第八十八章 A suffering and hope
その後ろ姿に、カカベルはどう声を掛けるか迷う自分に納得がいかなかった。
真紫の鎧。白い髪が気品を漂わせてはいるが、魔王なのだ。
「自分の国に攻め入る気分はどうだべ?」
「シスターか」
「フン、おめさんの国も、わだすの村のように滅ぼされちまうだぞ。いい気味だべ」
本音。………のはずなのに、心が晴れない。戦場になる魔界は、間違いなく壊滅するだろう。それは、願ってもないこと。そう思っているのに。まるで戯言のような自分の言葉が、胸をチクチクと刺激する。
「………そうだな。シスターがそう思うのなら、そうなのだろう」
カカベルの気持ちは解っている。だから敢えて反論することはない。
でも、カカベルにはケファノスのその態度が気に入らない。
「な……なして何も言わねだ?!」
「だから言ったではないか。その通りだと」
「違うっ!本当はそったらこと思ってねーくせにっ!わだすと言い合うのが恐いのけ?!ハッ!だとしたら、魔王のくせに情けねーべ!」
「………ああ。恐いな」
「な……っ!」
「シスター、この戦いが終われば、約束通り余の命を奪うがいい。そのかわり、余を殺した後は忘れることだ」
「忘れる………って、何をだ……?」
「村のことも、余を殺したことも、引きずることなく生きて行け」
「………っ!バ、バカこくでねぇっ!なして、なしてわだすが心配されねばなんねだ!」
「純粋だからだ」
「じ……純粋……」
「シスターの目は、他の誰よりも眩しい。汚れなき琥珀の瞳。これから先、決して汚すな」
スッと上がったケファノスの手は、カカベルの頭を撫でると、落ち着くべき場所へ落ち着いた。
そのままケファノスの足音が聞こえなくなるのを待ってから、膝を床に着く。
「………なんでだべ………わだすはケファノスを殺したいのに………そう思えば思うほど、胸が締め付けられる………」
誰かを殺してしまいたいほどの気持ちなど、実は重さの無い虚像。“純粋”だと言ったケファノスは、カカベルが望むままを受け入れるだろう。でもなぜかしっくり来ない。
いや、カカベルは知っている。心の奥深く。ケファノスを殺しても、心は満足出来ないことを。
「………あの日………村が滅んだ日に戻れるなら……わだすは死を選んだのけ……?」
自分に問い掛けるように呟いた。
生きる希望を与えた天使が、魔王ケファノスだと知ってしまわなかったら………カカベルは思いもよらないもうひとつの心を知る。
「ケファ……ノス………」
キュンと鳴る胸は、乙女の心だった。
(時間を戻せたら………あの頃に戻れるのか………?)
羽竜もまた、時間という絶対の力に逆らう夢幻を見ていた。
いくつもの奇跡を目にして来たが、同じ数だけ絶望も見て来た。夢を見れば、その大きさだけ苦しむ。そんなことをずっと繰り返す宿命は、羽竜の心を蝕んでいる。
(あんたは同じこと考えないのか………ヴァルゼ・アーク………)
不死鳥と呼ばれる少年。運命にほだされるように、人としての感情を捨てきれずにいた。
「クダイ………それ、どうしたの?」
シトリーの前に現れたクダイは、白く高貴な鎧を身に纏っていた。細かい傷も多い。ただ不自然なのは、胸元に穴が開いていること。破損しているのだ。
その理由も、シトリーにはすぐに解った。
「それって、シャクスの……?」
「うん。サイズを合わせるのにいろいろ部品とか交換したけどね。なんとか着ることが出来たよ」
そう言ったクダイは、どこか誇らしげで、嬉しそうだった。
細かい傷は、シャクスの歴史。誇らしげなのには、それも理由の一つだろう。
「エルガムの王様がね、僕を聖騎士として認めてくれたんだ。もちろん、ケファノスやダンタリオンの口添えもあってのことだけど………変……かな?」
照れるように頭を掻く。
「ううん。似合ってる。カッコイイよ」
「へへ。ありがとう」
「でも、破損したままでいいの?」
「うん。このままの方が、シャクスと一緒に戦ってるって思えるから」
シャクスが纏っていた時よりも、大分軽装ではあるが、紛れも無い聖騎士の鎧。
「あのさ、シトリー」「ねぇ、クダイ」
不意に、二人同時に言葉を発した。
「あ……い、いいよ、シトリー先で」
「え……あ………クダイ先に言ってよ」
「じゃあ………二人一緒に」
せ〜の。と、息を合わせ、
「僕、この世界に残るよ」「私、クダイの世界に一緒に行く!」
互いの言葉に耳を疑った。
「シトリー………」
「クダイ………」
それは、二人の気持ちが通じ合っている証拠。悪い気などするわけもなく、
「帰らないって………どうして?」
そう聞き返すシトリーの胸は、高鳴りを止められずにいた。
「………僕さ、こっちの世界が好きなんだ。まあ、不便にも思うけど、みんなといるのが楽しいし、それに………」
もじもじしながら、
「シトリーが好きだから。一緒にいたいんだ」
真っ赤になったのは、シトリーだった。
「ク、クダイ………」
「聖騎士としてなんか、まだまだ未熟だけど、君に釣り合う男になる。だから一緒にいて欲しい」
断る理由などない。
「うん。いる。一緒に。私、クダイと一緒にいる!」
無意識にクダイの胸に飛び込むと、優しく包まれ、クダイの瞳に捕われる。
「ク………クダイ………?」
「サン・ジェルマンを倒して、シメリーを必ず助けるんだ!」
「!!」
矢先、クダイはシトリーの唇を奪った。
「んっ………んん………」
最初はびっくりしたシトリーも、クダイに身を任せた。
数秒後、唇を離したクダイは、
「行こう!サン・ジェルマンを倒しに!」
シトリーの手をぎゅっと握り走る。
何度も握ったはずの小さくか弱い手は、今日は温かく安らぎをくれた。
後悔あってこそ現在がある。数知れない後悔がクダイを成長させた。
クダイは思う。後悔することを避けてはいけない。後悔しない為に何が出来るか考えることが大切なんだと。
だから時間が戻せたらなどとは思わない。
時間を戻す力があったなら、今ある全てを犠牲にしてまで、それを行使する勇気が人にはあるのだろうか?
自分という存在。それを問う時、人は少し神に近付く。