第六十三章 bewunderunk
夢を見た。村が魔族に壊滅されて、一人雨の中ザンボル国の廃教会へと漂流者のように辿り着いた夜。
悲しみと寂しさが心を蝕んで、生きることを拒絶したあの夜だ。
これからどうしようなんて考えなかった。死ねばいい。それしか思わなかった。
頼る宛も空腹を満たす術も、渇いた喉を濡らす術も知らなかった。
なによりも、蝕まれた心が枯渇されてゆくことに堪えられなかった。
そう思って廃教会の十字架を見上げると、そこに深い真紫の鎧を纏った、白い髪の綺麗な男がいた。
男は憐れむ瞳をくれると、
「生きることを諦めるのか?」
低い声でそう言った。
「だども………魔族に村を破壊され………わだすを残してみんな死んでしまっただ。わだすにはもう何も………」
人としてあまりに惨めな姿をしてるのに、それでもまだ涙は流れる。
「もう少しだけ………生きてみないか?」
「もう………少し……?」
「死ぬのは簡単だ。だが、今のお前からはまだ絶望を感じない。心のずっと奥底で、はい上がろうしているんだ」
「だ……だども………」
「生きることを諦める前に、明日を掴む努力をするんだ」
「明日を……掴む……?」
「今日をどんな風に生きたかで明日は姿を変える。忘れてはならん、今日を生きた者にしか明日は来ないのだ。必ず、生きていてよかったと思える日が来る。その日まで…………生きろ」
ふわりと軽く靡いた白い髪が、それだけなのに品のがよかった。素養のように。
夢は覚め、カカベルは静かに目を開けた。
頬が濡れていて、泣いていたのだとわかった。毎回この夢を見ると涙が流れる。振り切ったと思っていた過去が、まだ自分の中にあるのだ。
「気がついた?」
可愛い声がしてそちらを向くと、
「おはよう、シスター」
シトリーがベッドに横たわる自分を見ていた。
「わだす………」
確か輪廻の塔にいたはず。ケファノスがあの夜の天使だと知り、ショックを受けたまでは覚えがあるのだが………。
「シスターは気を失っちゃったんだ。」
カカベルの思考を読み取ったように言った。
輪廻の塔を出てからのことも説明した。事細かに。ここがザンボル城であることも。
「迷惑かけて申し訳ねーだ」
晴れない気分だったが、ケファノスの一件で気を遣わせているシトリーに謝意も込めた。
「ぜ、全然!セルビシエへのあの一撃があったからこうして生きてるんだもん!迷惑どころか感謝してるよ!」
廃教会でずっと孤独に堪えて来た。だからこんなにも温かい感覚は忘れていた。
シトリーが一生懸命に元気付けようとしているのが、カカベルにはすごくありがたい。
あの夜の夢を見た後は悲しみだけが残るのに、その悲しみがどこかへ行ってしまった。
「ね、ねぇ、シスター」
「………なんだべ?」
「あ、あのさぁ………やっぱりケファノスのこと………憎い?」
なんて当たり前のことを聞いてるのだろうと自分でも思ってる。
「…………そったらこと…………」
「わ、わかってるよ?魔族のせいでシスターの村が壊滅したんだもん、憎いよね。でも……さぁ……ケファノスは憧れてた天使様だったんでしょ?」
「……………。」
シトリーは事を穏便に済ませたいわけではない。カカベルの憎しみを忘れろなどとは言えない。しかし、憎しみと迷いに苦しむカカベルを見るのが堪えられなかった。
「余計なお世話なのかもしれないけど」
答えなかったカカベルに配慮したのか、付け加えた。
カカベルはと言えば、急に考えをまとめられるわけもなく、シトリーの言葉の真意を理解するのは困難だった。
しばらく沈黙があり、部屋に流れ込む穏やかな風に当たっていた。
互いに何を話したらいいのかわからない。戦いがこれからどうなるのかなんて、二人には蚊帳の外。クダイ達に任せるしかないのだ。だからこの沈黙は耐え難かった。
それを救うようにノック音がして、シトリーが即座に「は〜い」と反応してドアを開けると、
「やあ。カカベル起きた?」
クダイがいた。
「うん。起きてるよ」
息苦しい空気を換気してくれるようなクダイの笑顔。
シトリーは招き入れ、カカベルのベッドまでエスコートする。
「具合、どう?」
特に具合が悪くて倒れたわけではないのだが、クダイとしてもどう聞いていいかわからなかったのだろう。
「………まあまあだべ」
体調は悪くないが、心は生憎具合が悪い。もしかしたらそっちを聞いて来たのだろうか?
