皆が幸せになれる方法だ、とのたまった。
どこがだ。
これが今公爵なのかと思うと、怒るよりも呆れてしまう。そんな無理が通る訳がない。今まで兄はどんなことも自分の思い通りになってきたから、今回もなんとかなると思っているんだろう。
だがラウルとマリベルは相思相愛で、なおかつマリベルは兄にまったく興味がない。この話を押し通せば興味ゼロがマイナスになるだろう。
それにランベルト家自体もまだ幼いけれど後継が生まれている。ラウルが実家に戻っても、かわりにまだ元気な義父が後見として復帰するだけだ。義母は義父が上手く説得するだろうし、興味マイナスの兄の居場所はない。
兄は敷居も跨がせて貰えないだろう。
でも、それを正直に兄に言ったところで納得しないに違いない。ここは別角度から攻めるべきだ。
ラウルはしばらく考え込んでから口を開いた。
「兄上、王女殿下の対応も仕方ないことかもしれません」
「はっ⁉︎ そんな訳ないだろう!」
「ご存知ないのですか。かつての殿下の求婚者の多さを」
「知っているに決まっている。だから求婚したんだ」
ゲスである。
ゲスなことを言っているのに、兄はふんぞり返っている。天性のゲスである。
王女は今の国王の唯一の女児で、国王に溺愛されている。数多の求婚者の中から兄が選ばれたのはひとえに王女が兄に一目惚れしたからだ。
国王は政略結婚より娘の幸せを優先した。ただし夫はゲスである。
「わからないのですか。王女殿下を掻っ攫って行った兄上はその求婚者達に軒並み恨まれていますよ」
「えっ……。嘘だろう……」
嘘である。
王女は美形な上、人柄も素晴らしいと評判だったので、本気で恋をしていた求婚者がいないとは言わない。だが、大半は王室との繋がりを求める政略的なものだ。そこまで恨まれてはいない。
「えっ、そ、そんな、恨まれても……。そいつが劣っているから悪いんだろう」
「そうです。でも逆恨みと言うものがありますから。だから王女殿下は兄上を守ろうと必死なんですよ」
「……守る?」
「ええ。行動を把握したり、制限するのは兄上を守るため。女性に嫉妬するのもハニートラップを警戒してでしょう。とても健気な方ですね」
「なんだよ……。そういうことは言ってくれれば……」
「言えなかったのでは? 要するに自分のせいで兄上を危険に晒してしまったのですから」
「それぐらい自分でなんとかできる」
いや、できない。
周りが優秀な人材で固められているからできる気になっているだけだ。
兄がどれだけ勉強をサボってきたか、隣からずっと見ていたのでよくわかっている。あれで公爵が務まったら世の中の真面目に勉強してきた者達は全員グレる。
「兄上、一度しっかり話し合った方がよいのではありませんか? 王女殿下はひとりで抱え込み、苦しんでいらっしゃるのかもしれません」
「お前に言われるまでもない。ではな。さっきの話は忘れていいぞ」
「わかりました。お気をつけて」
来た時と同じく、自分勝手に帰って行く兄を執事に見送らせて、ラウルも応接間を出た。足早に書斎に戻る。
ノックもせずに書斎に入ると自分の机の引き出しから資料を取り出し、踵を返して廊下に出た。
「もしよかったら参考にと、王女殿下へ渡してください」
誰もいない廊下で資料を差し出し、そう言った。
一見すると変な奴でしかないが、彼には確信があった。
廊下の曲がり角で影が揺らめく。黒装束に覆面までつけた、性別すらわからない人物だ。気づかれたことに驚いているのか、姿を見せながらも警戒している。
これは、いわゆる王室の抱える隠密だ。
本来、降嫁した王女にはつかないはずだが、国王が特別に与えたのだろう。兄は王女の目を盗んだのではなく、王女に泳がされたのだ。
そしてラウルは兄を助けるかどうか試された。
兄はマリベルを気に入っているので、下手な対応をしたら彼女がどんな目に遭うことか。
やっぱり、とんでもない厄介事だった。
執事が彼の元に来た時点で視線を感じたので、嫌な予感がしたのだ。
そして、兄の話を聞いてある疑惑を持った。
王女殿下は、義母と同類ではないか。
