第八十五章 心情
自分の存在など無に還されてしまうほど、黒仮面とバチルスの戦いは凄まじいものだった。
サポートすら足手まといになるだろうと、セルビシエは黙って見守るしか出来ないでいる。
愛する黒仮面の真の力。卓越した何かではなく、世界に彼自身を刻み込むほど誇示する。
一度黒い刃を振るえば、木々は薙ぎ倒され、大気が振るえ、上空の雲さえも吹き飛ぶ。
それはまさしく神の力だった。
「判断を誤ったな。バチルス。俺を負かすには、お前では役不足だ」
「ぬうぅ………っ。信じられん強さだ。これほどとは思わなんだ」
「一体どれだけの時間と世界を旅して来たと思っている?貴様程度の奴なら五万といたよ」
「何を!小生意気なっ!」
黒仮面は極力、行く先々での世界に干渉を控えたいと考えている。干渉すると必ず予期せぬ事態を招き、収拾が着かなくなる。
特に、隠蔽していた強さを表に出すことだけはしたくなかった。
「知ってるか?宇宙には心がある。その宇宙の心が、貴様の運命は俺に倒されると決めているらしい」
左の口角がぐっと上がる。負けるとは思っていない証拠だろう。
「ほざけっ!」
そう思ってないバチルスは、策も無く黒仮面に飛び掛かる。
それは将軍と呼ばれる者にしては、あまりに稚拙な行為。
「ワシは負けんっ!!貴様も、サン・ジェルマンも倒し、時間構築魔法具で新たな世界を築くのだっ!!」
自らが好んだ力の及ばぬ事実が、無謀な判断だけを生んでいる。
「所詮は脇役。引っ込んでろ」
軽く言って、バチルスの右腕を肩から切り裂いた。
「ぐおああああああーーっ!!…………ぬ……お………おのれっ!黒仮面ッ!!」
「違うな。俺の名はヴァルゼ・アーク。魔帝ヴァルゼ・アークだ」
「貴様は……!貴様だけは八つ裂きにせんと気が済まんっ!!」
「やってみろ。ポーンがキングを一人で追い詰めることはないことを知るだけだ」
自信を誇るのが気に入らない。バチルスは負ける気など毛頭ないが、一矢報いねば逃げ帰ることも出来ない。
「どうした?せっかくの貴重なダークエネルギーが勿体ないぞ」
傷口からダークエネルギーが漏れている。
失態。サン・ジェルマンにも予測出来なかった黒仮面の力の前に、如何様な判断をするか模索していると、ふと“いい”考えがよぎる。
「黒仮面よ………いや、ヴァルゼ・アークと呼んだ方がいいか」
「………フン。何か良からぬことでも思い付いたか?」
「グフフ………一つ聞こう。戦いに犠牲は付き物だよなあ?」
「当然だ」
「だよなあ………なら犠牲になってもらおう…………貴様になッ!!!」
おもいきり込めた魔力を放って来た。それはレーザーのように細い光線ではあるが、威力は申し分ないもの。
黒仮面は向かって来る光線を睨み据え、“余裕”でかわした。
風圧で仮面が傷を負ったが、蚊に刺された程度のものくらいにしか思ってない。
魔力を込めた割りに、一直線に飛ぶ光線だった理由。おかしいと思わなかったわけではないが、有利に立ったことが悲劇を招いた。
光線は黒仮面を狙ったわけではなかったのだ。“かわしてもらう”為に魔力を込めただけで、狙いは黒仮面の後ろに立つ………。
「しまっ………避けろッ!セルビシエ!!」
光線が通り過ぎる間際、バチルスの思惑に気付き、振り向き叫んだが、セルビシエの心臓を既に貫通していた。
「あ………」
痛みは一瞬で、セルビシエ自身、何が起きたのか把握出来ないまま膝から落ちる。
「セルビシエ………セルビシエ!!」
黒仮面は慌てて駆け寄る。バチルスはその隙を突いて、
「確かに犠牲は頂いた。グフフ。次は必ず貴様も殺す!黒仮面ッ!!」
「待てッ!バチルス!!」
逃げて行った。
「クソッ!」
歯を食いしばり、不覚を取った自分を責めた。
「………様…………ヴァルゼ・アーク………様……」
「しっかりしろ!何も喋るなっ!」
傷口に手を宛がい、出血を止めようとする黒仮面の手を、セルビシエは弱々しく触れる。
「………すいません………わたくし…………」
「すまない。油断した」
判断を誤ったのは自分だった。
セルビシエを遠ざけておくべきだった。
「い……いえ………ただ………」
「ただ?ただ何だ?」
「一緒に………行き……たかった………あなたと…………別の世界に………」
「…………セルビシエ」
「お願いが………あります………」
「………言ってみろ」
