第六十六章 夜の訪問者
お茶会もお開きになろうという頃、オルマとシトリーは異変を感じた。
異変はそれとすぐわかるものだった。
辺りが凍りついて行き、昼間の暑さが残る涼しさが、一瞬にしてひんやりとするだけの空間に変わった。
「オルマ」
「わかってる。やれやれだね。“また”ゆっくり休む暇もないのかい」
異様な空間に異様な気配。まるで幽霊のように闇からいでる。
「ごきげんよう。綺麗な月夜のお茶会。わたくしも交ぜて頂けませんでしょうか?」
お茶を濁すような笑顔は、本来の美貌を疑わせる。
「セルビシエ!!」
シトリーは後ずさった拍子に、カップが肘に当たり落ちて音を立て割れた。
「ここにいたのが“貴女”でよかったですわ。輪廻の塔での借りがありますもの。ねぇ?エルフの王女様」
黒いボンテージドレスの腰に下がる鞭を手に取る。
地面にだらし無く垂れる鞭は、獲物に飢えた蛇のよう。
「何しに来たの?」
シトリーを庇うように、オルマは一歩前に出て言った。
「そこの王女様を魔界へ招待しようと思いまして」
「保護者付きなら考えないでもないけど?」
フンと鼻を鳴らして童子切りを抜こうと、慣れた風に手を腰に持っていってひやりとした。
掴もうとしたモノが無い。
セルビシエから目を離さず、もう一度だけ確かめる。
「……………。」
やはり無い。うっかりしていた。おそらく部屋に置きっぱなしだ。
最悪なことに、セルビシエに気付かれてしまった。
「おやまぁ。なんと情けないお姿でございましょう」
オルマは「チッ」と舌打ちした。そうするしか他に不甲斐なさを叱責する術がなかった。
「私が魔法で」
状況を把握し、シトリーが申し出るも、
「セルビシエの狙いはなぜかアンタだ。アンタに戦わせるわけにはいかないよ」
オルマは、拳を握り肉弾戦を覚悟しながらも、
「意気揚々と出て来たのはいいけど、ここが敵陣真っ只中ってちゃ〜んと理解してるのかい?」
まだ勝算は十分にある。
騒ぎを聞き付け、クダイ達が来るはずだ。焦る必要はない。
どんな風に騒いでやろうか。なんてことまで脳内に浮かぶ余裕がある。
せっかく恋愛談議を咲かそうとした夜だ。“女性”らしく悲鳴の一つも上げてみたい。
そんな堅固なはずの勝算も、
「周りをご覧なさいませ」
そう切り出したセルビシエによって打ち砕かれることになる。
「周り?」
改めて見ると、全てが凍っている。とは言え、不思議なことに滑って足元が不安定になることはない。ひんやりと冷気は感じるも、なんだろう………氷の世界とは違う。
「これは『クウヒョウクウカイ』と言う魔法だそうです」
「クウヒョウクウカイ?かったるそうな名前の魔法だねぇ。」
「凍っているのは物質ではなく空間。つまり、わたくし達の居るこの空間だけが閉ざされているのです。要するに結界ですわ」
「な〜るほど」
助けは呼んでも来ない。そういうことになる。
「オルマ」
「ダメだって。アンタはおとなしくしてて」
シトリーを名指しで………なんだか嫌な予感がする。
こんな時の嫌な予感というのは、大抵当たるもの。
「邪魔をするなら、まずは貴女からということになりますわよ?」
嫌らしく笑う。セルビシエの絶対の自信が伺える。
「シトリーを連れて行くのなら、最低限あたしは倒すことだね」
「ウフフ。もとからそのつもりですッ!!」
鞭が視認出来ない速さでオルマの首に絡まる。
「うぐっ…………」
「オルマ!!」
助けようとしたシトリーを、別の鞭が飛んで来て身体を拘束された。
「あらあら。こんなに簡単に事が運ぶなんて。ヴァルゼ・アーク様もきっとお喜びになりますわ」
醜い笑顔の次は、まるで乙女のように愛らしい笑顔を見せる。
「シ………シトリー……」
僅か先のシトリーに触れようとするも、ギュッと鞭を絞められ妨げられる。
「かはっ………ぐっ………」
「セルビシエ!お願いやめて!オルマが………オルマが死んじゃう!!」
容赦なく絞められるオルマの首から、軋み音が聞こえる。
「ウフフ。苦悶の表情が堪りませんもの。やめられるものですか」
「なんて女!腐ってるわ!心が腐ってる!」
「あーっはっはっはっはっ!なんとでもおっしゃいなさいな。貴女達の命なんて、わたくしの玩具程度にもなりませんし、遊んでもらえるだけでも感謝してもらいたいですわ!」
セルビシエの言葉にブチ切れた。
「玩具?だったらあなたはなんなのよ?!二重人格女!!」
「二重人格?わたくしが?」
「黒仮面だっけ?物好きもいいとこよ!女の趣味悪すぎ!」
「な…………ッ!」
精神的ダメージを与えるつもりだった。身動きが出来ない以上、魔法の発動も困難。だから怯ませるだけだった。
だが浅知恵過ぎる。触れてはいけないものに触れた報いは、自らを犠牲にすることになる。
「わたくしの侮辱ならまだしも、ヴァルゼ・アーク様の侮辱は許しませんわ!」
グイッと身体ごと引っ張られ、何気なく立っていた大木に叩き付けられる。
あの細腕のどこにこんな力があるのか謎ではあるが、今は謎解きに明け暮れる暇はない。
「これから貴女はヴァルゼ・アーク様にお会いになるのですから、くれぐれも口の聞き方には気品を持って頂きたいですわね」
乙女のような笑みも、醜い笑顔もなく、きつく睨む。
「そうですわ。今からレッスン致しましょう。“帝王学”の………ね」
シトリーはオルマを見る。だが、意識を失うか失わないかの境目にいるようだった。
甘く見ていた。輪廻の塔での勝利はまぐれでしかなかったのに。
オルマが童子切りを有していたとしても、変わらない状況だったろう。
セルビシエはその美しい容姿とは別に、魔族の四天王。実力など足元にも及ばない。
(クダイ…………助けて………)
心の叫びは、堪えられず声になる。
「クダーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイッッ!!!!」
直後。セルビシエの結界に異変が起きる。
凍ってるはずの空間が裂け、赤い光が射す。
「そんな………結界が……?」
セルビシエの目に飛び込んで来たのは………
「安っぽい結界張って何やってんのかと思えば」
その中に炎を揺らめかせた真紅の鎧を着て、赤い刃の剣を肩に乗せた、
「お前は………不死鳥!」
羽竜だった。
「女同士の喧嘩にはあんまり首を突っ込みたくねーんだけど………」
スチャッと音を立て剣を下ろす。
「そうも言ってらんねーようだな」
未だ生かさず殺さず首を絞められているオルマ、涙を流し泣いているシトリー。
クダイも連れて来るべきだったかとも思ったが、言っても始まらない。
「さあて、不法侵入でお仕置きだ」