しかも義母より攻撃的なタイプのような気がする。あまり親しくお付き合いしたくない。
なので、この資料だ。
これは義父に渡した「広くて豪華で機能的な監禁部屋を備えた邸」の一覧の写しだ。
義母と同じタイプなら監禁にも興味があるだろうし、もし違っていてもこんな資料を持っているラウルは妻を監禁したいおかしい男と印象付けられる。
つまりマリベルもいずれ監禁される予定の女となって、兄のお気に入りではあっても手出しされることはなくなる……かもしれない。
隠密が王女に資料を渡すかはわからないが、目を通して報告はするだろう。
影は動かないので「ここに置いておきます」と言い、廊下に資料を残して書斎に入る。しかし机には向かわず、扉に張りついて耳をすます。
部下が怪訝な顔をしているが、今が正念場なので無視する。
特に何の音もしないまま、時計の針が四分の一動いたところで扉をそっと開いた。
資料は無くなっていた。
一安心して扉を閉める。もの言いたげな部下にはミルカの件のようなことがあったと言えば、それ以上詳しいことは追及せず、仕事を再開する。
彼も仕事を再開する為に机に着いた。この机の一番下の引き出しの底にミルカの件に関係ある手紙が入っている。あまり思い出したくない記憶だ。
手紙の主はミルカの夫である隣国の王子だ。内容は一見、親戚になったしお互いに子供も生まれたから仲良くしよう、というものだが、何故か所々に我が家の内情が詳しく書かれている。
ミルカが話したのではない。ミルカはマリベルの小鳥の名前なんて知らない。
知らぬ間に調べられたのだ。
なんだか最近やたらと視線を感じるけれど、マリベルかな、と呑気に思っていた自分を殴りたい。
王子は少し前にラウルがミルカの様子を調べたのがお気に召さなかったらしい。「もう調べるな」という警告の手紙を送って来たのだ。ラウルはミルカを調べたのは、出産後の体調が知りたかっただけなのに。
マリベル相手だとミルカは見栄を張りがちなので、正しい情報がほしかったのだ。勿論、ミルカの為ではなく、マリベルの為だ。体調不良を知らなかったらマリベルは自分を責める。
だから他意はなかった。でも軽率だった。
王子妃は体が弱いので離宮に引きこもっている、という報告が来た時点で気づくべきだった。王子も義母の同類だ。
ちなみにミルカは健康優良児と言うほどではないが、健康な方だ。社交は大好きなので引きこもるはずがない。
ミルカに何が起こったのかわからないが、とにかくラウルは権力におもねる情けない男に思われそうな返事を送り、しばらくドキドキして過ごすはめになった。
その後、反応はないので、ラウルの手紙はお気に召したようだ。
ミルカは、人とはこんなに変わるのか、と思うほどかつてとは違う面を手紙で見せている。それを引き出したのが王子ならきっと義母と同類でも上手くやっていける。
多分。
兄も自分が一番好きな人なので、ゲスでも丸ごと愛してくれる王女こそが運命の人だろう。
多分。
二人のことはラウルにはどうにもできないし、正直どうでもいい。義母の同類と関わるのはとても面倒だ。
面倒な人々だが、彼らは謙虚だとラウルは思う。
他は何も望まず、ただひとつの愛を真摯に求めているからだ。
自分と愛する者の幸せの為に弛まぬ努力を続ける彼らは勤勉で、健気ですらある。
謙虚で真摯で勤勉で健気。
人間の美徳の塊ではないだろうか。ミルカも兄も、真っ直ぐその愛を受け止めれば義父のように幸せになれるに違いない。
ラウルは彼らと違って欲張りなので、たったひとつの愛ではとても満足できないし、物足りない。
もうとっくに彼は愛がひとつではないことを知っている。
だから、今日から三日のうちには必ず仕事を終わらせて、愛する妻と愛しい子供達を連れて別荘に行く。
きっと家族は喜んでくれるだろうし、家族が笑顔になれば、それだけでラウルは幸せだ。
今のラウルは、マリベルだけでなく、子供達の幸せのためならなんだってできるのだ。
これで全員ハッピーエンド!
ミルカと小鳥の出番が少なくてすみません。これが限界でした。
新しい小鳥はオカメインコです。




