第八十七章 regret & time
「始まるんだね」
部屋に入って来た足音と気配で、誰が入って来たのか解る。意外と自分の感覚も宛になるものだと、オルマは自画自賛してみた。
「目が見えないのに、中々鋭い感覚ですね。オルマ」
窓際の椅子に座るオルマは、見えるはずのない空を見ている。
ダンタリオンはその脇に立ち、同じ空を眺める。
最後の戦いのわずか一時間前だというのに、あまりに快晴の空。この空とも、同じ命運を分けるのだ。
「戦いの中で、いつの間にか気配を読むのが染み付いてたんだねぇ。皮肉にも、目が見えなくなって、その成果が表れたってことさ」
目が見えないことに慣れたわけじゃない。つい先日のことなのだ、そう簡単には受け入れられないが、戦いに赴くダンタリオンには余計な心配はかけられない。
「………シャクスの仇。きっと果たして見せます。ですから、あなたはここで祈っていて下さい」
「ああ。アンタに任せるよ。ダンタリオン。でも、サン・ジェルマンには時の秘法があるんじゃないのかい?アンタやケファノスが居ても、攻撃が通じないんじゃ………」
「それなら心配ご無用ですよ。クダイと羽竜が、黒仮面に直に聞いて来てくれました。伯爵の秘密をね」
「信用出来るの?黒仮面は敵だよ?わざわざ教えてくれるなんて、裏が在りそうじゃない?」
「どうでしょうねぇ。羽竜と黒仮面には不思議な絆を感じます。彼らは、敵同士でありながら、お互いを強く信頼しています。裏が在るとは思えません」
「確かに。羽竜の話を聞いてるだけでも、そう思うしね」
強烈な印象を残す二人だから納得してしまう。羽竜は黒仮面を倒す為に追っていると言いながら、平気で彼を頼る。戦うべき状況を使い分けているように。
黒仮面もまた、その気になればいくらでも自分達を追い詰められたはずなのに、彼自身の手でそれをしなかった。まるで、この世界を監視しているかのように。
「シメリーも無事に助けてあげて」
不意にオルマが言った。本当は自分が行きたいのだ。可愛い妹分を、死なせたくないから。
「ええ。解っています」
オルマが拳を強く握っている。何も出来ないことが悔しいのだろう。
「では、行ってきますよ」
「ダンタリオン」
「はい?」
「アンタまで……死なないでよ」
「………もちろんですよ」
そう答えて扉のノブを掴んでから、ダンタリオンはオルマに背を向けたまま、こう聞いてみた。
「オルマ。あなたは時間を戻せたら………そう考えたことはありますか?」
それは唐突な質問で、真意を問えるものではなかった。
「どうしたんだい?急に……」
「………いえ。私はたまに考えるものですから。過ちを正したいとか、後悔のイレースではなくて、もっと根本的なものなのですが………まあ、気にしないで下さい。独り言です」
真意の問えない疑問を残し、ダンタリオンは部屋を出た。
「ダンタリオン………」
扉の閉まる音が、なぜか淋しげだった。
「お呼びですか?アイニ様」
カイムは、アイニに呼ばれ、ザンボル城でのアイニの部屋を訪れた。
他人の城とは言え、やはりアイニは女王。それを感じさせない威厳がある。
「フム。入るがよい」
入口付近に立っていたカイムを近くへ呼ぶ。
エルフの国を出てから、随分と逞しい顔付きになった。実の息子であるカイムの成長が、アイニには嬉しかった。ただ、真実は打ち明けられない。飽くまで、女王と従者でしかいられない。
カイムはと言うと、なぜ自分が呼ばれるのか解らなかった。戦いの前に話すのなら、むしろシトリーだろう。でなければ、二人でとか。それが、呼ばれたのが自分一人なのだから、無駄に警戒してしまう。
「カイム………お前の活躍はエルフの名に恥じないものだ。この戦いが無事終わったなら、エルフの騎士隊長に任命しようと思う。………受けてくれるな?」
ハーフエルフであっても、もはやその立場を揶揄する者はいないだろう。そして、母親として何もして来なかったせめてもの罪滅ぼし。カイムの立場をエルフの中で確立させてやることで、シメリーのカイムへの想いも成就させてやれる。そう思っていた。それが叶う。………はずだった。カイムが拒否する瞬間までは。
「お言葉ですがアイニ様、そのような話をなさる時期ではないのでは?シメリーが連れ去られ、未だその命はサン・ジェルマンの手の中。とても聞く気にはなれません」
「………わ、妾はそのようなつもりで言ったわけでは………」
「アイニ様、これだけは申し上げておきます。私はこの戦いが終わっても、エルフの国へ帰る気はありません」
「な………何を……!」
「いろいろ考えて出した結論です」
カイムの瞳が、厳しくアイニを見つめる。決意した瞳は、アイニの次の言葉を奪う。
「この戦いが終わったら、私はケファノスの下に行くつもりです」
「ケファノス………魔族側に着くと言うのか……?!なぜじゃ………なぜ……」
「せっかくハーフエルフとして生まれて来たのです。私にしか出来ないことをしようかと」
「お前にしか………出来ないこと……?それは何だ?」
「魔族と人間、強いてはエルフの間を取り持つ大使として働きたいと思っています」
ハーフエルフのカイムだからこそ、中立の立場に立てる舞台がある。
クダイ達との旅が、カイムに生きる道を見出ださせた。ハーフエルフであることが足枷になっていた一昔前とは違う。ハーフエルフも立派な種族なのだと、世界で唯一人のハーフエルフが誇り高く言った。
「シメリーの気持ちはどうなる?お前を好いている。気付いてないわけではないのだろう?一緒になることも、叶わぬ夢でなくなるのだぞ?」
カイムに良き立場を与えたいと願うのは、これまで何もしてやれなかった母親としてのエゴであることは承知している。それでも、カイムが自分の手から離れて行くことに、アイニは納得出来なかった。
「シメリーとは身分が違います。彼女には、相応の男性がそのうち現れるでしょう」
「その身分を与えたいと申しておるのが解らぬか?」
「なんとおっしゃられようと、私は私の道を歩きます。今までのご恩。決して忘れません。これが最後の挨拶です。お世話になりました」
エルフという種族との決別。これでスッキリした。心置きなく最後の戦いに赴ける。
長く頭を下げた後、アイニを見ることなく部屋を出た。
「カイム………」
好きで女王になどなったわけではない。王位を継承するはずだったアイニの姉が生きていれば、惚れた人間の男とその間に出来たカイムと三人で生きて行けてたかもしれない。
もしあの時、カイムを我が子と勇気を持って公言出来ていたら………カイムに辛い思いをさせることもなかっただろうし、きっと自分も苦しまなかった。
「ああ…………時間が……時間があの日に戻ったなら………」
女王ではなく、カイムの母親として生きる自分を選び直すだろう。
断罪された罪人のように、アイニは苦しむのだった。