第六章 屍人
「おはようございます」
いつもは静かな朝の桐山家が、今朝は少しうるさかった。何事かと、クダイがキッチンに行くと、満面の笑みでダンタリオンが挨拶をして来た。見慣れた服は亡くなった父親のものだろう。それとエプロンのおまけつきで。
「何やってんの」
「見てわかりませんか?朝食を作ってるんです」
それはわかる。クダイが聞きたいのは、なぜダンタリオンがそれをしてるのかということ。
「私、こう見えて料理が得意なんです」
「いや、聞いてないし」
どうもこの男は苦手だった。マイペースかと思えば、夕べのように真に迫った話をする。そう思っていると図々しい態度も見せる。
「世渡り上手でなければただのバカ」。ケファノスの言葉が胸に染みる。
「それにしても便利な道具がいっぱいですね〜。思わず料理にのめり込んでしまいます」
料理に関しては心から楽しんでいるようだ。
「あら、クダイ。今日は早起きね」
「何やらせてんだよ」
同じくエプロンをして現れた母親に、クダイはダンタリオンの背中を指差した。
「何って、朝ごはんの準備、手伝ってくれるって言うから。ダンタリオン君ね、料理が得意なんですって!いいお友達じゃない!」
「友達じゃないよ」
ミーハーと化した母親に何を言っても無駄だろう。
ダンタリオンは、とても朝食には見えない豪華な料理をテーブルに並べる。
「さ、クダイ、いっぱい食べて下さい」
クダイの顔がピクピクと引き攣った。朝から男の手料理、それも昨日会ったばかりの男のものを食べる羽目になるとは。
「ささ、どうぞ遠慮なく」
早起きしたせいか、腹が鳴った。思春期の男の子が空腹に勝てるわけもなく、クダイはダンタリオンの手料理を口にした。
「あ、お弁当もありますから」
言いたいことは山ほどあったが、言ったところであまり効果はなさそうだ。
「ケファノス」
クダイに呼ばれて、ケファノスがワイシャツの胸ポケットから顔を出す。
「なんだ」
「悪いけど今日は家にいてよ。ダンタリオン(あいつ)連れて行けないし、母さんは仕事だから家に一人で置いとけないしさ」
「…………。」
まさか魔王たる者が留守番を頼まれるとは………。
「今日は博物館に社会科実習だから早く帰って来るから、見張ってくれよ」
うんともすんとも言わずにいたが、拒否権が無いのはわかっていた。
「おやおや、密談ですか?」
微笑まれて腹の立つことがあるなんて、この世にあるとは思わなかった。
ダンタリオンのわざとらしい微笑みは無視して、クダイは朝食を一気に平らげ、
「それじゃ、行くね」
クダイは、鞄を手にして勢いよく飛び出して行った。
「元気ですねぇ」
そう言って、ダンタリオンはスープを啜る。
「うん、これは美味しい」
インスタントのコーンスープなのだが、大分お気に召したようでもう一袋を開けお湯を注ぐ。
「ダンタリオン」
留守番と”おもり”を頼まれたケファノスが、不機嫌そうに言った。
「なんでしょう?」
一方で、ダンタリオンはご機嫌だ。
「お前に見てもらいたいものがある」
ダンタリオンは一瞬、食事する手を止めたが、すぐにまた再開する。
それが了承のサインだと、ケファノスはわかっていた。
町並みはもちろん、人の数、服装、ありとあらゆるものが自分達の世界とはまるで違う。驚きもあるが、やはり興味が先に立つ。
「いやはや、まさか魔王からデートに誘われるとは」
ダンタリオンはケファノスに誘われるがままに街を歩いていた。
ケファノスはというと、ダンタリオンの、やはり上着の胸ポケットに身を潜めている。
「黙って歩け」
「まあまあ、そう言わずに。それより、どこに連れて行かれるのでしょう?」
「クダイのところだ」
「クダイの?行き先はわかってらっしゃるんですか?」
知らない世界で好き勝手行動出来る魔法はない。かと言って、クダイに特別な気配は感じなかった。
きっと、ケファノスにしかわからない魔法か何かで追跡してるのか、あるいはダンタリオンにはわからないオーラのようなものを、クダイが持っているのかもしれない。
「実は気になることがある。そいつをお前に確かめてもらいたい」
なんのことやらわからないまま歩いていると、大きな白い建物の前に大勢の学生がいて、その中にクダイがいた。
「おお!あれはクダイでは」
「待て」
ダンタリオンが飛び出して行く前に制止する。距離は遠くない。数十メートル。木の陰から覗き見る。
「なぜ止めるのです?」
とぼけてはいるが、賢者にまで成った男。そうそうが天然であるとは思えない。
「お前に確かめてもらいたいのは、クダイと一緒にいるあの男だ」
クダイと一緒に楽しそうに会話している少年。ヨウヘイだった。
「ほう。私に劣らずハンサムな少年で。彼が何か?魔王の怒りにでも触れたとか」
「…………。」
「失礼。愚言でした」
賢者とだけあって、不快した相手が倒すべき魔王であっても礼を尽くす。
そして、真剣にヨウヘイを眺め、
「至って普通の少年のように見えますが………」
「昨日、あの少年から屍人の臭いがした」
「まさか。屍人は死人にのみ憑く魔物。生きた人間に憑くなど聞いたことがありません」
見解はケファノスと同意だが、だからこそ自分に確かめてほしいのだと思い、今一度ヨウヘイを見る。
「余も気のせいだとは思うが、あの臭いを勘違いするとは思えん」
「……………ここからではなんとも判断しかねますね。賢者とて人間。嗅覚は所詮、人並みですから」
生きてることは確かだ。ヨウヘイが死人ならば一目でわかるし、あんなに表情豊かに会話は出来ない。
「すいません。お役に立てませんで」
「…………。」
「しかし、なぜあなたほどの者が屍人を気にするのです?魔物とは言え、せいぜい死人に取り憑いて悪さをする程度。敵である私に頼むことではないのでは?」
「…………貴様にだけは言ってもいいだろう。どこの誰かは知らんが、屍人を利用してよからぬことを企む輩がいると聞く。少し気になっただけだ」
「私達がこの世界に来たことが関係すると?」
「それはわからん。だが、屍人の糧である魔気がこの世界では感じない。屍人は魔気のある世界にしか存在しないはず………」
「言われてみれば、屍人どころか魔気の無い世界ですね。汚れてはいるけど、あくまで環境的な話。言い換えれば、濁った水の中にいるような……そんな世界です。ここは」
「…………。」
多くは語らないが、ケファノスの中では何か追求したいものがあるようだ。
夕べのことも、人間側と魔族側の双方の言い分に食い違いがあるのも事実。初めてケファノスと語り、ダンタリオンの中でも引っ掛かるものが生まれた。
「しかし、ディメンジョンバルブを造ったのはジャスティスソードなのでしょう?正直、偶然にしか思えないのですが」
「クダイがジャスティスソードの災いを受けないのもか?」
「それは………」
「なにもかも偶然で片付くのなら、これほど楽なことはない」
魔王たる自信。ケファノスの第六感が告げている。
「どうやら探る必要があるようだな」