にしても、饒舌にそれを聞き返す気もなかった。
「そ、そうだよね」
「………あの不死鳥の少年はどうしただべ?」
苦笑いしたクダイを気の毒に思って、話を逸らそうと羽竜のことを尋ねた。
「羽竜?羽竜なら寝てる。時間移動は疲れるんだってさ」
なんとも気楽な不死鳥だ。不死鳥とは崇高な存在だと思っていただけに、肩透かしを喰らった気分になる。
いつもの元気がないカカベルは、まただんまりした。
すると、またドアをノックする音がしてシトリーが開けようとすると、向こうから先に開けられた。
「シスターはいるか?」
やって来たのはケファノスだった。
「ケファノス!」
悪意のあるような目でカカベルは睨む。
「起きていたか」
「な、何しさ来ただ!?そもそも、レディの部屋さ許可もなく入って来るもんでねーべ!」
「フッ。随分と“元気”だな」
ケファノスにはそう見えるらしい………実際そうかもしれない。これを“元気”と呼ぶのなら。
「わだすはおめさんを許したわけではねーがんな!」
憧れていた天使だからと言って、恨む気持ちは変わらないと言いたいのだろうが、許しを乞おうとは魔王様は思っていない。
「許して欲しいなどと都合のいいことを言うつもりはない。余を殺したいのなら、そのバランスブレーカーで殺せばいい」
「バランスブレーカーで………?だどもこれは…!」
「まだ戦いは終わってないんだ。当然一緒に戦ってくれるのだろう?」
「そんなこど言うまでもねーべ!ただし、おめさんと手を組むわけではねー!勘違いするでねーぞ!」
枕元のバランスブレーカーを手にし、振り回すカカベルをクダイとシトリーは危ないからと止めていたが、ケファノスだけは目を細め微笑んだ。
「な、な、何がおかしいだ?!この期に及んでまだ人を小バカにするだか?!」
「いや。頼もしいと思っただけだ」
「キィーーーーーッ!!!!その涼風を受けたようなフェイスで言うな!!余計に腹が立つ!!」
カカベルは本気で腹を立てているが、本気になればなるほどケファノスが微笑むから気に入らない。
「クダイさ達がサン・ジェルマンを倒すのにおめさんの力が必要だって言うから生かしてるだけだかんな!忘れたらなんねだ!」
「その堅固さがあれば大丈夫だな」
ケファノスはベッドの上で暴れるカカベルに近寄ると、じっと彼女の瞳を覗く。
「な、な、な、ななな……」
憎き魔王でも、美形な顔立ちはドキッとさせられる。そんな迂闊な気持ちを見透かされないようにしたいが、顔が勝手に紅潮していく。
「あの日のシスターからは想像出来ないほど立派なシスターになったな」
「わ………わだすはおめさんに褒められるようなことは、し、してね!」
「いいや。いい瞳をしている」
「バ……ババババカでねーか……?」
口説いてるわけではない。心の底からカカベルの成長を讃えたいのだ。
死ぬことを望んでいた少女が、今は世界を救う為に戦っているのだから。
「よ、寄るでね!」
バランスブレーカーをケファノスの鼻先に突き出した。
が、臆する理由はケファノスにはなく、
「忘れるな。神を信じても奇跡は起こらない。いつだって生きようとする人の心が奇跡を起こすのだ」
踵を返すとそのまま部屋を出て行った。
「ケファノス………」
シトリーにはケファノスが何を伝えたかったのかわかった。
それは優しさであり、落ち込むカカベルへの励ましでもある。
「よかったね、カカベル」
クダイにも想いは伝わり、そう言うと、
「な…………なぁにが“よかったね”だ」
わなわなと拳が震える。
「なんんんんにもよかったことなどねーべさ!!」
「カ、カカベル?」
「おん……………のれケファノスッ!!エラソーに説教など垂れやがって!!言われなぐでも奇跡でも案山子でも起こしてやんべ!!」
「案山子は関係ないと思うけど」
ボソリと呟いたつもりだったが、
「だんまれクダイさ!!わだすは怒っただ!!あの男をいづがギャフンと言わせねば気が済まね!!」
もう怒ってるじゃないかと言ったクダイは、以降のカカベルの怒りを一身に浴びていた。
なんとも困った二人だとシトリーも呆れはしたが、早く戦いが終わって欲しい想いと、戦いが終わってしまえば自分の世界に帰るだろうクダイへの想いが複雑に絡んでいた。
だが、その想いさえ運命に弄ばれてしまうことなど、クダイにもシトリーにもわかるわけがなかった。
そして、やがて誰かがこう思い始める。
時間を戻せたなら………
愚かにも、人は可能性の無いものへ想いを強くする。