「お………お顔………を………一度……でいい……から………」
黒仮面は仮面を外し、その素顔をセルビシエに晒す。
「……フフ………思った通り………優し………い……お顔…………ヴァルゼ・アーク……様………どう……か………どうか………」
その後の言葉は声にならないまま、セルビシエは目を閉じた。涙を一筋流して。
「セルビシエ…………」
魂の無いセルビシエをぐっと抱き寄せ、
「おのれっ!バチルスッ!!断じて許さんぞ!!!」
怒りは頂点に達した。
黒仮面は外した仮面を、セルビシエの顔に被せた。
「あの世で自慢するといい。魔帝に愛された女だと」
口元の開いた仮面に涙が落ち、それを隠すようにセルビシエに口づけをした。
それは長く、熱かった。
そこへ、クダイと羽竜がやって来た。
「尋常じゃない気配を感じたけど………」
羽竜は言いかけ、辺りを見て、
「先客があったみたいだな」
そう聞いた。
「あ、あの髪………」
クダイは、見たことのないくらい鮮やかな赤い髪に見惚れてしまった。
その人物が黒仮面であることは、羽竜の態度を見ればわかる。が、やはり状況は把握出来ていない。
そして、黒仮面が口づけをしているセルビシエから、何かが滴る。黒いボンテージドレスを着ている為、最初はそれが何かはわからなかったが、草の上に落ちてようやく血液が滴っているのだと解った。
「………死んでるのか?」
多少、遠慮がちに羽竜が聞く。
「………無邪気な女だった」
そう答えた黒仮面は、セルビシエを抱いて立ち上がり、クダイと羽竜に振り向き、
「何しに来た?」
そう問う。その姿に、クダイは息を呑む。
赤い髪と二本の長い角。そして、羽竜の持つトランスミグレーションよりも深い紅色の瞳。
悪魔の神だと言った、羽竜の説明に納得した。
「あ、あのですね………」
「サン・ジェルマンの秘密、教えてくれよ」
クダイを遮り、羽竜が尋ねる。
「………聞いてどうする?」
「決まってんだろ。倒すんだよ」
「俺がわざわざ教えてやると思ったのか?」
「思ってねーけど………聞くしかねーだろ。クダイの話じゃ、剣も魔法も通用しねーらしいじゃねーか。時間がねーんだ、教えてくれ」
「断る」
「………なんでだよ。この有様を見る限り、サン・ジェルマンとも手を切れたんだろ?だったら都合悪いことなんて何も無いはずだぜ」
剣までも通用しないのなら、羽竜であっても倒すのは不可能。回りくどい言い方をせず、ストレートに聞いたのには、そういう理由がある。
「敵に塩を送るつもりはない。自分達で暴くのだな」
そう言うと、黒い翼を開く。大小合わせて四十八枚の。
「待って下さいっ!」
羽竜が諦めようとしてるのを察し、クダイが呼び止めた。
「お願いです!こんなことを聞くのは筋違いなことは解っています!だけど、僕達は勝たなきゃならないんです!」
「………何の為にだ?ここはお前の世界じゃない。命懸けの戦いをして利益があるのか?」
「利益なんて………僕が戦うのは、仲間の為です!仲間の未来と………死んだシャクスの仇を取る為に戦うんです!」
「……………。」
サン・ジェルマンと手が切れたとは言え、時間軸を融合する力があるのなら、それを奪うのが目的。その前に倒されてしまえば、自らの野望を台なしにしてしまう。
だが………
「サン・ジェルマンの使ってる時の秘法とは、常時魔法のことだ。絶えず大量の魔力を循環させておく必要がある。奴は存在しているが、循環している大量の魔力の影響で、一見、無敵に見えるだろうが、魔力の流れを遮ればそこに隙が生まれる」
「その方法は………」
「俺が教えてやれるのはここまでだ。後は自分達で考えろ」
「あっ!待って………」
クダイはもう一度呼び止め、
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げた。
その様子に、羽竜は驚いていたが、
「………礼を言われる覚えはない」
冷たくあしらって去った。
「ま、ヒントはもらえたな」
「うん。羽竜、早く帰ろう!仕組みがわかったなら、ケファノスかダンタリオンなら解るかもしれない!」
収穫はあった。これでサン・ジェルマンへの勝機が伺えた。
「よしっ!飛ばすぞ!しっかり掴まれよ、クダイ!」
「最後の戦いだね!」
解き明かされた、時の秘法の仕組み。後はサン・ジェルマンを倒すだけ。